第2章 最強のバディ

第7話 異変と捕縛

 ようやくシャワーが温まってきたというのに、ため息すら満足に付けなかった。部屋に爆発音と共に、部屋の壁や服や家具が一斉に浴室へと流れ込んできた。

 それらが静かになる頃には、お湯は水になり、アタシは浴室で横になって脚を天井に向けていた。浴槽にシャワーヘッドの取れたホースがチョロチョロと水を垂らしている。その水は小さな破片を浮かべていた。浴室の扉が衝撃を抑えてくれたのか、怪我はなかった。

「くそ……もう来たのか」

 悪態をつきながら、着替えとして置いておいたスポーツウェアを掴んだ。しかし、グロックやグレネードといった役立つ物は貨物列車の戦いの後で無くしていた。攻撃者は見当が付く、都雅の連中しかいない。そして、この現場に必ずサイボーグの女が居るということを確信していた。

 今、浴室を出て部屋に向かうのは避けた方がいいのは明らかだった。少しでも外に姿を見せれば、狙撃されるだろう。しかし、このままでは袋の鼠だ。何か武器になる物が無いか見回した。

 浴室の洗濯竿、洗濯機のホース、トイレの蓋、ハサミ、剃刀。ただの強盗にすら役に立たなさそうな物しかない。その時、洗剤置き場に目が留まる。塩素ガス。カビ取り剤とトイレ用の酸性洗剤を混ぜるだけのありきたりな方法だけど、効果はある。自滅する可能性もあるが、やるしか無い。2本の洗剤の蓋を開けて、片方に注ぎ込んだ。ちょうど半分ずつ残っていたからぴったり一本分に間に合うだろう。

 爆発の起きた部屋からずどんと、重いものの落ちる音がした。ビリビリとした衝撃がこちらにまで伝わり、床に転がっていたペンが転がり出す。濡れた肌にどっと汗が噴き出すような感じを覚えた。

 ねっとりとした洗剤を早く入れようと振る。塩素が遊離して黄色い気体が容器の中で漂っていた。それを吸わないように、息を止める。全ての液体を詰め終えると蓋をして思い切り振った。

 足音が聞こえてくる。貨物車で聞いた春取の足音と違い、今度は駆け足だった。さっき閉じたばかりの蓋を外し、浴室から廊下へ繋がる扉に向けて構えた。

「また!」後ろの浴室から爆音が聞こえる。

「会ったね!アルヴィナ!」

「うしろ!?」

 最初の瓦礫が落ちるより前に、サイボーグの女が飛び込んできた。両腕を掴まれて、壁にまで押しやられる。女はアタシを見つめながらその黒々とした眼を見開いていた。壁に背が付くと女は前髪が額につくまで顔を寄せた。心底楽しそう笑顔だった。

「お前……!」

「お前じゃない。星紀夙夜よ。ところで右手のそれ、なに?」

「あんたに似合わねぇポンチョを洗うために用意したんだよ」

「ふーん?」

 そう言うと星紀夙夜は、その細い指先の手を離す。刹那、それを蹴り弾き、踏み潰した。割れたプラスチックからは毒々しい黄色いガスが漏れ出て、瓦礫を包むように漂った。

「本当に洗濯してもらえるか、期待しちゃったな。洗剤、間違えちゃった?」ニヤついた顔で言う。

「ドジっ子成分ってやつだよ」

 冗談を呟いた瞬間、彼女の金属プレートで覆われたスネが飛んできた。顔面の右へ、一瞬世界が横にずれるような感触があった後、廊下にまで蹴り飛ばされた。意識が飛びそうになるが、なんとか堪えて立ち上がる。ちらりと見えた奥の部屋からは朝焼けの光が飛び込んできていた。戻るつもりのない部屋だったが、慣れ親しんだ家具や本、食器の見るも無惨な姿に軽くショックを感じた。

 ドロリとした感触が鼻の奥からする。鼻水かと思われたそれは、赤く、サラサラしている。彼女は何もせず、次にアタシが取る行動を注視していた。今の蹴りは明らかに本気じゃない。この頭なんて、スイカのように砕く事が出来るだろうに。

「アタシを痛ぶりたいのか。やるなら、一思いにやれよ。焦らされるのが1番嫌いなんだ」鼻血を拭う。

「不思議ね、効かないみたい?」彼女はとぼけた。

 今下手に動くとまた蹴り飛ばされるだろう、身体が本能的に逃げようとして後ずさる。わずか数ミリの動きも見逃さずに相手は足を一歩、こちらへ進める。お互いに、浴室と廊下の扉を挟んだ距離は残り1メートルを切った。彼女のポンチョに付いているクリーム色のファーの1本1本を見分けられるほどだった。

「……どのみち死ぬけど、追いかけっこでもしてみる?」

 ポンチョを着たそのシワのない顔の口角を上げ、1本の筋が通した。相手はもう2歩進んで、扉の下に立った。屈んで、両腕を横に伸ばして上目遣いで呟き始めた。

「10、9、8……」

 7と言われる前に、部屋を飛び出した。靴すら履かず、着古した薄いスポーツウェアだけを着て、マンションの廊下で階段に向かって駆ける。階段を横から飛び込んで、段を踏む事なく落ちるように5階から1階へと下った。秋風がブロンドの髪を持ち上げて、冷風がウェアに染み込む。メッキが剥がれた錆色の階段が足先を冷やした。

「……3、2、1」

 頭でカウントダウンを終えると、自分の部屋から、空を駆けるように彼女が飛び出してきた。サイボーグにとって、階段をわざわざ1階ずつ降りる事は全くの無駄というように、重力を最大限に活かして落ちてくる。着地した時、駐車場のアスファルトにヒビが走り、周囲の車が一瞬浮かび上がった。

 マンション横の人気の無い路地に出たところで彼女がこちらに遅いぞと呼びかけた。

 この居住区でサイボーグとの鬼ごっこが始まった。


 †


 瓦礫の飛び散った、マンションの一室でキング・Dから連絡が入った。廊下に滴った彼女の血を容器に収めて、部屋を眺める。普通の暮らしをしていたようだ、自警団によくいる女っ気の無い質素な部屋だ。

「標的がマンションから出た事を確認した、本作戦はこれより捕縛作戦へと移行する」

「……やっぱりあの子、JeLMの初期段階の兆候がある」

「殺せなかったのだろう?」

「ええ、脚の衝撃メーターでは人が死亡する以上の数値Gを出してますよ。……10秒経った、彼女を追います」

 部屋を出て、そのままマンション廊下の柵を飛び越える。風切り音と共に、ポンチョと黒髪が持ち上がる。

「万が一、アルヴィナが開放型であると地域一帯へ被害が出る。戦いは絶対にせず、追いかけるんだ。そして、戦わずとも逃げられると思わせろ。先回りして対戦車ライフルで無力化する」

「ミサイルランチャーは良かったの?」

「自警団でも用いられる突入用のランチャーだ。爆発の方向を設定できる。今回は彼女の部屋にだけ爆風が流れるようになっていた」

「なるほど、一般人との振り分けを入念にしたかったんですね」

 着地すると衝撃でアスファルトがひび割れ、脚部の衝撃吸収機構から熱風と使い捨ての衝撃減衰バネが飛び出す。15メートルほどの高さだったが、そのバネは少し赤くなっていた。つい先日、マージェスとの戦いで負った背中の怪我がずきりと痛みを主張した。痛みを堪えてゆっくりと立ち上がりながら、通りへ出る彼女を見る。あの女が2人目のTYPE-Dサイボーグか。引き締まっているが、ひ弱にも見える細い四肢で懸命に駆けている。

「遅いよ!」声をかけると一層走りを速くした。

「お前は牧羊犬Sheep Dogのように誘導を続けろ。私はこのポイントに移動する、射程範囲は地図にマップしてある」

 首輪端末からホログラムが浮かび上がる。大通りから少し逸れた広めの道路だ。ここから100メートルも無い距離。

「了解」

「3分あれば良い。間に合わせる」

 ぶつりと通信は切れた。駐車場から彼女の逃げた路地へ出ると、辺りに人通りが全く無い事に気付いた。都合が良い。アルヴィナは一生懸命に走り、路地のクネクネとした狭い道や障害物を使ってなんとか撒こうとしていた。とはいえ、この脚には狭かろうが障害物があろうが関係ない、見失う前に次の路地へ即座に移動して彼女の努力を眺める事にした。

 この辺りの路地裏は、工業地区が出来たのと間もなく整備されたもので溢れている。あらゆるものが旧式だった。道はひどく歪で、アスファルトやコンクリートのヒビがそのままにされている。アルヴィナがさっきから障害物にしている建築材や室外機はその当時から使われてたり、放置されて錆び付いたものだった。

「くそ、くそ!」

 彼女は悲痛な表情を浮かばながらこちらへ向く。それに微笑みを返すと、息切れしそうな呼吸音を立てながらも腕を振るった。

 右へ、左へ、時にはビルの屋上にまで飛んで姿を一瞬隠し、渡り歩いた後に彼女の予想外の場所から姿を現して彼女を誘導する。

 幸いなことにアルヴィナは自身に何が起きているか気が付いていない。あのトンネルで何が起きたのか、どんな力を得たのかも知らず、その力ですら引き出せていない。蹴りを入れた時も、彼女は手加減したなと言い放った。彼女の自我は強い。故に自分の限界を知っていて、そして気付く事の無い愚かさにも繋がっていたのだ。

 

 きっちり3分。首輪端末がアラームを鳴らす。その時、ウチは壁を走りながら追っていた。我ながら素晴らしい。この通りを出たらすぐ射程距離圏内だった。

「今から来るから間違えて私を撃たないでくださいよ」

「俺を誰だと思っている?」

 彼女が射程距離に入った瞬間、身体がくの字に折れ曲がり、建物の影に消えた。キング・Dの放った弾丸は、通りに出たわずか0.5秒にも満たない間に狙いを定めて放たれたのだ。遅れて、まるで狼が吠えるかのような低くとも抑えられた破裂音が通りでこだました。

「射撃の名手、キング・Dですね」

「俺はただのお前の上司だ。その他の何者でも無い。早くアルヴィナを捕えろ」

 通信が一方的に切られる。通りに出て、弾が飛んできた方を見ると黒人の大男が対戦車ライフルを担ぎ上げている姿が見えた。そのライフルは2メートル近い砲身を持ち、そして50センチメートルほどのサイレンサーまでついていた。あちこちに張り巡らされたケーブルや生体パーツを用いた衝撃吸収機構などでその見た目は有機的かつ武骨だった。

 親指を上司に向けて立て、アルヴィナが吹っ飛んだ方を見る。通りに倒れている。ゆっくりと近づき、彼女の足元に転がっていた弾を拾い上げる。硬質ゴムのそれはいまだに熱を帯びて、ゴムの溶ける臭いが鼻にツンときた。弾頭は砕けている。親指ほどもあるそれを受け止めてなお、身体の形を維持しているとは……。そうアルヴィナを見て思った。

 腰の骨をピンポイントで撃ち抜かれたらしい。青紫に滲んだ右脚が露出して、服もボロ布のように破れ飛んでいた。骨盤に触れても骨折した形跡がない。これがJeLMの力か、と感嘆の声が漏れた。

 仰向けに身体を動かして、口元に自分の頬を近づける。

 すー、すー、と静かに呼吸をしている。同じく服の意味をなさなくなっていた布をその胸が持ち上げていた。


 通りに仲間の乗ったトレーラーが到着した。彼女を持ち上げようとすると、キング・Dが降りてアルヴィナの腕を掴み後方に投げ込んだ。

 トレーラーに乗り込むと、救護班が彼女の手当てを始めていた。必要ではないが、念のためだろう。その様子を見ながら、座席に着いた。車体が動き出して、現場を離れる。

 キング・Dが一通り報告と指示を終えた後、隣に座った。

「春取の報告を見た事があるが、現実で見ると驚きだな」

「ええ、彼女……生きてるわ」

「これでまだ発展期だ。完成する前に捕獲できて良かった。被験者の解析を進めれば我々にも有利だ」

「開発者はまだ口を割らないんです?」

「ああ、そもそもアルヴィナの事も話していない。伝えたところで、おそらく奴は口を割らないだろうし、社長もそのような事をさせるのを認めていない」

「でもどうして?私達のような機械型サイボーグと対極にある、強化型の開発者を守るなんて。社長は機械型の第一人者なんですよ。それなのに、自分の研究分野の敵を社内に匿っている」

「サイボーグの多様性を保持したいのと、ライバルがいないと開発が捗らないというのが理由だ」

「……強化型が普及したら私達は」

 キング・Dが遮る。

「普及はさせない。俺達のようなサイボーグが絶滅する前に、強化型を葬る」

 そう言うと、彼は席にさらに深く腰掛けて目線を上を向ける。黒い肌に真っ白な眼球がいつも印象的だった。冷たく、武人のような彼はその眼にだけは優しさを含んでいるように見えた。

 アルヴィナの方へ顔を動かす。もう何もする事はないと言うように救護班はカルテを書いていた。簡単な手当てで済むと言う事に恐れを少し感じる。

 トレーラーの窓から差し込んだ朝日が、彼女のブロンドヘアを明るく照らしていた。

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