第5話 ディーゼルの焔光
僕の心臓は止まっていた。
身体の一切が動かず、感覚もない。
脳に滞留していた血液が視覚と聴覚を生かしていた。
神は酷い人だ、僕をまだ生かしているなんて。
向こうではアルヴィナが殺されまいと抵抗している。
どうか……彼女を……。
グレネード3発の威力は貨物室の天井を吹き飛ばし、車両に溶接されていた頑丈な壁もべったりと床にへばり付かせるほどだった。そして、そのディーゼル機関車は大破したそれを引きずりながら、トンネルに向けて去っていった。例のサイボーグ女はオレに背を向けてそれを眺めていた。辺りには破片が雹のようにばらばらと落ちて来ている。
オレとアルヴィナの考えは甘かった。あの爆発でも女は殺せず、オレを連れて逃げたのだ。鋭く、ごつごつとした枕木の石から身体を起こす。今になって喉の奥まで埃や粉塵が気道を覆っている感覚が襲い、激しく咳き込んだ。砂混じりの涎を震える手で拭い、ナガンM2005を革製のホルスターから抜く。この衝撃の後でも動作しうる、最も信頼できる
遥か遠くの貨物車の走行音といまだに降り注ぐ細かな木片が散る音以外は何も聞こえず、静かだった。トリガーの重みが限界に達して、いつでも撃鉄が持ち上がろうとしている。
「指向性爆薬よ」
「なに?」トリガーにかける力が弱まる。
「左脚にプラスチック爆薬を入れてるの、固形燃料みたいに金属のお椀が付いていて、爆発の方向を制御できる。この機械の脚でも壊せない物があった時はそれを使っていた」
「グレネードの爆風にそれを使ったのか、衝撃を抑えるために」
「あなたのコートも役に立ったわ、あんな頑丈じゃなかったら破片でウチの身体はズタズタだったのよ」
そう女が言うと、ポンチョと防具の隙間から背中を見せた。痛々しいほどの大きな青あざが出来ていた。咄嗟に防弾チョッキの下にあるコートの生地を見る。充填された真っ黄色のジェルがべっとりと漏れ出ていた。プレートを抜いた破片の一部がコートを貫通していたにも関わらず怪我がなかった事に気が付く。そして、そのコートには普段見慣れない、黒色の髪の毛が張り付いていた。
「まさかとは思うが、コートに潜り込んだのか」
「下半身を切り離してね。おかげであなたは助かったのよ。胸に入れた聖書のおかげで拳銃に撃たれても死ななかったようにね」
「……その事には感謝しよう。だが、拳銃を下げる理由にはならんな」思わぬ出来事に目を細める。
「せめて名前くらいは聞かせて欲しいわね、ウチは星紀夙夜よ」女は振り返った。
工場で見た時より、幼く見えた。20代そこらか、もしかしたら高校生くらいの歳だ。前髪の重い、黒のショートヘアに切れ長の眼は素朴さを感じさせる。その小さな上半身に付けられた防具や下半身の機械は異様さを醸し出していた。
「……マージェスだ」
「いい名前ね……、誠実そうな響き。そう、言っておくけどウチの目的はあなたなのよ。このまえの工場では世話になったからね。恩返ししたいのよ」
後ろから足音が複数聞こえた。わざとらしくセーフティを外す音が続く。なるほど、どうやらここまでらしいと悟る。たった今、この拳銃の引き金は自分を殺すリモコンとなった。
「仲間の馬鹿2人はずいぶん抵抗したそうだけど、あなたはどうかしら?」
「必ずアルヴィナの元へ行くさ」拳銃を降ろす。
「あーあ、フラれた」星紀夙夜が微笑んだ。
「じゃあ薬品と一緒に燃やしてやらないと」
そう言うと星紀夙夜は防具の下から金属製の筒を2本取り出した。片手に1本ずつ、それを顔に寄せてビールを勧めるような顔をした。オレの微妙な表情をじっと見てまた微笑む。そして、筒を
「それで、これが終わったら何だけど」
「なんだ」
「食事なんてどうかしら?」
「ふざけてるのか」
彼女はふふっと笑い、筒を外して捨てた。からころと跳ねる缶をよそに、ディーゼル機関車が去った線路に身体を向ける。腰や太腿のパーツ同士の接合部が展開する。その展開された接合部には先の絞られた細長い機械が見えた。その先の筒は徐々にうねり、甲高い音を発して熱気が筒の先から出た。ジェットエンジンだ。その展開部に付けられた装甲はさらに広がり、鳥の尾羽のように太腿を覆った。
「あなたは良い男だと思うけどねぇ」
「ふざけるんじゃない」
「聞こえませーん」
彼女の身体が浮き始める。もはや会話どころか拳銃の音がしたとしても聞こえないほどだった。
この剽軽でイカれた女はアルヴィナを追うつもりだ、止めなくては。拳銃を持った手は握力で震えていた。後ろにいる都雅兵がオレを囲うようにゆっくりと移動した。
ジェットエンジンの咆哮が限界になる頃、音がふっと静かになる。
「ウチには時間が無いの……」
何か続きを言おうとしたが、続けなかった。脚がつくと、爆発のようにジェットエンジンが熱風を噴射する。あっという間にここから離れ、アルヴィナ達の乗るディーゼル車を追いかけていった。
事は済んだと都雅兵がライフルを前に突き出す。ため息を付きながら拳銃をホルスターに納め、それを地面に捨てる。
あたりは全く静かになっていた。
†
マージェスはグレネードをありったけぶち込めと言ったけど本当に生きてるんだろうか。少なくとも
一方で進行方向左画のSUVからの追撃は依然激しく、貨物室が吹き飛んだ今はディーゼル機関車の1両目で戦うしかなかった。壁になっている制御盤は分厚い鉄板で覆われているとは言え、いつまで持つか分からない。サブマシンガンの弾は制圧射撃出来るほど足りておらず、白兎の使うライフルも残弾がわずかだった。小林もまともに運転できる状況では無く、いつ止められてもおかしくない状況だ。サイボーグのクソ女が蹴り飛ばした鉄板のせいで抉れた右肩から血液が滴り、ストックを握る手が生暖かく
「アルヴィナさん、小林の元へ行ってください。ダニエルのサブマシンガンがまだあるはずです。あと止血剤も欲しい」
白兎の方が重症だった。貨物室が吹き飛んだ時に、制御室への移動が遅れてふくらはぎを撃ち抜かれていた。彼は無事な方の脚だけで身体を制御室の壁に押し付けている状態だった。
「分かった、何発残ってる?」
「3発です」
「じゃあアタシのサブマシンガンを使え。まだ半分はある」血液を袖で拭って渡した。
「まぁ無いよりマシか……」彼は眉間に皺を寄せた。
白兎の肩を軽く叩いて別れる。制御室を貫通する攻撃が当たらない事を祈りながら、運転室の小林の元へ移動する。運転室ではたまに小林が姿を表してはサブマシンガンを連射していた。目の前の制御装置が火花を上げた。ここにある制御装置は、どれも壊れたらマズイ代物だろう?いつまで走れるんだか、と軽い絶望感を得た。
運転室のすぐそばに移動すると運転室へ向けて声をかけた。運転室と制御室は互いに分かれている為、この身を曝け出さなくてはならない。小林が運転室の扉を開くと激しい銃撃が襲った。ガラスが割れて飛び散り、鋼鉄の扉や壁に最も容易く穴が開く。横殴りの雨のようだった。
「こっちに来ない方がいいな、アルヴィナの姉貴!」
「サブマシンガンとライフル弾、それと救急キットをよこせ!」
「ありったけよこしてやるよ!」彼はリュックを漁り始めた。
「それとあとどれくらいでトンネルに着く? 」
「5分だ、脱線しそうなポイントは全部抜けた。今全速力でトンネルに向かってる。もう見えてるぜ」
身体を傾けると、運転室の向こうに確かにそれは見えた。
「それなら持ち堪えられるな」
「ああ、希望のトンネルさ!」
そういうと彼はリュックを投げた。それを受け取ると再びゲリラ豪雨のように弾が飛んできた。
「相手も弾がないらしいな、マークしてる所以外に撃たなくなった」
「そのようだな。運転室は俺に任せておけ、白兎を助けてやってくれ」
「ありがとう」
踵を返し白戸の方へ駆ける。
終わりが見えた事で身体が軽く感じた。
「調子はどうだ?」
「少し視界がぼやけるけど、もう大丈夫」
「それは良かった。あと3分くらいでトンネルだ。そうすればアタシ達の勝ちさ」
白兎にサブマシンガンのマガジン3本とライフルの弾を箱ごと渡しながら、痛み止めを飲み込む。その手は止血剤の粉で真っ白になっていた。
「さぁ、いくぞ」
満タンのサブマシンガンを構えて身を乗り出し、SUVに向けてばら撒く。相変わらず貫通はしないものの、相手の車両にもそれなりのダメージが蓄積されているように見えた。サイドウィンドウは一部が割れて、ドアも水たまりに大粒の雨が打つような凹みで覆われていた。互いに満身創痍の状態だった。全弾を撃ち終わり、コッキングレバーが停止すると相手が即座に身体を見せて撃ち返してくる。リロードする間、運転室から小林の銃声が聞こえる。こちらに有利な形で膠着状態になっていた。それを3回も繰り返すうちに、トンネルの穴が大きくなっていく。
トンネルの近くには整備員が使用するコンテナ型の事務所や施設などがいくつかあった。残っていたスタングレネードをその建物と電車の間にいくつも投げ込んではSUVを一時的に建物の影に追いやった。枕木の石とアスファルトの摩擦の違いにSUVはバランスを崩しながらもまだ追いかけてくる。相手も必死なのだろうが、攻撃に転じるほど余裕ではなかった。
「もう少しだ!」小林が運転室から手を振る。
そこへ後ろから弾丸が飛び込み、運転室に火花を起こした。すぐ後ろを向いて弾をばら撒く。
SUV!いつの間に後ろへ来ていたのか!
相手がこちらに銃口を向ける。それは不気味に大きく見えた。盾にするものが無く、蜂の巣にされる。隠れられる所は――。
「アルヴィナ!連結部の隙間に逃げて!」
白兎の声に押され、一か八かで貨物室と制御室の車両連結部に飛び込む、それと同時に銃撃が起こる。胸に連結装置が激しく当たり、弾かれて落ちそうになる。目の前には何本もの枕木が今でも骨肉を削り取ってやろうかと通過していた。脚が僅かに地面に着地するとブーツが摩擦で脱げ、そのまま列車の車輪に巻き込まれた。分厚いゴムソールごと真っ二つになっていた。さっきまで持っていたサブマシンガンは遥か後方で、車輪に挟まれて暴発しながら分解していった。
「ああは、なりたくない!」
声を上げながら、車両と床を繋ぐ部品の隙間になんとか身体を押し込んだ。その瞬間、辺りが真っ暗になった。
トンネルに入ったのだ。しかし安堵はつけない、SUVはまだ追跡している。暗黒のトンネルに光をもたらすのはヘッドライトと制御室内部の機器のランプ、そしてマズルフラッシュだけだった。
トドメを刺すまであいつらは攻撃を止めない。幸いトンネルの幅はSUVとディーゼル車を並んで走らせるほど広くはない。貨物室のある2両目を切り離せば、奴らは追い付けなくなる。そうアタシは確信し、グロックで連結部を撃った。しかし、列車を牽引するそれはかなりの強度があり、意味をなさなかった。もっと破壊力のある武器――グレネードが必要不可欠だ。もう1つだけ白兎が持っていた。その時、白兎の安否にぞっとした。
あそこに身体を隠せる所も、装備も無かったはずだ。目をぎゅっと瞑る。くそ、と悪態を吐く。身体を捩り、脚をかけて車両の上に身体を起こす。ブーツの脱げた足のつま先がべちゃりと音を立てた。
白兎が倒れていた、そしてその血液を踏んだ。そうだ、やっぱり彼は逃げられなかった。暗闇に紛れて、相手に見つからないように匍匐で近寄り、白兎の横顔を見た。後頭部のグレーの髪は血に濡れていた。眼にはまだ光があるが、本州到着まで持ち堪えられるか分からなかった。
「グレネード、貰うぞ」
彼のチェストリグからピンを抜いて取った。グリップを強く握り、爆発しないようにする。彼はずっとアタシを見ていた。
「ぶちのめしてやってください……」弱々しい声だった。
「死ぬなよ」肩を、強く叩いた。
トンネルの轟音の中、立ち上がる。ヘッドライトに白兎の流した血がぬらぬらと輝き、自分の埃だらけになったブロンドヘアが激しく風に乱れる様を貨物室に写した。
グリップを放すと、金属音を鳴らしながらトンネルの彼方へと姿を消した。手に握るのは無音でカウントダウンを始めたグレネードがあった。
相手がアサルトライフルのトリガーを引く、1発目の弾丸が着弾する頃にはアタシは連結部に再び飛び込んでいた。奴らはアタシがしようとしていることを理解している、何がなんでも殺そうとしているんだ。だったらこっちだって容赦はしない。
連結部にグレネードをねじ込んで、その場を離れる。
弾丸の雨を掻い潜り、血の海を渡り、白兎のチェストリグを引いて少しでも連結部から離そうとした。
そして、1両目の半分も行かないうちにグレネードは起爆した。
連結部が真っ赤に燃え上がり、錆び付いた金属や木製の部品がこちらにまで飛び散った。自分達の乗る車両はグンと加速し、切り離された2両目は衝撃で横倒しになる。2両目はトンネルに車体を擦り付けながら火花と煙をばら撒きながらSUVを轢き潰した。
――かのように見えた。
SUVが紫煙を突き抜けて、1両目に飛び込んできた。車体はゆっくりと縦回転し、制御室後方を押しつぶした。辛うじてアタシ達は押し潰されなかったが、それがついにディーゼル車の生命を絶った。先程まで急加速した車両は失速し、激しい衝突で車輪が飛び上がってはレールに何度もぶつかった。ついに車輪は捻れ、枕木を砕きながらも進み続けた。白兎が落ちそうになるところを、小林が駆けつけて捕まえる。暴れ馬のように跳ねる中、車両脇の柵を必死に掴むしか無かった。
しかし、その中でも、足音がした。
アタシは顔を上げる。
たん、たん、たん……と確かに歩みを踏んでいた。穏やかにログハウスを歩くようなその安定した足音は、混沌の破砕音にあまりにも浮いていた。
車両が止まっても、足音はまだ続いていた。制御室を挟んだ反対側から聞こえる。
「お前は……!待て、動くな!」都雅兵が震える声を上げた。
「なんだ生きてたのか」
聞き覚えのある声がすると同時に、何かが砕ける嫌な音がした。都雅兵の身体が、潰れた制御室を超えてこちらへ飛び込んできた。
その様に声にならない叫びを上げた。さっきまで敵として果敢に戦っていた都雅兵の防具から様々な物が滴っていたのだ。
「そっちにいるのは知ってるぜ」
「薬が欲しいんだろう、それはここにある」小林がなんとか冷静を装いながら返事をする。
「ああ、助かる。おや、すごいね、結構生きてる」
声が上から聞こえる。グロックを構えると確かに工場で見た少年が見下していた。
「君がいるからここに来た」彼はアタシを指差した。
「何が目的だ、都雅と対立してるようだが、素直に仲間だと思えない」
「ああ、そう考えてくれると助かるな。これからオレがする事に君は激怒するだろうから」
小林がそれを聞くと、サブマシンガンを撃った。しかし、少年はそれを受け止めるだけだった。歪に潰れた弾が、バラバラと制御室の屋根を伝って落ちた。
「サイボーグ……!」
「それは1番嫌いな言葉だな」
重力なんて少年には意味をなさないものだった。確かに彼を見ていたのに、小林のサブマシンガンを奪い、間に立っていた。そしてそれを小林におもむろに向ける。
「オレは
引き金を引こうとした瞬間に彼はサブマシンガンでこの手からハンドガンを弾き飛ばした。そしてその銃口を下に向ける。
「この下が燃料タンクだぜ」
「やめろ――」小林が押さえ付けようとした瞬間、焔が爆炎を生み、ディーゼル機関車もろとも全員を飲み込んだ。
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