母娘

 その夜。

 家に帰ってから、母親に今日起きたことを話したら、大目玉を食らった。父親が帰って来てから、母親がそのことを話し、なんと叱られるかと思ったら、親父は「金やるから明日謝ってこい」と言って、メガネ代と迷惑料を足した金額を封筒に入れ、俺に渡しただけで、それ以上は何も言ってこなかった。俺の顔から十二分に反省していることが分かったからだと思う。


 次の日、学校が終わってから、彼女にちゃんと謝ろうと思っていたのだが、彼女は学校に来なかった。

 だから美術部の子に、宍戸さんの住所を教えてもらい、彼女の家に直接赴くことにした。


 

 彼女の家の前に立ち、昨日から推敲に推敲を重ねた謝罪文を頭に思い浮かべてから、ドアホンを鳴らした。


「はい」

「神宮高校1年の関ケ原と申します。昨日香蓮さん眼鏡の件でお詫びに伺いました」

「あ、はい。すぐ向かいます」


 宍戸さんの声に似てはいたが、若干低めだったので、お母さんの声だろうか。


 俺が緊張の面持ちを浮かべて、待っていたら程なく扉が開いた。


「わざわざすみません。そんなお詫びだなんてよかったのに。本当、うちの子がとろくてごめんなさいね」

 出てきたのはやはりお母さんらしき人で、腰も低く逆に謝られてしまった。


「あの、これ、メガネの弁償分です」

 俺はそう言って、父親から受け取った封筒を、彼女に手渡そうとした。

 しかしお母さんは

「こんなの受け取れませんよ。うちの子も、校庭の近くで絵をかいていて、わき見してたのが悪いんですから。それに、もともとあの眼鏡、鼻あてのところが曲がっていて、良くずり落ちてたから早く替えたらってずっと言ってたんです。詳しく教えてくれないんですけど、どこかでぶつけたらしいんです。ほんとドジな子で、どこにぶつけたのやら」

 俺はそれを聞いて、彼女が入学初日に教室で盛大にすっころんでいたのを思い出した。


「替えたらって何度も言ったんですけどね、あの子全然言うこと聞かなくて。だからいっそ壊れて替える機会になってよかったと思います。ほんとに怪我もなかったし、お金は持って帰ってください」


 そう言って押し返してきた。


「しかし、これ持って帰ったら、僕が親父に殴られるんですけど」

 俺は嘘をついた。

 今まで親父に殴られたことなどない。しかしこうでも言わないと、彼女は受け取ってくれないだろうと思ったのだ。


 お母さんは困ったような表情を浮かべたが、ぽんと思いついたように

「じゃあ、私がお電話しましょう。直接お話すれば、お父様も納得してくださるでしょうから」

 と言った。

 

 俺は彼女に電話番号を教えてから

「……あの、香蓮さんは大丈夫ですか? 今日、お休みしていたみたいですけど」

 とお母さんに尋ねた。


「ああ、あの子ね、ちょっとびっくりしすぎちゃったみたいで、それで熱がね、ほんのちょっとなんだけど、出ちゃったから、それで休んでただけなの。今は熱も下がって全然大丈夫だし」

「……でも眼鏡ないと学校にも行けないですし」

「そんな心配しないでいいわよ。最悪学校には、コンタクト付ければいけるもの」

「え、香蓮さんコンタクトも使ってるんですか?」

「え、ええ。あ、でも、学校にはなぜかつけていきたがらないのよね。休日は使うみたいなのだけれど。不思議よね。私も不思議」


「……でもやっぱり、怒ってますよね」

「え、香蓮が? 全然!! さっき熱も下がって寝るのにも飽きたみたいだから犬の散歩に行ったんだけど、ケロッとしてたわよ。それに春のころだったかしら。香蓮が鼻血を出した時に、あなたに助けてもらえたのが、嬉しかったみたいで、今でも時々その話をするのよ。土日が明けたらすぐにでも学校には行くと思うわ」

「あ、今、お出かけ中なんですね」

 てっきり、怒って、俺に顔を合わせるのが嫌なのかと思った。


「そろそろ帰ってくると思うわ。あ、ほら」

 お母さんは、家の前の道まで出て、指をさした。

 確かに、一匹と一人がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。


 宍戸さんは訪問者が家の前にいることに気づいたのか、立ち止まって、じっと訝しがるように俺のことを見た。


「え、関ケ原君?」

 眼鏡がなかったから、随分と新鮮に感じたが、確かにその声は宍戸さんのものだった。 


「こんにちは、宍戸さん。昨日はごめんね」


「え、え、うわ、うそ」


 宍戸さんはさっと顔を赤くして、その顔を隠すように、家の中へと飛び込んで行ってしまった。


「……ごめんなさいね。知ってるかもしれないけど、あの子シャイだから」

「あ、いえ、はい」


 お母さんは家のなかに入って、彼女の名前を呼んだ。


「香蓮。せっかく関ケ原君が来てくれたのよ。ご挨拶くらいちゃんとしなさい」

「無理!」

「どうして?」

「恥ずかしいもん」

「何言ってるの? 失礼でしょ。早く降りてきなさい」

「眼鏡無いから、無理!」

「コンタクトつけてるんだから、いいでしょ!」

「だから無理なんだってば!」


 お母さんはガチャリとまた外に出てきて

「ごめんね。うちの子、コンタクト姿見られるのが恥ずかしいみたいなの。普通は逆だと思うんだけど」

「なんでですかね。似合ってると思いますけど」

「そうよね!」


 お母さんはまた家の中に入って

「香蓮!! 関ケ原君、コンタクトの時のほうが可愛いって言ってるわよ!」

 ちょっとお母様!?

「余計に無理!! そんなこと大きな声で言わないで!」

「降りてこないなら、香蓮の中学の時の恥ずかしい話、しちゃうわよ」

「辞めて!!」

 絶叫にも近い声が聞こえてきて、ドタドタドタと階段を駆け下りてくる音が聞こえた。


 意地の悪そうな笑みを浮かべたお母さんが

「降りてくるみたい」

 と言った、次の瞬間、玄関が開いて、宍戸さんが飛び出てきた。


「お待たせ」

 宍戸さんはそう言って、髪をかき上げた。

「初めからそうすればいいのに」

「お母さんは出てって」

「もう出てるわよ」

「家の中に入ってて!」

「はいはい」


 そう言ってお母さんは家の中に入って行った。


「ごめんね。わざわざ来てもらって。全然大丈夫だから心配しないで」

「あうん。昨日は、ごめんね」

「ほんとに大丈夫だよ」


「……学校にはいつ来れそう?」

「あ、土日で眼鏡作るから、月曜からはいけると思う」

「そっか。よかった」


「そーだわ。いいこと思いついた」

 突然扉が開いて、お母さんが中から出てきた。


「ちょっとお母さん!」

「やっぱりお金は受け取らないわ。その代わり、この子が眼鏡選ぶの手伝ってくれないかしら?」

「余計なこと言わないで!」


 宍戸さんは悲鳴にも近いような声を上げていたが、俺も気にせず

「それなら是非、お付き合いしますよ」

 とお母さんに告げた。

「そう、じゃあ、よろしくね。後で連絡させるから」

 そう言って喚く宍戸さんを家に引きずり込んで、今日の面会は終いとなった。


 娘とは対照的に随分とパワフルなお母さんだったな。想像と全く違っていた。

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