後編・月と星と青い鳥

 十八時から始まる試合に間に合わせるため、フレックス制を活用して十七時に退勤した丹澤課長と仕伏ちゃん(と私。課長に無理やり連れて来られた)。

 電車を乗り継ぎ三十分前にはスタジアムに到着したものの、推しチームのユニフォームを纏う集団の熱気に気圧されてしまった。

「先になにか、食べ物でも買っておきましょうか」

 これまで寡黙を貫き、私と仕伏ちゃんの会話を(羨ましげに)見つめていた丹澤課長がパンと手を叩いて提案した。ようやく緊張が抜けてきたんだろうか。

『緊張? 絹丘、を妙な言葉に置き換えないで』とは私が新人の頃丹澤課長に言われた格言である。そんな彼女がてんやわんや。恋の凄まじさがよくわかる。

「結構いろんな種類があるのね。仕伏さん、なにか食べたいものはあ……る…………?」

 それはあまりにも唐突で、自然で。課長がなんとか呼吸を続けている現状が奇跡に思えた。

(絹丘……私今……何が起きてるの……?)

(仕伏ちゃんに……腕を……組まれてます……!!)

 さまざまなフードが表示されるディスプレイを眺めながら課長が格好つけて奢ろうという、あざとい手練手管を披露しようとした時——なんの脈絡もなく、仕伏ちゃんがぎゅっと、課長の右腕を抱き締めたのだ。そう、腕を組んだなんて表現は生ぬるい。これはもう……ハグ!!

(課長……呼吸、呼吸を忘れないようにしてください……!)

(そんなことしたらシャンプーの香りの多幸感で死ぬわよ!)

(窒息で死ぬよかマシでしょう!!)

「あっ、すみません」

 私達のアイコンタクトに挟まれながら、はたと現状に気づいたらしく、されどさして慌てる素振りもなく仕伏ちゃんは言う。

「人混み……慣れなくて……」

 そんな理由で!? 待って待ってもしかしてこの子天性のジゴロなのでは……??

「かまわないわ。仕伏さんが落ち着くまで、そうしてなさい」

(ぬわぁにが『仕伏さんが落ち着くまで』ですか! このすけべ!)

(だまらっしゃい! ……だまらっしゃいだまらっしゃいだまらっしゃい!!)

(語彙力消失する程嬉しいんですか!?)

(正直、次の瞬間には昇天してるかもしれない)

「ありがとうございます、かちょー」

 とはいえ。確かにここは、仕伏ちゃんの日常とはかけ離れているんだろう。普段、良いトコの猫みたいな仕伏ちゃんが、借りてきた猫みたいになっているのは可愛いけれど可哀想でもある。

 ここは課長の包容力の任せるとしよう。……でも大丈夫かな……これあの……仕伏ちゃんが課長を恋愛対象として見るルートは残されてるのかな……。


×


「それじゃ、私達行くから。気をつけて帰りなさいよ」

「はーい。じゃあ楽しんでね、仕伏ちゃん」

「はい。お疲れ様でした、絹丘さん」

 なんやかんや軽食とアルコールを買い込み、いよいよスタジアムに入る段階になって私はここでお別れ……。大丈夫かな課長……上手くやれるかな……。

「ルールなら任せなさい。予習しておいたから」

(電車でスマホと睨めっこして黙りだったのはそのせいだったんですね)

(ふふ、褒めてもいいわよ絹丘)

(今後絶対やめてくださいね。感じ悪かったですよ、超絶)

(!! そん……な……)

 大丈夫かな……。


×


 スマホで経過を観察しつつ、山下公園や横浜中華街を散歩していればあっという間に試合終了。

 かなりの投手戦になったようで、結局動いた点は最終回のスクイズによって決められたサヨナラの1点だけだった。

 初心者が生で見て面白い試合とは思えない……。それに座席表を確認したところ、課長達の席あんまよくないんだよなぁ。外野手の背中が小さく見えるだけとかじゃなければ良いんだけど……。

『どうせ周辺にいるんでしょ、助けに来なさい。入ったゲートから出るから』

 予想通り、スマホに送られてきた課長からのヘルプ。言われた場所で待機していると、こちらへゆっくり近づいてくる……妙なカタチをした影……!!

 え、えっ!? ちょ、え、そんなことある……?

(ねっ…………寝てるぅぅううううう!?)

(そう、寝てるのよ。ちょっと絹丘、鞄持って)

 まさかのまさか、ゲートから出てきたのは仕伏ちゃんをお姫様抱っこし、両肘に二人分の仕事用鞄をぶら下げた丹澤課長。まるで数々の苦難を乗り越え、眠れる姫を救出した騎士のような面持ちと風貌になってる……!

(どれくらい寝てるんですか……?)

 仕伏ちゃんを起こさないように鞄を預かり問う。二人とも仕事道具がギッシリ詰め込まれているのかかなり重量がある。課長……ナイスガッツです……!

(二回の裏から)

(序盤ですね! 見切りつけるのはやい……!)

(それに点が入りそうだったり入ったりして盛り上がってる時も意に介さずグースピーだったわ……。鼓笛隊もファンもバルーンやらなにやらバンバンやってるのよ!? どうして眠れるの!? すご過ぎない!?)

 私に情熱的なアイコンタクトを送ったあと、クールダウンしながら視線を落とした課長は、その先にある仕伏ちゃんの寝顔を見てうっとりした。

 ……もしキスでもしようとしたら力尽ちからずくでも止めなきゃ……寝込みを襲うとか許されん……!!

「……はぁ……なんて可愛いのかしら」

 すぐに頬が赤く染まり、白々しくそらされる視線。あ、うん。大丈夫そう。課長にそんな度胸あるはずもなかった。

(今なにか失礼なこと考えなかった?)

(いいえ、尊敬の念を抱いただけです)

「んっ…………はれ?」

 課長の滲み出る圧に触発されてか、ようやくお目覚めの眠り姫。だらんと垂らしていた手はすぐさま――無意識だろうけど――課長の首にショルダーバッグの要領で伸ばされ、完璧なカタチのお姫様抱っことなった。

「……すみません、寝ちゃってたみたいです」

「…………いいのよ」

 課長が……このままじゃまずい……なぜなら……仕伏ちゃんの手首(素肌)と課長の首(素肌)が触れ合っているから! 免疫皆無の課長にはあまりにも刺激が強すぎる!!

「疲れて、いたのでしょう?」

 意識が飛ぶか飛ばないかギリギリのライン上でなんとか仕伏ちゃんを配慮してみせるも――

「いえ、そんなに」

「そう」

 さすがは仕伏ちゃん……華麗に流す……!

「なんだかかちょーの隣……落ち着いちゃって」

((!!))

 と思いきや……突然のデレ!? もうやめて……課長が喜び袋はパンパンなの……このままじゃ破裂して気絶しちゃう……!!

「結局全然わかりませんでした、野球」

「まぁ、初めてなら仕方ないんじゃない?」

「そういうものですかね」

「そういうものよ」

 なんとかお喋りを続けながらも、決して至近距離では目を合わせようとしない課長。そしてそれを不思議そうに眺めながら、わざわざ視線を合わせようとする仕伏ちゃん。体内の糖分が結晶化され吐き出してしまいそうになる光景がしばらく続き、「あっ」と零した仕伏ちゃんは言葉を続ける。

「おりますね。ありがとうございました」

「こちらこそ」

「え?」

「じゃなくて、気にしないで」

「はい」

(本音がポロリしちゃってますから! そういうところ気をつけてください!)

(そうね、それは本当にそうね!)

「楽しそう……」

 帰路につくユニフォーム集団の横顔を見ながら呟いた仕伏ちゃん。たしかに今日はこのスタジアムのホームチームが勝ったので上機嫌な人が多い。

「……仕伏さんの中で野球に興味が出たのなら、また来ましょうよ」

 おっ、次のお誘いとは……勇気振り絞りましたね課長。

「はいっ今度はちゃんと予習してきます」

 歩き出しながら快活に答える仕伏ちゃんは嘘やおべっかを使っている様子はない。この二人ならきっと、今日中にでも次の予定を立ててしまうんじゃないだろうか。

「良い心掛けね」

 安心や期待の意が籠もった返答をして、課長も仕伏ちゃんの背中を追う。

 ……なんか、良い雰囲気……? ふふっ、こりゃあもう私の出る幕はなさそうですね。……。

 いいんですいいんです。寂しくなんてないです。私は二人を見守る観葉植物で……。

「なに呆けてるのよ絹丘」

「絹丘さん、来月はいつ空いてますか?」

 パッと。全く同じタイミングでこちらを振り返った二人。月明かりのように綺麗な課長と、星明かりのように可憐な仕伏ちゃん。あぁ、なんてお似合いの二人なんだろう。

 ……というか。

「私も……一緒に行っていいんですか?」

「ダメなわけないでしょう。……あんたがいないと困ることもあるし」

「三人で行ったらきっともっと楽しいです」

 私なんて……省いて除外しちゃってもいいのに……お二方……!!

「うっ……うぅ……明に暗に……サポートしますからぁ!」

「サポート?」

「絹丘……落ち着きなさい」

「式のスピーチは絶対私にぃぃいいい!!」

「式?」

「絹丘ぁぁあ!! それ以上余計なこと言ったら減給よ!!!!」

 慌てふためく課長とは対称的に、何のことかまるで理解していなさそうな仕伏ちゃん。

 うんうん、やっぱり二人の進展には私が必要よね!

 何光年あるかわからない月と星の距離。いつかきっと、この青い鳥が繋いでみせましょう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

超奥手課長と超鈍感ゆとり 燈外町 猶 @Toutoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ