恋の終わり

 あの電話の日から暫く経って、私達の関係は変わったのだろうか?

 あれから莉子りこ姉さんは一度もうちに来ていない。

 柳一郎りゅういちろうさんと莉子りこ姉さんがどうなったのかは私にはわからない。

 柳一郎りゅういちろうさんに話を聞こうにも、改めて自分の気持ちを自覚したら柳一郎りゅういちろうさんの事を意識してしまって聞けない。

玲香れいかさんに言われたことを今になって実感するとは思わなかったなあ」


 その玲香れいかさんも柳一郎りゅういちろうさんとは連絡が取れていないらしい。彼女も合えない事を不安に思っている。

 そんな日が一週間ほど過ぎた頃、私はリビングでじっと柳一郎りゅういちろうさんを待っていた。食事は私の作ったものを食べていたし、お義母かあさん達が帰ってくるまでの間に食事を済ませていると想定して待っている。


 それなのに今日に限って柳一郎りゅういちろうさんは部屋から降りてこない。そのうちにお義母かあさんが帰ってきた。

「ただいまぁ」

 普段なら常夜灯だけになっているはずのリビングの明かりがついていた事でお義母かあさんが帰宅を告げてきた。

「お帰りなさい、お義母かあさん」

優璃ゆりだけ?柳一郎りゅういちろうは?」

「部屋から、出て来ないんです……」


「仕方のない子ね。何があったか話してくれる優璃ゆり

「はい、実は———」

 私は、知っている限りの事をお義母かあさんに伝えた。本当は伝えるべきじゃないのかもしれない、けどこのまま柳一郎りゅういちろうさんが部屋に篭ったままになるのも嫌だった。完全に私のエゴを押し付けようとしている。それでも、どうすれば良いのか分からなくなっていた。


 私の話を聞いた後、お義母かあさんは「どうするにしろあの子の判断よ。莉子りこちゃんと無理に結婚する必要もないわ。でも」そう言ってリビングから出て行った。

 取り残された私の耳に「こらっ!柳一郎りゅういちろう。開けなさい!」というお義母かあさんの声が飛び込んできた。


 その後、お義母かあさんと柳一郎りゅういちろうさんの間でどんな話があったのかは分からない。けど、柳一郎りゅういちろうさんの意思で独り暮らしをする事になった。当然、私は反対した。けれど、「あの子も頑固なところがあるから気の済む様にさせてみるわ。会社の寮に空きがあるから無理を言ってみるわ」というお義母さんの言葉に渋々頷いた。

優璃ゆり莉子りこちゃんのフォローをしてあげて、二人とも意地を張ってるだけだと思うから、ね」

 私の気持ちを知らないお義母さんはそう言うけれど、私はどうすればいいの。


 部屋に戻った私は「これで最後にする。もう二人の事は関係ない」そう口にして莉子りこ姉さんに『柳一郎りゅういちろうさんが家を出て行きます』とメッセージを送信した。

 そのメッセージに返信が来る事は無かった。


◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆


 その週末、本当に柳一郎りゅういちろうさんは家を出て行った。

 お義母さんの会社の寮に引っ越したという事だけど、私が出かけている間の事で寮が何処にあるかも私は知らない。送信したメッセージには『なんとかやっている』とそっけない返信が来ただけだった。


 それから後も柳一郎りゅういちろうさんは帰ってこなくて、その事をお義母さんに訊ねたら「意外と頑張るわよねあの子」と楽観した答えが返ってきた。


 新学期を迎えてからも柳一郎りゅういちろうさんは家に帰ってくる事は無くて学校でも避けられているのか顔を合わせる事は殆どなかった。見かけても学校ではずっと接点がなかったから話しかける事ができないまま時間が過ぎていった。

 玲香れいかさんも柳一郎りゅういちろうさんとはメッセージで連絡は着くけど私と一緒で避けられていると言っていた。


 莉子りこ姉さんとはあのメッセージ以来連絡をとっていない。

 私達は柳一郎りゅういちろうさんがいたからこれまで繋がっていたんだと思う。私達がどう思っていようともそれには関係なく日常は平穏に過ぎていく。


◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆


 卒業式の前日、夕方になって柳一郎りゅういちろうさんは帰ってきた。

 本当に久しぶりに柳一郎りゅういちろうさんと話をした。

 これから先の事を訊ねて驚いた。だって大学に進学すると思っていた柳一郎りゅういちろうさんは就職を決めて二週間後にはまたこの家を出て行く。

 玲香れいかさんは柳一郎りゅういちろうさんの事を諦めたのか普通に後輩として接する様になっていた。莉子りこ姉さんと柳一郎りゅういちろうさんの関係はなにも言ってくれないから私には分からないまま。


 なにを話せばいいんだろう……

「あ、あの、お帰りなさい……」

「あ、うん、ただいま」

 気まずい。

「夕飯は、食べますよね?」

「うん、食べるよ」

 会話が続かない。そのまま夕食の準備を済ませて二人で夕飯を食べた。久しぶりの事に緊張しているのか食べている料理の味がわからないままに食事を終えた。

 柳一郎りゅういちろうさんは「片付けがあるから」と言い残して自室に戻って行った。


 洗い物を済ませた後、私は柳一郎りゅういちろうさんの部屋を訪れた。

柳一郎りゅういちろうさん、入ります」

 返事を待たずに開けた。久しぶりに入る柳一郎りゅういちろうさんの部屋、柳一郎りゅういちろうさんがこの家を出て行ってから足を踏み入れる事のなかったこの部屋は私の記憶にあるものとは違っていた。

 荷物がいくつかの山に分類されている。まるでこの家から出て行ったあとはもう帰って来ないかの様に。

柳一郎りゅういちろうさん、もう帰って来ないつもりなんですか……」


 半ば確信めいたものを自分でも感じている。それでも、柳一郎りゅういちろうさんの口から答えを求めた。

「ん、ああ、多分、もう帰って来ない」

「どうしてですか……、就職しても帰省する事はあるでしょう」

「俺、もう帰って来ないよ」

「どうして……」

「ん、まあ、ここに居るとつらかった事とか思い出すし、心機一転、新しい自分になりたくてさ。まあ、決意表明ってことかな」

 続く言葉を発する事ができずに黙っていると「まだ、片付けがあるから」と部屋から追い出された。


 卒業式の後も『クラスの集まりがあるから夕飯はいらない』というメッセージが送られてきたら『わかりました』と返すしかなかった。

優璃ゆり先輩、卒業おめでとうございます」という玲香れいかさんの声に振り返る。

「ありがとう、玲香れいかさん。その、柳一郎りゅういちろうさんとは会いました?」

「いえ、会ってないです。なんとなく気まずくて、会えないんですよね」

柳一郎りゅういちろうさんが就職するのは聞きましたか?」

「そうなんですね。受験勉強頑張っていたのに、就職にしたんですね」

「そうなんですよ。私も聞いたのは昨日なんですけど」

「先輩は私からも距離を取ってるんですよね……」

「もう、帰ってこないって……」

「えっ、帰省もしないつもりなんですか?」

「そう言ってた……」

「そうですか……」

 改めて口にして私は自分でも気がつかないうちに涙を溢していた。玲香れいかさんはそんな私を抱きしめて囁く。

優璃ゆり先輩。私は柳一郎りゅういちろう先輩に素直な気持ちを伝えていますよ。まあ、断られたんですけどね」

 タハハと戯けた彼女は言葉を続ける。

「また、いつか言う機会があるなんて思っちゃダメですよ。そんな風に考えてるとあの二人みたいになっちゃいます。会えなくなるのがつらいなら、素直に伝えてください」

 真剣な表情を向けてくる彼女に「ありがとう。玲香れいかさんも後一年、楽しく過ごしてください」と言葉を交わして別れた。


◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆


 結局、私は柳一郎りゅういちろうさんに思いを伝えられないままその日を迎えた。

 早朝、お義父さんとお義母さんが出勤する前に柳一郎りゅういちろうさんは別れを告げていた。


「じゃあ、俺はもう行くよ。優璃ゆりも大学頑張って。それに父さんと母さんの事、よろしく」

「あっ、あの……、柳一郎りゅういちろうさんも、お体に気をつけてください」

「うん、ありがとう、じゃあね」

 そう言い残して柳一郎りゅういちろうさんはこの家を出て行った。


「私、どうすれば良かったんだろう……」

 一人取り残された家の中で後悔だけが私を苛んでいる。


−了−

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