アイム ノット ア ハッピィ プリンス

湖池あひる

第1話 

 庭に青空が広がっていて、風が足元をひっかくように吹いていく。

 大事なことは、リズムと統制だ。そんなことが魔法書に書いてあった。私は芝を踏み締めて、浮遊魔法をかけるために目を閉じた。イメージも大事。少し離したところに置いたグラスを思い浮かべる。それからやっぱり度胸。ビビっていても魔力は力を貸してくれないから。私は両手を祈るように握りしめて、その拳に魔力を流し込むように力を込めた。体と意識に、変化はなかった。私はうんざりして手を解き、グラスを取りに歩いた。今日もやっぱり上手く行かない。この世で一番簡単で単純な、無機物への浮遊魔法は、私にとって丸太を素手で折るくらいに難しいものだった。ちびっ子でも楽々できる。正直、十歳を越えればグラスのように軽いものは、無意識下で浮かせられるのが普通だ。私はこの間の四月で十六歳になった。

 私はグラスを拾い上げて、土の匂いがする芝に仰向けになった。空は広いけれど、封じ込められている気がするのも事実だ。日光にグラスをかざしてぼうっとしていると、母さんが声をかけてきた。私は起き上がって向き合う。

「どしたの、母さん」

「ちょっとお使い行ってほしいんだけれど。練習中だったか?」

「うーんと、まぁ、気にしないでよ」

母さんは大きな白い麻の袋を抱えて、ケラケラと笑った。

「あんまり気にするもんじゃないよ。根性さえあれば何とかなるさ」

母さんは、昔スポーツ界で活躍していた。だからなのかはわからないが、何があってもけろっとしていて、根性論を信じていた。私の方も根性論は嫌いじゃない。

 いつか報われるかもしれない。

 いつかみんなが、私を褒めてくれるかもしれない。

 そういう、水を目一杯入れてしまった風船みたいな『いつか』を待つのには、根性が必要だった。努力は裏切るかもしれないけれど、根性は裏切りようがない。

 母さんは、ガウチョパンツの裾をはためかせて家に戻っていった。ちゃっかり袋とメモを置いていった。私は、やれやれ、と思い苦笑した。

 街へ出るのは楽しい。知らないものが沢山あって、私を知らない人も沢山いる。魔法が使えない人間はあまり歓迎されないから。

 この島は、『日本』という国に属しているらしい。ただ、それは名目上でしかない。歴史は苦手だから昔のことはよく分からないけれど、世界中が平和を誓った時代に、この島の文化も認められたという。私たちの島は、隠蔽されている訳ではないが、公にされない。そういう約束がある。日本に魔法が存在するのかは知らないが、一度は島を出てみたいと思う。私の父は一応島の外交官で、日本の偉い人と会議をしていたりする。お土産は一度ももらったことがない。

 商店街は石畳の道を中心に、色々な店が並んでいる。私は、母に頼まれた洗剤や日用品を買った後で、本屋に寄った。意味のないことだとわかっていても、魔法書を探してしまう。『小学生からの魔法入門』じゃあダメだった。次は『ようちえんからはじめるたのしいまほう』を買うべきだろうか。妹に買っていってやるんです、という顔をすれば怪しまれない。かわいらしい表紙に手を伸ばしたその時に、肩に何かぶつかった。トンっと下から音がして、そこにりんごが落ちていた。本屋に扉はなくアッピロゲで、誰がいるのかすぐにわかった。

「悪りぃな、手が狂ってさ」

心象が最悪な笑いを見せたのは、私が中学の頃の同級生だった。名前は確か、森羅くん。どう狂ったらりんごがすっ飛ぶのか、知りたかった。あーもう、ほんとについてない。魔法を使われちゃ勝ち目はないから、逃げるより他ない。店長であるオバさんの睨めつけるような視線を感じて、咄嗟に魔法書を棚から引っ張り出してレジに出した。

「お金、これで足りるでしょっ」

「おー、ぴったりじゃないか。でも__」

「いっつも立ち読みばっかりでごめんね、さよならっ」

オバさんの言葉を遮って店を走って出た。

 まさかお金がぴったりとは思わなかった。石畳をサンダルで駆け抜けながら、右手にかかる重みにがっくりする。思ったより厚い本を買ってしまった。

「それで森羅くーん! もうやめない?」

ぜいぜいしながら追ってくる森羅くんを煽ってみた。彼はほうきがないと飛べない。

 商店街を気持ちのいい冷たい風が通り抜ける。追い風だ。母譲りなのか、体力には自信がある。森羅くんは学校でも成績が抜群で(性格は最悪だけど)身長もあったから、女の子に人気だった。そんな彼に絡まれることは、女の子から妬まれることでもある。全ての元凶は彼だと思うことも多い。

 しばらく走っていると、ピュッと、異質な音が聞こえた。肝が冷えた。空を見上げる。なんてきれいな青空。森羅くんの赤い巻き毛がよく映える。ほうきがあれば、飛べる。

「魔法は使えるようになったかぁ?」

彼が叫んだ。

「ちょっと待ってよ」

喉の奥から声を絞り出し、とにかく走った。目の前を、分厚い白のローブに身を包んだ人が通りかかった。商店街の人は助けてくれない。

「ねぇ、あのほうき、なんでもいいからぶっ壊して!」

走った勢いのままローブにしがみつく。

「あいつ最悪なの、私いじめられてんのっ」

森羅くんを指差して叫ぶと、ローブから声がした。

「ぶっ壊すのは性に合わないな」

すると、森羅くんのほうきが進行方向を変えた。ほうきが暴走している。彼は優秀だから振り落とされることはなく、ローブからはつまらなそうな溜息がした。

 ローブは私の手首を掴み、路地裏へ引き入れた。石畳で、ローブから出たブーツが音を出す。

「あの、助けてくれてありがとう。私は晩鐘ミズキです。ほんとに危なかった……」

「気にすることじゃないよ。痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんだからな」

「違いますよ、そんなかわいいもんじゃないし」

私はふと、右手の疲れを感じて本を持ち直した。すると、ローブの人は息を呑んだ。すらっとした背中を丸め、長い足は曲げ、私の鼻先まで近づいてきた。ローブから覗く、宝石のような青い目に、私は思わず息を止めた。目は見開かれ、私を捉えている。

「その魔法書、どこで手に入れた?」

「あ、あっちの本屋で買いました」

「僕にくれ」

「はい?」

「その本を、僕に譲れ」

美しい顔で迫られて、思わずオーケーしそうになり、慌てて首を横に振る。

「それはできません! 今月の小遣いは全部使ってしまったし、魔法書は私に必要なので!」

「その魔法書は、間違いだらけなんだよ!」

彼は頭を抱えた。間違いだらけの本が、どうして本屋にあるんだろう。

「え、どうしたらいいでしょう」

頭が回らない。魔法書が間違っているなら意味がない。だが、あの店長が返品を受け付けるとは思えない。小遣いも、へそくりもない。

「じゃあ、僕の小屋へ一緒に来い。君の悩みをできる限り解決してやる。代わりにそれをよこせ」

「私が何に悩んでいるか知らないでしょ」

「案ずるな、僕は天才だ」

彼はツヤのある声で呟くと、ローブのフードを取った。黒く、少し長い髪の毛が風になびく。

「僕の名前はジェン・ラグレッド」

それが、彼と私の出会いであった。

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