第4話
周りの客の会話がざわざわと耳を通り抜けていく。
雑音がぐちゃぐちゃに混ざって、小さい耳の穴をむりやり通っていく感じが、ときどき嫌いだ。通れなくなった音が耳を塞いでいる。
「……あれ、花守(はなもり)?」
頭上から、酔いを含んだ野太い声がした。塞がっていた耳の奥にがつんと入りこんで、頭の奥を殴られたようだった。
「ん、あれ、キムシンじゃん」
キムシンこと、木村(きむら)慎太郎(しんたろう)。大学時代の友人だ。
常に身体を鍛えることに情熱を燃やしていて、暑苦しいところもあるが、さっぱりしていていいやつだ。身長が高いので常に見上げて話をしなければいけないのが、ちょっと面倒だけど。
卒業後はときどき集まって飲んでいたけど、それぞれ結婚したりだとか、仕事の都合だとかで、だんだんと集まりが悪くなった。最後に顔を合わせたのはいつだろう。
白いTシャツに岩のような胸筋が盛り上がっている。今でもトレーニングは欠かさないのだと、キムシンは白い歯を見せながら言う。
「……あれ、キムシン結婚したの?」
キムシンの左手の薬指にはシルバーの指輪が光っていた。合コンで会った女性と半年前に入籍したらしい。式は先月終えたのだとか。
ジューンブライドにこだわる彼女で、日程を決めるのが大変だったとかなんとか。あたしは空返事でいなす。
「花守はどうなん? 相手いねえの?」
「ないね」
三十歳を目前にすると、この手の話題は避けて通れない。まあ、仕方ない。この年齢は世間一般では、そういうものだ。
「おまえ、普通にかわいいのに」
「そりゃどうも。つーか、新婚がこんなところで飲んでていいの?」
「いいのいいの。男には羽を伸ばす時間も必要なんだよ」
その時間とやらに男だとか女だとか関係あるのだろうか。と思いつつも、あたしはいい笑顔だけを作っておく。
キムシンは蒼生くんが座っていた椅子に腰掛けると、友人の近況だとか、仕事のことだとか、嫁のことだとか、あたしの心配だとかを次々に口にする。はいはいと適当に頷いた。面倒くさい。
「……俺、帰ったほうがいい感じ?」
少し鼻にかかった、低い声が背後から聞こえた。それから、オーバーサイズの青いTシャツが目に入る。目線を少し上に向けると、無愛想な顔があった。
「蒼生くん。遅かったね」
「トイレ、混んでたから。で、俺は邪魔な感じ?」
「ううん」
そういうわけだからキムシン、お前はお前の巣に帰るがいい。その椅子を明け渡すのだ──という目線を送ったが、キムシンは目を見開いたまま固まっている。
ええっ、と間抜けな声を出しながらキムシンは蒼生くんを指差す。人を指差すんじゃねえよ。深爪気味の人差し指に蓋をするように、あたしはキムシンの手を制した。
「えっ、花守の彼氏? めちゃくちゃ若くね? うわあ……大丈夫なの、お前」
「うっざ。違うから」
キムシンが言わんとしていることは、なんとなく察した。若くてかわいい蒼生くんと、このあたしの組み合わせが、キムシンには異様に見えるのだろう。
「大丈夫ってどういう意味っすか?」
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