第9話 王様


 スティールは、老虎とらが捕まえた少年の顔を覗き込んだ。


「おいおい、本当にこの猫なのかよ」


「間違いないと思うんだけど。黒猫で鍵しっぽだ。それにフェイクでリガードが現役を退くとは、到底思えないからね」


「ち、どうすんだよ」


「連れて行くに決まっている」


 スティールは、はっきりと言い切った。二人の会話をぼんやりとした表情で聞いていた少年だが、我にでも返ったのだろうか。急に手足をばたつかせて「は、離せ!」と叫んだ。


「うるせえガキだ」


(めんどくせぇなあ。だからガキは嫌いだ)


 老虎は舌打ちをして、少年を捕まえている腕に力を入れた。すると彼の喉元が自然と締めあげられる格好になる。黒猫の少年は「ぐ」と言葉に詰まった。


「おい。やめろ。老虎。死ぬぞ」


 スティールの声に反論しようかと顔を上げた瞬間。飛んできた矢が、老虎の腕を掠めて地面に突き刺さった。思わず少年を捕まえていた手の力が緩んだ。少年はあっという間に地面に尻餅をついた。


 老虎は傷を負った腕を押さえながら、矢を放った主を探して視線を巡らせた。


(あそこだ!)


 猫科は夜目が利く。相手はすぐに見つかった。男は森の入り口に立っていた。一見、旅人風にも見えるが、身に着けているものは上質そうだった。


(只者じゃねえ)


「歌姫を待っていたのはおれだ。途中から横取りするのはやめてもらおうか」


「何者だ」と言いかけた老虎の言葉を遮り、隣にいたスティールが「お前……」と驚愕の声を上げた。どうやらスティールは彼のことを知っているようだった。


「一人できたのか? 本当、あきれるぜ」


 スティールは男を見据えたまま、そう言った。


「歌姫を迎えにくるのは、おれの仕事だからな」


 相手の男はさわやかな笑みを見せる。闇夜の中に、まるで太陽の光が注いでいるかの如く、神々しい雰囲気を醸し出す男だった。その出立ちだけで、育ちの良さがよくわかる。王宮から派遣されてきたスティールの知り合いだろう。貴族の一人かも知れない——と老虎は思った。


「歌姫を迎えに来るのはお前の仕事だと? 王都を留守にしてか。大した身分だな」


「そういうお前たちこそ。寄ってたかって黒猫一匹に仰々ぎょうぎょうしいではないか」


 老虎は二人が話している間に、腰に巻いていた布を食いち切り、自分の腕に巻きつけた。老虎にとったら、かすり傷みたいなものだった。


「おれたちは、カースが現れることを予測していた」


「で、リガードが命を張っている間に横取り、という算段か。相変わらず姑息なことばかりするものだ。さっさと立ち去れ。今日は歌姫に免じて見逃してやろう」


 男は鼻につくような物言いをした。


(気に食わねえ男だ)


「ふん、減らず口を叩くな。お前たった一人でなにができる?」


「お前たちの相手など、おれ一人でも十分——」


 男は再び背から矢を取り出すと、それを暗闇に向けて放つ。弧を描いた矢は、スティールの足元に突き刺さった。彼は本気でやり合う気はなさそうだが、スティールや老虎以外のメンバーたちにとったら、十分すぎる威嚇だった。


 老虎の後ろにいたメンバーたちが少しずつ後ずさる音がする。


(仕方ねえ、みんな戦いに慣れた奴ばっかりではないからな)


「老虎」


 スティールは老虎の名を呼ぶ。男の威嚇に臆することなく立ち向かえるのは自分だけだ。老虎は両手を叩くと、その男めがけて突進した。老虎に手段や、策略などというものは存在しない。真正面からぶち当たる。それが彼の戦いの流儀だ。


 腰に下げていた剣を引き抜き、「うおおおお」と叫びながら切りかかると、相手のも剣で応戦した。剣と剣がぶつかる音が、暗闇に響き渡る。老虎の行動に勇気づけられたのだろう。他のメンバーたちも剣を引き抜いて男に襲い掛かった。


 多勢に無勢——。しかし男は、まるでダンスでも舞うかの如く、華麗なステップを踏み、革命組のメンバーたちを軽くかわしていく。


「クソ野郎!」


 こういった場合、心乱したほうがが悪いということは重々承知だが、あまりにも人をバカにしたような振る舞いに、老虎は激昂した。


 しかし——。その争いは長くは続かなかった。突然、青白い炎が視界の隅を掠めたのだ。はったとして視線を遣ると、その炎は少年のところにいたスティールへと到達した。


「スティール!」


(この炎は——)


 スティールはギリギリのとこで、少年のいた場所から飛び退いた。容赦ない炎は青白い魔法の炎だ。少しでも遅れていたら、スティールは直撃を受けたことだろう。


「まったく。人使いが荒い。護衛をつけるように上申していたはずですよ」


 暗がりから姿を現し、歩みを進めてくる男は静かな声でそう言った。男の姿が露わになると、老虎は息を飲んだ。その男は、ここのところ自分の心を乱してくる男。老虎の大事な仲間たちを拘束していく敵——。


(またあいつかよ! 兎野郎!)


 彼は少年の目の前にやってくると、少年を背にスティールと対峙した。


 エピタフの登場に、老虎と剣を交えていた男のは「遅い」と声を上げた。


「遅い、とはなんです? 


 老虎は目を見張る。


(王だって? こいつが、この国の王だって!?)


 老虎は目の前にいる育ちのよさそうな男をまじまじと見つめた。王が、こんなに若いとは思ってもみなかったし、直接剣を交えることになろうとは思ってもみなかったからだ。


「エピタフ……お前まで!」


 スティールは苦々しい表情だった。これは、自分たちにとって、かなり分の悪い展開である——ということは理解できた。


 目の前の王——サブライムは剣を鞘にしまった。老虎もそれに釣られて握っていた剣を下ろす。それからエピタフに視線をやった。


 エピタフの紅玉の瞳は、サブライムとスティールだけを見ている。


(おれは無視かよ)


 三人はなにやら言葉を交わしていた。とても他の者が入れるような雰囲気ではない。老虎は面白くない。全くもって自分を見もしない彼の態度がきにくわなかったのだ。


 そのうち、スティールが老虎に視線を寄越した。それは「退却」の合図だった。老虎は「ち」と舌打ちをすると、そばで伸びている仲間を引きずり上げてから肩に担ぐ。おもしろくなくとも、革命組のリーダーはスティールだ。作戦中、彼が決断したことに組員は全て従う。それがルールだ。


「帰るぞ」


 老虎の声に、そこにいたメンバーたちから安堵の空気が漂ってきた。老虎はそれについても苛立ちを覚える。


(この軟弱者どもが)


 老虎は余計に苛立った気持ちを押し殺し、森の奥へ駆け出した。王宮の目的は、歌姫の少年の確保だ。今夜は、革命組を見逃す。その言葉通り、革命組を追跡してくる者は誰一人としていなかった。


 飛空艇が離陸し、暗闇に紛れてアジトへ向かうさながら、老虎は猫の町を見た。黒鳥たちが少しずつ町を離れていく。


(じいさんはどうなったんだろうか)


 言葉にできぬ苛立ちの理由がわからない。


 目の前にいた人たちを救えなかった。

 歌姫である少年の確保に失敗した。

 それになにより、あの紅玉の瞳が——。


(おれのこと、一つも見ていなかった)


 老虎たちは闇夜に紛れてアジトへと帰還した。





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