37_『あたしを思って』

「それでは、データと協力者の歓迎、そして、勝利への祝杯を——!」


カン、カン、カン、と。喧騒の中でも一際張りのあるカルカさんの乾杯の音頭に合わせて、乾杯の音がこだまする。

蛇型のモンスター——【セルピエンテ・ミラージュ】を倒したお祝い、データを取れたことへのお祝い、あと歓迎の意を込めて一杯引っ掛けよう、とカルカさんの提案に乗ってやってきた酒場はかなりアングラ感が強い場所だった。

サントゥールの裏通り、相変わらずコリスちゃんの案内がないと迷ってしまう中で、その中でも一際迷ってしまいそうな空間。

建物の隙間は入り組み、最後にはショートカットだとか言って、段差を何個か飛び越えた先に来た酒場。正直、帰れるか不安……なのかも。

コリスちゃんに聞いておいた方が良いのかな、なんて。ジョッキの中で波打つ液体を見つめながら、そんなことを考えていた時だった。


「《シーカー》、副マスから話を聞いたが、何でも真っ先にモンスターの所に突っ込んでいったんだってな。ナイス・アグレッシブだ」


ウィンクのつもりなのか閉じられた片目と、立てられた親指。

さっき、霧の中に入っていった人——サルトさんが声をかけてきた。


「いえ、カルカさんに言われた通り動いただけです。あと《シーカー》って……」

「ん、通り名みたいなモンなんだろ?」


もう完全にあたしのニックネームは《シーカー》で固定されてしまったらしい。

こういった風潮もゲーム内だとよくあることなのだろうか。あとでコリスちゃんに聞いとかなきゃ。


「それはともかくとして、悪いが……《クロニアシーカー》、一度見せてもらってもいいか?」

「あ、はい」


渡すために《シーカー》を実体化させる。

途端、ほお、とサルトさんが息を漏らしたのが聞こえた。

確かに綺麗な見た目だと思う。

僅かな光でも十分に照り返しを見せてくれる滑らかな刀身に、細身な柄に刻まれた模様。前の武器——《レイピア・ド・バロネス》と同じぐらい、あたしもこれが好きなんだと思う。


「……なるほど。STR特化、AGIにも大幅な補正か……こいつは中々どうして使い勝手が……」


でも、サルトさんが何となく何に感心していたのかわかったのは見た目までだった。

ブツブツと独り言を言いながら、彼はずっとウィンドウを見つめっぱなしで。

たっぷり五分ぐらいしてから、いい剣だ、とお墨付きと一緒にあたしはやっと解放された——と思ったんだけど。

立食形式、食べ物や飲み物が置かれたタルの間を通ってコリスちゃんのところへ向かう途中で。


「《シーカー》、本当に最高の役割だったよ。アンタが切り拓いてくれたからこその勝利だ。違いない」


今度はカルカさんに呼び止められてしまった。


「……ところで、今後の活動について話がしたい。少し、良いかな?」

「コリスちゃんとスイさんは?」

「ああ、もちろん呼ぶ。ただ、今は——」


そう口にすると、カルカさんは肩をすくめた。


「……それじゃあ、スイさんはずっとわたしの後ろにいた……ってこと、ですか?」

「ええ。メイジには一人ガードをつけておいた方が良いってカルカさんに言われたから。でも、中々なものだったでしょ?」


コリスちゃんとスイさん、その周りを取り囲むギルドの人たち。

時々話しかけられては、しどろもどろになりながらもコリスちゃんは答える。

確かに少し近づきづらい。コリスちゃんも絡まれると断れない性格をしてるし。


……それにしても、なんだろう。


妙にさっきから胸が騒めく。

そこにあるべきだったものがないような気がする。

レイドは楽しかった。

勝てたのは嬉しかった。

褒めてもらえたのも——嬉しかった。それは間違いない……はず。

だけど、何かが足りない。


……そうだ。ずっと前にもこんなことがあった。


小さなベッドだった。

すごく、体が熱くて。天井が霞んで見えて、視界がぐるぐる回ってて。

手を握って欲しかった。

夢から覚めてすぐ。

どうしようもなく、押しつぶされそうだった。

なのに——誰も側にはいなくて。


もう記憶が朧げになっているぐらい昔の出来事でも、その時に感じた心細さはよく覚えていた。

あの時ほどじゃないのはわかってる。

だけど、その感覚が少しだけ胸の中で燻ってて——。


「……っ」


強く刻まれた心臓の鼓動。

震えが指先に伝わる。

視界が狭まる。

それでも、カルカさんの前だから、誤魔化すように手を伸ばしてジョッキを掴む。

とにかく口の中が乾いていたから。

その中身を、一息に飲み干して——。


「——リリィ、さん? それは……」


味はほとんどしなかったけど、熱いものが喉を通ったのだけはわかった。

——ピコン、と。

聞き慣れた効果音がして、HPバーの隣にマークが点いた瞬間だった。


「——んっ」


急に目の前の景色が回った。

思わず体から力が抜けて——立たせようとしても、バランスがすぐに崩れて、まともな体勢が取れない。

そのまま、倒れそうになって——。


「リリィちゃんっ!?」


その指先が、あたしに触れた。

温かい感触、聞き慣れた声。思わず息を吐いて、またバランスが崩れそうになった。


「大丈夫です。手、わたしが握ってますから。ゆっくり座ってください」

「……りょー、かい」


コリスちゃんに支えられながら、近くにあった小さなタルに腰を下ろす。

まだ目は回ったままだったけど、支えられている間は不思議とあまり気にならなかった。


「……多分、《酔い》です。お酒、飲んじゃいましたか?」

「飲んじゃった……かも」

「……状態異常の一種なんです。治るまでかなり時間がかかりますから、早く帰ってログアウトした方が良いかもしれません。ごめんなさい、カルカさん。今日はお暇させていただきます」

「……わかった。むしろ、こちらこそすまない。ワタシもついて行った方が良いか?」

「いえ、宿屋は近いので。スイさんも大丈夫です。もし良かったらカルカさんと少しお話ししててください」


テキパキと断りを入れると、コリスちゃんはこちらを向いた。


「歩けそう、ですか……?」

「……ううん、少し難しい、かも」

「……わかり、ました。その……かなり揺れる……かも、しれないですけど……ごめんなさいっ」


コリスちゃんが一息にそう言い切った直後、体が宙に浮いた。

触れ合った、彼女の体温がそこにあった。

小さな背中で、おんぶをしてくれているんだって。

気づいてすぐに、大丈夫だよって断って、自分で歩こうとしたけど、やっぱり動かしづらくて。体は言うことを聞いてくれなかった。


「……あり、がと……璃子ちゃん」

「……いいえ。大丈夫、です。今日もリリィちゃん——いっぱい、頑張ってましたから」


不意に、さっきまで足りなかったものが埋まった気がした。

いつも、だ。

その声はすとんと胸に落ちて、温もっていて。どんな時でもあたしの中をいっぱいにしてくれる。


「……本当に、ありがと、ね」


ほんの少し、目を閉じて。


夜の街が明かりを灯す中、わたしは璃子ちゃんに体を預けた。

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