第1話 灯す者と速き者

目が覚めると、少し離れたところでユカリが焚火の前で装備の手入れをしていた。

装備と言っても、彼女はあまり長物を振り回すタイプではなく、どちらかと言えば拳を叩きつけるのを主力としている。

一応、状況次第で使うかもしれないと短刀を携帯している程度だ。

俺が体を起こしたことに気付いたようだが、こちらも見ずに「ようやく起きたのね」と呆れたように言い放つ。

「あぁ、おはよう…」

「じゃ、さっさと行くわよ」

「…はいはい」

ユカリが急かすので、俺は手早く寝袋と荷物をまとめて洞穴を出た。


洞穴の外は木が生い茂っており、明かりが無いと不安になるレベルには薄暗い。

を頼りに、俺たちは森を進み始める。


「そろそろこの景色にも飽きて来たわ」

「そうだな。右も左も木ばかりで参っちまう」

「いっそ全部燃やしてやろうかしら?」

そう言ってユカリは手元の火を少し大きくしてみせた。


説明しよう!彼女は不思議なな力で火を操ることができる力があるのだ!

まぁとはいえ体が流動する「火そのもの」になるとか、無尽蔵に出せるとかそういうわけではないのだが、なんにせよ普通の人間には十分すぎるほどの強力な力には違いない。

もはや敵なしとも言える強さおかげでここまでの旅で幾度となく彼女には助けられてきてきた。

そんな彼女が言うこの森を燃やすという話もあながち冗談でもないよう気がしてしまう。


「ま、まぁ食料に困らないのはありがたいし、それに何もないよりはマシだから…」

冗談よ。と彼女はすっと火を引っ込めると同時に彼女の歩みが止まった。

「どうした?まさかほんとに…」

「…静かに。誰かいるわ」

その言葉に、俺はすぐに自分の置かれているだろう危機を察知する。


存在に気づいたことを相手に気取られぬよう、歩みを続けながら小声で言葉を返す。

「何人だ?」

「おそらく一人ね。少なくとも近くにいるのは」

「…魔死者ネクロスか?」

「さぁ?だけど敵であることに間違いはないわね」

「というと?」

「一定の距離を保ってこちらの様子を探り続けてるし、何より殺気が隠しきれてないわ」

おそらく魔死者ネクロス—――『特殊な能力を使う者』が俺たちを狙っているのだろう。

狙っていると言っても、まだに気付いたわけではないのだろうが、何が目的かもわからないし警戒することに変わらないのだが。

「どうする?走って振り切るか?」

「たぶん、大したことないやつだから私はどっちでもいいわ」

この視界の悪い森の中なら、戦闘を回避して撒くことも可能だろう。

ユカリはいつでも来いと言わんばかりに、腕を上げて伸びをすることで隙があるような素振りを見せる。

もしユカリのについて確認しているのであれば、迂闊に襲ってくるようなことはしなさそうだが、、しかしこちらもずっと警戒し続けるのも面倒なわけで、どうにかこの状況は打破せねばならない。


俺は改めて小声でユカリに確認する。

「どうだ?敵に動きはあるか?」

「いや、まだないわね」

「そうか。だがこのまま後を付けられ続けても面倒だ。ここらで迎え撃たなきゃな」

ちょうど俺たちは森の中でも、比較的開けた空間に出ていた。

ここならユカリも戦いやすいだろうし、向こうも俺ら二人以外を警戒する必要もないはずだ。

「おい!!誰だか知らないが、いつまで跡をつけるつもりだ?いい加減出て来いよ!」

あらかじめユカリに聞いていた敵の気配の方に向かい、さすがに聞こえるだろう大きな声で呼びかける。

一瞬の静けさの後、木の陰から一人の男が姿を現した。


男はやや小柄で、見たところ若い青年くらいの容貌だが、服はボロボロで小汚く、かなり軽装な身なりをしている。

ニヤニヤと笑う口からは、鋭く尖った犬歯が見え隠れしているのが印象的な男は、出てきた木に背を預けた姿勢で話を始めた。

「オレのことに気付いてやがったのか。やるじゃねぇか。お前の能力か何かか?」


能力。その聞き方はつまり、魔法スペルを使える存在である魔死者ネクロスの存在を知っているということだ。

こんな森に一人でいることを考えても、十中八九彼が魔死者ネクロスであることは間違いないだろう。

当然彼の質問には答える義理もないので、逆にこちらも質問をぶつけてみる。


「お前はいったい何者だ?なぜ俺たちをつけている?」

「へっ!俺の質問には答える気はねェってか。まぁいいぜ」

男はこちらの一方的な質問にも、なぜか寛容的な対応だ。

「オレは『バンパー』ってんだ。特別な身分なんてものは当然ねェ。ただの風来坊って感じだな」

「それで?その風来坊のバンパーさんが俺たちに何の用なんだ?」

それを聞いた途端、バンパーは不敵な笑みを浮かべる。

「…そうだな。何でお前たちをつけていたかだが…」

男の視線はしかと、俺の横にいるユカリへと向けられる。

「そこの女を殺るためだよ…!!」

「…!!」

バンパーはすぐに姿勢を低くとったかと思うと、その場からシュンッと移動する。

…速い!?

突如始まった戦闘に、俺はすぐに身動きが取れなかった。


「逃げて!!」

ユカリの声にハッとする。

そして、後ろからユカリに強く引っ張られた俺は、後方へ派手に転がっていった。

「痛ってぇ…」

転がった際に激しく後頭部を打ったため少し頭がくらくらする。が、しかし今は休んではいられない。

すぐに自分がいた…あるいはユカリがいる方向を視認すると、すでに戦闘は始まっていた。

「ヘヘッ。やるじゃねェか嬢ちゃん」

「…」

見ると、バンパーの手には小型のナイフ、ダガーなどと呼ばれるようなものを持っており、数メートル引いた位置で構えている。

そして…

「おい!ユカリ大丈夫か!!」

ユカリの左手からはのようなものが立ち上がっている。

「大丈夫よ。ちょっと手のひらを切られただけ」

「まだやれそうか?」

彼女は笑い飛ばすようにふんと鼻を鳴らす。

「あたりまえよ。全っっっ然余裕だわ」

やや強がっていないか心配だが、ここは一旦彼女の言うことを信じよう。

俺は少し下がって、太めの木の裏へと身を隠し、二人の様子を見ることにした。


「あの一瞬であの男をかばいながら、俺のナイフに気付いて最小限のダメージで体勢を立て直すとはなァ」

「あんたこそよく引いたじゃない。もうちょっとで一発お見舞いしてあげたのに」

「ダテに死線を潜り抜けちゃいねェのさ」

「へぇ…」

ユカリは会話しながら、一瞬こちらに視線を送ってくる。

何かを確認したのだろうが俺には本意が分からない。とりあえずユカリの判断に任せるということと、こちらは大丈夫だという意味で頷いておく。

俺のサインを確認して満足したのか、ユカリはバンパーに視線を戻す。

「じゃあ、わよね」

「おいおい嬢ちゃん。随分とナめたこと言うじゃあねェか」

「あら。もしかして、この程度の傷をつけただけで自分方が強いと思っちゃったかしら?」

「俺のスピードならお前が火ぃ出そうが簡単に避けられるんだぜ?こっちの一方的な攻撃にいつまで耐えられるかってんだよぉ!!」


バンパーが動いた。

なかり素早い。もはや目で追うのは困難極まれるスピードで、広場を縦横無尽に駆け巡る。

確かに、普通の人があのスピードで接近されたら、まともに反応しきる前に攻撃を受けてしまい一方的な展開になるだろうと容易に想像がつく。

しかし…

同時に俺はこの様子を見てユカリ一人で問題ないことを確信した。

「さァて!この俺を捉えられるかなー?」

バンパーはただ地を走るだけでなく、時々木を使って上にも行くことで動きに緩急をつけてくる。

広場のほぼ中心に位置するユカリの周りを何度も往復し、バンパーは攻撃のタイミングを見計らっているようだが、その間もユカリはその場から動くこともなく自身の構えをとって集中している。

「どうした嬢ちゃん!びびって動けねぇかァ?」

バンパーは挑発をかましながら、ユカリの左後方から接近し攻撃を仕掛けた。

手に構えたナイフを前へ突き出し、ユカリの後頭部…いや首元だろうか。的確に急所を狙ってくる。


ヒュウンッ!

次の瞬間には、バンパーの伸びきった腕の先から空気を切る音を放つだけが鳴る。

それはつまりナイフが完全に対象を捉えられなかったことを表していた。

「な…!?」

驚くバンパーはそのまま体ごと地面に向かっていくが、ギリギリでなんとか受け身を取りでんぐり返しのように転がることで体勢を立て直す。


が、しかし…

このチャンスをユカリは逃さない。

バンパーの一撃をステップ一つで軽々と躱したことで、体勢的にかなり優位な状況を作り出していた。

バンパーが受け身を取っている間、ユカリはしっかりと腰を入れ右手に力を籠める。

右腕は淡く鈍い光に包まれゆき、客観的に見てもかなり危険な雰囲気を漂わせている。

体勢を立て直すバンパーはユカリの腕を見て恐れとも驚きともとれるような声を上げる。

「おい、ちょ!なんだそれ!?どうなってやがる!!!」

「さぁ?どうなってるのかしらね」

ドゴゥン!!!

轟音と共にユカリの拳は地面をえぐり、辺りに石や土が飛び散らせていた。


やったか?と、お約束ののセリフが過り、慌てて頭から振り払うが、時すでに遅し。

土煙の隙間から素早く動く影が見えたことで、俺はまだ終わっていないことを察知する。

どうやらギリギリでバンパーの素早い移動が間に合ったようだ。

「まったく。逃げてばかりでめんどくさいやつね」

「うるせー!これが俺の戦い方なんだよぉ!!」

すぐさまバンパーはユカリに切りかかる。

ユカリの真左の方向から現れたバンパーは、こんどは大きくナイフを振りかぶってきた。

どうやら一撃で大きくダメージを与えることよりも、確実に削る動きに変えてきたらしい。


だがしかし、ナイフはユカリへ到達することなく停止させられた。

「がぁ!?いでででっ!!」

「ようやく捕まえたわよ」

あえて一歩踏みこんだユカリは、バンパーの手を掴みナイフを落とさせるとそのまま、パキンッと足で踏み潰し刃を折った。

「これでナイフは使えないわね」


勝負あったかと思った矢先、バンパーの掴まれていない左手にもう一本のナイフが握られていたのだった。

「危ない!」

俺はとっさに叫んだのだが、体勢的にユカリが攻撃を避けるのは難しい。

「油断したなァ!嬢ちゃん!!!」

ザンッ!!

ナイフはユカリの腹部へ目がけて衝きつきたてられていった。

「まさか二本目があるとは思わなかったか?ハッハッハァ!奥の手は残しておくモンだぜ?」


ユカリはその場に座り込み、バンパーは数歩後ろへ数歩下がりつつ上機嫌に勝ち誇っている。

「かーはっはぁ!!最高の気分だぜぇ…!これほどオレを楽しませてくれて女はアンタが初めてだ」

ユカリは座ったままうつむいており、聞いているのかいないのか分からない状態だ。


「しかし、一つ残念でもある…。お前が火を出す力を最後まで出し惜しみしちまってたことがよぉ…。最初から全力で戦っていればもっと楽しめただろうになァー…」


するとユカリがじわじわと震えだした。

「お?どうした嬢ちゃん寒くなってきたか?霊体でもマナを多く失うと色んな症状が出たりするからなァ…」

「えぇ。そうらしいわね」

すくっとユカリが立ち上がる。


「あははははは!さっきから笑いこらえるのが大変だったわ」

「お前、腹を刺されてまだそんな…」

「いやいや、よく見なさいよ」

ユカリは腹部が見えるように少し服を捲って見せる。

女性にしてはかなり引き締まった腹筋とキレイなおへそが見えたが、そこには傷一つなかった。


「ばっ…ばかな!!?」

「奥の手はとっておくってのは賛成だけどね。あんたのはちょっと単純すぎるんじゃないかしら?」

言いながら、ユカリは種明かしと言わんばかりにどこからともなく短刀を取り出す。

そして彼女の手にはもう一つ…

手には見覚えのあるダガーナイフが握られたがあった。


「…!!!」

バンパーは慌てて自分の体を確認して青ざめた。

彼の左手の先にあるはずのそれはきれいさっぱり切断されていたのだった。

「ぐわあああ!!!!!」

「今頃痛みに気付いたのね。あどれなりん?ってやつかしら」

「て、テメェよくも…!」

「あら、まだやる気?奥の手も使ったのに懲りないのね」

バンパーは怒りに満ちた表情でユカリを睨むとすぐに動き出した。


またも自慢のスピードを活かしてこちらの死角を突くつもりなのだろうが、ヤツはまだ肝心なことに気付いていない。

最初から、ユカリはしっかりとという事実に。


ユカリはすでにほとんど消えかかった手首を捨て短刀をしまうと、今度は自ら動き出した。

それはスピード自慢のバンパーとほぼ互角と言っていい速度で、ヤツの動きを正確に追っていく。

「捕まえたわよ」


背後を取られたバンパーはあまりにも予想外な事態に、驚愕の表情を浮かべたまま声を発することもできずにいる。

「そういえば、あんた私の炎の魔法スペル見たがってたわね」


振り向くバンパー。しかし、すでに彼はもう抵抗の余地が無いことを悟っているのか、口をパクパクさせるだけだ。

ユカリの手には炎が灯り、ただでさえ強力だった拳がより一層大きく脅威となって見える。

「はぁあ!!!」

ぼごぉ!!

ユカリの拳はバンパーの脇へとボディブローのように深く突き刺さり、彼の体は横方向版くの字な感じで折れ曲がる。

同時に体は一瞬炎に包まれるが、吹き飛んだ勢いで火はすぐに鎮火する。

バンパーの体は何度も地面にバウンドを繰り返すように転がり、やがて十数メートル先の太い幹に激突し停止した。




「さて、いろいろと質問に答えてもらおうか」

俺たちは意識の無かったバンパーをその辺の植物の蔓を使い手足を縛りあげ、丸太に腰掛けて休息を取りながら彼が起きるのを待っていた。

「あー…オレはどうなったんだ?」

かなりの衝撃で気絶していたせいか、やや混乱しているようだ。

「ユカリにぶっ飛ばされて気絶してただけだ。手首は一応手当てしといたから、漏出はしないはずだ」

バンパーは首だけ動かして自分の体を確認する。

思い出してきたのか、状況を把握した様子で軽く笑いながら口を開いた。


「で、オレから何を聞きてぇんだ?大したことは話せねぇと思うが」

「まずは俺たちを襲った理由だ。何か目的があったんじゃいのか?」

「……女を殺るのが趣味なだけだ」

は?なんだその苦しい言い訳みたいなのは。


「あぁ~思い出しただけで興奮してくるぜェ~。嬢ちゃんの真っ赤で綺麗な髪を切り刻んで、怒りと恐怖の入り混じった悲鳴を聞きたかったんだがなァ…」

「うゎ…」

隣で聞いてたユカリから思わず漏れた声は、あからさまにドン引きしているようだった。

「…ほんとにそれだけか?」

「あぁ、ここじゃ人殺しや犯罪を取り締まるような面倒は無ぇからな。まさに自由の世界ってやつさ!」


バンパーが高笑いする。

まるで勝ち誇ているようだが、体勢は完全に敗者のそれなのであまり格好はついていない。

しかし、それは逆に不気味さを醸し出していると言えるかもしれない。

「まぁいい…。そういう狂人じみた理由が聞きたかったわけじゃあないし」

「だろうなァ!ハハハッ!」

恐らくヤツ自身も俺が求めているような回答ではないことをわかっていて、あえてああ答えたのだろう。


「で、もう一つ聞きたいんだが…」

「おうよ、何でも聞きな!」

「お前の魔法スペルは俊足か?どうやって魔死者ネクロスになった?」

魔死者ネクロス?あーまぁたしかに足が世界一速くなるのが俺の能力だぜ。だがどうやってって言われてもねェ…」

バンパーはわざとらしく「うーん」と言いながら考える、というか思い出すようなそぶりを見せる。

「分からねェな。何かきっかけがあるとしたら、ただただ必死にもがいてたのが理由っちゃ理由かもなー」

どうやら彼も自然と力を身に着けたタイプのようだ。


「なるほど。特に誰かに教えられたわけではないということだな?」

「あぁそうだ…ってどういうことだ?それ。まさかこの力を誰かに教えたり与えたりなんてことができるのか!?」

「さあな。俺もそれが知りたくて聞いただけだ」

俺はそれだけ伝えると立ち上がった。

「おい?アンタまさかこのまま置いていかねぇよな?」

「え、いや俺たちはもう行くが…」

「いやいやいやいや!!俺動けないよ?縛られてるよ?ぐるぐる巻きにされちゃってるんだよ?」

バンパーは必死に俺たちへ抗議してきたが、それはユカリの一言でかき消された。


「ケイヤ!何か来るわ!!」

声と共に感じるドシンドシンという原因不明の地響き。

いや、しかしながら俺は、その未知の原因に心当たりがある。

「魔獣か!?」

「えぇたぶん。早く逃げるわよ!」

ユカリが迷いなく逃げる判断を促す。

それはつまり、であるということだ。


魔獣はこの世界にときどき出没する危険な生物である。

姿は基本何かしらの動物や昆虫などの生き物を模しているが、しかしながら大きさは元の生き物とは全く似ても似つかないことがほとんどだ。

大きく狂暴で、生命力が強く頑丈でタフ。おまけにある程度の知能もあるのか、なかなか狡猾な動きを見せることもしばしばある。

故にこの世界の人々は、基本彼らが好む暗い森や洞窟などを避け、明るく開けた土地で生活するようになったのだという。



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