31_『少女は、沈黙のもとに』

「……今日はカルカさんたち、いないんですね」

「平日の夕方だし、まだ社会人がログインしていないのは不思議じゃないもの。……少し、早く来すぎたみたいね」


一日ぶりに訪れたダンジョン内の安全地帯もとい——ギルドホーム。

がらんとした空間に響くのは、昨日の喧騒はどこへやら、わたしたちの声だけです。

まだ、誰も来ていないようでした。


「……それにしても、疲れたなあ」


雑に置かれた石造りの椅子——と言うよりも、ほとんどただの岩ですが。

疲れたかのように声を漏らして、リリィちゃんはそれに腰を下ろします。

昨晩、ここに程近い街でログアウトを済ませたというのに、ダンジョン内のモンスター出現も相まって、結局はここに来るまで一時間ほどはかかってしまいました。【シックル】がほとんど出現しなかったのは幸運でしたが、それにしても、やっぱり不便です。

その上、前衛で戦っていたリリィちゃんにとっての疲弊は、相当なものだったのでしょう。


「お疲れ様でした。お水、です」

「……ありがと、コリスちゃん」


仮想世界なので現実世界の身体には一滴も水分は入りませんが、仮想の渇きは癒えます。

実体化させた水筒を受け取って。一息に、リリィちゃんはそれを飲み干してしまいました。

それから、少しは疲れも取れたのか、彼女は軽く伸びをします。


「……ふぅ。みんなもお疲れ様。……そういえば、リザちゃん、怪我はない?」

「ん、私は何も。リリィの方こそ、何もないの?」

「うんっ、あたしは平気だよ。それで——なんだけど……」


安心したように、リリィちゃんに頷き返して。

何か思い当たったように、彼女は声を潜めました。


「——あたしたち、何しながら待つ……?」


視界の端に表示されている時計を見てみれば、確かにまだ結構早い時間帯です。

カルカさん達が社会人だとすれば、ここに来るまでは早くても一時間はかかるでしょう。

フレンドリストを開いてみれば、やはりカルカさんは非ログイン状態。

昨日、遅くなってしまったこともあって集合時間を聞いていなかった点もですが、これだったらもう少し遅くここに来てもよかったはずです。

そんな一抹のミスが、脳裏をよぎって。

リリィちゃんの言う通り、この場所でどうやって時間を潰そうかと——少しばかり、思案していた時でした。


「ここ、データがたくさんあるんでしょう? だったら……今のうちに、目を通しておかない?」


すっかり静まり返ってしまった中で、スイさんが一つ、提案をしました。


「……そう、ですね。折角、今は時間もありますし……。賛成です」

「ふふんっ、でしょ? 結局大事なのはデータ収集よ」


パチパチ、と三人分。控えめに拍手が起こります。

それにすっかりご満悦といった表情で、彼女は何冊か棚から本を取ってくると、テーブルに積みます。


「……分厚いね?」

「それだけデータが詰まってる証拠だもの。むしろ、ラッキーじゃない」


澄ました表情でページをめくる彼女に釣られて、わたしも一冊取り上げます。

あまりテーブルが広くないために、代わりに置いたのは膝の上。ずっしりとしています。

バランスを何とか整え、ページをめくり——真っ先に映ったのは、挿絵も図もなく、びっしりとページ中を埋める文字列でした。

文庫本自体はよく読みますが、ここまで大判なものはあまり読んだことがありません。どれだけの文字数でしょう。

読む前から思わず尻込みしそうになるのを堪えながらも、まずは一行目に目を通して——そこに記されていたのは、予想とは異なるものでした。


『ルブレスの森付近、露店を運営しているプレイヤーあり。曰くスープ専門店、ラインナップはオーソドックスなもの。一見ゲテモノに分類されるかと思われた味噌汁が一番の当たりだった。そもそもとして味噌がない世界においてもなお、ここまで高い再現度を目指そうとする姿勢には感銘すら覚える』


……改行も何もなく、延々と。続く食べ物のレビュー。

一抹の嫌な予感が脳裏をよぎるのを覚えながら、試しに最後のページを開いてみます。


『今日は、サントゥールの糖蜜パイ。鍛冶屋の近く、近所でこれだけのクオリティーのものが買えるのはかなり幸運。甘い。至福。最高。語るのは最早無粋かと思われる』


最後までびっしりと、一切の例外なく最後に畳み掛けたのち、そこで内容は終わっていました。

というよりも、鍛冶屋の近くを近所と称しているあたり、どうやらこれはカルカさんが残していたもののようです。

スレンダーな体型をしている割には案外食べるのですね——なんて。取り止めもないことを考えながら顔を上げると、揃いも揃って皆が顰めっ面をしていました。


「……これ、書かれてるの昼寝スポットの地図だけ、みたい……」

「……ギルドへの不平不満しか書かれていないのだけど。……どうして、こんなところに置こうと思ったのかしら」


どうやら、有益な情報を見つけられたのは誰一人としていないようでした。

他の本も取り上げて開いてみると、似たようなものばかりです。

集めたデータ——というよりも、各々が勝手に書き散らしたブログのようなもの。

目の前にある山積みの本は、ほとんどがそんな内容なのでしょう。


「……困りました」


仮想世界である以上、堪えることもできず。

思わずため息を零した時でした。



「——無駄だよっ! そんなところを探したって!」



突如として、ホーム内に甲高い声が響きました。

声の主は、すぐそばのホームの入り口——ダンジョンと安全地帯の境目に立っていました。

マントにフード、そして、極め付けにリザちゃんとさして変わらない背丈——見覚えがあるヒト、でした。


『熱い——熱いっ!』


脳内で再生されたのはもっと情けない悲鳴の方でしたが、聞き覚えのある声です。

一番最初にわたし達に攻撃という形でコンタクトを取ってきて——勘違いから《フレイムバレット》で攻撃してしまった相手——仮面で隠れていた顔を、今日は確認することができました。


淡い紫色の肩あたりまで伸びた髪に、同じく紫色の瞳。

顔つきや体型、声のトーンから鑑みるに、女の子——でしょうか。

そして、この世界でアバターは、現実世界の年齢に基づいて生成されます。そして、ログインしている時間も十分に早いもの。

ということは、見た目に違わず、中身も同じぐらいの年齢と考えて良いのでしょう。

けれどその態度は、ずっと尊大なものでした。


「ふふんっ、これだから新入りは……。まだ、データの場所も教えてもらってないの?」

「……そもそも、あなた、誰よ」


スイさんが食い気味に聞き返します。

それに、少し間を空けて。やたらと勿体ぶったのちに、彼女は名乗りました。


「——“ベラ“。ここ——《カラムス》のギルドメンバー。それで、データの位置さ、わからないんでしょ?」

「……わかんないけど。知ってるなら、教えてもらってもいいかしら?」

「僕が教えていいものか、少し迷っちゃうな。かと言って、カルカさん達を待ってても、あの人たちログイン遅いからなぁ」

「何が言いたいのよ」


少し勘に障ったのか、スイさんの口調はだんだんと荒くなっていきます。

そんなスイさんに対して——というよりも、わたしたち全員に、でしょうか。

彼女は、相変わらず大袈裟な身振りや口調と共に、一つ、提案をしました。



「——知りたい情報があるなら、体を張れってこと。僕のお手伝いをしてくれるなら——教えてあげてもいいよ」

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