第4話 天空の玉座

「ずいぶんと信頼されているんですね」


 中庭をあとにしたカエンは、ポツリと呟いた。別に俺と会話したかった訳じゃないだろう。ただ、帰りの沈黙は行き道よりも苦かっただけだ。


「どうかな。おはるさんにはありがたいことに、毎日小言を頂戴してますけど」


「私からすれば、そんな風に呼ばせていることが驚きです。昔なら身内でも焼かれているでしょうね」


「はは、まさか」


 どうやら冗談を言ったらしい。つくづく美人の表情は読みにくい。


「竜王時代に、態度の悪い外交官の街を燃やしにいったことがありますから」


 どうやら冗談じゃなさそうだ。おはるさんとの接し方を考え直した方がいいのかもしれない。


 カエンは目の前のコーヒーカップに上品に唇を当てた。


「竜の巣は知っていますか」


「それはもちろん。竜の国の首都でしょう。天空を放浪する荘厳な都市。人間の間では、その島自体が竜の背中に造られているなんて都市伝説もあるくらいです」


「あら、貴方もグランのことをご存じで? 彼はかれこれ250年以上も飛び続けておりますの」


「それじゃあ、本当に。うわあ、感激だなあ。まさか伝説の正体が知れるなんて」


 思わぬ所で、世界の秘密の一つを知ってしまった。


「私が生まれたのも、竜の巣なんです。ほとんど国から出たことはないのだけれど、飛び出したお婆さまを追いかけて見た地上には驚きました」


 それからカエンは、竜の巣と地上の違いを瞳を輝かせながら語った。


 世界中から集うさまざまな竜族の種類の豊富さ。人型で暮らしている時にも、竜族は背中に翼をたたんでいること。それからおはるさんの偉大な竜王時代の功績の数々。


 そんなことを語る彼女の口元は綻んでいて、そうしているとぐっと幼く見える。


「竜族を愛しているんですね。どうして竜王のお話をお断りに?」


 立ち入るつもりはなかったのに、ついつい素朴な疑問が口をついてしまう。女の前で口が軽くなるタイプではないはずなんだけど。


「竜の巣の住民は、空に誇りを持っています」


 カエンはおもむろに立ち上がって後ろを向くと、そのままシャツをはだけて背中を大きく開いてみせる。


「そして私は空を飛べません。努力云々の前に、そういう種族なのです」


 細いうなじから肩甲骨へ。赤い髪が流れる美しいライン上には、確かに翼を思わせるものはなにもない。


「あんまりでしょう。竜王が両脇を抱えられて国から出てくるなんて」


 ハッキリ言って、あまり話は入ってこなかった。ただほんのりと赤みのさした彼女の背中だけが、強烈なイメージとして脳みそに焼き付いただけだ。


「お祖母さまはズルいです。ご自分だって、翼が傷んで飛べなくなったから玉座を降りたのに」


 そう言ったカエンの眉は垂れ下がり、唇は尖っている。やはりこの女にしてはあどけない仕草だけど、俺みたいなバカな男には効果的だ。


「これ、お祖母さまに渡しておいてください。雨が嫌いな人ですから」


 最後に渡された袋の中には、雨除けの大きなパラソルが入っていた。虹色のそれの下でうずくまるおはるさんを想像すると、なんだかシュールで心が温まる。


「また面会に来てください。あれでおはるさんも喜んでますから」


「もうここには来れません。お祖母さまを失望させてしまいましたから」


 そう言ったカエンの顔は、来た時と同じ出来る女の堅い表情に戻っていた。

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