39_『臆病な愛』
『それでは諸君、次の配信でまた会おう! おやすみっ!』
おやすみというには遅すぎる時間帯。
いくら休日とはいえども、もう朝の5時だ。
声を途切れさせながらもふっと切り替わった画面を前にして、浅黄 翠桜は思わずこめかみをつまんだ。
「……本当に、何時までやる気よ」
幾度か目を瞬かせたのちに視線を向けたのはちょうど自分の右側にある壁、つまるところ隣の部屋。
普段は閉じこもったまま口すら聞いてくれないクセに、と。今しがた配信で喋り倒していた少女を思い出しながらも、文句の一つでも溢したくなったのを翠桜は必死に堪えた。
まだアプローチをしている途中、責めたって意味はない。
妹が閉じこもってしまってから二年と少しが経とうとしていた。
大体どれぐらいの期間、彼女の姿をはっきりと見ていないか、それは覚えている。
だとしても、煩雑としたその日々は口にするには少々厚みを持っていないもので。
時折話しかける。
代案を持ちかけて説得してみようとする。
けれど、部屋からは何も返ってこない。
暖簾に腕押し、というのはこういう時に使う言葉なのだろうか。あまりに手応えがない。
それでも、この状況に慣れようとするにはあまりに短い時間の経過だった。
諦めきれない。まだ自分で説得できるかもしれない。まだ少しタイミングが早い、それだけのことかもしれないのだ。
「……今日も、やらなきゃ」
それでも、と。
その時間が彼女にとってどれだけの意味を持つものなのか、翠桜は捉えきれていなかった。
たった三歳の差でも、それが隔てるものは大きい。
VRゲームが世に溢れてきて、現実と仮想の境界線が曖昧になって——というのは妹の世代での話。実際、翠桜もVRゲームに触れたのは今回が初めてだった。
今だからこそ、経験できることがある——というのは、十分に理解している。
それでも、二年と少しの期間を全く違う環境で過ごしてきた妹と自分との間にはきっと、大きな認識の違いがある。
ちらり、と。隣の部屋の前を通りかかった時ドアの隙間から覗いたヘッドギア、それが今は自分の頭を覆っている。
足がすくむのは確かだ。
妹の領分に、土足で踏み込んでいかねばならないのだから。
もっと待った方がいいのでは——という認識があるのも確かだ。
翠桜にとって未だ、仮想世界は未知だ。
それでも、こちらに連れ戻したい。
両親とていつまでも黙っていない。そろそろ強引な手段に踏み出そうか、と相談していたのを聞いたことがある。
それに比べれば、多分、自分のやり方はずっと周りくどいものだ。
でも、そうしたい。
彼女を連れ出した時に、一緒に話して、笑いあって——また、修復できる関係性であってほしい。
回り出すファン、反響する駆動音、徐々に感覚が現実から引き剥がされていく。
あと、一週間。
視聴者として、交流会に必ず参加する。
まずは彼女と対等な視点で話す。
それが最善の手段である気がした。
『Welcome to Scarlet Flure!』
親はいつ動くのか、仮にこのやり方が失敗したらどうするのか、自分と彼女の間には今、どれだけの距離があるのか。
焦燥感は募っていく。
けれど、それを無理やり途絶えさせるために。翠桜は強く瞼を閉じた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
【今日は友梨奈ちゃんとお出かけするのでログインできません。ごめんなさい】
ログインして真っ先に、翠桜——スイの前に浮かんだメッセージウィンドウにはそう記されていた。
璃子も友梨奈も、クエストやギルドとの間で忙しい中、よくレベリングに付き合ってくれている。
友人と遊びに行くのはよくあることだし、現実で過ごす時間は大切だ。
【むしろ、こちらこそよ。いつもありがとう】
ある意味璃子らしいおかたい文面に釣られてそこまで打ち終えたあと、少し考えてもう一文付け足しておく。
【楽しんできて】
互いに距離感は測りかねたままだけれど、一緒にランチをするぐらいの仲ではある。これぐらいの文面でいいだろう。
一周見返した後に、送信を選択して。ついでにウィンドウから
【リュビアルリザード】の素材をいくつか、それと【アロニエシックル】の鎌を芯材とした剣。《クロニアシーカー》と違ってユニークというわけでもなければ、店売りもされているが、素材のレベルとカルカの鍛治スキルも相待って、通常のものよりもステータスは高めになっている。
実際、かなりレベリングの助けになってくれた。
一通り装備品を身につけ、身だしなみを確認するとスイは宿屋を後にした。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
現在実装されているマップの最東端、未開域にほど近い場所に位置している
カルカやサルト含め誰もいなければ、本——データも一冊たりとも残っていない。
常々残業がどうだの、今のプロジェクトがどうだの、と愚痴は続いていた。その上、毎日ログインできるようなプレイヤーも少なかった。
休日の朝ぐらいは流石に寝ていたいのだろう。心底同情しながらスイは石造りのテーブルの上で頬杖をついた。
しかし《カラムス》での活動もなし、璃子も友梨奈もいないとしたら、特にやることはない。
何かちょうどいい狩場はあったか、と。外部インターネットに接続しつつ、少しばかり考え事をしていた時だった。
「ひっ……」
入口の方から僅かな悲鳴が聞こえた。
《カラムス》の面々とは違って、まだあどけなさの残る声。そちらを向くと来た方向へ戻ろうとしているベラと目が合った。
「……待ちなさい」
以前カルカから説教を受けた後、しばらくログインしてこなかった彼女とは久々の顔合わせだった。
声をかけられなかったらさりげなく出ていくつもりだったのだろう。
だけれど、実は目が合ってしまった。
ともすれば、無視するわけにもいかなくて、肩を掴んで引き留める。
「なんでさ!? 関係がな——っ」
「あんな急にいなくなって、カルカさんとも喧嘩したままで……気にしてたのよ? 一回、話を聞かせなさい」
最初は反論しつつ逃げ出そうとしていたけれど、最終的には口をパクパクさせながらも、スイに連れられるまま、ベラは席についた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……別に、ただカルカ姐の武器が欲しかっただけだよ」
「……本当に、それだけなの?」
その質問に対して、ベラは頷いた。
“カルカの武器が欲しかった“。実際にそれ以外の理由は存在していない。そんな風に取れる態度だった。
「……だって、カルカ姐カッコいいんだもん。だから、何か——」
「繋がりが欲しくて?」
「ん、そんなところ」
ワガママな態度に対して、口にすることはずっと無邪気だ。
素直になりきれない子供といった調子、ちょうど反抗期なのだろうか。
思い返してもみれば、妹が閉じ籠ったのは反抗期に差し掛かった直後だった気がする。
推定年下、それも反抗期の子供と話すことの大変さを久方ぶりに思い出して、スイは苦笑した。
「……でも、カルカ姐ったらすごい怒るんだもん。それで、気まずくなっちゃって……」
「嘘を吐いたから、とかじゃないの? アタシもここのルールにはあまり詳しくないけど、あまり感心できないやり方だったのは確かよ」
「じゃあ、どうすれば……。みんな暇じゃないんだもん。なかなか、誰も付き合ってくれなくて……」
思えば、初めて接した時から一方的な語り口だった。
けれど、それは不器用さの裏返し、とも捉えられた。
「……じゃあ、今からアタシが付き合ってあげるわよ。あと必要なのは何?」
「……本気で、言ってるの?」
目を見開いたまま、ベラはスイの方を凝視した。
しばらくの沈黙が洞窟を包む。ベラは考えあぐねているようだった。
けれど、天秤にかけた結果、勝ったのはカルカ謹製の武器の方だったのだろうか。
目だけは合わせないように逸らしつつ、最終的に彼女はスイの方に向き直った。
「【リュビアルリザード】は足りてるから——あとは【ウルフ】の上位種からのドロップ素材とか。……でも、大変だよ? 本当にいいの?」
「……別に、レベリングしようと思ってたところだからそれは構わないわよ。ただ……人に頼み事をする前に、言うこととかってあったりしない?」
「言う、こと……」
以前の彼女が見せた高慢な態度を思い出して、念のためにそう聞いておく。
素直な態度は大事、妹に対して両親がそう説教をしていたのを何度か聞いたことがあった。
実際、カルカの説教もそれが原因だ。そして、彼女も彼女で多少なりとも自身の態度について理解していた節はあったのだろう。
「……お願い、します」
「……了解、任されたわ」
欲しかった答えに一度、頷いて。
勢いよく、スイは立ち上がった。
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