第39話 風と炎

「フィ、リネ……?」


 ヘレンスの声は、風にかき消されてしまいそうなほどに小さかった。


 それでも風をまとった人間には聞こえていたらしい。「驚かせてしまいましたか? そんな意図はなかったのですが……」との返答が聞こえる。


「ちょっと待ってくれ……どうしたんだい? フィリネ……」


 ジュークも困惑しており、何がなんだか分かっていない様子だ。


 自分たちに足止めを任せたアイシャは──この場にはいない。どこに行ってしまったのだろうか。


「わたくしの話もいいですが……そろそろドラゴンが起き上がって来ますよ?」


 その言葉につられて先程ドラゴンが叩きつけられた場所を見ると、確かに体勢を整え、今にも反撃せんと首をもたげている。


 ──しかし、先程よりいくらか、全身が汚れて見えた。叩きつけられたときに砂埃が付着したのか、はたまたフィリネの攻撃によってついた傷なのかは分からない。


 とはいえ、今のヘレンスには、後者であることを祈るしか生存の道は残されていなかったが。


 そんな分析を巡らせているうちに、ドラゴンがしっかりとその自重を支える。そのまま突撃してくるかと思われたが、そんな予想に反してドラゴンは炎を吐く大勢。をとる


「来ますよ! 準備を!」


「「見えてる!」」


 言う通り、二人にもしっかりと、ドラゴンの攻撃は見えていた。――口腔内で更にその熱を高められた――今までとは比べ物にならない熱量を誇る火球が。


 ヘレンスとジュークの二人が同時に回避の行動をとる。だがフィリネはわずかに場所を移動するのみだ。


 よく見ると集中を高めている様子が見受けられる。どうやら風で炎を迎撃しようとしているようだ。


「フィリネ!? そんなところにいたら当たっ――」


「――少し試すだけですので!」


 そんなものは一切安心材料にはならない。そう言いたいところだが、実際のヘレンスは、何も言い返すことは出来なかった。


 言い返せなかった理由はいくらでもある。今のフィリネより自分の方が弱いのに意見して――だとか、風で声がかき消されて――だとか。


 ただ、それよりも。今この場のどんなものよりも強くヘレンスを支配していたのは……今のフィリネなら、何かしでかしてくれるかもしれない。という希望だった。


「そんな、危ないフィリ――」


「思うとおりにやれ! その代わり……お前が死んだら、このパーティの実質のリーダーは俺だ!!」


 まっすぐ目を見据え、かき消されないように声を張り上げ、意思を伝える。たった一言の――死ぬなという願いを。


「…………! フフッ、それはよろしくないですね……。安心してください――私が譲ると決めているリーダーは、勇者様だけですので」


 そう言い残すと、フィリネは炎を止めるために風を集め始めた。


「大気の風よ、我が呼び声に応じ、今こそその姿を現せ。――我が望むは風の壁。炎を弾き、仲間を守る壁よ……我が求めに応じ、顕現せよ!!」

 

 その瞬間、フィリネの前方に、猛烈な風の塊が現れる。少し離れた場所にいるヘレンスたちでさえ、踏ん張っていなければ飛ばされてしまいそうな勢いだ。


 風の壁は、猛然と押し進む炎をかき消さんと、さらにその風力を強める。巨大台風もかくやという風力になったとき、その異変は訪れた。


 すぐそばで見ていては気づかない――しかし離れていたヘレンスたちだからこそ見えた、わずかばかりの差異。


「なぁ、ジューク。フィリネの風の壁、少しずつ上にずれていってないか?」


「どれ……確かに。まずいね。あのままじゃフィリネは下からくる炎に焼かれてしまう」


「――ッ、フィリネ!! 下だァァァァッ!!」


「!? これは……!」


 ヘレンスの声を受けてフィリネが下を確認する。――だが。


 その時にはもう炎は、風の壁を押し上げていた。


「まず――」


「フィリネェェェェ!!」


 邪魔がなくなるのを今か今かと待ちわびた炎が、新入荷所を求めて下から入り込む。そうなってしまえば、フィリネの位置まで炎が広がるのは歴然――。


 一瞬、世界から音が消えた。未だ上方で吹き荒ぶ風の音も、身に襲い来る炎に恐怖する仲間の声も、その仲間を焼き尽くさんとする炎の音も、全部ヘレンスには聞こえなかった。


 聞こえたのは、ただ――――。




「フィリネは……強くなったと見せかけておいて、自然現象も知らないのぉ?」


 人を小馬鹿にしたような、先ほどヘレンスたちに足止めを押し付けた、仲間の声だった。


 その仲間は下方から炎の魔術を使ったかと思うと、ドラゴンが放った炎をだんだんと押し返し……やがては鎮火してしまった。


「アイシャ!? なぜここにいるんです!?」


「いい? フィリネ。とてつもなく強い風ならまだしも、ほぼ拮抗するくらいの風では、炎は吹き飛ばせない。それに――熱を含んだ空気は上に行く。勢いを持つ風じゃなくて、その場に留まる気流として風を使うのなら、これくらいは知っておかなきゃだめだよぉ?」


「そ、それは……浅学でした。申し訳ないです」

 

 普段のアイシャらしからぬ圧を感じてか、フィリネが身を縮こまらせる。


 二人のもとにヘレンスとジュークも合流し、なんだか久しぶりに四人が揃った気がする。――もちろん、それを喜ぶ余裕なんて今はないのだが。


「助かった、アイシャ。ところでアレ。火で火を消してたけど、いったいどうやってやったんだ……?」


「あれは向かい火っていう、それこそ意図的に起こせる自然現象みたいなものだよぉ。火を使って火を消すだけなんだけど……結構難しいから、ぶっつけ本番でやれてよかったよぉ」


 額の汗を手で拭いながら答えるアイシャ。それにヘレンスが言葉を返す前に、アイシャの口が開かれる。


「こうは言ったけど……フィリネ。アタシたちが勝つのにはやっぱりあなたの力が必要だからぁ――四人でやりましょう? 見せてあげましょうよぉ。人間の知恵の力ってやつを」

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