超奥手課長と超鈍感ゆとり

燈外町 猶

前編・猫と犬と青い鳥

 我が社において破竹の丹澤たんざわの名を知らない者はいない。綿密な情報収集と偏執的なまでにこだわり抜いた資料作成、さらにそれらを用いたプレゼンでは大物政治家もかくやと言わしめる演説力で取引先に有無を言わせず首を縦に振らせる。やがてその実力は本社上層部の目にもとまり、三十五歳の若さ、さらに女性では初となる課長職の就任。その美貌や歯に衣着せぬ性格により男性社員からの人気もあるが、比較にならない程、圧倒的大多数の女性社員が丹澤課長にメロメロだ。

 私、絹丘きぬおか愛花まなかもそんな彼女に憧れを持っていた人間の一人。

 しかし、圧倒的大多数の女性社員と違うのは、私は既に丹澤課長に抱いていたパーフェクトヒューマン的幻想を打ち払っている。

 彼女は、今――

「かちょー、ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

「生姜焼きの生姜がとっても効いてて美味しかったです」

「以前……好きだって聞いていたから」

「言ってましたっけ? ナイスですね、過去の私」

「ふふ、そうね」

 ――どこにでもいる、恋する乙女だということを、私は知っている。

「……付いてますか?」

「あぁ、ごめんね仕伏ちゃん、付いてないよ、安心して」

 丹澤課長がついつい熱視線を送り、ついには毎日お弁当を作ってくるまでに至っているお相手は、仕伏ちゃん。去年うちの課に配属された二十五歳のおっとりした性格の常に眠たげな、傍にいるだけでリラックス効果が得られるタイプ。

 私が見つめていたせいで口元になにか付いてるのかもと不安になったらしく、ティッシュでくしくしと拭っている。こういう仕草がいちいち可愛いので課長の気持ちも痛いほどわかる……けれど悲しいかな、仕伏ちゃんときたら! 課長からの数々のアプローチにもまるで響く様子はない。そう、仕伏ちゃんは、まるで猫。呑気でマイペースな白猫。課長は……実直で不器用な、大きい黒犬って感じ?

「ねぇねぇ、仕伏ちゃんって休みの日、なにをしているの?」

 そして私は――幸せの青い鳥! 課長の恋が上手くいくように――そしていずれは課長と仕伏ちゃんがイチャコラしている姿を見られるように――こうした情報収集を欠かさないのだ!

「寝てますね」

「そ、そう。……起きたあとは?」

「ご飯食べて、散歩して、寝てます」

「そう……」

 ものっっっすごい想像できる……。というかこんなに会話弾まないのに不快感ないのもすごいな……こっちまで眠くなってくる……でも……貴重なお昼休み時間を無駄にするわけにはいかない……! 

「あっそうだ」

 なんて、私が歯を食いしばって眠気に耐えていると、突然立ち上がった仕伏ちゃんがトテトテと課長席へと向かい――

「かちょー、野球に興味ありますか?」

 ――なんてことないように問う。

(なん……なんて答えればいいの絹丘!!)

 瞬間、三メートル程離れていてもわかる、私に向けられた丹澤課長の眼光。共に働く歴が長いと、これくらいの会話ならアイコンタクトでも十分成立するのは社会人諸賢ならおわかりいただけるだろう。

 私も視線に意思を込めて課長に助け舟を出した。

(とりあえず『まぁまぁ』と返してお茶を濁しましょう! 趣旨を聞いてからいくらでも方向転換できます!)

(わかったわ!)

「……まぁまぁ、かしらね」

「そう、ですか」

(きぬ……きぬおかぁぁああああああ!! 今仕伏さん『しゅん』ってしなかった!? 私の返答にがっかりしてなかった!?)

(していたような気がしなくもないです!! でも珍しくないですか!? 可愛くなかったですか!?)

(可愛いに決まってるでしょうが……!! 減給するわよ……!!)

(不条理過ぎる……!!!)

「仕伏さんは? 野球、興味あるの?」

「あんまりないんですけど、昨日営業課の人からチケットもらったんです」

((!!))

 追い詰められた課長は、トボトボと席に戻ろうとする仕伏ちゃんになんとか食らいつき会話を繋いだ。ものの……返ってきた内容は、不穏。

(どこの……どいつ……? 仕伏さんに……そんな……露骨なお誘いを……!)

(落ち着いてください課長、今重要なのはそこじゃないです。なぜその話を課長に振ったかですよ!)

(確かに……そうね。助かるわ、絹丘)

(公私ともに課長のサポートをするのは私の仕事ですから)

「その人と、一緒に行くの?」

「いえ。お客さんに配るのが二枚余ったから、よければ誰かと行ってくればって」

((セーーーーーーーフ!!))

「あんまり興味ないんですけど、せっかくなら行ってみようかなって」

「いいじゃない。興味がないもの程、新鮮な面白みを与えてくれるものだわ」

 普段ならお得意先にも向けられることはない、聖母のような微笑みを浮かべて課長は言った。

(ちょ……課長、なぁに言ってるんですか!?)

(えっ? えっ? 今私やらかした? 良い感じの返事してなかった!?)

(もらったチケットは二枚、そして仕伏ちゃんは行く気であり、さらに課長へ野球の興味の有無を確かめた……そこから導き出される答えは……一つじゃないですか!!)

(!!!!!)

「仕伏さん、試合はいつあるの?」

「今日なんです」

((今日!?))

 そうだよね、余ったチケットだもんね! つまり仕事が終わったらその足でスタジアムに行くというわけで、こうなるとデートに向けて綿密な計画を練ることもメイクや服装に気合を込めることもできない……! せっかくの初デートなのに……!! しかし……行かないという選択肢はない……!!

(課長……腹くくりましょう……!)

(誰にもの言ってるの? 破竹の丹澤がこんなことで止まるわけないでしょう?)

 汗ダラッダラですけど!? 歯も足もガックガクですけど!? 仕伏ちゃんにはもちろん、他の社員にも絶対そんな姿見せないでくださいね!?

「あら。今日はちょうど、仕事終わりに野球観戦をしたい気分だったの。もし良ければ、私もご一緒していいかしら」

 どんだけピンポイントな『ちょうど』だ。無理がある! けれど――

「っ。嬉しいです」

 ――この素直さも、仕伏ちゃんの魅力の一つ……!!

「このチケットもらった時、かちょーと一緒に行けたらなぁって思ったんです」

((ッ!!!))

 ちょ、ちょっと照れてる!! あのいつも眠たそうな仕伏ちゃんが軽く頬を染めて口角が若干ニンマリしてる!!

(き、絹丘ぁあぁああ!)

(はい!)

(私にもしものことが起きたら……頼んだわよ)

(念のため、心肺蘇生法を復習しておきます……!!)


×


 そんなわけで後半は仕伏ちゃん&丹澤課長with私(隠密)の野球観戦デート。果たして――

(絹丘……私今……何が起きてるの……?)

(仕伏ちゃんに……腕を……組まれてます……!!)

 ――課長の乙女心は……仕伏ちゃんの無自覚な猛攻に耐えうることができるのか! できないのか!! できないとどうなるのか!!! そこんところ、乞うご期待。

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