03



 あいつがいつ顔を出したかはきちんと覚えている。俺はこう見えても記憶力抜群なんだ。

 俺はいつもの場所で折り畳み椅子に腰を下ろして街の喧騒を眺めていた。行き交う奴らの中には俺に頭を下げていく奴も多い。俺もきちんと挨拶は忘れない。

 改札を抜けて外に出ると地下鉄への降り口がある。俺はその裏側の壁を定位置にしている。

 話しかけてくるのは学生と年寄りが多い。気軽な挨拶を交わすのは、そんな連中だ。なにをもって調子に乗っているのかは理解出来ないが、みっともない姿勢で歩く若者は俺の側には近づかない。興味本位で近づくと痛い目に遭うことを身体が知っているんだよ。でっかい態度を取る奴は、大抵中身は小ちゃいんだ。

 あいつは少し変わったタイプだった。俺のところにやってくるには少し普通過ぎたんだ。学生や年寄りのノリでやってくる中年は初めてだった。勘違いした若者がそのまま年を重ねるとこうなるのか? そうも感じたけれど、やはり少し違う雰囲気を纏っていたんだ。

 今日も暑いね! まだ六月だっていうのに参っちゃうよ。

 そう言いながらあいつは俺の隣に腰を下ろした。そこには椅子なんてない。あいつは地べたにお尻をつけ、何気なく胡座をかいた。

 おぉー、スッゲーなぁー。

 心の声が漏れることは意外と多い。

 俺が椅子に座っているのには二つの理由がある。一つはこの椅子をプレゼントされたからだ。聞き屋を始めて数ヶ月後に交番の警官から寄付された。俺は警察の犬になることが稀にある。

 もう一つは、胡座がかけないからだ。俺は右足の股関節が硬く、胡座をかこうとしてもどうしても片膝が立ってしまう。なんだかカッコつけているみたいになるのがイヤなんだよ。海外の映画でよく見る若者のようだ。俺はそういうのには全く影響を受けていない。髪を伸ばしただけでどこぞのアイドルの影響でしょとか言われたりもする。髭を伸ばしても髪を染めてもそうだよ。ハリウッド俳優の名前で呼ばれたりもするんだ。

 胡座をかける奴が羨ましい。しかも街中で、それも極自然と馴染んでいる。あいつを横目で笑う奴は一人もいなかった。椅子を貰う前の俺は、そんな冷たい視線を幾度となく浴びていたんだ。

 まぁ、それもこの街に馴染む以前の話だけれどな。

 あいつとの会話はまるで女子高生と話しているようだった。思いついたことをただ口しているだけだ。考えるってことを全くしない。

 その後の発言を聞いて思うのは、こっちが本当に近かったんじゃないかってことだ。あいつは複雑な家庭環境で育ち、心が不安定な状態だったんだよ。

 結局はその家庭環境と不安定な心を利用されてしまうことになった。

 俺がしたことは正しかったのか?

 正解は分からない。ただ一つ分かっていることは、世界中を悲しみで包んだ原因は俺にあるのかも知れないってことだ。

 ペラペラとよく喋るあいつだったけれど、その瞳の奥が濁っていたことに気がついたのはその発言があったときだ。底抜けに輝いている女子高生とは大違いだったんだよ。

 まぁ、俺の所にはそんな輩も多くやって来る。というか依頼者はみんなそうだと言っても過言ではない。ただの暇潰しや世話焼きとはその眼差しから違っている。

 つまりは俺のところにやって来るのは二種類ってわけだ。お喋り好きとトラブル持ち。

 あいつは初めお喋り好きとして近づいてきた。けれど本心は違っていた。そんな体験は初めてだったよ。当然、お喋り好きを装って来るトラブル持ちもいるけれど、俺から見ればその装いはバレバレだった。目の奥の濁りは誤魔化せない。その筈だったんだ。

 それはあいつの複雑な家庭環境に起因していたんだけれど、俺はそこに気がつけなかった。まだまだ未熟だってことだ。

 それでもまぁ、一応事件は解決している。俺があいつと再会することはないだろうが、あいつは救われたって信じたい。

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