第38話 風のゆくえ

 アイシャは思わず後ずさった。


 理由は単純。目の前の分かたれた風の塊に、恐怖を感じたからである。


 ──とはいえ、それはドラゴンと対峙したときのような、絶望からくるものではない。


 もっと根源的な──種族としての違いを感じさせるような──そんな恐怖だった。


「フィリネがいるかと思ってきたけど……間違いだったかなぁ……」


 後退し、何が出てくるか注意深く見つめながら、アイシャは呟いた。


 風の塊が分かたれてからややあって、アイシャの、緊張とないまぜになった恐怖が最高潮に達したとき。


 ────風から、何かが現れた。


 何かと形容したのは、その存在が全身に風を纏っており、姿を見取ることができなかったからだ。ただ、風でかたどられたシルエットが人型をしていることに、アイシャは少し安心する。


「これは……やるしかないよねぇ……。────ねぇ、そこのあなた。いきなり現れて、何するつもりなのぉ?」


 勇気を振り絞り、普段と変わらない堂々とした立ち振る舞いで問う。


 それに対し風の人(アイシャは脳内でそう呼称することを決めた)は、自身の姿を把握するかのように、手を全身に触れさせている。


 やがて全身の感覚と手で触れた感覚が一致したのだろうか、アイシャの方を見ると、そのまま見つめ続ける。


 ──とはいえ、相対した風の人には、目らしきものこそあれど、人間のような目そのものはなかったので、判別はし難いが。


 十秒弱ほどの時間が経ち、されど場に進展はない。しびれを切らしたアイシャは、得体の知れない存在に恐怖を見透かされないよう声を荒らげた。


「もう一度聞くけどぉ……あなたは何をするつもりぃ……? ──答え次第では、今ここで、あなたを止める」


 杖を構え、ところどころ破けた帽子を被り直し、アイシャは立ちはだかる。


 ところが、目の前の風の人は口らしき箇所をパクパクさせるばかりだ。ところどころ音も聞こえてくるが、何を言おうとしてるのかまでは聞き取れない。


 ややあって何かを把握したように頷いた風の人が、アイシャの方へ一歩、二歩と近づいてくる。


「何をするつもりぃ……? これ以上近づくなら本当に──」


「────安心してください、アイシャ。……少し、離れます」


 それだけ言い残すと、風の人──おそらくアイシャは、自身の足元に風の柱を屹立させ、暴風の勢いそのままに飛び去っていく。


 あとに一人残されたアイシャは、思わずその場にへたり込んだ。風の人は自分の名前も知っていたし、口調もフィリネそのものだ。おそらく風の人とフィリネは、同一人物と見て間違いないだろう。


 ただ、それが分かってなお、アイシャはその場から動けそうになかった。──見た目の差異を差し引いた上で、何かがフィリネと異なっている気がしたからである。


「フィリネ……どうしちゃったんだろうねぇ……」


 ──アイシャは諦めたように一息つくと、未だ続いているドラゴンとの戦闘へと向かった。



     ◇◇◇



「ハァ……ハァ……こりゃ、二人じゃキツイかもな……ジューク……」


「そんなことは最初からわかっているよ……。儂ら二人だけじゃ叶うはずもない。四人でしっかり攻めなければね……」


 吹き飛ばされた箇所から、急いでドラゴンとの戦闘に戻った二人。だが二人は、防戦を強いられていた。


「しっかし……もう5分近く経たねぇか……? アイシャの言葉だと『すぐ戻る。止めてくれ』だったろ?」


「アイシャからのメッセージはその通りだけど、物事は必ずしも順当に行くとは限らないよ。今の儂らみたいにね……」


 ここへ辿り着く前に二人が見たもの。それは、『すぐ戻る。↓を止めろ』と、ドラゴンの上に表示された炎の文字だった。


 恐らく声が届かないために、アイシャが得意とする炎の魔法で意思表示をしたのだろう。ただ、すぐ戻ると言ってここまで帰ってこないということは──。


「俺たちが耐える時間も長くなるってこと……忘れてねぇだろうな」


 ただでさえ四人が二人になったというのに、その二人も今や満身創痍。先程までは一度逃げたときの経験を活かして足止めしていたが、もうそれも通じるか怪しいレベルだ。


 幸いドラゴンの方も、首の傷を気にしてか以前より攻撃は苛烈ではないが……。いずれにせよ、やられるのは時間の問題だった。


「アイシャがどうなっていようと、今の儂らには信じて戦うことしかできないだろう? ──来るぞ!」


 攻撃されることを恐れてか、空を飛んで火球で攻撃してくるドラゴン。お陰で距離が離れているので、いくらか攻撃を避けやすいことも、ここまでの戦闘継続に影響していた。


「クソ! いつまでも空から……あの高さじゃ、弓もしっかり引き絞らないと狙えねぇし……」


 無論、ドラゴン相手に現状その余裕はない。四人全員が揃っているならばまだしも、二人だけでは手の打ちようがなかった。


「そんなことを言っている間に、また来るぞ!」


 ジュークの声に弾かれるようにして見上げると、扇状に放射された炎が、ヘレンスたちの身を焦がさんと襲いかかってくる。


「────助かった!!」


 幸いと言うべきか、炎の横の範囲は広いものの、縦にはそう大きく広がっていない。屈むことでなんとか炎をかわす。


 ──だが。


「嘘だろ?!」


 ヘレンスの目の前にあったのは、こちらに向かって空気を猛然と突き進む火球であった。


 直感的に間に合わないことを悟る。視界の端でこちらを助けようと動くジュークの姿が見えるが、おそらく間に合わないだろう。


「──みんな……ごめんな。俺たちの旅は、お前らが──」


 聞こえているか分からない最期の言葉を残し、衝撃に備えて目を閉じる。




 風を感じた。温かく、包み込まれるような優しさを感じる風だ。


「…………?」


 いつまで経っても、身を焦がすような灼熱は襲ってこない。


 恐る恐る目を開く。開けた視界の先には──。


 風で作られた壁が、炎を吹き飛ばしていた。


「な、なにが……」


 呆気にとられていると、上の方でドゴォン!!! と爆音が轟く。


 そこでは、槍の形を模した風が、飛んでいたドラゴンを地面へと叩き落していた。


「────ヘレンス。その潔さは、美徳でもなんでもありませんよ。わたくしたちの旅は、この四人で続けるものです……!」


 見上げた先にいたのは、フィリネのおもかげを残した──風を纏う、少女だった。

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