16_DoT:エピローグ 『その願いは、純粋で』

『——“りょーかい”してくれたからっ!』


ホントに、ただの気まぐれだった。

別に、人助けがしたかったわけじゃない。

打算的なものでもなければ、純粋な善意からでもないし。


なのに——彼女は、どこまでも無垢だった。

あたしの気まぐれを、全部善意として受け取って。

そうだ。それこそ、ボールから庇ったのも、彼女の提案に乗って、時間を共に過ごしたのも。

確かに、彼女が勧めてくれる本は面白かった。

けれど——それよりも、何よりも心地よかった。


——“あなたのっ!”


彼女の、あたしを見る目が、あたしにくれる言葉が。

あたしみたいなのが身を投げただけで、そこまでしてくれる子がどこにいるだろう?


『……ん、よろしく——璃子、ちゃん』


彼女の手を取ったその日から、あたしにとって、だけは、揺るがないものだった。





——“揺らぐな”





唐突に、意識は引き戻された。



「ウォォォォォォォォォン!!」



耳をつんざくような咆哮を、聴覚が拾った。

全身は痺れているよう、指先ひとつ動かすのすら困難な状態で。

意識を瞼に集中させる。

最初は、ぴくりと痙攣したかのようにくらいしか動かなくって。でも、次第に少しずつ開いてくる。

ぽつり、と開きかけている瞳から雫が落ちた。

視界は潤み、ぼやけ、はっきりと景色は映らない。


けれど、目の前で靡く白い輪郭と、はためく布らしきもの——現実とは全然違う背姿でもはっきりとわかった。

璃子ちゃんは、響く咆哮にすら揺れることなく、あたしの前に立っていた。


彼女が対峙している先には、遥かに大きなシルエットがあった。


青い光が、散った。


ぼやけていた景色が、像を結んだ。


晴れた視界で、真っ先に映ったバーは、凄まじい速度で減少していた。

未だ黄色かったのが、赤く、そこから更に勢いは止まず、ミリレベルまで減少して。

そこで、減少は止んだ。



——庇わなきゃ。



刹那的な衝動が、身を突き動かそうとした。

いつもと、何ら変わりない。

あたしが身を投げ出せばいい。

そしたらきっと彼女は、またあたしに——


腕に力が篭り、身体を動かすために脳を総動員しようとして。でも、それは叶わなかった。

ぴくりとも動かない。乾いた音一つ、立てることができない。



「——終わり、です」



その時、ただ一度、璃子ちゃんの声が響いた。


——“ピコン”


バーの隣に灯ったアイコン、赤く染まるシルエット。




——パキィィィィィィン!!!




断末魔も何も聞こえなかった。ただ、破砕音が響いた。目の前を破片が散った。

振り向いた璃子ちゃんの瞳が、あたしを捉えた。

別に這いつくばったままでもいい。……彼女に近づかなきゃ。

そんな衝動が身を突き動かす。

手を伸ばした。


もう一度、耳元で破砕音が響いた。

目の前の地を掴もうとした掌は、途中で破片になって散った。

同時に、四肢の感覚が途切れた。


「——友梨——」


聴覚は、途中までしかその声を拾ってくれなかった。

何かを口にしようと、開かれたままの口、見開かれた目。


それを最後に映して。あたしの視覚は途切れた。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……その、ごめんね。璃子ちゃ——コリスちゃん。あたしのせいで——」

「……いえ——むしろ謝らなきゃいけないのはわたしの方です。……ごめんなさい。VR酔いが激しくなるまで連続でプレイをさせてしまって」


小さく湯気を立てるコーヒーと、隣にちょこんと置かれたショートケーキ。二つずつ並んだそれは、どちらも手付かずで。

数日ぶりにログインする仮想世界で、訪れたカフェ。

とはいえ、早速初めてのスイーツを味わう……というわけには、行かなくて。

あたしは、目の前の強張った表情から目を逸らすように、ずっと俯いたままでいた。


「——でも、迷惑だったでしょ? 途中で倒れちゃったパートナー、なんて」

「いえ。むしろ——あそこでリリィちゃんが割って入ってくれなかったら、絶対にわたしは倒されていました。お礼を言うのは、こっちの方です。それに……今日、ここに呼んだ理由は、そんなことじゃなくて——もっと、楽しいお話、だったんです」


ことり、と。

あたしの視線に合わせるようにして置かれた、小さな箱。

その中心に埋められていたものは——確かに、見覚えのあるものだった。


「この、指輪……」

「DoTの報酬——《リング・オブ・フォーチュン》です。——受け取って、ください」


胸に抱かれた本の一ページ、目一杯に描かれた挿絵。


——“すき——だいすき、だよ”


彼女がを、どれだけ好きだったか、あたしは知ってる。

だからこそ——受け取れなかった。

に、触れることなんて、できなかった。


璃子ちゃんには、璃子ちゃんの“好き“があって。

あたしがしたことは、ほとんどワガママに近い。それこそ、“好き“に土足で踏み込むようなものだ。

変わらない関係なんて、あり得ない。あたしももう、小さい時のままじゃない。

いくらワガママなあたしでも、触れていいものと触れちゃいけないものくらい、わかる。

だから——本当に、壊したくないなら、この関係を大切にしたいのなら、せめて形を留めていて欲しいのなら。あたしは一歩、引くべきで——。


「わがまま……すぎましたか? わたし。……もしかして——楽しくなかった、ですか……?」


ぽつり、と。不意に璃子ちゃんが一言、口にした。

仮想世界では、現実以上に感情が表に出る。

ここしばらくの経験で、それは十分に理解していたことだった。

怖い経験をした時は必要以上に鼓動が早まるし、嬉しい時は、現実よりずっと表情が綻ぶ。


「——気を、使っててくれてたんですよね……? 友梨奈ちゃん。——でも——でも」


彼女は、次々に言葉を並べていく。

声は、震えていた。

思わず顔を上げた時、視界に映った瞳は、揺らいでいた。


「わたしは、楽しかったです。友梨奈ちゃんと、この世界で一緒に遊べて——一緒にいれて……。だから——」


ずっと、ずっと昔——小さかった時から、璃子ちゃんがを望むときは、そうだった。

引っ込み思案な璃子ちゃんにとって、毎回それを口にするのがどんなに勇気がいることだったか、想像するのはそう難しいことじゃない。

でも、ここ数年は、目にしたことのないもので。

口にしている言葉とは裏腹——この世界だからこそ、曝け出された素。

彼女が今その表情かおをしている理由もまた、ホントに——ホントに、わかりやすいものだった。


「せめて——せめて、お礼を言わせ——ひゃうっ!?」


……ダメだ。

やっぱり、そんなのに当てられてしまったら、正直な気持ちの滲んだ璃子ちゃんの瞳を見てしまったら——。

壊したくないから、そのままにしておきたいからって、保守的に立ち回ろうとするのだって、何だか馬鹿らしくなってしまう。



「友梨、奈……ちゃん? その手……は……?」



——あたしと同じくらい、璃子ちゃんがワガママだから……じゃない。


心の中で一人ごつ、掴んだものは、あまりに脆い。

か細くて、すぐにでも崩れてしまいそうで。


「……ううん、ごめん。何でもない。あたしもね、すっごく楽しかったの。璃子ちゃんと一緒に、この世界で遊べて。……でも、ホントにいいの……? あたし、あんまりゲーム上手くないし、ワガママだし……璃子ちゃんに、迷惑かけちゃうかもしれないよ?」


……でも、まだ握っていたくて、縋っていたくて。


「そんなこと、ないです。これだって、友梨奈ちゃんがいなければ絶対に入手できなかったもの、ですから。友梨奈ちゃんのおかげ……なんです」


璃子ちゃんが、箱から取り出した指輪。

一切挿絵と変わらないディテール。店の照明によって鮮やかに照り返しを見せてくれるそれは、やっぱり綺麗だ。


「——やっぱり、わたしにはリリィちゃんが——友梨奈ちゃんが、必要みたいです。……は、恥ずかしい、ですよね? ……こんなこと。でも、でも……っ、ずっと、変わらなくて——」


彼女は、それをあたしの指先に当てる。


「——受け取って……くれませんか?」


ここまでされて、言われて、首を振れるわけがなかった。

あたしも君も、ワガママだ。そして、どこかでそれを受け入れているあたしもいるみたい。

もう、答えは決まっていた。


「……もちろん」


ただ一度、頷いた。

璃子ちゃんは、一度息を吸って、吐いて——最後にもう一度、潤んだ瞳を向けて、あたしを見据えて。そうしてから、指輪をあたしの指に嵌めた。



◆ ◆ ◆


◆ ◆




「——リリィちゃん、来てますっ! そこ、【ウルフ】ですっ!」

「りょー、かいっ!」


紅いライトエフェクトが閃き、隣でポリゴン片が散ります。

硬直状態に陥るリリィちゃん。

チャンスとばかりに迫る、もう一匹の【ウルフ】——当然、爪一本たりとも、触れさせません。


「——《フレイム》——」


魔法を放とうとして——わたしは、気づきました。

何故か表示されているに。


「——《バレット》」


真紅の弾丸は放たれ、【ウルフ】を穿ち、そのままポリゴン片にします。

けれど、それとは別に、浮かび上がる疑問。

そう言えば、最近は変なことばかりです。

DoTの終了後、配信では機材トラブルということで、なかったことにされた【lupus】、一瞬感覚が遮断されたDoT、ダメージを受けていないのに、何故か蘇生待機状態になったリリィちゃん——それに加えて、今のクリティカルサークルといい……不具合なのでしょうか?

それにしては、多すぎる気もしますが……一回問い合わせた方がいいのでは——なんて、考え事をしていた時でした。


「《レイピア・ド・バロネス》を買うまでに必要なお金は残り——って、コリスちゃんっ! HP、赤になってるよっ!?」


響いた悲鳴、反射的にチェックしたHPバー。


「……え?」


思わず、頓狂な声が漏れてしまいます。

モンスターは全部倒したはず、被ダメージも当然ないはずです。

だというのに、バーは赤く染まっていて。

残りは数センチほどになっていました。


「——って、あたしもじゃんっ!」


二人して、向かい合わせ。こくこく、と喉を鳴らしながら、一気に回復薬を飲み干します。


それにしても……何故、でしょうか?

この状況で理由として考えられるのなんて、それこそ状態異常くらいしかありません。

でも、状態異常になる攻撃なんて受けた覚えがなくて……バーにもう一度視線を移した時、でした。


「——これ、は……?」


わたしは二本のバーの隣に、一切見覚えのないアイコンが表示されていることに気づきました。

それこそ今までかかったこともないですし、たまに見るSNSや掲示板ですら、見たことがありません。


《共依存》

・戦闘時、継続してHPが減少する。

・パーティーが解散できなくなる。

・かかっているバフ効果をパーティーメンバーと共有する。


表示されたのは、重いデメリットの数々。

パーティーメンバに対してここまで縛りを課す状態異常なんて聞いたことが——と、困惑する手前。わたしは、数々の既視感に気づきました。


戦闘時のHP減少は、リリィちゃんのHPが突然ゼロになった時のものと辻褄が合います。パーティー解散不可は、半ば慣れ始めていました。

そして——かかっているバフ効果の共有——状態異常のはずなのに、何故か存在している強力なメリットは、ついこの間わたしを救ったもの、でした。

けれど、それよりも。一番わたしが引っ掛かりを覚えたのはその名前でした。


「——《共依存》......? これ、状態異常……なんですか......?」


漏れた疑問。さらに絡まってくる頭。

歪な名前と効果を持ったそれは、別に名前を読み上げたところで消えるわけもなく。

ただ、そこに文字列として。確かに存在していました。

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E《リング・オブ・フォーチュン》

E《リング・オブ・フォーチュン》

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