帰り道
「先輩、ありがとうございました……」
彼女がそう言って顔を上げたのは暫く経ってからの事だった。
僅かに震えていた手の震えもおさまっていた。
「もう大丈夫?」
「はい」
「何があったか聞いてもいい?」
「はい」
少しだけモジモジとした後、
「私、先輩を待っていたんです」
思わず声が出そうになったけど先を促す。
「そうしたらあの人が声をかけてきて、交際を迫られました。もちろん私は断ったんですけど、しつこくて。先輩の姿が見えてそっちに行こうとしたら
苦い表情を浮かべて言葉を区切ったので続きを待つ。
名前を呼ばれるのを嫌がる女子もいるよね。小学校の時にクラスで人気の男子が名前で呼ぶのは良くてそうじゃない男子が名前で呼ぶとキレた女子がいた。
それ以来僕はある程度親密でない限りは本人の希望以外で名前を呼ばない様にしている。
「それで、あの人に名前で呼ばれたくなくて、名前を呼ばないでと言って立ち去ろうとしたら腕を掴まれました。振り解こうとしてもできなくて、周りの誰も助けてくれそうになくて、そうしたら先輩の姿が見えて……」
そこまで話すと彼女はまた俯いてしまった。
肩が震えている事から怖さがぶり返してきたんじゃないかな。
こんな時、モテる男子なら肩を抱いてあげるんだろうけど、僕には
一先ず事情は分かった。
彼女に好意を寄せる彼が大袈裟かもしれないけど暴走したという事だろう。
少し考えて提案する。
「駅まで送って行こうか?」
彼女はコクリと頷く。
「お願いします……」
二人並んで歩く、この間の様に手を繋ぐ事は無いけど。
それでも駅に近づいてくるとうちの生徒の姿を目にする様になると視線を集める事になる。やっぱり
駅の構内に入り彼女を改札に送り届ければ僕の役目は終わり。そう思っていたのだけどそうはいかないみたい。
「……あの人、中学の頃にも、見かけた気がするんです……」
その言葉が意味するところを考える。
同じ電車になる可能性があるということは容易に想像ができた。つまり
まず、間違い無いとは思うんだけど、一応、確認を取ることにした。
「え〜と、つまり
裾をキュッと握ってきてコクリと頷く。
そういった仕草も可愛い子がするとグッとくるものがある。
「仕方がないなあ、切符はどれを買ったらいい?」
早く彼女を送り届けて家に帰ろう。そう思って彼女を促す。
彼女はカバンから財布を取り出すと切符を購入した。僕もそれに倣って購入しようとしたら切符を差し出してきた。
「先輩の分です」
通学路として使っている彼女がわざわざ切符を買う必要がない事に思い至る。
拒否権はないといった感じに差し出された切符を手に取る。
「ありがとう、切符代は出すよ」
「いえ、送ってもらうんですからそのくらいは出させてください」
有無を言わさない。そういった雰囲気を見せていたからため息をついて言葉を引っ込めた。
改札を抜け二人でホームに向かう。その間も彼女は時々周囲に目を向ける。
僕からすれば気にし過ぎの様にも感じるけどな。
ホームでも特に何も話さず電車を待つ。
電車が近づいてくると疎にいた人たちが並び始めた。彼女もその列に加わる様だから僕もそれに続く。平日の日中だけあって人は多くない。
電車が到着して扉が開く。
中から出てきた人の数の方が乗り込む人の数より多かった。僕達は空いている席に並んで座る。そこで漸く彼女が口を開いた。
「先輩、数学の成績っていいですか?」
「僕?平均より少しいいくらいかな」
急に数学の成績を聞いてくるなんてどうしたんだろうか?
「私、数学苦手なんです」
「そうなんだ」
「ええ、それで……」
黙ってしまった彼女の方を見てみると指先を突き合わせてそこに視線を集中している様に見えた。
「私に……、数学教えてくれませんか?」
「僕が?」
「はい……、クラスの子に教えてもらおうとすると男子が集まってきてしまって、勉強にならなかったんです……」
どうして僕にという気もしていたんだけど、そういう理由ならわからないでもないのかな。
「駄目ですか……?」
「僕もそれほど成績がいい訳じゃないけど、それでもいい?」
「はい。お願いします」
「それじゃあ、日程はどうする?」
「あ、それなら連絡先を交換しましょう」
お願いを僕が聞き入れた事が嬉しかったのか笑顔でスマホを差し出してくる。その笑顔に見惚れそうになったけど気を取り直して僕もスマホを取り出す。
あれよあれよという間に連絡先の交換が済んで、早速彼女から『よろしくお願いします』というメッセージとお辞儀をする猫のスタンプが送られてきた。
「家族以外の男性の連絡先……、初めてです」
「クラスのグループトークには入ってないの?」
「女子の方には入ってます。けど、全体のには入ってないです」
「まあ、強制じゃないからそれでいいんじゃないかな」
僕?僕は一応参加してるよ、読み専だけど。
個人的には
本当に重要な連絡はSNSの方で送られてくるからクラスのグループトークはそれ程重要ではないと僕は考えている。
「帰ったら候補日の連絡を入れます」
「そうだね、何日か候補を挙げてもらえると助かる」
そんな話をしているうちに彼女も元気になってきたのか、色々と雑談を交わす。
僕がイメージチェンジして来たから驚いたというし、彼女ができたのかとも聞かれた。照れくさかったけどそこはハッキリとできたと伝えた。
そうして目的の駅に着いて僕達は電車を降りた。
ここで別れようかとも思ったけど、縋るような視線を向けられると諦めて家まで送ることにした。
駅から彼女の家までは徒歩で15分程度との事。途中でコンビニに寄りたいと言われたのでちょっと寄り道をしてから彼女の家に向かう。
他愛の無い話をしているうちに彼女の家に着いた。
「じゃあ、僕はこれで……」
そう言って踵を返そうとしたところで内側から玄関の扉が開いた。
「あ、
「ただいま。うん、そうだよ」
「そうなの、じゃあ、入って入って♪」
ニコニコと笑いながら僕の腕を引っ張って家の中に入っていく。
大人の女性という雰囲気もあるけど、全体的な雰囲気は可愛らしさを感じさせる柔らかな笑みを絶やさない表情を浮かべた女性、でも、ちょっと強引かなあ。
「あ、待ってよお母さん」
ん?お母さん?お姉さんではなく?
「あ、そうそう
ペコリと頭を下げて自己紹介をされた。
「
「ああ、あなたが
「それより、お母さん。どこか出かけるところじゃなかったの?」
「そうだった、買い物に行くところだった。
「あっ」
それだけ言って
えっ、これ待ってないと駄目?
「お母さんが強引で御免なさい」
申し訳なさそうに僕に謝る
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