第一章 『無垢』なまま、焦がれていて
01_『想うはあなたひとり』
「——フレイム——」
唱えた起句によって寄り集まった
それを見て警戒でもしているのでしょうか。わたしを先ほどまで睨みつけていた大蛇は、恐々と少しばかりたじろぎます。
けれど——逃がすつもりはありません。
「——バレットっ!」
最後に唱えたその呪文を引き金として、炎の塊は真紅の弾丸へと変化し、刹那、大蛇を穿ちます。
「キシャァァァッッ!」
直後に上がった叫び声と共に威嚇する姿を見る限り、瀕死に追い込まれたために悪あがきをしている、といったところでしょうか。
現にHPは僅かに残っていますし、術後硬直で私は動くことができません。
「……でも、残念でしたね」
そう口にした瞬間でした。
大蛇の体が一瞬赤く変色し、HPバーの隣に一つのアイコンが灯ります。
——
行動の度にHPが減少する、なかなかに厄介な状態異常を『フレイムバレット』は高確率で相手に付与できる追加効果を持っています。
そんな中、ただでさえ虫の息だというのにわたしを攻撃しようとしたらどうなるかなんて、明白です。
「シャァァァァッ!?」
目一杯に開かれた口から覗く牙が私を捉えようとした瞬間、大蛇は火傷ダメージによってポリゴン片となり、断末魔と共に散り行きます。
少し間を置いて表示されたのは、入手した経験値とドロップしたいくつかの素材。
それを一瞥したのち、軽く触れてウィンドウを消した時でした。
「嬢ちゃん、やるじゃねえか。一撃で倒しちまうなんてなあ。それに決め台詞もなかなか様になってたぜ」
後ろから聞こえた声に振り返ると、背中に大剣を装備した男性プレイヤーが立っていました。
耳は私と同じく尖っています。恐らく、同じ妖精族なのでしょう。
「あ、ありがとうございます……」
PKのリスクはないとして……それでも、ノリノリでロールプレイをしているところを見られるのは少々恥ずかしいものです。
現実世界で装着しているヘッドギアがきちんとそれを察知したせいか、頬が熱くなってきます。
「すまねえすまねえ、ちょっとばかし、嬢ちゃんが楽しそうだったから、からかいたくなってよ。……にしても、ソロでメイジをやってるのか? 近距離戦とか大変だろ?」
「……えと……それはあるかもです。でも、魔法を使って戦うの、好きなので」
「だったらパーティーなり何か組めばいいじゃねえか。ほら、今度のイベントって確か、コンビじゃないと出れないだろ?」
そんなアドバイスと共に彼がわたしに見せてきたのは、今度開催されるイベントの情報です。
見出しに躍るのは、『Dungeon of Tag』の文字。このイベント自体は、コンビを組んでダンジョンを攻略し、その踏破時間を競うという、大規模なタイムアタックイベントなのですが、何しろ報酬が毎回限定品なのです。
そして今回の報酬である《リング・オブ・フォーチュン》はメイジの装備アイテムとしては、非常に優秀な性能であり、何より……わたしが、その見た目に一目惚れしたアイテムでもありました。
……というわけで、非常に参加したいイベントではあったのですが……。
「……いえ、わたし、その……人と話すのが苦手なもので……」
少々尻すぼみになってしまう言葉はいつも通り。
彼も流石にこれには……と、苦笑いといった様子です。
「……それに、コンビだったら、組みたい相手がいるので……」
「へえ、その組みたい相手ってやつの種族はなんなんだ?」
「……それが……“彼女“はこのゲームをやっていないのです……。なかなか誘う勇気も出ませんし……」
「そうか。でもな、ゲームに誘うのなんて案外簡単だぜ? ちょっと勇気出して押してきゃいいからな」
……それができたらどんなによかったことか……。
わたしの肩に手を乗せて豪快に笑う彼とは対照的に、今のわたしの表情はきっと暗いものに違いありません。
目の前にはハラスメント防止用のアラートも出ていますが、なんとなく、それを押す気力も無くなっていました。
「……今日は貴重なアドバイス、ありがとうございました。それでは……」
手を振り解いた後、軽い挨拶をして、何か返答が返って来る前に、足早にその場を立ち去ります。
幸い、敏捷性はある程度上げていたため、街に戻るまでは早いものでした。
宿屋に入って、ベッドに寝転んだのち、そっと横向きに指を走らせて、メニューバーを表示させます。
その中からログアウトを選択し、確認に対して承諾。それに触れた途端、視界が光に包まれて、感覚は少しずつ遠ざかっていきます。
そして、その直前に表示された『《Scarlet Fleur》を終了します』というシステムメッセージ。
——
それこそが、このゲームの——この世界の、名前でした。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「ごめんね、
こちらに向かって手を振りながら、彼女は今日もわたしのところへと走ってきます。
「……いえ、今終わったばかりですから」
「そう? だったらよかったよ。それじゃ、帰ろ?」
それに対するわたしの声は、相変わらず小さいもの。
長いまつ毛に、ぱっちりとした瞳。その視線はわたしより幾分か高いところにあるため、少し見上げる形でないと背丈が低い私では視線を合わせられません。
そんな身長差に加えて彼女の整った顔立ちを見ていると、なんだかドキドキしてしまって。
そのために、うまく言葉が発せなくなってしまいます。
「う〜ん、今日もいい天気だねぇ」
しかし、そんなわたしに対して彼女の声は楽しげです。
いつも通り穏やかで、それでいて聞き取りやすい声量で。
コミュニケーション能力の差、というのはこのようなところから既に出て来るものなのでしょうか。
自分との差に、ため息の一つでも吐きたくなってしまいます。
端的に言ってしまえば、私が彼女——
容姿の手入れを欠かさないことも、勉強も運動も、どちらでも高い結果を残してしまうことも、その裏で弛まぬ努力を積んでいることも。
その上、友梨奈ちゃんはいつもクラスメイトに囲まれて、楽しそうに話していて……。
正直、今でも不思議でならないのです。なぜ、あなたが今もわたしの隣にいてくれるのかって。
けれど、こんな質問なんて無粋です。
たとえ聞いたとしても、あなたははぐらかすのでしょうから。
……そんなことを考えていて、少し表情が暗くなってしまっていたせいでしょうか。
「どうしたの、璃子ちゃん?」
「い、いえ、なんでもない、です……っ」
わたしの名前を口にして、あなたはちょっと怪訝な顔をします。
慌てて取り繕おうとしますが、あまりにも慌てすぎたせいでしょうか。声が少しばかり上ずってしまいます。
「ほらほら、もうちょっと落ち着いて……。そんなに慌てて話そうとしなくてもいいから」
そう言って友梨奈ちゃんはわたしの頭を軽く撫でてくれます。
こういう時ばかりは身長差もありがたく思えるものですが、帰り道とは意外と短いもの。
クラスが分かれてしまった以上、辛うじて残った接点である通学時間こそが、一番大事なのです。
「……ありがとうございます」
「いいって、そんな他人行儀にしなくても……。そうだなぁ……」
とはいえ、最近ではわたしの方から話題を持ち出すことはなかなかできず、結局はいつも彼女頼りで会話をしている状態でした。
そして、今日もまた、彼女は話題について思案しています。
……けれど、直後に彼女が持ち出してきたものは、なかなかに唐突で、それでいて、わたしにとっては衝撃的なものでした。
「……えっとね、璃子ちゃん。スカーレットなんちゃらってゲーム、知ってる?」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「お邪魔しまーすっ!」
「ど、どうぞ……です」
少しばかり大きいリュックを背負って、友梨奈ちゃんが玄関を跨ぎます。
彼女がここに来るのは高校入学以来——大体2ヶ月ぶりほどと考えると、随分と久しぶりのような気もしました。
「へぇ、ここ、璃子ちゃんの部屋になったんだぁ……」
最近貰ったばかりだったために、見るのが初めてだったからでしょうか。
部屋中をしげしげと眺めながら、彼女はそんなことを口にします。
「ええ、リクライニングチェアもしっかり、二人分用意済みです」
「ご苦労っ! ……なんてね。ありがと、そこまで準備してもらっちゃって」
「いえ、大丈夫です。VRゲームはやっぱりくつろげる環境でやらないといけないので……」
それにしても、今日、彼女がここにいるのもなかなかに不思議なものです。強いていうなら、ほっぺたをつねりたいくらいですし。
「じゃっじゃーん! というわけで持ってきました!」
そして、友梨奈ちゃんがリュックから取り出し、高々と掲げているのは一つのパッケージ。
その真ん中あたりに書かれているのは、見慣れたロゴです。
今日、彼女がここに来たのはそれが理由でした。
数日前のこと、唐突に彼女が持ち出した新しい話題。
それは、わたしがプレイしているゲーム——《Scarlet Fleur》について、でした。
『あたしね、最近えむえむおーあーるぴーじー? ……に興味があって。それでちょうど璃子ちゃんがやってたゲームのこと、思い出したんだ。ねえ、今度一緒にやらない?』
その話、持ち出したことありましたっけ?といったことは置いておいて……本当にその提案は願ったり叶ったりでした。
何せ、自分から話しかける勇気が出なかったところを相手側から話題として持ち出してくれたのですから。
……そこからは、随分と饒舌だった気がします。
世界観について話して、ゲームシステムについて話して……と。やはり、そういうもの、なのですね。
その間の友梨奈ちゃんの温かい視線は本当にありがたいものでした。
さて——ちょうど、次の日が休みだったというのもあり、そこから話はとんとん拍子に進んでいって、彼女は今、目の前にいる、というわけです。
「……じゃあ、始めましょうか」
「うん!」
そんな軽い掛け声と共に、ヘッドギアを装着します。
暗くなった視界の中で、彼女が準備を終えるのを待っていた時でした。
「……えっと……こう?」
「ひゃいっ!?」
突然、彼女の手がわたしのお腹に触れたせいで、思わず声が漏れてしまいます。
「……ど、どうしたんですか!?」
「きゃりぶ……れーしょん……? 体を触れって」
「自分のです……自分の……っ」
そのせいか、しばらく沈黙が続いてしまいます。
ただ聞こえてくるのはペタペタと彼女が自分の体を触る音くらいのもの。
「うん、これで全部終わったみたい」
そして、ようやく初期設定周りは終わったようでした。
「……ダイブの仕方は分かりますか?」
「うん。一応、説明書は読んできたから。じゃ、行こっか」
そんな言葉に合わせるように、背もたれへと体を預けて、目を瞑ります。
途端、それを合図にキュイーンと音を立てて、ヘッドギアが動き出し、真っ暗だった視界の裏が、白く照らされて。
『Welcome to Scarlet Fleur!』
表示されたメッセージと共に浮遊感が身を包み、私の意識はもう一つの世界へと、飛翔しました。
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