思い出

 家に帰った優璃は挫いた足首に湿布を貼ってもらい、包帯で固定された。不器用に巻かれた包帯は私にも昔の事を思い出させた。


「あの時の柳一郎りゅういちろうさんもカッコよかったなあ」

「なんか言った?」

「いえ、何でもないです」

「そう?」


 夕飯作りは柳一郎りゅういちろうさんにも手伝ってもらう事にして、今は二人並んでキッチンにいた。

 私は踏み台に身体を預けて下拵えをして、柳一郎りゅういちろうさんには揚げ物の管理をお願いした。


 茄、椎茸、南瓜を適当な大きさに切り、魚屋さんが薦めてくれた鱚を背開きにした後、冷水、薄力粉、卵を使って天麩羅の衣を用意した。


 後は柳一郎りゅういちろうさんに揚げてもらう事になっている。

 温度調整機能が備わっているガスコンロだから火加減を気にする必要もない。私が隣で見ていれば揚げ過ぎになる事もない。はず。


「あ〜、なんか緊張するなあ〜」

「大丈夫ですよ。隣で見てますから」


 緊張した柳一郎りゅういちろうさんが茄に衣をつけてから適温に温められた油の中に静かに滑り込ませた。じゅわ〜っという音があがる。

 茄には鹿の子飾り切りをしているけれど柳一郎りゅういちろうさんは柔らかい方を好むから揚げ時間はちょっとだけ長め。


「そろそろ取り出してください」

「わかった」

 うん、いいんじゃないかな。

「揚げ物って丁度良い加減が分からないんだよなあ」

「何分て言う人もいますけど、私は泡のでかたと衣の色で判断しています」

「そこがわからないんだよなあ」

「見て覚えてくださいね」

「はあ、分かったよ」


 やっぱり、普段料理をしてないと揚げ物は難易度が高く感じるんですかね?

 要領が分かればそんなことは無いと思うんですけど。



「どうですか?」

「う〜ん、いつもより衣が硬いのがある気がする」

「揚げ過ぎましたかね」


 夕飯の天ぷらをいくつか食べて僕が顔をしかめていると優璃ゆりに声をかけられた。

 優璃ゆりに油から取り出すタイミングを聞きながら天ぷらを揚げていたんだけど普段料理をしてこなかった僕の手際はかなり悪かった。

 おっかなびっくり油はねに気をつけながら調理に向き合っていたんだけど結果は見ての通りの有様……


「やっぱり、普段から料理している優璃ゆりとは違うなあ」

「そうですね」

「僕も料理覚えようかなあ」

「えっ!?」

「そんなに驚くとこ!?」

「いえ、そのう、後片付けもちゃんとして下さいね?」

「あ、ああ……」


 片付けかあ……、料理をする男性が増えているのにパートナーの女性がその事を手放しで喜んでないというのをなんかで見た事がある。

 確か、その理由として料理をした後の片付けが理由の一つにあった気がする。


「努力します……」

「はい、そういう事なら、時々手伝ってもらうようにしましょうか?」


 そんな会話をしながら夕飯をとった。

 やっぱり、優璃ゆりの揚げた天ぷらとは違うなあ……



「片付けは僕がやっておくから、先にお風呂入りなよ」

 油は既にポットに移されて今は濾過中。

 食器や調理器具の数は多くないから優璃ゆりには先に入浴してもらうよう言っておく。


「良いんですか?」

「うん、いいよ。あ、慌てなくていいから、ゆっくり入ってきなよ」

「それでは、お先にいただきますね」

「うん」


 優璃ゆりがお風呂に向かうのを見送ってから僕は洗い物を片付ける事にした。少しは手助けできればいいな。



 湯船に浸かって天井から落ちてきた水滴を眺めていると幼い頃の事を考えてしまう。夕方、柳一郎りゅういちろうさんにおんぶしてもらったから余計に思い出してしまった。


「あの時の私、無理してたなあ……」

 両親を亡くしてこの家に引き取られた最初の夏。

 優しくされる事にも戸惑ってどういう風に振る舞えば良いのか分からなくていた私を柳一郎りゅういちろうさんと莉子りこ姉さんが夏祭りに連れ出してくれた。


 遠くなかったから三人でこっそり家を抜け出した。

 少し強引に手を引かれて向かった小さなお祭りに私ははしゃぎ過ぎて二人と逸れてしまった。

 不安になって一人で途方に暮れていたら雨まで降り出してきた。


 神社の境内でポツンと佇んでいると両親と行ったお祭りの事をどうしても思い出してしまった。

『あの時は楽しかったなあ……』

 楽しいはずのお祭りに来て一人で涙をこぼして今はもういない両親の事を思い出す。いつの間にか涙が溢れて視界が滲んでいた。


 私は両親の事を思い出しても嵩賀谷かさがやの家族の前では泣く事もできずにいた。一人になった事で涙が溢れてきたんだと思う。

 嵩賀谷かさがやの家族の前でも子供らしく声を上げて泣く事ができていればよかったのかなと今なら思う。

「あの頃の私は可愛くなかったんじゃないかなあ……」


 結局、あの時はお祭りが終わりに近づいた頃に柳一郎りゅういちろうさんが私を見つけてくれた。

優璃ゆりちゃん……』

 怒られると思って目を瞑って身体を縮こませているとふわりと身体を包まれた。何が起こったのか理解が出来なかった。それでもあの時の言葉は今も思い出せる。

『よかった〜。家に帰ろう』


「あの時も私は足を挫いていたんだよねえ……」

 帰ろうと言う柳一郎りゅういちろうさんの言葉に俯いてしまった。

 動かない私を見かねて少し強引に私の手を引いて帰ろうともう一度言われた。

『っ!』

 顔を顰めた私の表情に気づいた柳一郎りゅういちろうさん。

『どこか怪我したの?』

『足が痛いの……』

 それだけ言った私の前に柳一郎りゅういちろうさんは背を向けてしゃがんだ。

『ん』

『えっ?』

『歩けないんだろ?』

『うん……』

『おんぶするから』

『いいの?』

『いいよ』


 私は柳一郎りゅういちろうさんにおんぶされて境内をでた。

 途中で莉子りこ姉さんとも合流した。

 二人ともずっと私を探してたみたいでずぶ濡れになっていた。

 その事が申し訳ないという思いと込み上げてくる嬉しさで声を上げて泣いた。


 家に帰ったら嵩賀谷かさがや大城おおきの両親達からは三人でお風呂に押し込まれた。


 お風呂から出たその後は両親達の前に三人で正座させられて、行き先を告げずに子供だけで出かけた事をしっかり怒られた。


 今となっては懐かしい思い出。

 あの時私は柳一郎りゅういちろうさんの優しさに恋をしたんだと思う。

 でも柳一郎りゅういちろうさんの莉子りこ姉さんに対する思いを知った時にこの思いは伝えたら駄目だと心の奥にしまい込んだ。


 誰にも話した事のない幼い頃の初恋の思い出。


「二人には幸せになってもらいたいなあ……」

 浴室の中に私の言葉が静かに溶けていった。

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