第9話 残された子兎

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 LOG FILE:経過報告書 JLM0002 2005年10月4日

 実験番号:JLM-0502 被験者番号:0002

 被験者名:アルヴィナ・フィルシアンド

 年齢:19歳7ヶ月 性別:女性

 健康状態:安定 感染状態:異常なし

 経過日数:5日

 簡易報告:

 ・1日目〜3日目

 追跡不能の為、詳細記録なし。

 星ヶ島第1トンネル出口より約0.8キロメートル地点でJeLMを100グラム接種。注射器のログデータより、7:11に行われた適合テストの合格判定が確認された。注射器内の残留血液から、被験者本人のDNAを検出。2日目、3日目に渡り消息不明。

 

 ・4日目

 居住区の被験者住居より西300メートル地点にて都雅警備員が目撃。TYPE-Bサイボーグ警備員2名によって5:40に確保。JeLMの初期反応が確認された為、被験者の確保にゴム弾を使用。ゴム弾による怪我は内出血のみで、皮膚組織と骨組織に損傷が見られず。9:00に本研究所にて、簡易検査を実施。第1、第2段階を通過した痕跡が確認された。6日目以降は定着段階に突入する為、JLM-EG500を通常の3倍投与。健康状態に変化なし。

 

 ・5日目

 検査の結果、予想定着率は90.007%と判明。被験者0001の99.95%より値が低下しているものの、現段階での両者の差異は確認できず。栄養剤の投与により、各組織の定着速度が上昇。18:00の検査で内出血の完治及び体温の上昇を確認。(添付ファイルを要確認)

 

 ・6日目

 意識が回復。認知機能に異常なし。ただし、覚醒レベルが上昇せず高度なコミュニケーションは困難と判断。体温の上昇止まらず、冷却処理を開始。処理後は体温42.1±5度で推移。現在原因を究明中。その他の異常確認できず。18:00の検査で定着率が89.4%と判明。排出された老廃物からJeLMの成分が確認された為、定着が間も無く完了すると思われる。

 

 ・7日目

 7:00の検査で完全定着を確認。定着率は90.017%。合わせて意識レベルが向上しコミュニケーションに成功、自身の記憶や言語機能、運動機能に問題なし。脱出の可能性があるため、鎮静剤を投与し意識レベルを20%以下で固定。本研究所より第2研究所へ移送、以後都雅の管理下とする。

 COMMAND>> EXIT


 †


 居住区の住宅街を歩き続ける。アスファルトの上には枯葉が落ちており、踏むとまだ乾ききっていない音がした。秋の風が夜になると吹き、街路樹は僅かに紅葉へと衣替えを始めようとしていた。下から、それを見上げるとLEDの街頭に枝木がくっきりと影と光のコントラストを浮かばせている。その街灯は明るかったが、暖かさの無い青白い光を眼に注ぎ込んでいた。奥にずっとしまっていた臭いがする革製のジャケットの外ポケットには、ナガンと電気銃があり、この光と同じくらい冷えている。街路樹の通りを途中で曲がり、堤防の坂道を上った先にあるマンションへ入った。漆喰の白い壁と人工大理石のエントランスから外の様子を見る。尾行らしき人物は無し、通りがかった人は見慣れた家族や学生ばかり。

 さらに遠くに見える中心街には繁華街のネオンや車のライトが輝いていた。その光のボヤで、空の星が隠れてしまっている。その星はオレ達なのだろうか。自警団の守ってきた街は、いともたやすく別の光に置き換わろうとしているのか。下を向くと、大理石が天井の光を反射させ、疲れ切り、無精髭が頬を覆う顔を映す。首元をなでると、まだ囚人服を燃やした時の煤が手に黒くついた。ああ、そうか。光に隠されるのではなく、黒に塗りつぶされるのが正解か。煤を指先で練りながら自動ドアのセキュリティを抜けて自室へと向かった。

 

 1Kの自室は全く整然と片付けられていた。誰もいない小さな部屋。生活に必要最低限な家具しか無い部屋には、灰色の大きな絨毯が敷かれている。それを剥がして、下に敷かれていた感圧シートのポートから記憶媒体を抜き取る。そして絨毯のテーブルに上半身を捩じって入り込む、長いネジで止めてあった天板を外し、中に隠していたノートパソコンを取り出した。LANと無線の拡張カードをスロットから引き抜いて起動し、記憶媒体を差し込む。列車での戦いに出る前、初期化したノートパソコンはゴミ箱以外、何もデスクトップに表示していない。そのシンプルな画面にエクスプローラが立ち上がる。記憶媒体の中身をじっくりと見る。この部屋の振動、絨毯自体にかかった圧力。値はどれも異常は無いようだ。ただ1人の侵入者を除いて。だが、その体重には見覚えがある。画面から目を離し、ベランダに出る窓をじっと見た。目を細めて、鼻をさする。これから会う人間の為に、覚悟を固めた。アルヴィナを救う行動をしろ。自警団の生き残りに会うために危険を冒しているダニエルとスパイクから腰抜けと言われないように。

 ノートパソコンを脇に寄せてベランダの窓を開け、そのままコンクリート製の頑丈なフェンスに上った。7階の自室から下を覗くと、通りの街路樹がはるかに小さく見えた。そして、そのまま足をフェンスから外して、落下する。振り返って、1階下のフェンスを掴んだ。ゴム製のテープで滑りにくくはされていたものの、膝を激しく打ち付けて苦痛の声が漏れる。どうやらその衝撃は6階の住人に聞こえたらしい、きゃい、とネズミのような甲高い声が窓から聞こえた。

 膝のじんわりとした鈍痛が落ち着いた頃に、身体を持ち上げてベランダに乗り込んだ。その部屋の窓から白髪の少女が覗いていた。


「どうして、ウチがいると?」

 白髪の少女は、この季節に似合わない黒いタンクトップと白線が入ったトレーニングウエアのズボンの姿でふらふらとコーラを2本持って来た。ジョイント式のフロアマットがこの部屋の床を覆っていたが、あまりにも掃除されていないためか真っ黒に汚れている。少なくとも煤ではないだろう。皮脂か、カビか、埃か。いずれにせよ、この臭うジャケットよりはるかに不衛生なのは間違いない。彼女がコーラを差し出すので、それを受け取った。

「感圧センサーだ」コーラを開けると妙にふたが軽い事に気が付く。

「まじで?それだけで?」

「お前の家の入口がゴミで詰まっていて、オレの部屋経由で行き来してるのは知っていたからな」

「でも許可取ったじゃん?合鍵も作ったし」

 その声を聴きながら、コーラの液面を眺める。白い糸か、シルクのような膜が漂っている。カビだ。

「鍵は許可していない。何はともあれ、何度も行き来していたら、お前の体重くらい」

「やめっ。やめ!」細く、異様に真っ白な腕を振って静止させる。

「てか、あんたが生きてるなんて思わなかったよ。トンネルで列車が吹き飛んだ事件、あれでアニキが死んだんだもん」

 コーラを見つめるオレから、ペットボトル取り上げるとゆっくりと玄関につながる扉を開けてぶんと投げ込んだ。ばしゃりとカビ入りの中身のこぼれる音が響き、空のボトルが黙りこくった二人の静寂をよそに跳ねていた。

「……すまなかったな」

「いいのいいの、アニキとウチでどっちが先に死ぬか競争してたし。アニキは23。ウチはというと、まだ16。3人兄妹だから、もし2人が早死にしても姉が長生きすればノーカン」

 彼がそういう意味で競争していたのでは無かったろうと思ったが口にするのは止める。この少女、白兎しらと純華すみかは本気で死にたがりだ。兄よりもはるかに色素の無い病弱な身体のせいで虐待に近い過保護を受け続けた彼女は、反動でこうなってしまっている。家族で誰よりも愛されたが故の死にたがり、しかし、その死に方は綺麗な白い身体とは逆の汚物にまみれた死に方を望んでいた。なにはともあれ、今は彼女の生き方にケチをつける暇も、気力も無い。

「お前たちの生き方に口出しはしない。だが、ひとつ仕事を頼まれてくれないか」

 コーラを取られて、空中で手すきになっていた右手の指を食べ終わったカップ麺だらけの机へ向ける。

「ハッキング?」

「ホワイトハッカーっていう名前が嫌いとかで、ランサムウェアをこさえてたんだろう」

「あー、あれね。結構騙される人多くて稼げたんよ」自警団員を前に、淡々と犯罪行為を口にする。

「今はもっと相手のデータを盗めるような、高度なのを作ってる途中なの。でも、下手なコードしか書けないから、多分バレるね」

「都雅のデータベースにアクセスできるか?」立ち上がり、彼女と画面をのぞき込む。何千行ものコードがずらっと並んでいた。

「はー?」

 馬鹿じゃないのかという顔で、こちらに振り返る。腰まで伸びた髪から立ち昇った悪臭に息が詰まる。まるで、綿のような感触があるように錯覚した悪臭は、ひどく発酵して酸っぱくなったライ麦パンをドロドロに溶かした粥にして、路地裏の鼠を浮かべて数週間放置した臭いのようだった。

「ぐっう……。分かった。都雅じゃなくいい、本社の見取り図があればそれでいい。市役所か建設会社に記録があるはずだ」

「それなら行けるかもだけど、その口ぶり、マジで本社に行きそうじゃん」

 鼻にこびり付いた臭いを、ある程度はマシな部屋の空気ですすぐ。そして、右ポケットに入れていたナガンを手に声を上げた。

「オレのバディは知っているだろ?アルヴィナを救いたいんだ。だが、今はこいつしか無い。防具も、弾薬も、人員もまったく足りていない。せめて、情報だけは欲しい。建物内部の情報さえあれば、容易に潜り込める。中心街の下水や点検用の地下通路がどう通っているのかなんて諜報科に居ればいやでも叩き込まれるからな。だが、都雅コーポ本社の階数を考えると、どこにいるのかなんて検討が付かない。助けられないんだ」

 その様子を見て、彼女は納得したように首を傾げた。急に興奮した自分をおかしく見ていると悟り、しまったと思ったが遅かった。

「死にたがりには協力するよ」ニヤつきながら新品のコーラを開封した。


 6階から7階にベランダからぶら下がっていたロープを頼りに登り終える。彼の兄が死んだ今、面倒を見る必要がある。次はロープのハシゴか、ベランダの床を抜いて脚立でも立てて行き来しやすくする必要があると、息を整えながら考えた。甘い、清らかな空気をたっぷりと肺に入れると、身体から元気が溢れてくる。あの妹はいずれ風呂に投げ入れるとして、情報を探ってもらう間に都雅本社へ潜り込む準備をせねば。今はアルヴィナに集中するんだ。彼女だけが列車事故の生存者であり、薬品の行方を知っている。何があったか、必ず聞き出す必要がある。だから助けるんだ、他に理由はない。

 クローゼットを雑に開けると、ジェル充填ロングコートと防具の予備が残っていた。囚人服と押収品の服を全て脱ぎ捨てて、新しい服に着替えるとあるべき姿に戻れたと安心感に包まれた。

 そして、クローゼット奥の小さな金庫を開ける。弾とサプレッサー、現金にガジェットボックス。ガジェットボックスには侵入や盗聴などに役立つアイテムが詰められていて、ショルダーバッグとして運用する事ができた。

 ショルダーバッグからプリペイド式携帯を取り出してリモコン付きのイヤホンのケーブルを差し込む。ほとんど押す感触がしないボタンをペタペタと指先で叩いて純華の電話番号へかけた。仕事で使っている武骨で頑丈な物と違い、プラスチック製の安っぽい折り畳み携帯電話だった。しかし、こういうシンプルなもので十分な事もある。しばらくの呼び出し音の後、声が聞こえた。

「もしもしー、聞こえるかー」

「問題ない、探知はされないな?」

「ウチは対策してるからだいじょぶ、あんたはあまり長く話さない方が良いかもね」

「気を付けよう。準備を終えたらすぐにでも出るつもりだ。ここから本社まで1時間ほどで到着できると思うが、データは手に入れられそうか?」

「建物の見取り図程度なら余裕よ、でもバレたくないからバックドア仕掛けた他のパソコンを元にクラッキング始める。データをそっちに送れるのはギリギリになるかも。あ、バックドアに使うパソコンは自警団員のにするから安心して」

「身内でも違法だが……まぁいい。届けばそれで良しとしよう、あとは任せた」

「うぃ」

 携帯電話を切る。リモコン付きのイヤホンは十分機能しているようだ。細かい箇所の装備を整え終えるとブーツを履きに玄関へ向かう。茶色い革製の使い古したブーツ、捕まる前に使っていた軍用ブーツ並みに頑丈なやつだ。分厚い生地のハイカットを脚に固く結びつけると、底の分厚いブーツの音を静寂に鳴らしながら、振り返って部屋を見た。何も思う事はないが、ずっと静かな部屋を眺めたい想いにかられていた。

 次に戻るときは、必ず戦利品を持ってこよう。部屋の飾りにでもなるものを。目を瞑って、静かに玄関に向き直り、鍵を開けて外に出る。そのマンションから見える空に、1つの星が燃えていた。

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