第8話 プリズナーオブ

 左手を紙の上に乗せて、柔らかいプラスチックで出来た鉛筆の先を滑らせる。手首は使わず、肘で大きく円を描くように紙へ黒鉛を乗せていく。目線は常に紙の真ん中へ、ズレる事が無いようにしっかりと見張った。黄色い囚人服の胸ポケットに付けられたネームタグが身体から浮いては、ぶつかっている。マージェス・ザックサンズと印字されたそれは窓から入る光を反射し、その波に埃が漂っていた。

「おい、何してる?」鉄格子の外から警備員が声をかけた。

 しかし、止めてはならない。鉛筆を滑らせ続ける。

「あいつ、もうイかれちまったか」別の警備員が言う。

「尋問されたらしいからな、何か吐いちまったんじゃないのか」

「強い尋問ってやつか?」

「ああ、それで病院送りにされた自警団員を見た事がある。尋問で受ける苦痛と情報を売った罪悪感のコンボって案外堪えるそうだぜ」

「なるほどなぁ」

 そう言った警備員が、鉄格子の鉄棒の一つを掴んで寄りかかった。

「よぉ、アメリカ人。あんた壊れちまったのか?それともあれか、英語じゃねぇと分かんねぇってか?」

 手を止めずに、顔すら合わせない。

 視界の端で、わざとらしく警備員は咳払いをする。

「1ついい事教えてやるよ。病院送りになるには、自傷行為だ。爪でも壁でもいいが、そうしてもらった方が良い、俺らの仕事が減るからな」

「お前もだぜ、隣のおっさん」隣の牢屋へ声をかける。

「おっさんじゃねぇ。ダニエルだ」

「知るかよ。何はともあれ、仲間なんだろ?こいつが死にそうになったら呼んでくれや」

 警備員はいくつもの牢屋がある長い廊下を歩いて行った。しばらくして、足音が聞こえなくなり、他の牢屋に入っている人へ声をかけているのが聞こえた。

 隣の牢にいるダニエルが壁を叩く。質素で薄いプラスチックの椅子の上に乗って、これまた何もない部屋の天井に手を伸ばす。剥き出しの電球を少し緩めて、鉛筆で真っ暗になった紙を差し込む。塩梅を見ながら数ミリずつ場所を整える。椅子から降りると壁にはくっきりとした縦長の影が落ちていた。

 ダニエルが再度壁を叩くので、振り返って奥の壁に腰掛けた。握り拳から中指の関節だけを起こして壁を叩く。壁の向こうから息を吸う音がした。

「よぉ、マジでイかれたのか?」

「お前も疑うのか」

「そんなわけじゃねぇけどよ。どうせ何か企んでるんだろ」

「警備員の会話を聞いていた。アルヴィナを追ってるようだ、もしかしたらもう捕まってるだろう」

「それなら俺も聞いたぜ、連中ペラペラ話すからな。お構いなしさ。ムショじゃ余計な事を話しちゃいけないだろうに。牢屋は精神病棟かどこかの使い回し、警備員も素人だなこりゃあ。本職の俺たちからしたら勾留施設と比べ物にならないくらい低級だ」

 ダニエルの声は芯があるような高さだったが、そのおかげで小さな声でも会話できた。対してオレの声は低く、これまで何度も彼から聞き直される。ようやくまともに会話できるようになった。

「ここに来てもう5日目だ。島からの脱出も失敗に終わったし、抵抗してた連中もここに連れて来られてる。外の自警団員もかなり少なくなってるだろうな。壊滅的状況だ」ダニエルが続けた。

「悲観するな、気が滅入るとこれ以上の尋問に耐えられなくなるぞ。ところで、脱走は考えてるのか?」尋問で付けられた傷を覆う瘡蓋を爪で掻いた。

「もちろんだ、いつでも行ける。スパイクと組んでた頃はそりゃあ日常茶飯事だった」

「いつでもか」

「そうさ、なんなら今でも」

「心強い男だ。この臭い、分かるか?」

「……?」

「部屋を見てくれ」

 そう言うと、ダニエルが鉄格子に顔面を押し付けながら、目線をこちらに向ける。それを見てダニエルは彼の大きな鼻を飲めるくらい、目を見開いた。その視線の先には、先ほど真っ黒に塗り上げた1枚の紙から白煙が登り始めている。それを見るなり、あわてて彼は準備を始めた。

 白煙が激しく出る前に、囚人服を脱いでボディタオルを下に巻くと、再び椅子に乗って紙を取った。囚人服の一部をほぐして、ほつれた所を燻っているところに当てる。繊維が熱で縮み、ポリエステルの糸が溶けて黒くなる。

 ようやく火がつき始めると、それに息を吹きかけた。

 火は少しずつ、大きくなり、手の中から夕陽が溢れるように赤くなり始める。それはもう、警報器が今に鳴り出しそうなくらい煙が登り始めてた。そして、火のついた囚人服を着て叫んだ。

「助けてくれ!」と。


 警備員が飛んでくるように牢屋の前に来ると火に巻かれているオレの姿を見て慌てふためいた。ダニエルは鉄格子に両手を掴みながら、早く助けてやってくれと急かす。

 体に巻いたタオルのおかげで火傷には至らないが、酸欠を起こさないように、そして事態を深刻に見せるように地面に転がりこんだ。

「ああ!死んじまう!」とダニエル。

「あつい!あつい!」とオレは情け無いように必死に叫び、四肢を地面に叩きつけた。駄々をこねる子供のようだと思わず冷静になってしまいそうになるのを堪えてのたうち回る。

 周りの牢にいた連中も騒ぎ始めた。

 消火器を取ってきた警備員はそれを鉄格子越しに吹きかける。真っ白な部屋にさらに白い粉が舞った。


 煙が晴れると、集まった警備員は4人だと分かった。その1人が消火器を置くと、鍵を開けようとする。オレはその様子を仰向けになりながら注視する。

 急に燃え出した。そんな馬鹿な。と会話しながら鍵が開く音がする。1人分しか通れない幅の扉を通り抜けてオレを囲む。そして、4人目が入り口近くに立った時、ダニエルの牢屋から何かが飛び出してくるのが見えた。

 ごちり、と生鈍い音がすると3人とも牢の入り口に振り返った。今だ。

 うつ伏せになっていた所を、腕で身体を持ち上げて左脚で蹴り出して右足を地面に擦らせるように反時計回りに振った。

 意識外から攻撃をしかけた事で、右から1人目、2人目の足は払える事ができた。しかし、3人目を転ばすには勢いが足りない。ついさっき、イかれたと揶揄った連中は地面に叩きつけられていた。振るった脚とは逆の方を軸にして立ち上がり、そのまま右握り拳を3人目の下顎にめり込ませた。

 3人目の膝が折れるように倒れ込むのを横目に、隣の2人目が立ち上がろうとするのを見て蹴りを脇腹に入れる。おえっ、と2人目が涎を垂らしながら壁にまで脚をよろめかせる。

 ついに1人目が拳銃に手にかけたのを見ると、ホルスターから抜けてこちらに向けたそれを左手でトリガーごと掴む。ぎょっとした表情を見たところで、右手を相手の肘に当てがって上手投げをした。肘を真上に向けたままだったので、投げる途中で段ボールを折り曲げたときような、急に力が抜ける感覚が伝わった。相手の肘が脱臼した時の感触。脚をぐんと捻り、投げる先を壁にもたれかかっていた2人目に向ける。そして、脱臼した腕を振り下ろし、2人は衝突した。

 入り口では、警備員が仰向けで倒れている。呼吸を確認するとどうやらまだ生きているだ。額には大きながあり、痩せた中年の警備員に似合わない膨らみとなっていた。

 思ったよりうまくいった。そう呟きながら警備員の鍵を取り上げて、ダニエルの水浸しになった牢屋を開ける。よくやったと言わんばかりに彼は握り拳を作って、オレの前に差し出した。

「最高だったぜ、ざまぁみろだ。見たか?俺の特製靴下、中身は洗面台のパイプとナットだ」

「煙と叫びでうまく隠せたな。他の仲間も助けよう」

「そう来なくちゃな。ついでに警備員の服も拝借するか、脱がすからマージェスは鍵を」

「分かった。こんな所さっさと逃げよう」

 歳故の腹の脂肪を揺らしながら、彼はしゃがみ込んでベルトを外し始めた。オレは警備員の拳銃を抜き取り、それを確かめると廊下に出た。これは拳銃と言うより、電気銃だった。本来なら銃口がある所に通電ワイヤーと発射装置のパッケージが付けられている。つまり、実質的に1発だけの非殺傷武器だった。見回すとどうやらここの警備員は4人だけのようだ。全部で牢屋は20部屋、4畳ほどの個室だけだった。人がいる部屋は全て開ける。やはり、ここに居るのは全員が自警団関係者だった。戦闘経験のある団員がオレたちを含めて6人、事務員が2人、団に所属していないが協力関係にあった4人。オレ達を合わせて12人だった。もっとも、その中には尋問で痛めつけられて身体を動かせない者が8人もいて、実質的に4人くらいしか行動はできなかった。

 動けそうな2人を連れて牢に戻ると、ダニエルは4人分の服を持ちながら狼狽えていた。帰って来た事に気が付くと、後ろにいる新しい2人の男を見てさらに唖然とした。

「動けるのは4人だけか?」

「他は駄目だ。足手まといになると向こうから誘いを断られた」

「そうか、ところで警備服なんだがじゃんけんで決めないか?」

「なに?」

「1人でも女がいりゃあこんな話はなかったんだが、いや身体が小さい傾向にあると言う意味でだ。服のサイズがLL3着、1つはXSなんだ」


 流石に火事騒ぎは不味かったようだ。自動扉は開いたものの、部屋の異常を知らせる赤いランプが煌々と輝いている。警備服は戦闘を行えるほどの装備では無い、警棒と電気銃と計4発分のパッケージだけ。服も特に防刃素材で作られているわけではなく、安物の作業服と同じ肌触りがする。

 まだ応援の警備員が到着していない今のうちに、病院を脱出しよう。その為にダニエルの腕を掴んで、電気銃を囚人服を着た背中に押し付ける。XSサイズの警備服が誰にも合わず、しまいにはダニエルが着た時にその肩幅でジャケットを背中から真っ二つに引き裂いてしまった。というわけで、警備員になりすますのはやめて囚人役を演じてもらった。

「このまま連行するように見せて外に出ましょう」

「ダニエル、演技は任せるぞ」

「こう言う演技は慣れている、スパイクとは何回かやった。そうだ、俺の肩を外そう。怪我人を連れて行くようにやってくれ」

 そう言うとダニエルは肩をぐいとひねり、がこっという音と共に腕がだらんと垂れた。ラグビー時代の負債がここに来て役立つとは。彼はこれもよくやる事だと付け加えた。

「普段、一体どんな任務してんだ?……まぁ、とにかく閉鎖病棟から出よう」

「そうしてくれ」


「おい!お前達!」

 ダニエルを連行していると、閉鎖病棟の出入口と思われる所からぞろぞろと警備員がやって来て声をかけてきた。

「ボヤ騒ぎがあったと聞いたが?」

「ええ、火を起こしたようで消火にあたりました。おかげで警備服が真っ白ですよ」

「この男は?」

「火を起こした者ではありませんが、転倒して脱臼したようです」

「そいつは連れて行け。こんな太っちょはどうでもいい。犯人はどうした?」

「犯人は無力化して牢に入れています。ただ煙が充満してるので、換気が完了するまで待った方が良いかと」

「なに?囚人の避難は?」

「まだですが……」

「馬鹿者、煙を吸って無駄に怪我でもしたらどうする。お前達も止まってないで行け!」

 そう言うと彼の周りにいた部下はすぐに部屋に駆けつけた。

「さて、馬鹿者はどっちだか?」

「まさか同じタイミングで、同じ手法で脱獄しようとしてたなんてな」

 その上級警備員の服を着ていたのは間違いなく、スパイクだった。彼は戦闘で負った怪我の治療の為に入院していたはずだった。

「たまたま警備員が見回りしてた時に、それを襲って着替えたのさ。面白いのがそいつの立場が高くてな、誰も疑わなかったんだ。そのまま一日中、お前らがいないか探してた所でこれだ、運がいい」

「お前がいてと助かったが、太っちょ呼ばわりは気にくわねぇな」ダニエルが笑顔で言う。

「だったらもっと痩せてくれ、師匠さんよ。これ以上立ち話するのも怪しいからさっさと行ってくれ。閉鎖病棟を出てすぐにトイレがある。あそこからなら出られるはずだ」

 そう言うとスパイクは牢屋の方へと一歩、足を進めた所で止まった。

「そうそう、ついでに手に入れたアルヴィナの場所を伝えておこう。彼女は捕まって、都雅コーポ本社に連れて行かれた。ただ、それ以上の消息は掴めて無い」

「……ありがとう」

 スパイクにそう言うと、スパイクはオレの肩を叩いてから歩き始めた。

 閉鎖病棟近くのトイレの窓から外に出る。最初は警備員を警戒していたが、辺りは全く普段通りに病院生活を行う医師や患者だけだった。どうやら閉鎖病棟だけを牢屋にして、自警団員を勾留しているらしい。となると、都雅系のありとあらゆる施設に総勢1500近い自警団員が散り散りになって収容されている可能性がある。一箇所に集中して救出を仕掛けるのは難しい。

 ダニエルの目立つ服をジャケットで隠しながら、街中を進む。ここは例の工場からそう離れていない、工業地帯跡地と居住区の間に位置している。ダニエルが寄りたい所があると言うので、ついて行く事にした。


「思ったより、呆気なかったな」

「運が良かっただけだ」

 囚人服や警備員の服を袋に突っ込んでいた所にダニエルが近くの箱に腰掛けた。この石作りの倉庫の地下室には、スパイク達のコレクションが豊富に詰め込められていた。押収した拳銃やライフル、弾薬や防弾装備まで保管されている事に驚いた。

「違法じゃないですよね?」共に脱獄した仲間が言う。

「いいや違う、違法に持ち込まれたチャカを本州に引き渡す為に一時保管してる場所なんだ。この倉庫は元々、警察署があった場所だ、撤退してからは自警団が管理している。とはいえこの土地の所有者は本州の警視庁。もし何かあってもここは調べにくい良い場所なんだ」

 彼は試しにガンロッカーの1つを開けてみせる。指紋認証、網膜認証、簡易DNA認証、そして24桁のパスワードを流れるように打ち込んでいった。慣れている手つきだ。劇を見るように眺めていた。

 そうして取り出したのは、去年販売されたばかりの416型アサルトライフルだった。手に取るとひんやりとした鋼鉄の冷たさと見た目に違いないずっしりとした重さを感じた。

「星ヶ島ってのは意外と闇が深くてな、軍用に調達されたものを横流しする業者すらごくまれにいるのさ」

「……こいつを使えと言うことか」

「念の為だ。撃たない事に越した事はないが、あいつらが俺達の顔を見たら何をしてくるか分からないだろ」

「列車の件では世話になったからな」

 マガジンのないそれの感触を確かめた後、銃を返した。それとほぼ同時に拳銃が渡された。

「ナガンM2005、こいつも最新式だ。お前がお気に召すのはこいつくらいだろ?ん?」

「あんた銃器メーカーの営業した方が金を稼げるんじゃないか?オレが欲しかったやつでしかもリミテッドエディションだ」

 黒い鉄で作られた拳銃を受け取り、しばらく眺めると笑みが溢れた。1895年製のオリジナルをモダナイズした限定品だ。星紀に没収されたモデルは当時のものを完全再現したもので、リロードも1発ずつ弾薬を抜いては入れる必要があった。使用に難があったが、こいつはスイングアウト機構を搭載してその欠点を克服している。それになにより、サプレッサーを使用できる独特な機能は維持したままだった。手に馴染む形のそれはまだ新品。使う事態が起きないのが1番だが、それをもらう事にした。

 

 その後、あらかた装備を整えると、部屋にあったいくつかの押収品から革製のジャケットを羽織る。しばらく洗濯されていないツンとした臭いがしたが、確かな分厚さに安心感はある。拳銃のナガンM2005LEとサブマシンガン代わりのベレッタをホルダーに収め、古いグレネードも2発ほど携行する事にした。弾薬は足りないと言うほどではないが、潤沢と言うわけでもなかった。潜入用なら必要十分な装備の量だった

「さて、マージェス。俺達は脱出が失敗した場合の集合地点に行くんだがどうする?」

「アルヴィナの行方を追う。本社にいるというなら話は早い」

「だろうな、別に引き留めやしない」

 ダニエル達が握手を求めてきたので、その手をしっかりと握って上下に短く振った。付いてきた2人とも握手をした

「脱獄の時は助かった」

「ええ。ですが、置いてきた仲間も救う為に、私達は団長と集合します」

「期待してる」

「アルヴィナに会ったらよろしく伝えてくれ」

 そう短く挨拶を済ませると、地下室から上がる階段を登る。倉庫1階に着くと、窓から光が差していない事に気付く。これから本社に行くが、その前に寄る場所がある。秋の夜風が吹く、乾いた工業地帯に足を動かした。

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