41_『己が意志、貫徹せよ』

「……まだ、威嚇射撃だ。だが——」


地面に突き刺さりポリゴン片に還る矢、背後ではいくつものライトエフェクトが灯ったまま。男はスイの方を見つめ、吐き捨てるように口にした。


「——下手に動いたら今度こそ当てる。これだけの数だ、すぐにお陀仏さ。そして、ここは中立域じゃない。あくまでも妖精領だ。つまるところ——何が言いたいか、わかるな?」


はっきりと、ベラの瞳が見開かれる。

それを前に、スイはこの世界ゲームのルールを思い出した。

あくまでも妖精族と人族は敵対関係にある。そして、敵対している種族の領土で、しかもPKによって死んだ時のデスペナルティーは——。


「……タダじゃ、済まないってことね」


——ずっと、重い。


それこそ、今日手に入れた素材や所持金、割り振っていないスキルポイントに経験値を失ってしまうぐらい。特に経験値を失うのは痛手だ。

下調べもしたし、璃子からレクチャーも受けた。それゆえにしっかりと覚えている。


「……そういうことだ。そして、それを回避したいのなら——」


相変わらず威嚇は続けたまま、男はベラの方へ視線を移した。


「そいつを——《カラムス》のメンバーをこっちに引き渡してもらおうか。それなら、あんたは逃してやってもいい。悪い話じゃないだろ?」

「……理由は?」

「《カラムス》が握ってるデータの重要性。案外、未開域を目指してるギルドってのは少なくないということだ。何せ、領土を広げるチャンスもあれば、未発見の素材だってあるに決まっている。それがどれだけ大層なことか……あとは、説明しなくてもわかるな?」


未開域を巡る争いの内情についてスイはよく知らない。

ただ、カルカから一度だけ、ある意味ではレースのようなものだと聞いたことはあった。

頷ける話だ。友梨奈が持っている《クロニアシーカー》。例えば、あれが未開域由来のものだとしたら。そして、それを真っ先に独占できたら。

それがどれだけの利益をもたらすか——まだこの世界に来て間もないスイでもそれは理解していた。

その上で妹の情報一つ炙り出すのですら苦労した身。情報の価値は、十分に理解していた。

それでも、今の《カラムス》のメンバーは幹部を除いてほとんど情報を持っていない。

それを伝えたら或いは——と。思い至って、スイはへと目を向けた。


……いや、それは叶わないだろう。

安全地帯——彼らが言うにはホームからは、未だプレイヤーが飛び出して来ている。

週末の、それも昼頃。よりによって、プレイヤーが増える時間帯だ。それに、話を聞いてもらえるような雰囲気でもない。

むしろ、張り詰めた糸のように——今すぐにでもプツンと切れてしまいそうな緊張感、生かしておく利がないとしたら——今すぐにでもキルされる可能性だってある。であれば、正直さは毒だ。

仮想世界だというのに、怒り半分、緊張半分、慣れない感覚が首筋を走る。頬を引き攣らせながらも、スイは男を睨み返した。


「……一旦、事情はわかったわ」

「理解が早くて助かる。それじゃ、賢い選択をしてくれ」


幾重もの駆動音、灯るライトエフェクト。

ベラは先ほどから何もものを言わない。ともすれば、主導権はスイにある。


——何よ、賢い選択って……。


けれど、時間こそ多少引き延ばしたものの、未だ答えは出ていなかった。

経験値もアイテムも、自分を強化するための要素を今失うわけにはいかない。半日であろうとも、高難易度ダンジョンでの狩りだったゆえか、得たものは大きい。それに——時間もあまりない。

賢い選択、とまで言うのであれば大人しくベラは差し出すべきだ。


それでも、よりによって今日、最近ログインしていなかったベラと狩りをしていたタイミング。

もしかしたら、手に入れた素材がカルカ達とのわだかまりを解くきっかけになったかもしれない。


どちらも、選ぶには重い。

あと一歩が、踏み出せない。


思わず歯噛みした時だった。


枝が、折れる音。

葉が、擦れる音。


すぐ隣で、ができた。



◆ ◆ ◆



視線が、全て自分に向いていた。

獲物を定めたような、爛々とした目。


「《カラムス》には、恨みもあってな」


自身を非難するような目。

それが、幾つも幾つも並んでいる。


——逃げ、なきゃ。


その一点はベラも理解していた。

どんな方向に交渉が流れていったとしても、自分が遭う目は明白。

その上、スイは口籠ったまま、何も声を発さない。


次第に自信を囲う視線は鋭さを増す。

首筋を走る感覚が慣れたものとして、鮮明さを取り戻していくのがはっきりとわかった。


「ぁ……ぁ……」


すくんだ足を無理やり動かし、一歩たじろぐ。けれど、精度の高いヘッドギアはその僅かな揺らぎを逃さなかった。

少し広く取ってしまった歩幅が一気にバランスを奪った、その瞬間に。


矢が放たれた。


痛みダメージが自分の身を襲う、それを連中はずっと高いところから見つめている。

きっと、自分なんて気にも留めていない。ただ紛れ込んでしまっただけの《カラムス》のメンバー、彼の言う通り恨みがあったとしても、それはきっと自分にだけ向けられるものとは違う。

それでも、

きっかけ一つで簡単に思い起こされる。

数秒しないうちに、自分を貫くだろうそのを恐れて、思わず目を瞑った瞬間だった。



青い閃光が——瞼を貫いた。



「ベラ、逃げるわよっ!」



《パリィアシスト》によってライトエフェクトを纏ったまま膨れ上がった刀身、弾かれてポリゴン片へと還る矢。

迷いなく伸ばされた手が、ベラの手首を掴んだ。


「なん、で……っ」

「アタシも知らないわよっ! それより早く立ちなさいっ!」


わけがわからないまま、引っ張られるままに立ち上がり、走り出す。


「逃すなっ!」


脇を過ぎていく幾つもの矢。

それは、自分をこの場に縫い止めようとしていて。だけれど、ベラの身をそれが貫くことはなかった。

痺れを切らした連中が木々の間を移動する。

こだました音でそれはわかった。追って来ている

だけれど、それを振り返っている暇はなかった。


「アンタも手伝いなさいっ!」


反射的に伸ばした腰の短刀、鞘から溢れる青い光。

それを掴み、弾みをつけたまま引き抜いて。


「——任せてっ」


両断した一射、振り向きざまにベラは頷いた。



◆ ◆ ◆



「……少しは、巻けたかしら」

「……たぶん」


結局、正しかったのか——なんて、行動に出て、実際に逃げてきた今でも不明瞭だ。

そもそも小さなきっかけ、僅かな弾みにすぎない。

それに身を任せて一歩踏み出してしまったに過ぎないのだ。

それでも、走ったが故に尽きたスタミナ。スイの視界を歪ませる仮想の酸欠が今自分が踏み出した一歩がどんなものだったかを物語っていた。


「……出口は……?」

「……方向、わかんない」


どこに逃げればいいのか、わからない。

追手を巻けたのかも、わからない。

ただ、どれだけ先が不透明でも足を止めるわけにはいかなかった。

肩で息をしながらも、倒れ込むことも、座り込むこともないように、スイが剣を地面に突き立てた時だった。


「スイっ!」


——パシュッ


聞き覚えのある射出音が背後で聞こえた。

振り向きざまに映る鋭い瞳、追手だ。


まさに木から飛び降りて——弾みをつけ、空中から射出された弓矢。


すんでのところで《パリィアシスト》を発動させるも、弾いた弓矢にはライトエフェクトがかかっていなくて。

ともすれば——。


——キュィィィン!


駆動音が宙を裂く。

二射目が自身を捉えようとしていた。

クールタイムにある剣、体を動かすには遅すぎる時間。


——パシュッ


乾いた射出音が空を裂き——次の瞬間、男の弓はポリゴン片へと変わり、飛散した。


「……なっ」


間抜けな声を上げたまま、男の体はそのまま地面に投げ出される。

大きくHPが減った直後、今度はライトエフェクトを纏った矢が矢継ぎ早に放たれ、男を貫いた。

直後、ポリゴン片が散り、先ほどまで男がいた場所に真紅の花が咲いた。


その僅か数瞬、何が起きたのかがわからなくて。

呆然とスイが立ち尽くしていた時だった。


「——空中ったあ、嫌なことを思い出させやがる。つっても、大胆になるのが遅すぎだ。獲物を睨んでるだけじゃあ、何も起きないぜ」


背中に突きつけられた冷たい感触。

目の前に浮かび上がるプレイヤーカーソル。


「……なあ、アンタもそう思うだろ?」



——【lila】



ライラ、と。そう記されたカーソルを引けらかし、たった今一人をキルした男は、スイに突きつけたボウガンをさらに深く押し当てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【急募です】状態異常《共依存》の治癒方法 恒南茜 @ryusei9341

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ