29_『乙女のはにかみ』
「……そう、だが……」
少々、困惑しているようなカルカさんの声。
その反応から推察するに、リザちゃんがたった今言った通り、“未開域“を目指している——というのは、どうやら図星だったようです。
「……リザちゃんは、なぜそれを……?」
けれど、なぜリザちゃんがカルカさん達の“目的”を知っていたのか。
とても二人がこれまでに面識があったようには思えません。それは、カルカさんの表情を見ればはっきりわかります。
だからこそ一つ、気になったのはそんなところでした。
「私がずっと“ミカイイキ”の辺りで人探しをしてたって——知っているでしょう?」
「……ええ」
「……別に、あの日だけじゃないの。ずっと——ずっと。おね——姉の手がかりを掴もうとしてたから。その間に色々な人たちを見てきたのよ。迷い込んできたらしい冒険者、マイゴだと思って私に話しかけてくれる人、そして——」
カルカさんに向けられた、射すくめるような視線。
その、普段よりも異質さの際立つ瞳のせいか、一瞬、首筋を冷たいものが流れるのを感じます。
「——何度死んでも、“ミカイイキ”への侵入を繰り返す人たち——あなたは、私よりも情報を持ってる——違う?」
確かに頭上で明滅を繰り返す、NPCを示すカーソル。そして、年齢もまだ幼いもの。
記憶ですらもあまり持続はせず、それこそ、ある程度パターン化された会話しかできないNPCとは、全く口にしている内容が違います。
そして、検証班を名乗っている以上、カルカさんの方が、NPCの会話パターンに関する造詣は深いはず。
だからこそ、その異質さに気付いたのでしょう。
「コリス、さん。この子は一体……?」
先ほどの困惑とはまた別種の、ある意味では畏怖にも近い念を孕んだような声音で、彼女はわたしに聞いてきました。
「クエストを受けて、わたしたちが人探しのお手伝いをしてる子——ここの世界の住人、です」
「……えぬ——住人にしては、かなり異質だ……」
NPCがどう——とか、リザちゃん本人の前では口にできないので、少し伏せたまま、答えます。
それでも、意図は十分に伝わったはずで。少々、唸ったのち、カルカさんは一つ、リザちゃんに聞きました。
「アンタ——いや。キミ、名前は?」
「——リザ」
「……リザ……ちゃん、か。了解した」
それから、考え込むような仕草を見せると、席を立って。
その一角だけは立派な本棚から、何冊か本を持ってくると、机の上に重ねます。
「——これが、ワタシ達が集めてきたマップデータと、“未開域”に関する伝承だ。だが、ここまで情報を集めてもなお、“未開域”は未だ閉ざされたまま。現状は、開かれるのを待つしかない」
何冊も、何冊も。それも、それぞれがかなりの分厚さで。
持っているデータの膨大さと熱心さは、十分に伝わりました。
「……だが、“未開域”への道を阻むのが霧とスリップダメージだけであれば、必ずどこかに抜け道はあると——ワタシは——否、ここに集まってきている連中は、皆、それを信じている——というよりも、そういうのが好きな奴らなのさ」
そして、カルカさんが何度も繰り返したゲーマーの“根源的欲求”——この世界で、生きる楽しさ。
決して、ホームは広くないけれど。ギルドメンバーの皆さんは、生き生きとしていて——何よりも、この世界で生きることを楽しんでいるのだと、それを感じるには十分すぎるほどに、ここは賑やかでした。
「……だからこそ、“唯一無二”で、抜け道になり得る可能性があるもの——《共依存》が、ワタシたちには必要だ。もう一度、頼みたい。リザちゃん含めて、アンタらが“未開域”についての情報を求めるのなら、それはいくらでも提供する。だから——手伝っては、くれないか……?」
頭を下げるカルカさん。いつの間にか、部屋は静まり返っていました。
「——痛いこととか、危ないこととか、そういうことはしない、ですよね?」
「それは、約束する」
「だったら、あたしは大丈夫です。……コリスちゃんは?」
そう口にして、少しだけ微笑みを湛えたまま、リリィちゃんはわたしにそう聞いてきます。
リザちゃんは——目が合った瞬間に頷きました。確かに、“未開域”の情報が得られるのなら、彼女にとっては大きなメリットです。
「……スイさんはどう、ですか?」
「アタシは、元々あなた達に付き合ってもらってる身だもの。それに、結局はレベル上げができればいい——ここは、そこそこモンスターが湧くんでしょ? 別に、問題ないわ」
少々早口で、捲し立てるように。スイさんはそう答えます。
三人の意見が合致しました。
そして——最後に残されたのはわたし自身の意見。
ですが、もうそれは、ほとんど確定しきったようなもの、でした。
少し、お人好しかもしれません。
少し、首を突っ込みすぎかもしれません。
でも——それ以上に、この世界を楽しみたいって。きっと、わたしを突き動かしていたのは、そんな感情でした。
「……わたしも、問題ありません。協力、します」
四人全員の同意。総意として、固まった意見を、カルカさんに伝えます。
その瞬間、どっと部屋中が湧いて。
「——これで“未開域”に近づくかもしれねぇ!」
「——吠え面かかせてやろうぜ!」
更なる喧騒が、部屋中を包みました。
そんな中で、一応は落ち着き払った様子——ではあるものの、少しだけ頬を緩ませたまま、こちらに向き直ります。
やはり仮想世界では、少し感情が出過ぎてしまうのでしょう。
けれど、咳払いと共に、再び厳格そうな表情を作って。それから、彼女はわたしたちの方へ、手を差し伸べました。
「——ようこそ。《カラムス・ラディックス》へ。副ギルドマスターとして、心より感謝すると共に、アンタら——キミたちを歓迎する」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「体、すっごい痛いね」
「ほんとです、ほんと」
凝り固まった体を、少しほぐすように伸びをしながら、つり革をしっかりと掴みます。
カフェから出た時、もう外は真っ暗で。
でも、まだ雨は降りっぱなし。
友梨奈ちゃんのだけではなく、たくさんの傘から落ちた水滴が、電車の床を濡らしていました。
「……白帆さん、柑野さん。今日は——その——本当に、ありがとう」
その時、先ほどまで黙り込んでいた浅黄さんがぽつり、と。そんなことを口にしました。
「——別にあたしは大丈夫。すっごい色々あったけど、新しい武器も手に入れたし、賑やかな場所、あたし、けっこー好きだから」
対して、友梨奈ちゃんはいつも通り、人当たりの良い笑顔で、浅黄さんに返します。
そのおかげで少し肩の力でも抜けたのか、彼女は、少しだけ息を吐きました。
「それじゃ、アタシはここで降りるから」
ちょうどその時、軽い振動と共に電車が止まって。
浅黄さんは、電車から降りようとします。
「あのっ、雨、まだ降ってますけど、大丈夫……ですか?」
「うん、大丈夫。気遣いありがとう、白帆さん。——それじゃあ、ね」
ほんの少しだけ、悪戯っぽい微笑み、でした。
それを浮かべながら、腰の辺りで小さく手を振って。
それから、彼女は、今度こそ電車から降りて、人混みの中に消えて行きました。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「璃子ちゃんは門限とか、大丈夫?」
「わたしは、もうすぐ——ですけど、まだ大丈夫です。むしろ、友梨奈ちゃんは?」
「うち、特にそういうのないから。ちょっと遅くなっちゃったし、お家まで送ってくよ」
「流石に、それは——」
「ほら、雨もまだ降ってるし。璃子ちゃん、傘持ってないじゃん」
「それは……そう、ですけど」
互いの手に、傘の柄が触れて——半ば、押し付け合いにも近い、ほんの少しだけ、変な譲り合いをしました。
でも、結局は折れてしまって。
二人で、一つの傘に入ります。
「——なんか、相合傘みたい。けっこー久しぶり、だね?」
その持ち手は、二人で持つ分には小さすぎました。
一歩、歩くごとに僅かに揺れて。
少し、互いの手が触れるだけでも、何だか緊張してしまいます。
どこか強張ったように、自分のことながら随分とぎこちない歩みでした。
「……というか、雨、止んでませんか?」
——どれくらい、歩いたでしょうか。
早まる鼓動の中では、その時間が流れていくのがたまらなく長く思えて。
あまり意識はしていませんでしたが、ぎこちない動作の中、ふと手が外に出た時、そこに触れたのは湿気った空気だけ。もう、雨は止んでいるようでした。
「浅黄さんが言ってたの、こういうこと、だったんですね」
「……天気予報見てたのに、傘忘れたんだ」
少しだけ苦笑いをしながら、ぽつりと溢して。
それでも、友梨奈ちゃんは何事もなかったかのように、そのまま歩みを進めます。
「……傘、畳まないんですか?」
傘を、広げたまま。
「うーん……面白いから、やめない」
そう言って、友梨奈ちゃんはくるりと、少し傘を回してみたり。
散った水滴は玉になって、わたしの肩で弾けます。
「……冷たい、です」
「……ごめんね? 何だか今、すっごく楽しくて——つい……」
そんな風に、少しだけ不満を漏らしてしまったせい、でしょうか。
気づけば、友梨奈ちゃんの足取りはいつも通り。少し前を歩いていたものから、わたしに合わせた歩調に。
もう一度、二人で一つの傘です。
「……色々と、とんとん拍子で——賑やかに、なってきましたね?」
「——うん。どんどん周りに人が増えて。むしろ、うるさいぐらいだけど」
そう口にして、友梨奈ちゃんは立ち止まりました。
顔を上げると、そこはもう、わたしの家の前です。
「みんな、夢中で何かに向かってて。賑やかで——多分ね、あたし、今が楽しいんだ」
いつものように、人当たりの良い、少しトーンの高い声で。
でも、一言一言がどこか歯切れの悪い言葉——少しだけ、昔の友梨奈ちゃんを思い出すような口調でそう零しながら、彼女は傘をすぼめます。
やたらと、長く感じられました。
それはきっと、この時間の終わりを告げるものでした。
「……わたしも、同じです。——楽しい、です」
だからこそ、繋ぎ止めるために。
またつぎを約束するため、わたしはそう口にします。
「……そっか——そう、なんだ。あたしが楽しくて——璃子ちゃんも……だったら、嬉しいっ」
次に彼女が声をあげた時、それはいつものように、少し弾んだような音をしていました。
でも、そのはにかんだような笑みは、いつもとは違うもので。
わたしの望んだつぎに、応えてくれているようでした。
「それじゃ、またねっ!」
「……ええ、また明日、です」
最近になって急に増えた、わたしたちと新しく関係を持った人たち。
カルカさんに、浅黄さん、リザちゃん——ギルドメンバーの人たちも含めるのなら、両手の指を使っても足りません。間違いなく、今までよりも大変です。
それでも、友梨奈ちゃんが隣にいるのなら、何も心配することはなくて——この先、わたしたちを待っている時間は、きっと楽しいもので——。
昔からずっと、揺らがない確証でした。
「……そうです。楽しいに、決まってます」
小さくですが、そんな独り言なんか、漏らしてみたりして。
たった今、過ごした時間を噛み締めるように。
友梨奈ちゃんの背中を見送るのをやめて、ゆっくりとわたしは、ドアノブへと手を伸ばしました。
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