第7話 待ちに待った昼ご飯

「おそ〜い! 何してたの!」


 突き当たりの扉を老ウサギが開けると、ラビィが少々不満げな顔で椅子に座っているのが見えた。空腹が限界状態に達しつつある今の彼女にとっては、美味しい昼ご飯を食べることが何よりも優先されるべき行動なのだ。


「すまんラビィ、いろいろあってな……」

「まあそう慌てんでもよいじゃろう。2,3人分の昼ご飯を追加で作ってもらうからには、少し時間もかかるじゃろうて」


 そう言いながら老ウサギはラビィの隣に腰掛け、2人に手前の席に座るよう促す。


「では、失礼します」

 こういうときにレオの紳士的な姿勢が瞬時に現れることに清水は感心しつつ、ぎこちなく礼をしてから席に着く。清水は少し心を落ち着けるためにも、辺りを少し見回してみることにした。


 右側の壁には暖炉のようなものがあり、中にはいくつかの小さな丸太が組まれているのが見えた。暖炉の近くには木製のロッキングチェアが2つ置かれてあり、壁沿いには背の高い本棚が1つそびえ立っていた。左側の方を向くと、少し大きめの扉があり、湯気のような白い煙が隙間から漏れ出ているのが目に入った。先ほどから胃袋をくすぐっているシチューのような香りはそこから来ているようだ。扉の奥からは軽い金属音や人(?)の声が清水たちのいる大部屋にまでかすかに響き渡ってきている。


 清水は改めて、本日何度目か分からない、自分が異世界に来たのだという実感を抱いた。


「ヒロトさん、でしたかな」


 急に名前を呼ばれ、清水は少しだけ心臓がはねたように感じた。ゆっくり前を向くと、目の前に座っている老ウサギと目が合う。心なしか、その表情は先ほどよりも緩くなっていた。


「ようこそおいでくださいました。わしはルナ・ラトス。このアルニ村で長老を務めております」

「よ、よろしく、お願いします」


 声も先ほどよりさらにトゲがとれ、田舎のゆるいおじいちゃんのような声色になっていることに清水は少々あっけに取られる。言葉が途中でつっかえてしまったのはそのせいか、それとも緊張によるものなのか、清水には定かではなかった。


「ほっほ、まだ緊張しておりますな。もうすぐ昼ご飯が出てくるころじゃろうから、まずは肩の力を抜いておなかを存分に満たしてください。わしが言うのもなんじゃが、うちのメイドが作るご飯はどれも絶品ですぞ」


 ラトスの言葉に合わせ、ラビィが清水の方を見ながら大きく、何度も首を縦に振る。清水が隣をちらりと見ると、レオも幸せそうに小さくうなずいていた。


 来る時もそうだったが、ルナ家のあるじやその家族は自分たちのメイドを心から誇りに思っているようだ。自分の身近にいながら胸を張って自慢できる人なんてそうそういない。その上さらに、家族以外の人にも認めてもらえる人なんてほんのひと握りでしかない。そのぐらい腕が立つし、信頼もしているということなのだろうと清水はひとり納得した。


 

 

「それでね、ここからがまたすごいんだけどね——」

 ラビィがメイドの何が凄いのかを力説していると、左の方にある扉ががたっと開き、奥からウシの姿をしたメイドがワゴンを押しながら登場した。


「大変お待たせ致しました!お料理ができましたのでお席に……。あ、もうかれていますね。それでは今からお運びいたしますね」


 メイドは慣れた手つきで各々の正面に料理を置いていく。ひとつの皿には千切りにされたキャベツを土台にし、その上に細切りのニンジンとキュウリ、そしていくつかのプチトマトと黄色いトウガラシのような見た目の野菜が飾られている。そして、それを彩るように淡いオレンジ色のソースが半月状にかかっている。


もうひとつの大きな皿には、クリーム色をしたほかほかのシチューが盛られている。ざっくばらんに切られたニンジンやジャガイモ、そして肉がごろごろと入っている。具だくさんのシチューが生み出す濃厚な香りが全員の胃袋を刺激した。メイドが全員分の水を注ぎ終わると、続けて料理の案内へと移っていく。


「本日の昼ご飯は旬の野菜を使った新鮮サラダと、タマネギパウダーを使用し、じっくり煮込んだクリームシチューとなります。それではごゆっくりどうぞ」

 紹介が終わるとメイドは軽く会釈をし、その場を離れた。


 料理は地球と案外変わらないんだな、と清水は不思議に思う。ここでふとレオの方を見ると、彼はなぜか開いた口が塞がらないといった顔をしていた。何か苦手なものでもあったのだろうか、と疑問に思い、「どうしたのですか?」と尋ねてみる。レオの口が少し震えたのち、ぼそっとひと言、言葉をこぼした。


「(ほ、本当に減らされてる……)」


 たしかによく見ると、レオの料理だけひと回り小さい器に盛られているのが分かった。どうしてかとさらに疑問に思った清水だったが、広場でのレオの失言を思い出し、思わず苦笑いになる。


「さっき言ったじゃん、『レオの分だけ減らしてもらうよ』って。それじゃ、冷めないうちに〜いっただっきまーす!」


 レオの悲しみをよそに、ラビィはシチューを具と共に口へと運ぶ。「ん〜!」と幸せそうな声をあげるラビィ。清水が正面を向くと、ラトスも美味しそうにシチューをすすっているのが目に入る。残るふたりも複雑な心境ながら、それに続くようにシチューに手をつけた。


 清水はシチューをスプーンにとり、口に運んだ。その瞬間、クリームの優しい香りが鼻を突き抜けていく。ほのかに香るタマネギが良いアクセントになっており、しつこくないまろやかさも演出していた。そのまま一口大ひとくちだいの肉も口の中に入れてみる。その瞬間、噛むまでもなく、肉の繊維がほろほろと溶け出し、肉の旨みが口の中にいっきに広がっていった。


 正直、ここまで美味しいシチューを清水は今までに食べたことがなかった。起きてからほぼ何も口にしていなかったのもあり、美味しさが全身に染み渡るという感覚を清水は実感する。清水は目の前のごちそうに夢中になり、三人から微笑ましい目で見られていることにすら気づくこともなかった。

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