第2話
ジェン・ラグレッド、と名乗ったその男に連れられ、私は町外れの小屋に来ていた。商店街からかなり歩いたところだったが、私の家よりは開けた場所にあった。
木でできた扉をくぐると、鼻を突き刺すような臭いが襲ってきた。酢のようでありながら、それ以上の不快感がある。人の家だ。顔をしかめたり鼻をつまんだりしては失礼だけれど、正直、臭い。ジェンはローブを脱いでベッドに放り投げ、木の椅子に座った。この家はほとんどのものが木でできているようだ。椅子の足には三日月形の棒がついていて、ゆりかごのように揺れている。
「その辺、てきとうに座れ」
「は、はい」
買い物バッグを抱えて家の中を見回したが、座れそうな場所はない。床は難しそうな本が散乱しているし、ベッドの上はジェンのローブや服、そして工具が散らばっている。
「あの、立ったままで大丈夫なので」
私は椅子をゆらゆらさせながらデスクに向かっているジェンに声をかけた。ジェンは首だけ捻って私を見ると、眉間にシワを寄せる。それからノロノロ立ち上がって、ベッドの方まで歩き、ベッドの上のものを全て床に落とした。まるで溜まってしまったホコリをはたくようだった。私はその仕草を見てギョッとした。この人、モノに無頓着。
「ここに座ればいい」
「では失礼します」
私はベッドに腰を下ろした。思っていたより高反発で、寝心地が良さそうだった。部屋を見回すと壁一面に本棚と、瓶やナイフが大量に陳列された棚があった。床は汚いけれど、棚は整頓されている。
「それで・・・・・・お前、悩みはなんだ」
突然問われて、心臓が跳ねる。抱えたバッグの布を指でかき集める。魔法が使えない。なんとなく縋る気持ちでついてきてしまったが、出会って数分の人に明かせるほど、私の悩みは軽くない。脳内で会議がはじまる。言ってみたらいいじゃない、いやだめよ、でも解決するかもよ、十六年変わらなかったのに。私は結局、話を逸らして逃げ帰ることに決めた。口角を上げて目一杯の笑みをつくる。
「そんなことより、あなたのこと、なんで呼んだらいいですか? ジェンさん、ジェンくん、それとも呼び捨て?」
「別に、好きに呼べばいい」
「そうですか! 私のことも好きに呼んでください」
自分でもうるさく思うほど、声を張ってごまかす。私は唾液を飲み込んでジェンを見つめる。沈黙が流れると辛い。しばらくして、ジェンが口を開いた。
「わかった。ゲームをしよう」
驚いた。ジェンはゲームという言葉が似合わないように感じた。突拍子もない提案に、ギシギシと首が動く。
「ルールは簡単だ。イエスかノーで答えられる質問を相手にする。質問には必ず回答すること」
「ああ、それなら得意です」
学校の年度はじめに、クラスで親睦を深めるためにやるやつだ。大抵このゲームが終わると、なんでもバスケットなんかがはじまる。毎年、この時点で仲良しグループが決まってしまうから、私は意外とピリピリする。私たちはジャンケンをして、先攻を決めた。私がパー、ジェンは黒い手袋をしたままグーを出した。
「それでは、いきますね」
ジェンがうなずきすらしないので、勝手にはじめた。なんだか無愛想でやりにくい。
「あなたは、外国からきたんですか」
「いいえ」
個人情報を探っていくことにした。洋風の名前なのに外国生まれでないということは、親が外国から移住した人たちなんだろう。ジェンは椅子を揺らして、次の質問をするよう急かす。十問やったら交代だ。しばらくは身長や歳について質問していたが、六問目が終わって、踏み込んでみる。
「あなたは、何の仕事をしている人ですか」
ジェンが綺麗な眉を歪める。
「イエスかノーで答えられる質問にしか答えない」
めんどくさっ。ジェンに歪んだ眉を送り返した。だいたいにおいて、こういうゲームはネタが尽きてくるとルールはあってないものになるのだ。それを彼はわかっていない。
「では質問を変えます。あなたは魔法士ですか」
「いいえ」
「あなたは魔法が得意ですか」
「はい」
「あなたは・・・・・・薬売り、ですか」
「はい」
ジェンが顔色を変えず答えた。私は自分の推理が当たって、少し興奮した。魔法士には会ったことがあるが、薬売りははじめてだ。この島にも、日本からきて独自に発展したドラッグストアなるものがあり、個人で薬を売る人は減っている。棚に並べられた瓶の中に薬が入っているのだろう。
「攻守交代です、質問をどうぞ」
私は決まり文句を言って、うながした。
ジェンは椅子を揺らすのをやめて、座り直した。浅く腰掛け、前のめりになって私を覗きこんでくる。なんだか空気が乾燥している。私は唾を飲みこんだ。ピリピリする。学校でやるときと同じようだった。
「では最初の質問です」
彼が妙に間を空けるので、私はじれったくなる。
「はい」
「お前は魔法が使えないのか」
私はもう、突然水風呂に投げ込まれた気分で、彼の青い目を見つめた。その光は冷たくて、どうにもできなくて、喉の奥からしぼりだした。
「はい」
私は柄にもなく緊張して、うつむいた。学校でバレたときは笑い飛ばし、逃げる。そこに緊張とかいう不安定な感情はなく、ただ私が異質だという事実に呆然としては、肌が粟立つのを感じるだけだった。今は違う。この人に嫌われても、おかしく思われてもいい。この事実を変えられるかもしれない、そんな淡い希望があるから怖い。
「なんだ、そんなことか」
彼のツヤツヤした声が、脳みそをめぐる。脳みそのシワに至るまで、全部がその声をキャッチした。私は顔を上げてジェンを見つめた。
「そんなことって・・・・・・。どういう意味ですか」
ジェンは、さも太陽は熱いというように、口を開いた。
「そのままだ。魔法が使えるようになれば満足するんだろ。僕の職、お前が当てたばかりじゃないか」
「魔力を増やす薬があるんですか」
「そんな短絡的じゃないがな」
ジェンが勢いをつけて椅子から降りたので、私も思わず立ち上がった。コン、とキレの良い音が、彼のブーツからした。夢を見ている気持ちだった。ジェンが瓶の並ぶ棚に歩く。レポートみたいなものを持って、棚を眺めていた。私も、散らばっている本をなんとか避けて彼の横に立った。なにやら真剣な顔つきで、レポートと睨めっこしている。
「魔法を使えるようにするといっても、一回の薬じゃ効果は少ないんだな」
私は舞い上がっていたのか、彼の呟きに口を出した。
「一回にたくさん飲めばいいじゃない」
「はぁ?」
彼が怒気を含む声でこちらを諫めた。やっちまった、と首をすくめる。
「体が持つわけない。一気に服用して力を手に入れた魔法士もいれば、失ったやつもいる。僕が出す以上、そんな欲張りは許さない」
すごい剣幕だった。怒られてしまった。しょんぼりして棚を眺めていると、ジェンが私の肩を軽く叩いた。
「金は要らない。僕がお前に協力する。その魔法書は」
彼は私の肩越しにベッドを指差した。
「今すぐ欲しいところだが、気の向いたときに譲ってくれ」
「えっと、それはつまり、私を魔法が使えるようにしてくれるということですか」
「まぁまだ__」
彼は何か言いかけて、焦ったように口をレポートで押さえた。
「不安だったら、お前の父上や町の医者に薬を見てもらえ。晩鐘というのは役人だろ」
父のことを知っているのには驚いたが不安はなかった。急展開に頭が追いつかないのもあるだろうが、さっきの剣幕を見たら安心できる。きっとあれは本心だ。
「お前には数日おきに来てもらうことになる」
「わかりました。よろしくお願いします」
彼に向かって、心から頭を下げる。心臓が、今までと違う跳ね方をしている。わくわくしてきた。
「なんだか極秘作戦みたいですね」
そう言うと、彼がびっくりしたようにこっちを見下ろすものだから、またいらないことを言ったかと心配になった。しかし、すぐ表情が和らいだ。
「まぁ、そんなところだな。作戦名はあるのか?」
おふざけに乗ってくれたので、私は急いで考える。しかしながら、私はそこまで発想力を持っていない。
「今度言いますね」
「わかった。明日また来てくれ」
彼はそう言うとまた、レポートと睨めっこをはじめた。今まで会った人とは違う雰囲気を感じた。私は魔法書と買い物バッグを抱えて、木製のドアノブに手をかけた。やはり外の空気はきれいだ。私はジェンに向かって叫ぶ。
「ジェンさん、また明日! よろしくお願いしますっ」
黒い手袋がひらひらした。私は、パルフェを食べる前のように満ち足りた気持ちでいっぱいだった。これから私の世界が少しずつ変わっていく、かもしれないから。
ドアを閉めようとすると、足の間を小さな犬が走り抜けた。するりと隙間を抜けて、ジェンの小屋へ入ってしまった。ドアはそれに驚くこともなく、パタリと閉まってしまう。
「・・・・・・飼い犬?」
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