第17話 恋と友情と



 太陽の塔の日から数日が経過した。エピタフの容態はみるみる間に改善していった。先生は毎朝、エピタフの元を訪れ、傷の処置をし直す。それ以外は、薬を服用させるくらいの話だ。


 ずっとついていることも不必要となり、老虎とらは用事がある時だけ、エピタフが監禁されている部屋に足を向けた。同じ時を共有するほど、自分がどうにかなってしまいそうな気がしたのだ。


 あの日。互いに名を伝え合った会話が嘘のようだった。エピタフは老虎に無言で視線をくれるだけだったし、自分も用件を述べる程度。そっけない、なんの感情の交流も生まれないようなやり取りが続いた。


 エピタフにかかる時間以外は、通常運転だ。老虎は、設備の点検に向かう道すがら、縞栗鼠しまりす博士と凛空りくが古文書を挟んで、なにやら話をしている姿を見かけた。


 アジトに来てからというもの、凛空は古い文字が読めるようで、縞栗鼠博士と古文書の解読に明け暮れていた。


 真剣な眼差しで、博士と話をしている凛空の横顔を見ていると、最初に出会った時とは違った雰囲気に気が付いた。彼は彼で色々な経験をしてきたのかも知れない。


 あの夜——。自分の町が襲撃され、大事な家族を失ったあの夜。凛空はただの少年だった。運命に翻弄されている哀れな黒猫だった。しかし、今の彼は違う。漆黒の瞳は光を取り戻し、自分でできることを成し遂げようと必死だった。


(ずいぶんと変わったもんだ)


「おう。老虎。覗き見か」


「ち、ちげーし」


 博士が老虎の視線に気がついて、からかいの声を上げる。凛空は、老虎を見るとにこっと笑みを見せた。愛嬌のある黒猫の少年だ。他人を疑うこともなく、素直なところは、どこかスティールに似ていると思った。


「お前も混ざるか?」


「誰が。おれはこれから装置の点検にいってくる。西口の監視装置が調子悪いみたいだ」


「しっかり頼むよ。いつカースがここにも仕掛けてくるかわからないんだからな」


「わかってるって」


 老虎は手に抱えていた工具の入った箱に視線を遣った。すると、博士が「そういえば」と声を上げた。


「東地方の偵察隊から連絡が入っていたぞ。すでに進軍を開始している虎族は、総勢100名程度らしい。おさ自らが指揮を執っているとか」


「——おさたるもの。最前線に出ないなんて臆病なことはできねえ。おれたち一族は、もともと戦闘民族だからな」


「虎族のおさは、お前の兄貴じゃないのか」


(そうだ。——おれの兄貴……だ)


「このまま行ったら、王都に到着するのも時間の問題だぞ。ここまで攻め込まれたら。お前たち兄弟は、敵同士という立場で、戦場での再会、なんてことになるかも知れないぞ」


「んなもん、わかってるよ」


 二人の会話を聞いていた凛空は眉間に皺を寄せた。


「なんとかならないの? 老虎。虎族を止める方法はないの?」


「うっせー。なんとかなるんだったら、もうとっくになんとかしてる」


「ごめん……」


 凛空は耳を垂らし、視線を伏せた。自分自身の中にくすぶっている不安を、この少年にぶつけても仕方がない。老虎は「すまねえ」とすぐに謝罪の言葉を述べた。


「なんとかしてぇ。こんな戦いに一族を巻き込みたくねぇ。自分たちの正義のために戦うっていうんだったら、おれは反対はしねぇ。けどよ。今回ばっかりは、カースって野郎に踊らされているだけな気がするんだ。

 自分たちが暮らしやすくするためには、本当に戦いしか解決策がないのか。おれは、王都にきて『そうじゃねぇ』って知った。おれたちには言葉もある。心もある。力任せじゃ解決できねぇことがあるって、おれは知ったんだ」


 博士は笑った。


「お前は大人になったな。なんでも力推しだったくせに」


「うっせーよ」


(戦いに巻き込みたくねぇ奴ができただけだ)


 老虎はちっと舌打ちをした。それから「じゃあな」と手を上げると、通路に足を踏み出した。すると、そこにスティールがお盆を手に姿を現した。


「おい。老虎。エピタフの食事だ。持って行ってやってくれ。今日から食べてもいいだろうって、先生から許可が下りた」


「お前が持っていけばいいだろう」


「ずっとエピタフの面倒みてくれているのはお前だ。頼むよ」


「——いいけどよお。……お前の幼馴染なんだろう。自分でやったらいいじゃねぇか」


 凛空の町が襲撃された夜——。エピタフの視線は老虎を見ていなかった。目の前にいるサブライムやスティールだけを見ていた。老虎はエピタフとスティール、それからサブライムの関係性に嫉妬していた。しかし——。スティールは首を横に振った。


「おれじゃ、ダメだ。あいつが嫌がる。おれは、あいつを王宮に置き去りにした一人だからな。嫌われている。あいつがたった一人、信頼して心寄せていたのはサブライムだけだ。おれなんて眼中にないさ」


「サブライム? 王様のことかよ」


「そうだ。エピタフは幼いころからサブライムを慕っていたからな」


 スティールの瞳を見ていると、ふと老虎は悟った。突然だ。突然、彼の気持ちがわかってしまったのだ。


「お前——。あいつのこと、好きなのか」


 スティールは弾かれたように視線を上げる。それから、目元とほんのりと朱に染めた。


「バカ言え。あんな生意気兎」


「お前は嘘がつけないからな」


 老虎の言葉に、スティールは視線を伏せた。


「あいつを助けてやりたいって、何度も思った。けれど、多分——。おれではあいつを救えない」


「救う?」


「そうだ。エピタフはいつも迷子だ。祖父であるリガードは、王宮のめいとは言え、一族を捨て、歌姫の生まれ変わりである凛空を育てた。あいつの母親は、あいつが生まれるとすぐに実家に帰って行った。残された父親もまた、我が子の容姿が獣族であったことで、闇に落ちていった。

 あいつの家族はバラバラだ。あいつは、常に愛情に飢え、そしてなにかを手に入れようともがいてきたんだ」


「お前じゃダメだったのか?」


「おれじゃないだろうな。近すぎるんだ。おれとあいつは……」


「そのサブライムって王様は……」


「あいつは……。凛空に夢中だ。一生、エピタフに振り向くことはないだろう」


 老虎は舌打ちをした。


「くそ、うまくいかねえもんだな」


「そんなことはない。お前ならうまくやれると思うんだ。——お前、エピタフのこと、好きなんだろう?」


「は、はあ? な、なんで。おれが」


 スティールは笑った。


「見ていればわかるさ。お前との付き合いは長いだろ?」


「け、知ったような口を利くなよ」


「知っているさ」


 スティールは老虎をまっすぐに見つめた。


「頼む。お前に託すぞ」


「スティール……」


「さあ、持って行ってやってくれ」


 老虎はお盆に視線を落とす。そこには、木の実をすりつぶした温かい飲み物と、リンゴ。それから、柔らかいパンが載せられている。そして小さい本。最近、王都で流行している恋愛小説と言われるものだ。


「なんだよ。この本は」


「さあね。先生からの差し入れだって」


「んなもん、読むのかよ。あいつが……」


「現実主義のエピタフが、こんな作り話の夢物語を楽しみとは思えないけれどね。先生が『勉強だ、勉強』と言っていたよ。意味がわからないけれどもね」


 苦笑しているスティールと別れてから、老虎はエピタフの療養している部屋に向かった。




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