第7話 互いの言葉



「歌姫の生まれ変わりとされている少年を育てているのは、前々魔法大臣のリガードという男だ。彼はこの国始まって以来の魔法の使い手も言われている実力者。現役ではないにせよ、カースの足止めくらいは立派に勤めるだろう」


「おうおう。いいのかよ。スティール。そいつはじいさんなんだろう? 一人で立ち向かうというのか。大丈夫なのかよ。死んじまったりしねえんだろうな?」


「——さあね。カースに食われるか。使役している悪魔たちに食われるか……どっちにしろ、リガードは今日を自分の命日だと覚悟しているに違いないよ」


「なんだよ。そのじいさんを見捨てるっていうのかよ?」


 老虎とらは思わず異論を唱えた。王宮は、リガードという男を見捨てる選択をしたということだ。そしてスティールもまた、それに乗ろうとしているということ。老虎には納得できない作戦だった。


「老虎。今回ばかりは致し方ないんだ。実力のない者たちが、束になってかかっても、ただ無駄死にするだけだ。残念ながら、歌姫を手に入れるまで、おれたちにはなんの術もないんだ。今回ばかりはリガードにお願いするしかないんだよ。リガードは、カースから歌姫の子を逃し、安全な場所に向かわせるはずだ。そこに先回りして歌姫をいただく。それしか方法はない」


「——クソ野郎」


 老虎は自分自身の無力さに苛立った。そしてテーブルを拳で打ち、スティールにその怒りをぶつけた。


「カースって野郎が強いのはわかった。けどよ。なんとかなんねーのかよ。猫の町の住民たちだって危ねえだろう? そいつを見つけるまで、大暴れするに決まってんだ。おれたちは、そのじいさんも、町の奴らも助けられねぇのか? 

 なあ。スティール。おれたちはなんのために革命組を名乗ってんだ。みんなを救うためじゃなかったのかよ?」


 老虎は、スティールの表情を見てはっとした。


(一番辛いのはおれじゃねえ。スティールだ)


 彼は歯を食いしばるように、ぐっと堪えたような表情のまま、抑え込むような声で言った。


「——老虎。今回は堪えてくれ。おれは、お前たちも大事なんだ。命の選択をするべきではない。けれど——今回ばかりは、おれたちは無力だ」


「クソ……っ!」


 老虎は黙り込むしかない。老虎の隣にいたシェイドはほっとしたように表情を緩めた。それを見ていると、老虎は複雑な気持ちになった。自分一人なら、いくらでも危険なことに挑むことができる。


 しかし、ここには戦い慣れている者ばかりがそろっているわけではないということだ。スティールは、リーダーとして当然の決断をしているのだ。頭では理解していても、心が納得できなかった。


 老虎はドアを蹴飛ばすと、通路に出る。後ろから自分の名を呼ぶスティールの声が聞こえた。


「悪りぃ、準備ができるまで、ちょっと外の空気、吸ってくるぜ」


 手をひらひらとさせてから、老虎は通路を歩いた。


(犠牲が出ること前提に作戦を練るなんて、胸クソ悪りぃぜ)


『自由とは責任が伴うものです。貴方はなぜ一族に帰れないのでしょう? 一族から求められている責任を果たしていないからではないですか』


 闇夜で出会った白兎の言葉が、老虎の胸によみがえった。


『貴方のしていることは自分本位の身勝手な行為にしか思えません』


「クソ。おれはおれの思い通りに、ここにいるんだ。そしておれは。おれたちが自由に生きられる世界を作るんだ——」


(それなのに——。犠牲になるとわかっている奴も助けられねえのか?)


「そんなの。革命組じゃねえだろう。違うかよ……」


 老虎はそばの壁に拳を打ちつけた。


(あいつも来るのかよ……)


 いつまでも脳裏から離れない彼の立ち姿。老虎は軽くため息を吐いた。


(冷静になれよ。おれ。こんなんじゃ、まともに戦えねえだろう。しっかりしろ。しっかりしろ——)


 老虎は何度も壁に拳を打ち付けて、荒ぶる気持ちを静めようと必死に深呼吸をしていた。



***



 夜が明けた。エピタフは身支度を整え直し、王宮の執務室に座っていた。目の前にはピスがこめかみに指を当て、大きくため息を吐いていた。


「今朝な。これがあって——」


 エピタフはピスが差し出した紙を見下ろした。そこには美しく整った文字で『先に行っているぞ』とだけ書いてあった。


「案の定——というところですね。少々、想定よりも早い出立ですが……。まあ、致し方ないでしょう。馬で向かったのでは、時間がかかります」


「厳重に見張りをつけていたのだが——ね」


「そんなものは無意味。昔から、王宮を抜け出す天才ですからね」


「そうなんだがね」


 二人は顔を見合わせてから、大きくため息を吐いた。エピタフは立ち上がる。


「先鋭部隊は不要です。私が向かいます。しかしここ数日は、ずっと外勤ばかりです。少々内勤業務を片付けてから参ります」


「エピタフ。すまないな。カースが動くのは夕暮れだろう。明るい陽射しは好まぬだろうからな」


 ピスは灰色の瞳をエピタフに向けてきた。彼の瞳はもの言いたげだ。エピタフは足を止め、じっとその瞳を見返した。


「リガードに会えるといいが」


 ピスは静かにそう言った。エピタフは首を横に振る。


「ご心配なく。のことは、とうに諦めておりますから」


 エピタフの返答に、ピスは静かに続けた。


「エピタフ。勘違いしないでほしいのだ。お前の祖父は、お前を捨てたのではないのだ。あれはお前と向き合うことができずにいたのだ。お前はクレセントにそっくりだ。まるで生き写しみたいにな。

 あいつは、クレセントがその命を短くした原因を自分が作り出したと嘆いていたから。お前から……いや。クレセントから逃げてしまいたかったのかも知れぬ」


 エピタフは視線を伏せ、首を横に振った。


「我が一族はバラバラです。祖父が、王宮の慣例を破り兎族のおさ——クレセントとつがいになったその時から。あの人は利己的です。自分の心の赴くままに、周囲への影響を推し量ることなく、祖母との恋に身を投じた。その結果が私です」


「それは——」


「祖父は祖母を口説き落とそうとした時、ピスは反対してくださったそうですね。本当に申し訳ありません。親友として、祖父のことを心配してくださったのに。貴方の気持ちを無視し、そして祖父は恋情に走ったのです。とっても感情的な人だ。

 今回、カースとの闘いで命尽きるのであれば、あの人も本望でしょう。歌姫を守るという最後の使命を果たすことができれば、少しはあの人の罪も帳消しになるのかも知れません」


「エピタフ。私は確かに反対をした。しかし。リガードとクレセントは真のつがいであった。例え神がその仲を引き裂こうとも、彼らはつがいになる運命だったのだろう——あまりリガードを責めるな。リガードがクレセントとつがいになったおげでお前があるのだ」


「真のつがいなど、バカげた迷信ではないですか。この世に真のつがいを見つけられる者など、ほとんどいないのですよ? それに——こんな姿で、ここにいなければならぬのであれば、私など生まれてこなければよかったのです」


 きっぱりと言い切ったエピタフに、ピスは掛ける言葉が見つからないのだろう。ただ黙り込んでそこに立っていた。エピタフは頭を下げた。


「行って参ります。サブライム——王のことは、私にお任せください」


「——すまぬ」


「私の使命ですから」


 エピタフはそのまま執務室を後にした。


(感情のままに生きる者は嫌いだ。冷静になるのだ。私は祖父とは違う——)


『少なくとも自分の心には正直になっているぜ?』 


 夜に出会った虎の言葉が耳から離れない。エピタフは目を閉じて、それを振り払うかのように首を横に振った。


 緊急の処理案件だけを手早く済ませ、そしてサブライムを追わなくてはいけない。彼は足早に魔法省庁舎へと足を向けた。

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