第12話 真のつがい




「エピタフ。凛空りくが、太陽の塔に行くことに同意してくれた。明日は忙しくなるぞ。お前も早く凛空を連れて休むといい」


 凛空は、自信がなさそうに視線を伏せていた。


「よく決断しましたね」


「大丈夫だ。おれが守る。凛空。明日は、おれとエピタフでお前を守るから」


 サブライムは優しい声色でそう言いながら、凛空の頭を撫でる。凛空は目をぎゅっと瞑って、気恥ずかしそうにしていた。


「ほら。ちゃんとエピタフと仲良くするんだぞ? 凛空」


「わ、わかってるし」


 凛空はサブライムに対して、馴れ馴れしい口を利く。


(教育のし直しが必要です)


 あの夜。町を襲撃された理由が自分であったと知った凛空は、育ての親であるリガードも失った。精神的に辛いだろうということは理解できているはずだったのに。優しい言葉をかけることなど、エピタフにはできなかった。


 凛空はまだ子供だった。自分たちが、カースと命がけで対峙しているというのに、凛空はただの甘えた子供だったのだ。


 なぜリガードは、彼に自分自身に課せられた使命を伝え厳しく育てなかったのだろうか?


「おれ、エピタフのところに行かないと駄目?」


 凛空はおずおずとサブライムに切り出した。


「こちらも願い下げなんですけれども。王宮にはおいておけません。私と一緒に屋敷に行くのです」


 エピタフはぴしゃりと言ってやった。


(私だって、こんな甘ったれの黒猫の面倒など、見たくもないんですからね!)


 サブライムはふんわりと優しい笑みを見せて、凛空の頭に鼻をくっつける。


「いい子だ。エピタフにいじめられないように、おとなしくしているのだ」


「誰がいじめるですって?」


「ほらほら。怖いんだから。凛空。気をつけろよ」


 サブライムは悪戯な笑みを見せたかと思うと、凛空を力任せにエピタフに押しつけた。バランスを崩す凛空を、エピタフは慌てて抱きとめる。凛空の黒い耳の先から飛び出している白い毛がエピタフの頬をくすぐった。


「じゃあ、ゆっくり休め」


 サブライムは手をひらひらと振って、廊下に姿を消した。


 凛空が、出会って間もないサブライムに、どんどん惹かれている様子が、傍から見てもよくわかった。サブライムと凛空は、間違いなく「真のつがい」だ、とエピタフは確信していた。


 しかし、王族に獣族を迎え入れたことはない。運命のいたずらか、必然なのか。サブライムは黒猫の獣人である凛空に強く惹かれていた。


 この世には、「真のつがい」というものが存在すると言われている。唯一無二の存在。理性などかき消されてしまうほどに、互いに惹かれ合う。それが「真のつがい」だ。


 無数に存在する命の中で、真のつがいに出会う可能性は、かなり低いとされている。真のつがいに出会わずに、決められた者と「つがい」になり、生涯を終える者が大半だ。


 王族については、王宮でそれ相応にふさわしい者をつがい候補とするのが通例だ。高貴なる血筋を維持するため、介在が必要となるからだ。


 サブライムも当然、人間のつがい候補が決まっていた。しかし彼は、その誰にも興味を示すことはない。


 サブライムは昔から、この凛空をつがいに迎え入れると決めていた。サブライムは、自らが獣人とつがいになることで、この世界から格差をなくそうとしている。——いや、そうではない。サブライムは本能で、否応なしに凛空に惹かれているのだろう。


 凛空を初めて預かった日。エピタフは凛空に「獣人は王とはつがいになれない」と言った。我ながら、なんと意地悪な言葉だろう、と思った。凛空は感性の鋭い子だ。エピタフのこの気持ちを感じ取って、恐れているようだった。けれど——。


「帰ろう。エピタフ。ねえ、疲れた顔をしているよ。大臣って忙しいんでしょう? エピタフが寝ているところ、見たことないもの。サブライムも心配しているんだと思う」


 彼はおずおずとそう言った。


(ああ、この子は。冷たい言葉ばかり投げかける私を心配してくれるというのか。それに比べて、私の心は、なんといやしいのでしょう)


 エピタフは凛空を見下ろしていた。


「エピタフ?」


「——すみません。帰りましょう。よく決断しました。太陽の塔へ行くことを——」


 凛空は、ぱっと表情を明るくした。頬がかすかに朱に染まり、漆黒の瞳はキラキラと輝いた。ちょっとした言葉で、こんなに喜ばれると、エピタフのほうが狼狽えてしまう。つい視線をそらした。


「おれ、怖いけれど。運命に立ち向かってみる」


 彼はそう言った。


「サブライムもそうしているってわかったから。みんなそうなんでしょう? エピタフも。運命に立ち向かおうとしているから、逃げないでここにいるんでしょう?」


(私は——そんなものではないのです)


「おれ、がんばってみる。歌姫になったら、本当のおれがどこかに消えちゃうのかもしれないって、すっごく怖いけど。でも、がんばってみるよ。サブライムもエピタフもいるもんね。おれは自分にできること、やってみる。じいさんに今度会ったら、褒めてもらえるように——ね」


 凛空は「へへ」と笑って見せた。


 いくら突き放そうとも、この黒猫は近づいてくる。自分の祖父であるリガードが命を懸けて守り抜いた少年だ。エピタフの中には、複雑で、言葉に言い表せないような気持ちがくすぶっている。


「私は——そんなに立派な人間ではありません」


「そんなことないよ。エピタフは美人だし。しっかりしているし。頼りになるお兄さんみたい」


(お兄さん——)


 凛空の目が直視できなかった。エピタフは「帰りましょうか」と言って、執務室を後にした。



***



 作戦決行の日がやってきた。老虎とらたちは、朝早くから出撃の準備をした。


 スティールの説得は失敗したのだ。博士の手伝いをして飛空艇の調整をしている者もいれば、負傷者が出ることを想定し、治療の準備を進めている革命組の治療師、大熊猫ぱんだ先生の手伝いをしている者もいて、アジトの中は騒然としていた。


 太陽が天高く昇りかけた頃、博士の運転する飛空艇は、アジトを出発した。いつもとは違い、飛空艇の中は、緊張で張り詰めた空気が漂っていた。「革命を起こす」なんて言ってはみても、こうして戦いに出るのは初めての経験だったからだ。


 老虎はずっと甲板に出て、手すりに身を預けながら、太陽の塔を見据えていた。途中、太陽の塔入り口に張り込ませていた仲間から連絡が入る。


「どうやら、サブライムがきているみたいだ。王宮は先鋭部隊を選抜してきたが、それも入れるのは1階のフロアまでだ。祭場に上がったのは三名のみ。凛空、サブライム、そしてエピタフだ」


 スティールの報告に、老虎は声を上げる。


「たった二人だと? 罠だったら防ぎようがねえだろう」


「お前も見ただろう。サブライムの剣術は群を抜いて優れているし、魔法大臣のエピタフは文句なしの魔法使い。カースを倒すことを目的としなければ、凛空を守ることくらいは、二人でもできるんじゃないかな」


「んな甘っちょろい話なのかよ。なんだか変だぜ。静かすぎる。なにかが起こるって、おれの野生の勘が言っているぜ」


 胸騒ぎがした。今朝からずっとだ。老虎はざわつく気持ちを抑えきれずにそう言った。


「大丈夫だ。予定通りに到着するよ。到着後は、さっそく壁をぶち抜く」


 博士は親指を立てて、にかっと笑った。


「頼むぜ。博士」


 老虎はスティールと顔を見合わせた。すると、すぐにガズルが「到着だぜ」と言った。


 飛空艇は天高くそびえ立つ塔のそばで停止した。


「どれ、作戦をおっぱじめるよ!」




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