38_『光を求めて』
「——明日さ、一緒にお出かけしない? ……二人で」
ぽつり、と。
耳元で囁くように口にされた言葉はすぐにでも消え行きそうなもので。
けれど、わたしの聴覚はそれを最後まで拾いました。
「……お出かけ、ですか?」
「うん、最近皆とこっちで過ごす時間、多かったでしょ? ……だから、現実で。二人で——どう、かな?」
表情は見えません。
けれど、震えていて、時折途切れる声をわたしに聞かせるためか友梨奈ちゃんはわたしの髪に顔を埋めます。
或いは、それも表情を気取られぬようにするためかもしれません。ここでは感情が顔に出過ぎてしまいますから。
——なぜ、ですか?
その提案がなぜか、なんて。
脳裏をよぎった疑問が声になることはありませんでした。
ともすれば、それはただ二人でどこかに出かけたかったから、彼女が口にした通りの理由だった——と。
そう考えるのが自然だったようには思えます。
『……本当に、ありがと、ね』
けれど、彼女が口にした言葉も。
それよりもっと前に、スイさん達との会話から抜けられずにいた時、友梨奈ちゃんが俯いていたこともわたしは全て知っています。
それでも、そういう時に限って触れ難くて。
上部だけの会話しかできなくて。
わたしはそうでした。
結局は、今だって顔を突き合わせることすらできていません。
「わかり、ました」
だからこそ、わたしには首肯することしかできませんでした。
「……そう。ありがと、璃子ちゃん」
その声は、上ずったものでもなければ、あの日を境にして彼女が使うようになった弾んだ口調でもありません。
いつもみたいに、だなんて。そう言えるぐらい長く、彼女の笑顔を見てきた気がします。
けれど、それよりも前の友梨奈ちゃん——どこか、ぶっきらぼうで。それでも遠慮なく踏み込んできた時の彼女の口調と、どこか似ています。
「もう大丈夫そう。一旦降りるね?」
「……ええ」
その熱が、離れます。
友梨奈ちゃんが降りて、いつも通りの笑顔がわたしに触れます。
「じゃあ、帰ろっか。そうだ。リザちゃんにもお土産、買ってこ? カルカさんにいい店、教えてもらったんだ」
いつも通り弾んでいるようにも、せき立てているようにも思えました。
一息にそう言い切ると、彼女は背を向けます。
ほんの少し早く、靴底が歩調を刻んで。
揃わないまま、彼女は前に出て。
表通りは、もう遅い時間だというのにまだ賑わっていました。
露店はランプを灯し、買い物客や宿を目指すプレイヤーによって人混みが形成されています。
一度だけ友梨奈ちゃんは振り向きました。
けれど、すぐに前を向くと、その中へ溶け込むようにして彼女は先を行きました。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……おかえり。リリィ、コリス」
「ただいま、リザちゃん」
「遅くなってしまってごめんなさい」
念のため今日一日中宿屋で待ってもらっていたリザちゃんは、わたしたちが帰ってくるのを見るなり、読んでいたらしい本から顔を上げると、ほんの少しだけ笑みを浮かべました。
きっと、眠気もあるのでしょう。
その瞼は、閉じそうになっていました。
「……何か、シュウカクはあったの?」
「うん、データも取れて、ついでにモンスターも倒して——あと、お土産も買ってきたよ」
「……そう。じゃあ、お茶でも入れるわ」
本をベッドに置いてリザちゃんは立ち上がろうとします。
それでも、よっぽど眠かったのか、少しだけよろけました。
「眠かったでしょ? ごめんね。じゃあ、また今度にしよっか」
慌ててベッドにリザちゃんを座らせつつ、今日はもう食べられないと判断したのでしょう。
友梨奈ちゃんは買ってきた紙袋をインベントリに仕舞いました。
「……あの、リリィちゃん。明日来れないってこと、伝えた方がいいと思います」
そうわたしが口にした直後、はっとしたような表情でリリィちゃんの動作は止まりました。
「……あ、そうだ。リザちゃん、明日、あたし達来れな……起きれなさそう、で……二日連続で、ごめんね?」
毎日来ていたとはいえ、近頃は収穫も少なくなってきていて。
少し、申し訳なさを滲ませたような口調で友梨奈ちゃんはそう口にします。
「……ううん、私はキョウリョクをお願いしている立場だもの。無理は言えないわ」
どこか知っていたような口調でした。
上部だけなぞるように、普段よりも少し高いトーンで首を振ると、リザちゃんは横になりました。
「……わたし達も、ログアウトしましょうか」
「……うん」
すうすうと寝息を立てているリザちゃんの隣に二人潜り込んで、ベッドで横になり、指先で空をなぞってメニューバーを出します。
「……そうだ、好きな時に食べられた方がいい、よね」
ふと、思い出したのでしょうか。
インベントリに仕舞った紙袋を取り出すと、友梨奈ちゃんはそれを枕元に置きました。
「それじゃあ、すぐに連絡するね?」
最後にそう残すと、友梨奈ちゃんの身体からふっと力が抜けます。いつもよりずっと早いログアウトでした。
皆が黙り込んでしまった後、しばらく天井を見上げていました。
耳が痛くなるぐらい静かです。宿屋の中は完全に外からの音がカットされるようになっていたはずでしたから、当然でしょうか。
ふと、その静寂がどうしようもなく耐え難いものに感じられて、友梨奈ちゃんへ手を伸ばしました。
「っ」
けれど、それは恐ろしく冷め切っていて、先ほど感じた熱と同じものだとは思えませんでした。
思わず手を引っ込めたまま、メニューバーを操作します。
【ログアウトしますか?】
真っ直ぐにYESを押します。
感覚が途切れるその直前まで、指先には先ほど感じた体温が残っていました。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
「久しぶり……です。体調は?」
「……大丈夫。あたし、もう元気になったし」
「……だったら、よかった、です」
慣れない口調は、どこか舌触りが悪くて、ほんの少し喉に支えたまま、上手く外には出ていかなかった。
そして、それは彼女も同じだったみたいで。
いつもと全く違った丁寧で、どこか他人行儀な口調、ずっと低いトーンで紡がれる声音。
きゅっと握った両手はかじかんだまま、震えたまま。
雪の積もったベンチは、寄り添うことすらしないのなら、随分と冷たいものだった。
「ねえ」
下ろされた髪が、視界に映る。
いつもは結えられていた、長い、長い黒髪。
それが、顔にも少し影を落としていて、あまり表情は捉えられなかった。
「あたし、ね」
その冷ややかな口調を遠ざけるように口にした言葉は、これもこれでどこか冷めていた。
それでも——壊さないためだった。
離さないためだった。
もう、君にまで失望されたら、あたしには何もないから。
唇が戦慄く。
乾いた口から発された声が、冷めた空気に溶け込んでいく。
きっと、上手く言葉にできてはいなかったと思う。
それでも、最後まで口にして。顔を上げた時、その瞳が見開かれていたこと。
長い前髪越しにでも、それだけはわかった。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
夢だ。
支えていただけの、ただの夢だ。
日差しの眩しさに目を細めながら、リザは目覚めた。
隣で寝ている二人は全く動かない。
昨日口にしていた通り、何か事情があるのだろう。
その間を潜って、今日も文献を読み進めるためリザがベッドから降りようとした、その途中。
ふと、枕元にあった紙袋が目に入る。
開けてみれば、糖蜜パイが三人分入っていた。
一つ、掴んで口に入れる。
香ばしさなんてないしっとりとした歯応え、冷め切った中身。時間が経ったせいだろう、味気なかった。
「そうするのが、一番だったの?」
二人分は残して、紙袋を閉じておく。
「壊さないために、変わらなきゃって。それで良かったの?」
また、枕元に戻す直前、最後にリザはベッドの方へ再び視線を向けた。
「……ねえ、“友梨奈“」
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