第2話 星紀夙夜はサイボーグである

 星ヶ島で1番高いビルのてっぺんに社長室があった。地上からぴったり500m、そこまで高速エレベーターはガラス張りのチューブを滑るように登っていた。外はすっかり夕暮れで、本州の方に沈んだ太陽が地平線に花の絨毯を敷くように紫色の覆いを被せていた。うんざりとした出来事が続いた今日も、暗くなれば全てが終わる。深呼吸しながら、腰に手をかけた。上半身を支えるチタン合金製の骨盤が確かな頑丈さと冷ややかさをもたらしている。大丈夫、この脚が無かった頃とくらべたら今はまだずっといい。このまま、このまま……登り詰めればいい。たっぷりと時間はあるし、失敗だって怖くない。これから出会う人との会話に胸が張り裂けそうな緊張を感じた。本社に帰ってから手の洗う暇がなかった埃だらけの右手をじっと見た。しまったと思ったが、もうどうにもならない。少しでも気分を落ち着かせるため、上腹部に手を当てた。どっくん、どっくんと大きな脈がウチを生かしている。そして心臓はウチに冷静さを与えるようにゆっくりと動きを緩めた。さぁ、行こう。いつも通りにすれば良い。


 背骨に感じていた重力が柔らかくなる。エレベーターのランプは右端にたどり着き、社長室のあるフロアである事を示していた。静かに扉が開くと、モニターに映る精巧な3Dモデルで描かれた受付嬢が人工音声で丁寧に案内した。この上流世界では、高等な教育を受けた気遣いの効く人を雇うよりワンオフで作られた人工知能による案内が流行っているらしい。とりわけ、テック系の大手企業である都雅コーポレーションはこの受付嬢を開発した事を誇りに思い、他社の社長に自慢しているという。

 エレベーター前の小部屋と社長室を隔てる、のっぺりとした飾りの一切ない漆塗りの扉は太陽の残り灯を横一線に映した。自分の姿のシルエットがそれに重なっていた。重々しい扉が音も無く開くと、この機械の足を運ばせた。静かな室内に、関節ギアの駆動音とソールが絨毯に着地する音が鳴った。

都雅とが作栄さくえい社長、お待たせいたしました。星紀ほしき夙夜しゅくやです」デスクの前で背筋を伸ばし、こちらに背を向けている特殊ファイバー貼りの席に向かって声をかけた。

「ああ、ご苦労様。今日はあまり良い歩き方ではないね、心がいささか不安定に見える」彼はいつも通り扉の横に立っていた、こうしてウチの歩き方を鑑賞するために。

「話は聞いている。君の上司、キング君からひどく怒られたそうだな。なんでも春取君を捕まえるどころか、盗品まで持って行かれるとは。まぁ、あまり気にする事はない。元軍人、戦場で部下を率いて駆け回っていた彼の行動の正確さは参考になるが、俺にも真似できないものばかりだ。君はまだ部下を持ったばかり、これから成長すれば良い」

「誠に申し訳ございません。せっかくご期待いただいたのに、このような失態をしてしまって」

「君が無事なら良い、これ以上失敗を気にする事はない。対応はこれから取る」

 社長はそう言うと、じっくりとウチの脚を眺めながらデスクに向かった。机に置かれている、堂々とした佇まいのクリスタル製デキャンタからウイスキーを2つのグラスに注いだ。今日の仕事はこれで終いにしなさいと言いながら、グラスを手渡した。社長にグラスを掲げ、小さなグラスに波打つ飴色の液を舌で舐めるように口に含んだ。ぴりりとアルコールの刺激の後に、はちみつの甘味と燻したナッツのような香りが口中に際限なく広がった。あまりに濃い匂いに喘ぐと、肺をアルコールに焼かれる感覚がして空気を吐くように咽せた。あまりに情けない姿を社長の前で晒した事に顔が赤くなる。

「ああっと、すまない。癖の強いウイスキーだという事を忘れていた」社長がすぐにチェイサーを差し出した。

「すみません、何から何まで」それを口に含むと、鼻までいっぱいになっていた酒の匂いがすっと水の中に消えていった。

「落ち着いたかね」彼は娘をあやすように微笑んでいた。

 

 オーダーメイドのパリッとしたグレーのスーツに身を包んだ彼は、鏡面磨きの革靴の爪先をテラスに向けて歩き始めたので、それに続いた。外はすでに暗く、太平洋から涼しくもしっとりとした風が吹いていた。テラスに用意されたサイボーグ専用の椅子に座るようにと彼は優しく言う。その椅子に座ると、頚椎と腰椎に沿って2個ずつ配置されたポートにケーブルが刺さりソフトウェアや身体とのシンクロのためにメンテナンスが開始された。機械の脚に埋め込められた数百のセンサーで得られた研究用データを送り、エラーや部品の劣化がないか検証、運動神経と駆動系のズレに関しても自動で修正が施される。この機械の脚を開発した張本人の社長も眼鏡を掛け、関節や装甲などのハードウェア系を観察していた。いくら機械とはいえ、骨盤や太ももの部位をまじまじと見られるのは恥ずかしく感じた。

「見たところでは……問題はなさそうだが、念のため精密検査を走らせておこう」

 いくつかのボタンを操作した後、立ち上がって眼鏡を外す。目尻に薄く皺が乗っている黒々とした瞳をこちらに向けた。

「さて、仕事も終わりと言ったが、実はもう少し話したい事があるんだ」彼は隣の椅子に深く腰掛けた。

「例の薬品……JeLMジェルムのことでしょうか」検討はすぐについた。

「それもある。だが、最も重要なのは自警団の取り扱いに関してだ」

「自警団?」

「今回のJeLM奪取事件について、自警団が絡んでいると分かった。騒動後、現場からそう離れていない工業地帯の大通り交差点に猛スピードで突入した自警団仕様の車両の目撃情報があった。それに、君たちが回収したカメラの録画データからは、自警団の特殊警備隊員らしき姿が映っていた。まったく派手な奴らだ、どこで嗅ぎつけたのだ?」

「JeLMを奪い取ったのは買い手なのかと思いましたが……。まさか自警団だったなんて」

「うむ、俺も初めはその線で見ていたが情報が集まるにつれて確信的になったんだ。それに君たちが交戦した特殊警備隊は普段、表に出ない連中だ。君たちが気付かなかったのは仕方がなかった」

「盗まれたJeLMに対する策はお考えなのですか?」

 そう質問すると、社長は思い出したかのような素振りを見せ、部屋に戻ってタブレットを持って来た。

「実はだね、我々がになる良い機会だと思うんだ」

 予想外の発言にきょとんとした自分へタブレットに表示させた資料を見せた。『社内警備員およびサイボーグの有用性を示す為の自警団との協力に関する案件』と記載されていた。何ページか進めると小難しい文章が延々と続いていた。たまに載っている図の矢印は各団体との繋がりを複雑に示していた。なんとか理解しようにも、ウチの理解力と業界の知識量では概要の把握すら難しく感じた。

「自警団と協力ですか……?」目が滑る文章を見ながら独り言のように質問した。

「資料にはそうあるが、最後から3ページ目を見たまえ」彼は腕を伸ばしてタブレットを操作し、段落の1つを読み上げた。

「『自警団との協力体制が完成した際は、15年を目処に自警団の装備転換を行う。また同時に人員を都雅コーポレーションで採用したものを団員とするように交渉する。最終目標は都雅出身の人財を団長の座に着かせ、都雅コーポレーションに吸収もしくは子会社とする事である』……いいと思わないかい?こうすれば、君やキング君も正々堂々とサイボーグとして働ける。戦闘用サイボーグ義体というのは国内では忌避されている事項だ。だが、警備用サイボーグ義体なら問題はない」

「しかし、この方法ってもはや難しいのではないですか?」嫌な予感がした。自警団への同情という意味で。

「そうだ、難しい。これは何十年も要する計画だ。この島を手に入れれば、いくらでも事業拡大できるのに自警団は常に我々を睨んでいる。非合法の取引でもしたらすぐに逮捕してやろうとね。だから、自警団組織の内側から変えてやろうと思ったんだ。しかし、我々は既に良い情報を得た。君の失敗はもはや成功への道しるべになったんだ。いいかね、報道陣へ、タレ込むんだ。自警団に協力的な社員の1人が不正にJeLMを盗み、それを自警団が回収したとすれば良い。そしてそれを裏社会に流そうとしたとでも嘘をでっち上げればいい。シンプルで分かりやすく、民衆へ自警団が違法な取引をしていると感じさせるように!JeLMに関する内容は幾らでも捏造できる。なにせ本州の警察はすぐには出られない、自警団がその地位にあるからだ。下手に警察が出れば、彼らも責任問題を被る可能性があるからね。その間に自警団を一斉摘発し、団を解散させる。そうなれば自警団の仕事は我々が引き継ぐ事になる。様々な文化や言語に対応できる自前の警備員はこの会社ぐらいにしかいないからね。君達の存在意義も自警団経由で発信すれば君達含む我々みんなが利益を得ることができる」

 彼は高らかに夢を語り出した。いささか無謀で世間知らずな面もあるものの、この男は確実にそのような夢を成功させてきた。一見ふざけた内容でも、彼は困難で狭き道を器用に渡る実力がある。このビルだって彼が十数年前にやると決めたら、老朽化した壊れかけのペンシルビルから瞬く間に星ヶ島の一等地に高層ビルを立ち上げた。その姿を見ると誰も反論できなくなるのだ。彼に続けば必ず、成功する。絶対的な勝ち馬に乗り遅れるな……と。

 脚部のメンテナンスが終わり、ポートからケーブルが抜けた。結果は正常。ここから飛び降りても、この脚はウチを地上まで生かして届けてくれる。熱く夢を語っていた社長も落ち着いていた。彼に手を取られ、立ち上がる。風はもう吹いていなかった。

「俺の夢を叶える為に少しだけ、仕事を任せたい」

 彼の顔は落ち着いていた、既に彼は夢を叶える為に行動していたと分かった。そして、その初めの一歩を自分に賭けられたんだ。断れるわけがない、首をゆっくりと縦に振った。

「ありがとう。くわしい話は明日にする」彼は一言、感謝を述べた。

 彼にエスコートされながら、エレベーターに乗った。帰りの挨拶をした後、彼はスーツの内ポケットから1つのパンフレットを取り出した。その3つ折りのパンフレットには都雅コーポレーションの子会社である医療機器メーカーのロゴが載っていた。それを受け取り、中身を確認すると、心臓がドキリと跳ねたように感じた。ウチの、いやウチらの夢が叶うと強く思った。喉の奥が急に熱くなり、また咽せた。

「君の1つ目の夢は叶えた。そして2つ目の夢も忘れてはいない、これはみんなの夢でもある。事が終わったら、ぜひ被験者になって欲しい」

 太陽の沈み切った暗黒の世界に、月が代わりに世界を照らすように明るく輝いていた。

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