第10話 山越え

 コンクリートとレンガで覆われた倉庫。

 その隅で、一生懸命に眼を逸らそうとするが、相手の瞳が、囲うように付けられている鏡、水たまり、窓ガラスの全てに反射して自分を見つめている。それは寒空に置かれた水の張ったバケツの氷よりも冷たい眼だった。

 握りしめた.45口径の拳銃を強く握り込む。銃口はまだ熱く、バレルもこの手をグリップに焼き付かせるほど熱く感じた。離そうと必死に努力するが敵わず、手だけが相手の物であるかのようだった。

 「どうするの?」

 「どうか、笑ってくれないか」

 そして、安らかに眠ってくれ――。


 †

 

 午後22時。雨が降り始める中、オレは北へ進む。ポツポツと降る冷たくとも生暖かい雨が、肩と茶髪を濡らし始めている。雨水を避けるために、ジェル充填コートのジッパーを胸の中程から首元まで上げた。この星ヶ島ではよくある通り雨だが、空を見上げると分厚い雲が島を覆い始めている。もしかしたら今晩はずっと雨かもしてない。だとしたら好都合だ。

 暗雲立ち込める空から目を離して、居住区の住宅街の様子を見る。一人暮らし用のマンションの窓からは蛍光灯の光が漏れ、明日の仕事などに向けて準備する影が動く。家族が団欒の時を過ごす広いマンションのバルコニーから溢れる灯りからは、食器の音やテレビの歓声、そして子供の跳ねるような笑い声も漏れてきていた。その声を聞いてしばらく立ち止まり、様子を伺う。なんて幸せそうなんだろう。そんな素朴な感想しか出てこなかった。オレたちの事なんて気にせず、その時を一生懸命に楽しむ子供たちの笑い声がショックを与えた。この島で起きている事など気にしていない様子だった。

 次第に雨足が強くなる。ほつほつと湧いてくる、言葉に起こす事すら、くだらない考えを止めて、その先を目指して再び足を動かす事にした。ちょうど、左耳に付けたイヤホンから着信音が鳴った。

「うい、今どこ?」気の抜けた声、白兎純華しらと すみかのだ。

「中心区の北西にある縁だ。すぐそばで外心線がいしんせんが走っている、そろそろ終電だろうな。ところで、データは手に入ったのか?」

「あとちょい。その前にね、外心線で点検があったらしくて、監視カメラの位置が変わってるの。念のため情報送るよ」

「ガントレットに送ってくれ」

「あいよー」

 腕部装着型小型端末兼防御外装、通称『ガントレット』と呼ばれる機械の電源を付けた、左腕の内側に付いている電子ペーパーを見る。しばらく白と黒に画面を初期化して慣らした後に、外心線のカメラの位置と視界を移した地図が表示された。この先に通過するであろうポイントにもカメラの位置が変えられている。

「……位置が変わったのはつい最近か」

「つい4日前だね。ウラありそー」

「助かった、ありがとう」

「いひひー。ガントレットは大切に使ってねー」

 マンションから出る時に、彼女が窓から放り投げたガントレット端末。前に作ったまま放置していたというそれは、マジックテープで固定するだけの突貫品で基盤やバッテリーもほぼ剥き出しだった。防御に使えるパーツは皆無で、モニターと受信機しかない。自警団で使用している物とは比べ物にならない代物だったが、地図の表示には使えた。加えて、通信を暗号化する機能と衛星通信機能が付いている。居場所の特定には依然として注意する必要があるが、近くの基地局を使う携帯電話よりずっと安全だ。

 雨に濡れないようにガントレット端末を腕に直接巻いて、コートで覆い、北を目指した。居住区と中心区を隔てる所には、外心線と呼ばれるモノレールが通っている。東京でいえば山手線に近いだろうか。中心区の外周を走っており、人の行き来に利用されている。つまり、中央区に入るには必ず外心線の高架橋をくぐる必要があり、立ち入る道路も限定されていた。自警団のパトロールでは、常に人の行き来を確認できる事から監視が手厚い場所のひとつだった。そして、今では都雅コーポが監視を集中している箇所だろう。真っ直ぐ中央区に入る事は即ち、自分の存在を敵前に見せるという事になるのだ。

 一方で、北にはモノレールの整備工場があり、そこだけが高架橋を越える事が出来る。もちろん施設に入る事は不法侵入に当たるし、超える事も危険な行為だ。しかしながら、相手に姿を見せずに中へ入るにはこれしかない。

 他の方法はある事にはあるが、雨で増水する可能性のある下水道を通る事になる。それに悪臭を放ちながら清潔な本社へ潜入するリスクは避けたい。

 

 しばらく歩いた後に、20メートルほどの建物が見えてくる。屋根から建物の中程までのトタンに大きな穴が開けられていて、モノレールの線路がその中に続いている。しばらく建物を遠目に眺め、外心線の高架橋近くの通りから車が切れるタイミングを見計らう。一瞬、人通りが切れたと同時に、近くのビルの1人しか通れないような狭い路地裏に入る。奥にあったゴミ箱を引きずり出して通りに置いて、そこへ身を隠した。ウェストポーチから単眼鏡を取り出して建物の外壁を確認する。純華が送った地図の通り、カメラの位置は変わってるようだ。壁についたシミ汚れの付いていないところがくっきりと形を残していた。新しくカメラを取り付けられた所には、新品と思われるカバーがカメラを守っている。しゃがみ込んで、膝と肘をぴたりと当てて手ブレをできるだけ抑える。カメラのモデルを推測出来るまでしばらく観察し、建物の人の出入りを入念に確認し続けた。

 

 5分くらい過ぎた後、おおよその人数とカメラのモデルを把握する事ができた。あのモデルは画質が良いが、確か撮影範囲は狭い。上手く避けられるだろう。今度は行き来する人が多くなったタイミングで路地裏から姿を出し、自身の姿を紛れ込ませる。カメラの視界を避けながら建物に近づくと、死角となってると推測される箇所で人の流れから離れた。建物を囲うフェンスの隙間を抜け、駐車場にある社用車の影に身を潜める。あちこちにある扉には蛍光灯が備え付けられていて、緑白色の光を灯している。そして、扉へ目掛けて監視カメラが向けられている。全体的に灰色の汚れが蓄積されたコンクリートの建物は、まるで要塞のように感じさせた。

「どうやって入ったものか……」隙間になりそうな場所を探しながら呟く。

 カメラの視界と、作業員の動きに気を付けながら建物へ近づいて探りを入れる。周りは芝生と雑草、砂利でばかりで身を隠すには具合が良かった。しかし、忍び込むポイントは皆無に等しい。地面の基礎へ潜る入り口もなければ、10メートルほど上にあるバルコニーへ登れるような突起や物もない。唯一あるとすれば、6メートル程の高さにある2階の窓だ。あそこはタオルを干すために窓が開けられている。灯りも無く人の気配は外からは感じられない。

 時折、作業員が出入口などを通るたびに息を止め、静止した。この施設には作業員しかいないようだ。ほぼ真四角の建物の中からは、整備中と思われる工具の音や、作業員の声がしきり無しに聞こえてくる。これなら音を立てても見つかりにくいだろう。ポーチからロープを取り出して、5メートル程の長さになるまでほどく。その先に、フックを取り付け、頭の上で振り回した。

 ひゅん、ひゅん、と風を切る音と共に安定したフック。耳をすませながら、建物の中の様子を伺う。外から乗り込んだ車が止まる音、荷台から機材を持ち運ぶいくつもの足音、そして……重い金属製の荷物を置く音。次に来る音を予想し、タオルの干してある窓の先へと投げ込んだ。がちんと、フックの金属音がするのと同時に、建物の中からも重い金属音が鳴り響いた。

 しばらく様子を伺い、2階の窓の先に人が集まっていないことを確認すると、一度ロープを引っ張り、引っかかっている事を確かめた。いささか強引だが、仕方ない。ロープを固く握り込むとブーツの底を壁に押し付けて上り始めた。

 いつ落ちるのかわからない状況で、できる限り踏ん張りを付けてバランスを崩さないようにする。自身の体重を持ち上げながら、周囲へ注意を配るのは非常に難しかった。通りから見えない建物の反対側にいるとしても、いつ誰が来るか分からない。まるで、ギャンブルでイチかバチかの勝負に出ているようだ、それも全くの運任せで21の数字を狙うかのように。今のオレは100万ドルの賭けをしている。こいつに勝ったら、億万長者の天才ギャンブラーだ。食いしばった歯茎から熱い吐息を漏らしながら、一歩一歩、窓へと近づいた。


 しかし、その賭けも崩れる音が心の中から響いた。冷や汗がどっと、コートの中に染み渡る。先ほどまでいた駐車場の方から、2人の男の足音がしているのだ。砂利を踏む派手な音、作業員だ。まずいと思い、一気に力を加えると、ロープはがくりとズレた。落ちそうになるのを必死にこらえながら、駐車場と建物の壁の角を睨む。

「――たか?」野太い男の声。おそらく、『聞こえたか?』と言ったのだろう。

「ああ」少し枯れた中年の声ははっきりと耳に入る。

 すぐに窓へと向き直り、さっきより抑え目で進み出す。残り2メートルも無い。しかし、その2メートルは星ヶ島の端から端までの距離より遠く感じた。限界まで絞り上げた、ロープを掴む手の感覚はもう無い。手を放し、ロープを掴む瞬間ごとに神へ祈りを捧げた。残り、50センチメートル。男達の足先さえ見えそうなくらい、影が伸びていた。

 刹那、ロープは急に力を失い、足を軸に真っ逆さまとなった。

「うう!」思わず声が漏れる。

 室内の取っ掛かりから外れたフックが、幸運にも窓のアルミサッシに引っかかっていたのだ。しかし、風に煽られた木のように壁から斜めになって地面に頭を向けていたオレは、必死に腕の力を加えて、一気にかかとから足先にへと重心を入れ替える。そして、窓へと飛び込むようにロープを引っ張った。

「確かニュースでやってたアレだろ?宇宙に重力兵器を作るとかいうやつ」

「SFかよって感じだぜ。んなもんに出資すんなら、俺らの給料上げろってんだ」

「んあ?なんだありゃ?」

 男が、駆け寄る。オレは目を瞑り、覚悟を決める。拳銃は、左脇腹に収めてあり、サプレッサーもしっかりと付けてある。

「……?」

 男達は壁のそばに寄ると傘をずらして見上げた。そして、手に持ったフックを眺めていた。

「おいおい、中番の掃除当番誰だよ」

「田中と小峰だろ。雨だって予報だったのに、あいつらいい加減な仕事しやがって」

 ぶつくさ言いながら、ハンガーのフックを手にかけて、砂利を鳴らしながら奥の方へと去っていった。

 肺が限界になるまで貯め込んでいた息を一気に吐き出す。オレは暗い2階の中で、真っ赤になった手の平を床の冷たいタイルに押し付けていた。同じく、雨を直に受けて充血した目をしばしばと瞬きながら、自分が見つからなかった事に最大限の感謝を神に送った。

「さて、まだギャンブルは続くぞ」

 自分を再度奮い立たせて、暗い部屋から廊下へ出た。

 

「順調かな?」

「さっきは危なかったが、切り抜けられた」

「さっすが。よくよく考えたんだけどさ、マーちゃんが捕まったらウチが危ないよね?だから気をつけてよー?」

「マーちゃん……?」

「ほらほら集中集中」言い返そうとしたところで通信が途切れた。

 ため息をしながら、辺りを見渡す。この建物は休憩時にしか使われていないようだ、給湯器やレンジなどは置かれているがすぐ最近で使われた形跡はない。休憩室のモニターに映されていたシフト表では午前0時から夜勤の休憩があると記載されていた。今は午後23時半、人の移動が多くなる前にこの工場を抜け出したいものだ。

 コンクリートの建物から廊下を渡った先にある整備工場に出ると、昼間のような灯りの中で作業員は整備をしていた。2階から4階にかけて吹き抜けの形となっており、幾つもの線路がモノレールを引き入れている。反対側に出るには、50メートル近くある工場を横切らなければならない。

 やはり賭けは無しだ。作業員の動きを観察しながら、見つからないように車両や作業台へ移動する。慎重に、かつ大胆に歩みを進める。

 幸いにも、車両自体は3階で整備されているため、2階は線路を支える柱がほとんどだった。線路を挟むように配置されたタイヤの整備は2階で行われていたが、人員は少なく、真面目な彼らはよそ見せずに仕事をしていた。その中を抜けるのであれば、容易な話だ。

 特に見つかる事も、カメラの視界に出る事もなく、反対側に辿り着く。そこからは、中心区にそびえ立つ幾つもの高層ビルが軒を連ねているのが見える。第二の首都とまで言われたその光景は、本州の山奥からも天に昇る摩天楼が見えるほどだった。その圧迫感に、広い室内に居たはずのオレは息の詰まるような感覚に陥った。

 周りへの集中が途切れる前に、街並みから目を離して地面を見下ろす。反対側はトタン壁になっており、ロープで降りるには少し強度が足りないように見える。他に出られそうな場所には、やはり監視カメラが備え付けられていた。仕方なく、まだ乾いていないロープを再び取り出してフックをかけて降りた。先程と違い、人通りはほとんど無く、警備員やカメラも無い。終電が走り終わり、この街に寝泊まりする人もほとんどいないこの中央区はしばしの眠りに付いていた。鉄板に触れるたびに、嫌に響く金属音がするが、それよりもけたたましい工場の音がそれを掻き消してくれている。

 ようやく地面に辿り着き、フックを外す。雨は相変わらず降っていて、ロープを巻き取る手を濡らしている。上を向き、深呼吸しながら冷たい雨を受ける。先程まで火照っていた身体には気持ちが良かった。


「ねえ、出られた?」通信が繋がるなり、純華は真面目な声で話し出した。

「ああ、無事だ。どうかしたのか?」

「本社の見取り図はゲットできた。今送ったから確認して」

 コートの袖を捲り上げ、ガントレット端末のモニターを見ると確かに見覚えのある楕円形のビルと詳細な内部のデータが表示されていた。この見取り図は5年前の古いデータだったが、どのような部屋なのかは見当が付く。

「よくやったな」

「うん、でもなんだけど。地下5階を見てみて」

 言われた通りに地下5階のフロアマップを見る。倉庫として使われているそれは何の変哲もないようだ。

「なにもなさそうだが?」

「違うの、この階は全く問題ないんだけど、自治体に届出されている地下の防振設備とかの空間と実際の地下空間に辻褄が合ってないの」

「つまり、この下に謎の空間があると?」

「うん、工事の時に運び出される土砂の計算をしてみたら、もう1階は地下室を作れそうなのよね。広さは半分くらいだけどそれでも巨大な地下空間よ」

「……お前を信用していいんだな?」

「裏切る義理なんてないよ」

「それもそうだな、馬鹿な事を聞いた。オレも地下が怪しいと見ていたからついでに確認しよう」

「んにゃ、よろしく。まーひゃん」コーラらしき物を飲みながらそう言うと、彼女は通信を切った。

 時計は深夜0時。眠りについた巨大なビルが群生する中心区へと足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る