魔王様と99人のいもうと

辻内

Lonely girl plays with doll.

 あたしが仕える魔王様には99人の妹がいる。

 あ、間違えた。99人の妹が「いた」。

 数えてみれば既に78人に減っていて、つまり魔王様はもう21人の妹を自ら手にかけ葬ったということだ。


 魔王様は一番上の姉上様だから、妹たちよりずっとずっと強い。そこは年の功というやつね。

 でも妹たちもさすがに魔王様の妹だけあって、魔力・腕力・知力、どれもただ人では到底敵わない強者ぞろいだ。魔王様といえど一人葬るだけでもひと苦労。お側に控えるあたしは、魔王様が怪我でもしやしないかと心配でハラハラ。


 好戦的な21人目との戦いはなかなかに死闘で、七つの昼と八つの夜の戦いの果て、魔王様は妹の操る魔獣に腕を一本噛み千切られてしまった。残る一本で妹は魔獣ともども首をねじ切られたわけだけど。

 腕はまた生えてくるまで十日ほどかかるので、いかに魔王様といえども痛手に違いない。そもそも魔王様だって痛みを感じるのだ。事実、紫色の血がボタボタ垂れる肩を押さえながら、魔王様の美しい顔が苦痛に歪んでいたんだもの。

「魔王様!」

 悲鳴を上げたあたしに、魔王様は顔を青ざめさせながらも、

「うるさい、帰るぞ」

 素っ気ない態度で踵を返し、いつもより弱々しい飛行で城へと帰還した。

 なんておいたわしい、あたしの魔王様!


 魔王様は人でいうところの若い女性の形をしているんだけど、この世の誰とも比べられないほどお美しい方なの。

 豊満さと繊細さを併せもつ肢体は雪のように白く、豊かな夜色の髪がよく映える。艶美が香り立つような切れ長の瞳と、濡れたような紅の唇は、目を合わせることすら憚られるほど魅力に満ちているの。この世の全ての美しさを集めたような、という言葉は、魔王様のためにあるものね。

 でも、そのお心は喜ぶことも悲しむこともなく、かといって声を荒げて怒ることもしない。麗しき美貌はいつも凍りついていて、ピクリとも表情を動かさない。土から創られた人形であるあたしより、ずっと「お人形さん」みたいなお方なのよね。


 あたしは魔王様に造形してもらっただけあって、まあまあ可愛い女の子の形をしている。栗色の巻き毛にぱっちりした瞳。手脚は華奢だけど、魔王様のお世話に支障がないよう、ある程度の腕力と俊敏さは備えられているの。

 どうしてこういう形になったのかは知らないけれど、ずっと独りきりで暮らしてきた魔王様が、無聊を慰めるとしたらこんな相手が良かったっていう姿なのかも。そう、あたしは魔王様に望まれている!

 だからあたしはあたしが好き。大好きな魔王様が必要としてくれるあたしのことが大好き。

 誰よりも強くて誰よりも賢く誰よりも美しく、そして誰よりも孤独な魔王様。あたしがたった一人、生まれた時から愛しているお方。


 地の果ての岩山の城に隠れるように住んでいる魔王様とは違い、妹たちは人や動物、植物たちを支配して、欲望のままに享楽の世を楽しんでいる。

 そうやって妹たちが悪さをするものだから、魔王様自身は誰にも姿を見せず、誰にも迷惑をかけていないというのに、

「悪逆非道な妹たちの姉なのだから、きっと魔王という奴は、もっともっと恐ろしく、冷酷で残虐な悪魔に違いない」

 と勝手なイメージで世界に疎まれているの。なんてひどい話!

 そんな生きとし生けるものの敵である妹たちを、魔王様は自ら出向いて、一人一人殺しているのだ。そういう仕事は人間の勇者とかがやるべきなのに、いかんせん人間はか弱すぎて、妹一人だって倒すことが出来ない。役立たずったらありゃしないわ。人間たちがもうちょっとしっかりしてくれたら、魔王様が怪我をすることもないんだから!


 魔王様の忠実なるしもべにして魔王様を誰よりも愛するあたしとしては、本音を言えば危ないことなどしてほしくない。

 あたしの手料理をたくさん食べて元気でいてほしいし、あたしが心をこめてお掃除しているお部屋でゆっくり休んでほしいし、あたしが魔王様への愛を綴った歌に耳を傾け、心穏やかに過ごしてほしい。

 でもどうしてだが、魔王様は妹たちを殺すことを止めない。立ち止まったら死んでしまうかのように、痛む体を引きずってでも妹たちの元へ向かうのだ。


 悪賢さで国を二つ三つ搾取していた13人目と戦った時は、魔王様はお腹のど真ん中に大きな穴を空けられてしまった。魔王様の漆黒の炎によって消し炭にされた妹の、最期の一撃を避けきれなかったのだ。

 さすがに動けなくなった魔王様を、あたしは泣きそうになりながら城へお運びし、誠心誠意看病した。あの時は気が気じゃなかったわ、思い出したくもない。

 欠けた月が再び満ちるほどの時間が経ってようやく、魔王様はベッドから起き上がれるほどに回復した。ああ、魔王様、よかった! あたしは嬉しさのあまり、我慢していた涙をたくさん流した。

 だというのに、魔王様はまだ塞ぎきっていない腹の穴を真っ黒なローブで隠して、次の妹の元へと出掛けようとしたんだから!

「どうしてそんなに無理をなさるんですか?」

 あたしはたまらず聞いた。

 魔王様はやっぱり美しくも凍りついたお声で、あたしに背中を向けたまま答えた。

「……それが、“姉”の責任だからだ」


 魔王様に創られたあたしだから、「親」を慕う「子ども」の気持ちは何となくわかるつもりだ。でも「姉妹」はいないのでわからない。

 同じ胎から生まれた自分とよく似た違うもの。姉妹。…うーん、やっぱりよくわからない。


 魔王様が妹たちに向ける感情を推し量ることは出来ないけれど、あたしは魔王様が妹たちを壊していくのをサポートする。

 普段は少女の姿をしているあたしは、そこは土人形の利点、魔王様の魔力によって必要な形に姿を変えることが出来る。22人目の妹は、山をいくつも越えた先に支配地をもつ悪党。大きな鷹に姿を変えてもらい、空を自由自在に飛べる魔王様に付き従って、共に大空を行く。

 魔王様の千切られた片腕は形こそ元通りになっているものの、まだ本調子ではないようで、魔王様は握ったり伸ばしたりと、道中動きを確かめているようだった。

 だからもう少し休んでからにしましょうよって言ったのに。ただ妹のことだけを考えている魔王様の横顔を見る時は、ちょっとだけ寂しい思いだ。でもいいの、あたしは魔王様の望みを叶えるためだけに在るんだから。


 22人目の妹は巨漢の悪食で、あろうことか魔王様の恐ろしさを人間たちへの脅し文句として喧伝し、支配地から子どもたちを召し上げては文字通りに食い散らかしているらしかった。

 なんて野蛮な! 魔王様は人間はおろか、動物の肉ですら口にしないというのに!

 魔王様が召し上がるのはもっぱら草木とその果実。命を分けてもらっても再び生い茂ることの出来るものしか、魔王様は食べないでいる。妹だというのなら、少しは魔王様を見習いってほしいわね!


 岩肌をくりぬいただけの質素な魔王様の城とは違い、贅の限りを尽くした妹の城は、金銀宝石という名の下品さで飾り立てられていた。

 城の護衛である兵士も仕えるメイドも、おそらく無理矢理連れてこられた人間たちばかりで、きっと妹に魔王様の絶世の美貌と恐ろしさを吹き込まれていたのだろう。正面から堂々と襲来した魔王様を一目見るなり、彼らは恐怖で震え上がった。腰を抜かしそうなところを奮い立ち、立ち向かってきた兵士もいたけれど、鷹の姿のあたしが襲いかかっただけで泡を吹いて倒れてしまったんだから、やっぱり人間は不甲斐ないわね。黙ってそこで寝てなさい。

 あたしの露払いもあり、魔王様は人間を誰一人傷つけることなく妹の元へと到着した。城の一番奥の玉座…ではなく、だだっ広い食堂の長机で、妹は一人食事の真っ最中だった。

 いくつもの大皿で供されているのは、大鉈で切断したらしい何人もの人間の手脚や胴体だ。目玉はそれだけをくり抜かれ、デザートがごとく小鉢にあふれんばかりに盛り付けられている。

「あら姉様、お久しぶり」

 食事の手を止めることなく、22人目の妹は魔王様をぞんざいに一瞥した。にこやかなのは頬張る生肉が美味しいからであって、魔王様への敬慕の念など微塵もなさそうだ。

 山盛りの肉を次々に口へ運んでいく彼女自身が巨大な肉塊で、一応煌びやかなドレスを纏っているものの、あちこちはち切れそうになっていて…というか、既にあちこち破れてしまっていて、最早服の原形を留めていないわね。ピラミッド型の贅肉のおばけにボロ布を張り付かせただけ、というのが最も適格な形容だと思うわ。

「お出迎えは人間どもに任せておいたけど、ご満足いただけたかしら?」

 言葉だけは丁寧に、しかしその動く口にはずっと人間の肉を頬張って、肉の悪魔はゲヘゲヘと下劣極まる笑い声を漏らす。赤黒い人間の血が口の周りをべたべたに汚し、顎の肉と胸元のボロ布にも垂れていく。

「無駄口はいい。死ね」

 魔王様が中空に手をかざす。すると何もないところから漆黒の炎がいくつも現われ、あっという間に肉の悪魔を取り囲んだ。

「あらいやだ、まだわたくし食事の途中でしてよ」

 魔王様が手を振り下ろすと同時に、無数の炎が肉の悪魔に飛びかかる。

 瞬きほどの刹那だった。

 気づけば肉の悪魔は魔王様の目の前にいて、その巨体が魔王様を突き飛ばすと同時に、炎が空の椅子を燃やし尽くす音がした。

「魔王様!」

 あたしは鷹から熊へと姿を変じ(そう魔王様が魔力で命令したのだ)、そびえるような肉の塊に体当たりする。しかし十段腹を少し凹ませたくらいで容易く宙に弾き飛ばされ、長机のごちそうの中へと背中から叩きつけられた。

「まあひどい、セッティングし直しておいてくださいな」

 肉の悪魔があたしを振り返ってゲヘゲヘと嘲笑う。けれどその隙を作るためのあたしだったことを、死角の足元から強襲した魔王様によって瞬時に悟ったようだ。

「ギエエエエエエエッ!」

 腹の肉をえぐり取られた巨体が、耳を塞ぎたくなるような汚らしい悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。壁にぶつかってひしゃげた体にすかさず魔王様は追撃し、鋼鉄より強固な素手で、肉を次々削ぎ落としていく。

「いだいいいい、いだいわ、ねえざまあああああ!」

 燃やすより削った方が効果的だと判断したのだろう魔王様の、嵐のような猛攻に、削り落とされた肉の塊が床にみるみる積み上がっていく。それらはあっという間に青緑色に腐っていき、鼻がおかしくなるほどの臭気を上げながらはやドロドロと溶けていく。

「びどいわねえざま、わだぐじはねえざまなのに、ねえざまはわだぐじなのにいいい!」

 やがて魔王様が返り血でどす黒く染まった頃。壁に磔で残っていたのは、人の形さえなくした肉片と骨の亡霊だった。

「……ひどいわ」

 すっかり痩せ細った妹が、先ほどまでの太ましいダミ声とは打って変わって、繊細な美声を奏でる。それはハープのように清らかな、そう、魔王様の声そっくりだった。今まで魔王様が葬ってきた妹たちとも同じく、姉妹全員が同じ声をしていた。

「わたくしを殺したって、姉様は姉様のまま……。報われることなんてないのに」

「……わかっている」

 魔王様が妹の首に手をかけ、直角に折る。それきり妹は動かなくなって、床に落ちたのはもう、糸の切れた操り人形だった。

 あたしは無事だった白いテーブルクロスを手に、じっと妹の死体を見下ろしている魔王様に歩み寄る。頬に髪に、そして手にびっしりとこびりついている肉片と血を拭いながら、あたしは魔王様の湖面のような美貌を見つめた。

 22人目の妹は人相が変わるほどの肉に埋もれていたからわかりにくかったけれど、おそらくはこの顔――魔王様と同じ顔で、同じ体に同じ声をしていたのだろう。21人目までの妹たちもそうだったから、きっと、残る77人の妹たちもそうであるに違いない。

「帰ったら、湯浴みをして綺麗にしましょう、魔王様」

 疲れ切って切なげで、凍ったままの視線を妹だったモノに注ぎ続ける魔王様に、何もないはずの胸の奥がきゅうきゅうと哀しい音を立てる。魔王様はあたしに心臓はくれなかったけれど、心はくれた。だからこの心は、魔王様に愛しく想うためにある。

「愛しています、魔王様」

 魔王様のお側で魔王様を想える幸福に満たされながら微笑むあたしに、魔王様は眉ひとつ動かさないままぽつりと呟いた。

「……そういう風におまえを、創ったのだからな」



 ■



 生まれた時から魔王と呼ばれ、私にはずっと私しかいなかった。

 世界から嫌われ疎まれる、呪われた自分自身が大嫌いだった。

 だから私は、あらゆる私を捨ててきた。

 何事にも暴力を振るう私、豪奢なものに目がない強欲な私、悪知恵を巡らせ他者を弄ぼうとする私、美に執着し醜さを嫌悪する私、命を食らい続けずにはいられない私――――。


 気づけば、99人の「私」がいた。

 たった一人の私を残して、「私」たちは「妹」たちとして、世界に災厄として散っていった。


 どんなに私を捨てても、私は私以外になれなかった。

 魔王は世界から嫌われ疎まれ、呪われた存在であり続けなければならないから。

 全ては徒労。何をしたってどうしたって私は、世界はおろか、私自身にすら愛されないまま。

 だから私は、私ではないものを創った。

 私の理想の私。私を無条件に愛してくれる「あたし」。

 女の子が人形遊びをするように、私は自分の意のままになるお人形を手に入れた。



 ■



「おまえが私を愛せるのは、おまえが私ではないからだ」

 しもべであるあたしが魔王様と同じだなんて畏れ多い。咄嗟に返そうとしたあたしの唇に、まだ血の残る魔王様の唇が触れた。初めてではない、むしろ慣れた感触に目を閉じる。

 魔王様がうちに秘めた本心を知ることは出来ないけれど、魔王様があたしをそうお創りになったのだから、あたしの役目はそれでいいのだ。魔王様の望む姿で、魔王様の望む役割を演じ続ける。それがあたしの――あたしと魔王様の幸せ。


 ふと、考えが過ぎる。

 魔王様は妹たちを殺し尽くしたらどうするのだろうか?


 ――ただのお人形であるあたしには、答などわかるはずもなかった。



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魔王様と99人のいもうと 辻内 @tsuji_ms_28

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