第3章 兎と虎は真のつがい
第15話 他人のつけた印
アジトについた後、エピタフは治療師である
大熊猫先生は、元々町の治療師だった。魔法が主流のこの世の中で、魔法を使わずに病を治すという噂が広まって、王都では人気の治療師だったそうだ。
その彼が、どうして革命組に身を置くことになったのか。老虎は詳しいことはわからない。スティールの話によると、突然、ふらりと現れた彼が、仲間に入れてくれと申し出たそうだ。
彼は人気絶頂にあった治療院を閉め、そしてこうして地下に潜ったのだ。その理由はわからないが、きっと並々ならぬ事情があったのだろう、と
そう——この革命組に身を置くものたちは、少なからず、事情を抱えているのだから。
先生の処置室に運ばれたエピタフは、すぐさま治療を施された。老虎は彼を救出した時の状況や、飛空艇での経緯を説明した。
「よくやった。老虎。お前は優秀な生徒だ」
先生はにこっと笑みを見せると、てきぱきと老虎に指示を出した。
革命組にとったら、エピタフは敵も同然だ。彼に恨みを持つ者も少なくはない。処置は二人で行われた。
血で汚れたからだを綺麗に拭き、それから魔の力を弱めるための聖水を傷口に振りかける。
「綺麗な顔をしているが、百戦錬磨だな」
先生はエピタフのからだを眺めてそう言った。老虎も同じ気持ちだった。彼の体躯には、大小さまざまな傷跡があった。古いものあれば、新しいものもある。いくら魔法で治癒をしても、一度切り裂かれた皮膚は瘢痕を残すこともあるという。
「傷跡とは、まるで誰かが付けた印のようだな」
先生のその言葉に、老虎は何故か苛立った。自分以外の人間が、彼のからだに傷跡を残したという事象が面白くなかったのだ。
「若いのに。死と隣り合わせだ。——魔法大臣とはこんなものなんだ。老虎」
「え?」
先生は静かに首を横に振る。
「一般庶民から見れば、王宮にいる者たちは優雅に暮らしているように見えるだろう。しかし、違っているんだ。みんな、命をかけてこの国を守っている。彼が大臣に就任した時。王都は大騒ぎだった。なにせ、十三歳の年端もいかない子どもだったからな」
「十三……。おれは里で呑気に友達と暮らしていたな。両親もまだ元気で、なんの心配もなく暮らしていたかも知れねぇ」
「何が幸せで、何が不幸なのか。それを他人が決めることはできない。しかし年齢に関係なく、その重責を担わせなくてはいけないという今の王宮の仕組みは、到底賛同できるものではないな」
先生はテーブルの上から、細いナイフを取り出したかと思うと、それをランプの炎で炙った。
「痛みを抑える薬を盛った。息が止まったり、脈が弱まったりしないか、お前、見ておけ」
「お、おう。いいけどよ。なにするんだ——おうおうおうおう! 先生!」
先生は、手に持ったナイフをなんの迷いもなく、エピタフの腹部に突き立てた。老虎は驚き、心臓が止まりそうになる。
「うるさい虎だ。お前は言われたことだけやっていろ。手元が狂うだろうが」
「な、なにしてんだよ!」
「からだの中まで損傷している。血を止めるには、開いてみないとわからんだろうが。大丈夫だ。痛みを感じないように薬が効いている。だから、お前はちゃんと言われたことをしろ。目を離すなよ」
「わ、わかったよ」
老虎は血の匂いが充満するこの室内で落ち着かない気持ちになった。
(魔法でちゃちゃっと直せばいいのによ!)
先生は魔法を使用しない。
『魔法とは捻じ曲げられた力だ。人には回復する力、生きる力があるんだ。私はそれを促す。それが一番、からだへの負担が軽くて済むんだ』
彼は常日頃、そう言った。老虎には、それがどんなことを意味するのかわからなかった。
「大丈夫だ。重要な臓器は損傷しておらん。ちょっと縫い合わせて」
「縫うってよ」
「これが一番なんだ。——というか、本当に黙ってろ!」
「お、おう……」
エピタフの唇は相変わらず紫色だった。
(本当に大丈夫なのかよ……!)
エピタフの処置はかなりの時間を要した。最後に皮膚を縫い合わせ、そこに薬草をすりつぶした薬を塗布し、包帯でぎっちりと巻き付ける。先生特製寝間着を着せ、ベッドに移し替えると、怪我人とは到底見えないようなくらい、穏やかに眠っていた。
「薬が抜けきるのにしばらくかかるが、跳ねっかえりの白兎だ。体力もあるだろう。普通の人間では想定できないくらい早く目が覚めるかも知れない。お前、ちゃんとついていて、脱走しないように見張っておけ」
「お、おれがついているのか?」
「お前、頑張ったんだろう。お前が応急処置をしてくれたから、この白兎は持ったんだ。お前が最後まで面倒みてやれ。それに気がついて暴れたら、取り押さえられるのはお前だけかも知れないしな」
先生は桶で手を洗っている。その様子を眺めて、老虎はもごもごと言葉を発した。
「せ、先生。あのよお。あの……」
老虎が言葉を切ると先生は「なんだ?」と足を止めた。彼は伺うように老虎を見ていた。老虎は軽く息を吐き、「なんでもねえよ……」と言った。
ふくよかなお腹を揺らし、目を細めてから、先生はポケットから小さい紙包を取り出した。
「目が覚めたらこの薬を飲ませること。まだ食事はダメだ。からだが回復しないと」
薬を受け取り、老虎は小さく頷いた。
「おれは他の負傷者を見てくるから。ちゃんとやっておけ」
「おう」
大熊猫先生が立ち去っていくと、部屋は静寂に包まれた。老虎は目の前で浅く息を吐くエピタフを見つめていた。
仲間を攫っていく敵だ。気に障るようなことばかり言ってくる嫌な男だ。そう思っていたはずなのに。自分で自分が嫌になってきた。老虎は頭をもしゃもしゃとかきむしった。
「匂いがよお」
いてもたってもいられない。老虎は腰を上げ眠りの淵を漂っているエピタフのそばに歩み寄った。
「くそ……いい匂いがするぜ」
ほっそりとしたその首元をなぞるが、彼は目覚める気配がない。老虎は、そっと彼の肢体を覆う布をずらし、そして彼の肌に直接、鼻先をくっつけた。
頭の芯が痺れるような血の匂いと、甘い匂いが織り交ざり、彼の理性と本能が、ギリギリのところでせめぎ合っていた。
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