第19話 支配者と解放者

 フィリネは──いや、フィリネ達一行は思わず霧の外へ飛び出してしまいそうになった。フィリネ達の姿を隠す防御となっている霧のおかげで、今のフィリネ達は攻撃されていない。そのことを分かっていてもなお、村の人たちに迫っている危険を見逃すことはできなかった。

 しかし、飛び出る直前に、四人は動きを止めた。目の前のトゥリュングスが、更に言葉を続けたからである。


「いつまで経っても食糧生産はままならないし、これといって他に成果を挙げることもない。そんな村をなぜ残しているのかと問われれば、それはひとえにまろが寛大だからに違いないのですよ」


 必要以上に自分を大きく語るトゥリュングスに、周りにいた兵士たちはその通りだとでも言うように頷く。


「──ですから、せめてまろを楽しませる働きくらいはしてくれないと困るのですよ……」


 発される一音一音に村人たちは過剰に反応し、いつ自分たちが攻撃を受けるのか不安で仕方ないようにおびえていた。


「まろとしては、その過程なんてどうでもいいのです。役に立つか、楽しませるか。それ以外で判ずる術を持たないのですから。──ところで、目の前の家に住むお二方」


 その瞬間、二人の体が一層高く跳ね上がった。周囲の村人たちも二人に視線を向けるが、トゥリュングスの機嫌を損ねないためか、暗い顔で俯いているだけだった。

 やがて、二人のうちの男性が沈黙に耐えきれなくなってか声をあげる。


「は、はい! なんでしょう!」


 男の声はひどく歪であった。腹の底の感情を必死に悟られまいとしているような計算された明るさが、その声にはあったのだ。


「突然で申し訳ありませんが、まろの余興に付き合ってはもらえませんか?」


「──私でよろしければ、ぜひとも!」


「殊勝な心掛けです。時に変なことを聞きますが…………自分と家族、一人しか救えないとするのなら、どちらを選びますか?」


 その瞬間、先ほどまで無理やり溌溂とした声を発していた男性の声が途絶えた。

 辺りには沈黙がまき散らされ、男性の顔はどんどん葛藤で歪んでいく。


「おや、答えられませんか? まろの余興に付き合ってくれるのでは?」


 トゥリュングスが問い詰めてもなお、男性は沈黙していた。彼の顔には数瞬ごとに苦渋のしわが刻まれ、だらだらと汗が噴き出していた。


「……答えないのならば、どちらも手にかけることになってしまいますが。まぁ、まろとしてはどちらか一人の方が、その後の表情まで楽しめるので好きなんですけれどもね」


 その言葉に対しても、誰一人として声をあげる人間はいなかった。そのまま時間だけが過ぎてゆき、やがてトゥリュングスが観念したように諸手を挙げて口を開く。


「いやはや…………。そこまで粘られては、まろとしても楽しみづらい。少々苛立っていたので、らしくないことをしてしまったかもしれません。魔物でこそあれ、鬼ではありませんのでね。お詫び申し上げましょう」


 そう言ってトゥリュングスは一礼しようとする。

 ──次の瞬間、異形の魔物はもう一度顔を上げることとなった。しかしそれはトゥリュングス自身の意思によるものではない。よく見ると、先ほどまでトゥリュングスの顔があった位置に、突き上げるようにして矢が放たれていた。


「いい加減にしろよ。お前がそこで奥の女性を殺すのは目に見えてるんだ」


「え……?」


 ヘレンスの声は珍しく怒りで満ちていた。先ほど選ばれていた男性が、なにがなんだかという様子でいるのに対して、トゥリュングスはひどく落ち着いている。


「──何のことでしょう? まろはただこの余興を──」


「とぼけなくていい。お前のやり口を俺は一度見てるからな」


「…………そうですか。それは──残念です。一つ余興が減ってしまった。ところで先ほど弓を放ったあなた。あなたなら、そこの仲間と自分、どちらを生き残らせますか?」


「当然──全員だ」


 その返答が、引き金となった。

 トゥリュングスは足を地面に打ち付け、衝撃を拡散させる。


「まろはそのような答えは求めていないのですよ。そんな事をしては大事なお楽しみがなくなってしまう」


 こいつは、人間の事を何だと思っているのだろう。ふとそんな疑問が、フィリネの頭の中に湧いた。この様子からすると、奴隷かおもちゃ以外の認識がないのだろう。もちろん魔王軍がクシュウ王国を侵略しようとする以上当然なのだろうが……だからといって、引き下がれるはずがなかった。


「そうですか。ならば──わたくしたちは、それを全力で邪魔するだけですね」


「もちろんアタシも、そこの拳闘士サマも、邪魔に加わらせてもらうよォ?」


 そう言うアイシャは既に先ほどの男性を遠くに逃がしており、その方向を塞ぐように立ちはだかる。ジュークもジュークで、既に村の人たちを遠ざけてくれていた。何ともできる仲間たちである。


「……小癪、だなぁ」


 言って、トゥリュングスは一歩こちらに近寄る。取ってつけたような紳士面は、はがれ始めていたのだった。

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