第3話 不穏の風
あらゆる認識が脳を過剰に刺激していた。
その光景は激しい頭痛をもたらし、心臓は焼け付くばかりに鼓動していた。
――暗いトンネルを照らす明るい炎。
――レールの鉄臭さとディーゼル燃料の匂い。
――乾き切った土埃に覆われた服の下を濡らす血液。
ただ、こちらに来る少年を睨むために目を見開くしかなかった。
そして、その少年の手には注射器が握られていた。
アタシ達を巡る状況は、工場での事の大きさから混乱を極めていた。都雅コーポと裏社会との繋がりが明確になり、そして社内紛争まで起きている。それに加えて、違法な戦闘用サイボーグが本当に存在していたのだ。自警団長である
この現場に居た客人のチンピラ達はというと、スパイク・ダニエルバディに捕えられた。『チェイサー』とかいうあだ名が付けられているそのバディは本当に破茶滅茶な方法で捕まえた。2台の車両を追いかけるために縦横無尽に、空にすら車が舞い、捜査車両が銃撃を受けて建物にひっくり返った瞬間、フロントガラスから飛び出して二手に別れ、全力疾走する車を走って追いかけた。しまいにはチンピラ達の乗っていた2台の車もろとも海に突っ込んだ。そのまま尋問もじっくりとされたが、本当に何も知らない様子だった。しかし外に出すわけにはいかないので、その時に吐いた他の犯罪行為の容疑を元にしばらく勾留させることとなった。
肝心のマージェスは、結局のところは無事だった。2つのグレネードを投げ、数発撃った後でさっさと踵を返し、2階倉庫の窓を突き破ったらしい。女の部下が工場内に居た数人だけだった事から追跡も無く、生傷が増えたくらいで大した怪我はなかった。しかし、肝心の録画カメラを落としてしまっていた。
そして、アタシはマージェスと仲良く2日間の事情聴取と説教が続く事になった。
事件から3日が過ぎた頃――。
未明、ようやく通常勤務に戻ってヘトヘトになったアタシは居住区アパートの自室で眠っていた。トランシーバーに緊急出動命令が届いた。目を覚まし、ライオンの如く跳ねた髪の毛を手ぐしでなんとかしながらトランシーバーにかけられたシャツをどかした。明るい画面が目に沁みる。
「古道だ」
画面に映っていた名前にアタシは呟いた。団長直々の召集命令らしく、一気に口の中が渇く。アタシはせっせと着替え部屋を出た。
「なんだか静かだな」
爽やかな夜風は、怪しい街の雰囲気と混ざっていった。
本部は24時間稼働しているから、いつも忙しそうなのだが今日は特に酷かった。廊下が人で溢れかえって、みんな武装している。防具も普段は邪魔だから使われないバイザーやタイプⅢ防弾チョッキまでフル装備。まるで野戦基地のようであった。そして、アタシの存在に気づくとすぐに道を開けた。ここまで来たら嫌でもわかる、薬品絡みの事だと。なんとか団長室の前に着くと、ため息を一度付いてから中に入った。
「アルヴィナ・フィルシアンド、出頭いたしました」
辺りを見渡すと、部屋には団長とマージェス、それに工場で応援として駆けつけた4人の隊員が居た。白兎が緊張の面持ちで手をあげて無言で挨拶する。
「早速来たな。マージェス、状況の説明を」
古道から指示されたマージェスはおもむろにスイッチを操作した。部屋が暗くなり、埃っぽい部屋にプロジェクターが点灯した。
「……さて、みんなも承知の通り、今回は薬品の件だ。やはり都雅が動き始めた。都雅は以前から、自警団に代わってこの島の治安維持をしようと自前の警備部門を育ててた。だが法律の面から自警団に代わるのは難しい、それに、大企業とはいえ自警団規模の私兵を用意させるのを許す訳がない――というのがこれまでの流れだった。しかし、今日の0時頃、警察から都雅が一斉摘発に踏み込む可能性があるとの通達があった。この薬品を奪い、裏組織に回した可能性があるという容疑がかけられ、都雅がそれに向けた活動をしていると。法律では、自警団が不法な行動をし、装備を悪用した場合は警察もしくは然るべき代表者から依頼された組織が対応にあたる。どうやら島長が都雅に味方したらしい。メディアが陽動し、島長が警察を介さずに対応を依頼。それに応える形で都雅が警備員という名の私兵をよこした。もちろん、こちらから反論の連絡を通したが、取り合ってはくれなかった。都雅は既に動き始めており、本社のお膝元の経済特区で警備に当たっていた自警団員が捕まっている。このままでは証拠を隠滅される可能性があり、我々は抵抗する必要がある」
マージェスが一通り話した後、ファイルに収められた資料を映す。
「この薬品ケースに納められていた複数の書類から人体実験の証拠が上がっている。都雅はそれを調査・公開される前に押さえ込もうとしているようだ。とはいえ、我々に与えられている権力ではこれを押収し、逮捕する所までしか出来ない。公式な調査を行えるのは警察と検察だけだ」
「そこで、お前に任務を与える」古道はアタシを指差した。
「この薬品を持ち、島を脱出するんだ。本州なら都雅コーポは動けんし警察や検察による調査も行える、何が何でも脱出しろ」
「まさか、その為にこの大部隊を編成したの?」
「半分正解だ。薬品運搬の護衛や囮もいるが、1番の目的は一斉摘発に対する抵抗だ。全員が確保されてしまえば、その薬品が完全なクロでも意味がない」
古道はマージェスに続きをするように手で伝える。
「さて、ここに居る仲間は工場で居合われた者たちだ。その6人で本州への脱出を行う。アルヴィナはもちろんのこと、今回の事件を知っている奴は始末されるかもしれん。海底トンネル経由での大掛かりな車両による護送を装い、少人数で脱出する。脱出方法は電車だ」
「公共交通機関でか?大丈夫なんだろうな?」スパイクが口を挟む。
「他に方法がなかった。船などでの脱出を考慮したが、この島の周りの波は大きく、防波堤のある港から出ないと船が転覆する。とはいえ東の港へは都雅本社のお膝元だ。西の港も警備が半年前から都雅に切り替えられていて危険だ。その港近くを通るため、海底トンネルからの脱出も難しいと考えられる。対して電車はいくらか……数%程度の差だが、安全だ。電車の運営元は本州の会社だから都雅も手を出しにくい。そして今回の件について、ありがたいことに、緊急輸送を受けてくれた」
古道は湯気の立っていないマグを取り上げてコーヒーをごくりと飲むと立ち上がった。
「本格的な摘発は6時からだろう、電車は1時間後。ここにいる6名で薬品を持って脱出しろ。詳しい行動に関してはマージェスから聞け。以上、解散!」アタシ達は追い出されるように団長室から飛び出て、入れ替わる形で武装した老練の隊長達がぞろぞろと入っていった。
腕時計は4時50分を示していた。この半時間に戦いの準備を整え、臨時の発着所のポイントへトレーラーを走らせていた。ジェル充填された制服の上に、防弾ジャケットとマガジンやグレネードで一杯のチェストリグを着用し、ヘッドセット付きのヘルメットと防弾グラス、そして手元には使い古されたサブマシンガン、太ももにつけたホルスターにはハンドガンが収められていた。自警団員が持てる最大限の装備。サイボーグ相手にどこまで出来るか分からないが、工場で見た化け女に弾丸を叩き込めば無力出来るかもしれない……弾が効けばの話だが。
「あと少しで発着所に着く」運転手の小林が言う。
装備をもう一度確認する、薬品はバックパックに納められている。身体中に装備を固定しているバックルの紐をきつく締めた。今はこの窮屈さが欲しい、体を守っているという感覚がないと心が落ち着かない。ふいに顔を上げると、マージェスや白兎達がアタシの様子を伺っていた。
「緊張してるの?大丈夫、うまく行くよ」白兎がからかうように言った。
「今頃は陽動部隊が派手に騒いでいる頃だ。オレたちは普段通り運行する貨物列車を装って脱出する。もし、襲われるような事があっても、オレたちを頼れ。特にお前はバディだ、絶対に見捨てるような真似はしない」
マージェスが真剣な眼差しで言う。組んでいた時間は短かったとはいえ、元々互いに信用できる仲だった。彼が手を握りこっちに差し出したのでこっちも握り拳を当てようとしたら彼はごつんとアタシのヘルメットに拳を当てた。
「だからよ、勝手に飛び出すような事はするなよ」そう言うと彼はトレーラーの扉を開けた。
「さぁ行くぞ。これが終わったら本州観光と洒落込もうじゃないか」ニヤついた顔をしていたスパイクが飄々と言いながら車から飛び降りた。
†
車内の様子は穏やかだった。貨物列車だったからシートもないし、ディーゼル車だから騒音が酷かったけど、灯りがない事は逆に僕の心を落ち着かせてくれた。陽動部隊や本部に残っている団長達はまだ大丈夫だろうか、HUDに映る時計は既に0時を過ぎている。自分の生まれ育った土地で争いが始まるのかと思うと少し悲しくなった。
暗視ゴーグルは数が不足していて、2台しか与えられなかったから、スパイク・ダニエルバディが外の様子を監視していた。僕はと言うと、相棒の小林がディーゼル車を運転する様子をじっと見てるぐらいしかなかった。なぜ彼はどんな乗り物でも運転できるのだろうと気になったが、聞かないことにした。
マージェス・アルヴィナバディも外をじっと見ている。月の光が海に反射し、彼らの防弾グラスを濡らすように光を散らしていた。僕達は何も語る事はなく、何も知らず囮となった仲間達の無事を祈るしかなかった。アルヴィナは今回の事件の発端になったことを後悔していたが、遅かれ早かれこうなる事は自警団の誰もが感じていた事だった。いつか、都雅コーポが自警団を乗っ取るだろうと。だから僕は彼女を責める事はしなかった。それより、この薬品を送り届ける事が都雅にとって猛毒になることを期待していた。
僕達をいつも本州へ見送ってくれる観覧車は、怪獣のようにただ夜空を背負って待ち構えているように思えた。
色々な事を考えていたが、おもむろにスパイクが操縦室に入ってきて落ち着いた様子で報告した。口にはフィルターまで焼けた煙草を口にしていた。が、それを線路に吐き捨てた後一言だけ口を開いた。
「バレちまった」
は?と僕とアルヴィナは声を上げた。なんでそんなに悠長なんだ。僕とアルヴィナはすぐに弾を薬室に込め、HUDの設定をコンバットモードに切り替えた。
が、それでも彼らは落ち着いていた。
「どうしてそんなに落ち着いてられるんですか、敵が来てるんでしょ!」愚痴るように僕は言った。
「バレたのは俺だけだ、この列車に載せたトレーラーがあるだろ?それ借りるぜ」
「逃げるつもりじゃないでしょうね」アルヴィナも声を上げた。
「いやいや、そんなわけじゃあ」
「だったらアタシが奴らを止めに行く、その方が確実よ」
「落ち着けアルヴィナ、こいつらのバディは勝手にさせた方がいい」マージェスはすでに呆れているような様子だった。
「ほら、マージェスさんがそう言うんだぜ。それによ――」
反対側の車線から並走して疾走するトレーラーが飛び出してきた。駅まで静かに走っていたそれは、今や路線に敷き詰められた石を弾き飛ばし粉塵を撒き散らす暴れ馬になっていた。僕とアルヴィナは今度こそ、はぁ!?と叫んだ。
「俺の報告ってほとんど事後報告なんだ」
そう言い終える頃には彼は既にトレーラーの中にいた。きょとんとしていた僕の手には2台分の暗視ゴーグルが置かれていた。そして、また会えるさと言うように手を振るとトレーラーは線路を飛び越えるように反転し、来た道を戻った。
「言っておくが何もしないというわけではないぞ、アルヴィナと小林はそこにいろ。白兎はオレに付け、あいつらを援護する」
マージェスは2丁のライフルを担ぎ、暗視ゴーグルを一個取り上げた。僕も暗視ゴーグルをヘルメットにかけ、夏の夜空に飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます