第2話 繋ぐ者と魔の獣

それは明らかにまっすぐとこちらに向かってくるようだった。


「…ヤバいな。もう補足されてるみたいだ」

「まさかここで迎え撃つの?」

「いや、いい感じのもあるし俺たちは逃げよう」

そう言って俺はすぐに木々の蔭に入っていこうとしたのだが…


「ぅおい!そうはさせるかー!!!」

芋虫状態の男は状況を理解したのか、とっさに俺のズボンへ噛み付いた。

おかげで俺は一瞬バランスを崩す。

「おい何すんだ馬鹿!」

「おはえあはへいへうおはうふいはほ!!!」

「いや何言ってるかわからんて」

「ちょっとあんた!何もたついてんの!!」

ユカリにどやされてハッとする。

既に気配はすぐそこまで来ていたのだ。


ふと振り返るとそこには、6~7mくらいはありそうな巨大な熊のような怪物が襲い掛かってきていた。

巨大熊はここまで走って勢いのまま、右手(いや右前足と言うべきか?)を振りかざす。

—――あれはヤバい。受けたら死ぬ。

だがこの体勢を崩した状態では回避も間に合わない。

足元の『芋虫』は心中覚悟といった感じで、もはや諦めている様子。

ふざけるな。こんな奴と一緒に死ぬのは御免だ。

僅かでも生存率を高めるために防御の姿勢を試みるものの、こんな程度では結果が変わらないことも目に見えている。

絶望的な状況から諦めかけた次の瞬間、目の前を猛スピードで何かが通った。


「はあぁぁぁあっ!!」

ドゴォン!と鈍い音の先には、ユカリが巨大熊の腕を蹴り上げていた。

完全に勢いに乗っていた巨大熊のパンチは、ユカリの凄まじい蹴りによって軌道を逸らされ俺たちの頭上を掠めていった。


おかげで直撃は免れたが、風圧により俺たちは後方へ吹き飛ばされる。

「どわぁーーー!!?」

何の抵抗もできない芋虫男がごろごろと転がっていくのが横目に映るが、あいつを気にかけてやる余裕は俺にもない。

俺も必死に耐えようとしたが、唐突な出来事に上手く対応できずに後転させられる。

2回転ほどして後頭部を木にぶつけたところで勢いが止まった。

腕や足に軽く擦り傷や切り傷はあれど、ほぼ無傷であのピンチを切り抜けられたのは感謝してもしきれない。


すぐに傷を袖で隠し、よろめきながら立ち上がる俺にユカリはあまり余裕の無さそうな感じで指示を飛ばしてきた。

「そんなところで突っ立ってないでさっさと逃げてくんない!?」

「あぁすまん…。一人で大丈夫か?」

「…」

ユカリは巨大熊の攻撃を華麗にかわしながら一瞬こちらをギっと睨む。

おそらく「いいからさっさと行け」みたいな事だろう。

これ以上彼女の集中力を削ぐわけにもいかないので、俺はそそくさと少し離れた太めの木の蔭に隠れた。

恐らく安全であろう位置から、ユカリと巨大熊との戦闘を見守る事にする。




巨大熊は明らかに俺の方を気にしている様子だが、ユカリが上手く攻撃を入れて追跡を咎めている。

しかし、ユカリと言えどもあの巨大熊を倒し切るのは難しいはずだ。

あの状態の獣…いわゆる『魔獣』はかなり凶暴な上に異常な程のタフさを誇っているため、彼女の攻撃ですら致命傷を与えるのは極めて難しい。

もっと小柄な魔獣であれば何度も倒してきたユカリだが、あれほどの大きさとなると基本は逃げ一択だ。

普通の人間なら3回くらい死ねるようなユカリの攻撃を受けてなお、すぐに反撃を繰り出すようなヤツは、正真正銘の化け物ということだ。




「ちょっと埒が明かないわね…」

しばらく一進一退の攻防を繰り返していたが、ついにユカリから大きな動きがあった。

—――パンと手を叩き、すぐに拳を握りながら両腕を広げ力を込めた。

構えをとった彼女の両腕の先には、炎を纏った拳が激しく燃え盛っている。

「ちょっと本気で行かせてもらうわよ」

ドゥン!

次の瞬間には、ユカリは巨大熊の懐へ入り込んでいた。

あまりの速さにしっかりと凝視していたはずの俺ですら、一瞬何が起きたのか分からないほどだ。

しかし、巨大熊は野性的な瞬発力なのかそんなユカリを瞬時に捉え、左右から両腕で握り潰すかのように振りかざす。


巨大熊の足元へと潜り込み、すでに攻撃可能な範囲にいるように思えた彼女だったが、そこからさらにグンと足を溜めた。

一瞬止まって見えた彼女をチャンスとばかりに巨大熊の両腕が襲ったが、それらが合わさるよりも早くユカリは空中へ飛び出していた。


瞬間、彼女の拳は閃く軌跡を描きながら対象を衝く。

「っしぇぁぁあああー!!!」

ユカリの炎の拳は巨大熊の顎の辺りにねじ込まれ、燃え立つ炎はより強く広がり放たれる。

そのまま拳を振り抜くと巨大熊が大きくのけ反った。

「…すげぇな」

ここまで彼女の戦闘は幾度か見て来たが、俺はまだまだ彼女の強さの底が見えていないような気がしてならない。

本気のユカリが巨大熊に渾身の一撃を与えたことで、形勢は完全にこちらに傾いた


…かと思われたのだが


巨大熊はよろめいた体勢を立て直すと、威嚇するように大きく吠えた。

「ぐぉぉおおおお!!!」

どうやら巨大熊は簡単に倒れてはくれないらしい。

「…やっぱこれくらいじゃ駄目よね」

彼女はすでに感じとっていたのか、すぐあっさりとその場から引き距離を取った。

ユカリのあの一撃でさえも倒せないとなると、やはりまともに戦うべきではないな。


ユカリが巨大熊の気を引いてくれてる今のうちに、俺は次の作戦に切り替えようとしたその時…

背後からすごいスピードで何者かが近づいてきた。

「ぐゎ!」

ぐわんと視界が動く。

腹部に急な圧がかかったかと思えば、気が付くと俺は木の上へと移動させられていた。

「あの嬢ちゃんがやり合ってる間にずらかるぜ!」

「いや、おい!何を勝手に!」

どうやらバンパーのやつが蔓を解き俺を担いで逃げるつもりらしい。

バンパーが木の上から移動を始めると、みるみるうちにユカリと巨大熊がいた広間が遠ざかる。


しかしこれはまずい。ここで彼女を見失ったらもう二度と…。

いやな想像が巡りはじめたところをすぐに無理やり断ち切った。

少なくとも彼女の感知範囲にいるうちには、何か行動を起こさなければならない。

「降ろせ!この野郎!!逃げたきゃ一人で逃げればいいだろ!」

「いんや、お前もつれてくぜ。ただ逃げるだけが目的じゃなくなったからなァ」

「…どういう意味だ?」

へへっと不敵に笑い、バンパーは抱えている右手で俺の体をさする。

ひぃ…男にさすられても気持ち悪いのでやめて欲しい。


「お前、だろ?」

!!!

バンパーの言葉で、俺は一気に肝を冷やした。

「…なんのことだ?」

「しらばっくれるな!オレはもう確信してるんだからよォ」

「………いつ気付いた?」

「もちろん最初は想像もしてなかったぜ。だがよ、てめぇの後頭部の傷見てびっくりしたぜェ」


あぁなるほど。さっき木にぶつけた時か。

後頭部に手を当てて見ると、乾き始めた血が少しだけ付着していた。

腕や足の傷はすぐに気づいて隠したが、後ろは気が付かなかった。

「俺たちゃ普通、血なんて流れねぇからよ。目を疑ったぜェ…へっへへ」

はぁ…。

このことがバレた以上、もうただでは帰してもらえないだろう。

しかし幸い、拉致されている割には体は自由な状態である。

恐らくこいつは、俺が生身であることで完全に油断しているらしい。

大丈夫。まだ付け入る隙はある。




この世界の人たちは皆、肉体の無い『霊体』である。

しかし、いわゆる幽霊のイメージとは少し違い物に触れることもできるし、壁をすり抜けたり空を飛んだりといったことも基本的にできない。

実際バンパーが俺を生身であることにすぐに気づけなかったように、見た目にはほとんど違いがない。

細かな差はいくつがあるのだが、俺と彼らとの最も大きな違いは…

—――


彼らは死なない。

死なないと言っても、ゾンビや吸血鬼とかのような不死身な感じではない。

ダメージを受けすぎたりすれば霊体が保てず消滅することがある。

しかし、たとえ霊体が消滅してもいずれまたこの世界のどこかで甦るという話なのだ。

故に彼らは死に対する恐怖が薄い。

多少の怪我も肉体よりもはるかに早く治る上、飢餓や病気、睡眠不足に関しても基本的には無縁らしい。

ただそれでも、痛みや苦しみはあるらしく、傷を負うことが嫌であることには変わらないのだが。




バンパーからすれば、俺が多少抵抗したところですぐに反撃可能である上、ちょっと痛めつけるだけで簡単に大人しくさせられるとでも思っているのだろう。

実際、俺はこの体さえ無事ならば元の世界に戻れるかもしれないという微かな希望にすがりこの世界を旅しているわけで、何よりも自分の身の安全を第一に考えている。


もしもこの世界で死んでしまった時、俺自身が一体どうなるのか全く予想もつかない…。

それに—――

俺はこの世界で初めて出会った女の子のことを思い出した。

彼女は右も左もわからなかった俺に、この世界のことをたくさんのことを教えてくれた。

食事が必要な体であることを知り、色んな食べ物をくれた。

そして、何度も命の危機を救ってくれた。


もし彼女と出会っていなければ、俺は元の世界に戻る事なんてとっくに諦めていたかもしれない…。

それこそその辺の獣にでも襲われて野垂れ死んでいただろう。

彼女が後押ししてくれているからこそ、俺は希望を捨てず生きることを最後まで諦めまいと心に誓ったのだ。




「いい加減、はなっ…せい!!」

俺は抱えられた体を捻らせると、そのままバンパーの胸あたりに膝を入れる。

「ごほぅ!」

ユカリのような怪力ではないものの、油断している人から逃れるのには十分な攻撃だったようで、俺はそのままバンパーの手から解放された。

しかし当然木の上で無理やり逃れたせいで、俺は3メートル近い高さから落とされる。

着地した足はジンとした痛みが駆け巡った。

が、すぐに転がり受け身を取ったことで痛みはほとんど最小限で済んだと思う。

大丈夫だ、すぐに動ける。


「チッ、暴れてくれやがって。あんまり手こずらせるんなら手足の一本くらい追ってやってもいいんだぜ?」

「…」

「さ、痛めつけられたくなかったら大人しく捕まってくれよなァ~」

「…いやだと言ったら?」

「ハッ!抵抗したって無駄だと思うぜ?生身の人間がオレ様を相手にしてどうにかなるとは思えねェ」

「どうしてそんなこと言いきれるんだ?そもそもお前はさっきのユカリとの戦いでかなりダメージを負ってるだろ。まだそれほど回復もできてないはずだ」

「確かに俺は万全とは言えねェが、それでも普通の人間相手に後れを取るほど弱っちゃいねぜ」


バンパーと会話をしつつ、俺は周囲の状況を何度も確認した。

木々が多く暗いため、あまり遠くは視認できない。

仕方ない…アレを使ってみるか。

俺は神経を集中させ、体内のマナを薄ーく伸ばし周囲に飛ばすイメージで…。

ピィーン。

一瞬だが、辺りの情報が一気に脳へと流れ込むように感じて取れる。

木の位置、草の長さ、相手との距離、そして生き物の反応。

…!!!

見つけた。

俺が感じ取れるギリギリの範囲だが、微かに二つの大きな生き物の反応がある。

間違いない。彼女はちゃんと追って来てくれているようだ。


おそらく彼女も俺の位置を把握しながら、あの熊の魔獣がこちらに来ないようつかず離れずの攻防を繰り返しゆっくり近づいているようだ。

「どうしたあんちゃん?自分の状況をちょっとは呑み込み始めたかァ?」

「…あぁそうだな」

「ハッ!ならおとなしくついて来てくれよな。お前のことはなるべく傷つけたくはないが、いざとなれば別に死体でも問題ないだろうしよォ」


「残念だが、俺もただでやられるつもりもないんでね。今そっちの方から、さっきの魔獣がこっちに向かって来てるみたいだし、ここで一緒に散ることになりそうだな」

「な!?さっきのやつか?てか何でそんなことが分かる?」

「音だよ。お前は聞こえないか?立ってると分かりにくいのかもな」

「ちっ!んなことはどうでもいい!さっさと逃げるぞ!!」

「やなこった」

「てんめぇ…!」

ふざけんじゃねぇと俺を捕まえようとしたバンパーが、ハッと何かに気付いたように後ろを向く。

微かにだが、何か地響きのようなものを俺も感じ取った。




今だ。もうここで決めるしかない。

俺は腹を括り、意識を指先に集中させる。

人差し指と中指を束ねた先はじんわりと光を放ち始め、鈍色にびいろを帯びた光のインクで空中に円を描く。

一周して、人より一回り低いくらいの大きな輪を完成させると、その光の輪は鈍色から白く強い輝きへと変化する。

光で気がついたのか、ここでバンパーがこちらを振り返った。

「…おいお前…一体何してるんだ?」

バンパーが戸惑いの表情を見せている間に、俺は先ほど作った『光の輪』へ手をかざした。

すると、輪の内側である円盤部分が光ると共に、螺旋状の黒い線が浮かび上がる。

螺旋はすぐに周るように円盤内を埋め尽くし、やがて円盤はとなった。


「ケイヤお前まさか…ネクラなんとかってやつだったのか!?」

魔死者ネクロスな。

「ちくしょう!生身でも能力が使えるなんて聞いてないぜ!??」

やはりこいつはいろいろと油断しすぎだな。

そもそも生身の人間がここにいること自体がイレギュラーなのだ。それについて何の情報もないくせに、勝手に何もできないなんて決めつけはするべきじゃない。

長たらしくアドバイスしてやる気もないので、俺はこの気持ちを一言に込めてやることにした。

「ふふっ…お前が馬鹿で助かったぜ」

「…あぁん?んだとてめぇ!!」

ビュウン!

バンパーがキレて突撃してきた。

あ、やっぱりバカだなこいつ…。


俺の作った真っ黒な穴…俺はこの魔法スペルを『クローズドサークル』と呼んでいるが、これが一体どんなものなのかもわからずに正面から仕掛けて来るなんて迂闊すぎる。

まぁしかし、奇跡的にその選択は俺にとって一番やっかいな行動でもあったりするのだが…。


その時だった。

俺のクローズドサークルのゲートからが飛び出してきた。

「な!?なんだ!!?」

びっくりしているバンパーの目の前に現れたその人は、瞬時に状況を把握したのか、はたまた反射的な行動なのか、突進していたやつの顔面へ飛び膝蹴りをかましていた。

ドグシャァ!

「あぎゃぁあ!!!」

自身が勢いに乗っていたことも相まって、なかなかにえぐい音を立てながらバンパーの顔が潰れた。

そのまま肩を踏み台にし彼女はバンパーの後方へと跳んでいく。

「びっくりしたじゃない」

そう、ゲートから出てきたのは他でもない、ユカリだった。

「助かった。あの魔獣はどうなった?」

「いるわよ。そっちに」

そう言って彼女はゲートを指さす。

どうやら単にこちらへ逃げ込んできただけらしい。

この大きさではあの巨体は通れないし、一応ゲート側は安全だろう。




さてと。

ユカリとの再会に安堵する前に、もう一つやることがある。

「もう一度なるべく遠くにゲートを作るからそこから逃げるぞ」

「いいけどこいつは?」

ユカリが顔の潰れた男を指さす。

「気絶してるし放っておいて大丈夫だろう。どうせすぐに魔獣が来て食われるさ」

俺は話しながらもう一度ゲートを作った。

今度はとにかく遠く、俺が作れる一番ギリギリの場所へと繋がるように。


そうこうしていると、熊の魔獣が木々の隙間から見え始める。

「じゃ。熊さんと仲良く…ねっ!」

言いながら雑に掴んだ胸ぐらを振りかざし、バンパーを魔獣の方へと投げ飛ばす。

そして、俺たちはそのままゲートを潜り森のどこかへと退避したのだった。




「これでひとまず安心だな」

「ちょっとなに自分が仕事した感出してるのよ」

「…」

退避早々、小言タイムが始まってしまった。

「あんたがあいつにさらわれてる間、私はあの熊と戦い続けて大変だったんだからね?」

「…はい」

「そもそもあんたがさっさと逃げてれば戦わずに済んだ話で…」

「わかったわかった。すまなかった。逃げきれなくてごめんなさい」

「何よそれ…。謝ればいいってもんでもないでしょ?何かあって一番困るはあんたなんだからね!」

じゃあどうしろって言うんだ…。

俺だってバンパーの奴に狙われるなんて想定外だったんだが。

しかし、これ以上彼女を怒らせると厄介なのでこの反論はグッと抑え込む。


「…とにかく無事で良かったよ。ありがとう。」

そう言うと、ユカリはふんっと顔を逸らしながら方向転換し歩き始めた。

言いたいことは言い切ったのか、どうやら気が済んだらしい。

俺が最後の難所をクリアしてほっと胸をなで下ろしていると、ユカリがこちらを振り返り声をかけてきた。

「ほらさっさと行くわよ!まだまだ先は長いんだから」

「ま、待ってくれって今行くから」

そうして俺は彼女の後ろを早足で追いかける。


元の世界へと帰る方法を探し求めて―――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る