第5話 竜の巣の産声
「お茶が入りましたよ、おはるさん」
カエンを見送ったあと、俺は再びおはるさんを訪ねていた。
「あの子は帰ったのかい」
「ええ、今しがた」
おはるさんはまるで重い荷物を下ろした後のように、静かに長い息を吐いた。
「竜王なんざ、誰がやったっていいんだけどねえ」
その呟きはおはるさんにしては珍しく、弱々しい。
「実を言うとね、あたしゃアンタら人間が羨ましかったんだ」
雨は降り止む気配を見せず、シトシトと中庭を滲ませる。
「良いやつも悪いやつもごちゃ混ぜで、一緒になって騒がしく暮らしている。だからいろんな奴を集めてあの国を作った」
竜族が国家を形成したのはそれほど昔の話じゃない。なにを隠そう、このおはるさんこそが竜の巣の生みの親なのだ。
竜には群れる習性がない。元来強大な力を持つ彼らにその必要はないからだ。
だから世界中のあちこちで、好き勝手に暮らしていた。時には各地で摩擦を起こしながら、時にはその地で神と崇められながら。
若かりし頃のおはるさんは、そんな仲間たちを集めた。個体数の減少は目に見えていたし、竜の討伐隊が盛んに組まれていた時期でもあったらしい。
「あの頃は、そもそも竜に知性があることすら広まっていなかったからね。アタシらをモンスターや自然災害と認定する人間の国も少なくなかった」
「ええっと、おはるさんって今幾つ?」
「さあ、4桁も超えると数えるのも面倒だろう」
時々、ここの入居者と話していると時間の感覚がおかしくなる。
元の世界でもあった介護士あるあるだ。「うちの爺さんが黒船を見て」なんて嘘だと思ったけど、90超えた爺さんのそのまた爺さんなら、江戸時代に生きてたって計算は合う。
閑話休題。
おはるさんはそんな竜に声をかけながら、世界との共存の道を切り開いた。
偉大なるマザードラゴンに守られて、竜の巣は栄えた。だけどその繁栄に、亀裂が生じようとしている。
「長らくアタシが面倒見てきたけどね。くたびれたんで、適当な息子に雑事を押し付けてみたんだ。コレが全然ダメでねえ」
次代の竜王は、母ちゃんからなにも学んでいなかった。なにせ数百年単位で親離れに失敗しているマザコンだ。
「もちろんアタシだって仕込もうとはしたさ。だけど年取ると覚えが悪くてダメだね」
おはるさんが引退を決めた後の竜王の座は、日本の総理大臣並みにコロコロ変わっている。そしてその誰もが、竜の巣をうまく統治できていない。
「竜王って、空飛べないとなれないんですか?」
おれはさりげなさを装って、仕入れたばかりの情報をぶつけてみた。おはるさんは俺の遠慮などお見通しで、翼を広げて応えてくれる。
「そんな決まりはないよ。地べたでしか生活しない地竜もいりゃあ、海に住む水竜だっているんだから」
彼女に気分を害した気配はなくてホッとする。
「あんな場所に決めたのが悪かったのかねえ」
おはるさんは遠い眼差しを空に向けた。俺もつられて雨雲に覆われた空を見上げる。
「あたしゃ賑やかなのが好きでね。でも狭苦しいのは性に合わない。だからあの場所に決めたのさ。おあつらえむきに、グランのやつと大喧嘩してとっちめた所だったし」
そういえば、おはるさんの入居が決まった際には部屋の壁をぶち抜くことも提案したんだっけ。だけど彼女は、さっさと中庭の池のほとりを自分の住処と決めてしまった。
「楽しかったよ。血のつながりなんて関係ない。翼があるかどうかなんてもっと関係ない。家族が増えていくみたいでね」
「それじゃあ、国から王を奪ったっていうのは?」
「それこそあの子の勘違いさね」
おはるさんの唸るような声に呼応するように、遠くで稲光が走った。
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