第23話 番外編「美味しい食卓」


   美味しい食卓



「……休み、か」

 クローズの札がかかった扉の前でキーンは足を止める。

 開かずの扉はジャンが営む食堂で、時刻は普段なら一番込み合う昼時。そしてキーンの腹具合だが、朝、家を出る前に残っていたパンの欠片をかじって水を少し飲んだ程度。

 近ごろ、わがままになってきた腹がくう、と小さな音を立てた。

 だが休みなものは仕方がない。帰りに適当に屋台で食べればいい。

 自炊という単語は諸事情により、キーンの中での優先度はかなり低かった。

 回れ右をしたところで「キーンか」と声がかかる。顔を上げると、店主のジャンが細く開いた扉の向こうから手招きしてきた。


   □■□

「仕入れに失敗した」

 本日、ハミオンでも人気の食堂が急に休みになったのは、食材が思ったように入ってこなかったのが原因だという。いつもならそのあたりも想定して複数の献立を考えたり、入荷がなくともどうにかなるよう備蓄しているのだが、その隙間をついてすべての作戦がだめになったという。

「無理に開けられなくもなかったが、掃除もしたかったし、一日休みにするのもありかと思ってな」

 掃除をするのは本当らしく、店内は椅子やテーブルが隅に寄せられ掃除道具がいくつか置かれている。

「けど、おまえ一人分の腹を満たすくらいは出せるから、座れよ」

 キーンがグロリアに拾われてから一年あまり、常にこの男には世話になっていた。情報屋としてキーンの過去を探り、機兵回収屋の仕事を斡旋してもらっている。加えて、たまに特別扱いで時間外の食事や裏メニューを出してもらえることがあった。今日、キーンと同様に店の前で回れ右をした客たちのことを思うと少し罪悪感があったが、カウンター席に座る前からこれでもつまんでろ、と薄く切ったパンや乾燥させた果物などがテーブルに置かれたので大人しく席に着く。

「……なあ」

 甘い干し果物を口に入れていると声がかかる。顔を上げるとカウンターの向こうでは渋い顔をしたジャンが心底嫌そうな声を出す。

「ここに来たってことは、相変わらずなのか?」

 主語のない言い方だったが、キーンはうなずきを返す。あいつ、とジャンが調理器具を握りしめて怒りを見せるも、その感情が自分に向いていないことがわかっても、キーンはいたたまれない気持ちになって小さくなる。

 キーンが自炊に手を出さない理由。

 作り方を知らない点もあるのだが、保護者のグロリアが台所に立つことを許可しないのだ。代わりに彼女自身が手ずから調理しようとがんばってくれているのだが、やる気はあっても壊滅的に家事ができない。

 結果、キーンが普段口にするものは、ジャンいわく「食材を冒涜する存在」だった。

 肉も野菜も生焼け生煮え。味付けの失敗を隠そうとしてさらにひどい結果を生み出す。そんな不具合のある手料理のせいで腹を下したこともあった。

 キーンはスコルハとして差別され、戦場で食うや食わずの日々を送ってきたので腹が満ちれば味は特に問わない。

 それでも、グロリアが底値で買ってきた期限切れの保存食の方が安心して食べられるという状況がよろしくないことは理解できる。食べたら高確率で体調を崩すものは料理というより毒だろう。

 ただ当人も作ったものを口にしてはため息をつくので、味がひどいことは自覚しているらしい。近ごろはあきらめたのか、買ってきたものをそのまま並べる、という方式に移行しつつある。

 それでも冷たい保存食だけではよくないと、何か一品は温かいものを出す。スープが主だが、出来栄えは日によってさまざま。素材の味が主張しまくって表現しようのない味になったり、水を飲んだ方がいいのではというくらいに薄い、酸っぱい、苦い、というものだが。

 その状況をキーンなりに考え、グロリアに「前は何を食べても砂みたいだったが、今は味がわかるようになってよかった」と評すると、彼女は泣きそうな顔をしてしまった。

 キーンも今の機械義肢に慣れてきたので、家事やちょっとしたおつかいもできるようになってきた。今日もグロリアの代わりに街へ出て、電信局に電報が来ていないか確認した帰りだ。

「そろそろ、おまえも作れるようになった方がいいぞ」

「俺もそう思う」

「じゃないと、ずっとグロリアの食事かどうかもわからん物を食べ続ける羽目になる」

 うぐ、とキーンは言葉を詰まらせる。

 もとから食事に関しては口に入ればそれでよし、だったが、ジャンの食堂で食べたり、外の屋台などで気になったものを口にしている間に、ありていに言えば舌が肥えた。

 それに、グロリアの料理している様子は知識と経験のないキーンから見ても危なっかしい。方術なら流水のように滑らかにこなすというのに、野菜を切る手は局地的な地震が起こったのかとばかりに震えている。味覚はそれなりなのに、調味料同士の組み合わせの結果が想像できない。

 キーンは保護者の苦労する姿と、ジャンが出してくれた食事を比べて嘆息する。今日のメニューは掃除中で火が使えないため、残っていた食材のサンドイッチだ。スライスしたパンに具材をはさんだだけなのに、とにかく美味い。

 食べながら、グロリアが出してくれたものと何が違うのかを考える。

 グロリアが作る同一名を主張する料理だが、切ったパンの厚みが均一でない。パンに穴をあけてしまったのをごまかしているので、切れ目から食材がはみ出して食べにくい。野菜の切り方も不揃いだし、火を通さないと食べにくいものまでそのまま入れている。ソースもないのなら塩でもふっておけばいいのに、何かと何かを組み合わせた謎の液体をふりかけ全体がびしょぬれになってしまっている。

「……ジャン、掃除をするから料理を教えて欲しい」

 空になった皿の前でキーンが頭を下げると、ジャンは「いいぜ」と軽く返事をしてモップを渡してきた。


   □■□

「味付けした肉を焦がさず中まで火を通す、これだけでごちそうだ」

 掃除をしながら料理の心得的なものを教わる。というより、ほぼジャンの雑談だ。

「まあ、おまえはグロリアの作るものの何がよくないかわかっているから、コツを覚えたら上達するぞ」

「そうかな」

 人の粗は見えても、自分の欠点を直すのは容易ではない。特にキーンは両手両足が義肢だ。慣れてきたので最近は日常生活では困らなくなってきたが、グロリアが刃物を持たせないのは不慮の事故を心配してのこと。

 だができないからと先延ばしにしていては、仕事にも差し支える。というより、できなければお使い以上のこともこなせない。

 そのためにまず、できる仕事として掃除に精を出す。

 モップで床を拭き、棚の中の皿をすべて出して内部を清掃する。食材の貯蔵庫も同様に一度空にしたあと、すべて並べて在庫確認して戻す。

 その間もジャンはこの香辛料があれば便利、鍋はこれくらいのを使え、といろいろ教えてくれる。

 食堂の掃除が終わると、最後は実地研修ということで、一緒に市場へ買い物に行った。野菜の種類や見分け方、手に入りやすい季節、平均的な価格。

 たった半日で一度では覚えきれないほどの情報が詰め込まれたキーンだった。そして夕刻、実際に作るのはまた今度な、とジャンからは夕食用のおかずを持たされた。

「次に来る時までに、初心者でも上手く作れるものを考えとくよ」

 だからまた掃除しに来い、と情報屋兼食堂の店主は明日からの仕込みをすると言って、買い込んだ食料の隙間から手を振った。


   □■□

「それで、俺の言いたいことはわかるよな?」

「私の家事能力が壊滅的なせいで、ご迷惑をおかけしております」

 深々と頭を下げるグロリアを見て、ジャンは鼻を鳴らす。

「キーンに料理を教えることはかまわねえよ。おまえよりは上達しそうだし」

 ジャンの皮肉にグロリアはますますうなだれてしまうが、そこで同情する男ではない。

 キーンに料理を教えて欲しいと頼まれてから、半月あまりが経過していた。ジャンは店の手伝いと称して彼を招き入れ、野菜の皮むきなど下ごしらえを手伝ってもらいながら指導している。だがそのことは二人とも、グロリアには何も伝えていなかった。そして近ごろ、用事を頼んでもなかなか帰ってこないキーンを心配して出てきた彼女にジャンが事情を話した次第だった。

「ていうか、刃物も持たせねえって、おまえのやってることは甘やかしどころか虐待だ。将来、何もできなくて困るのはキーン自身なんだぞ」

「まだ、早いかなって……」

「失敗したところで、怪我する手もないだろうが」

「事実だけど、心が痛いから言わないで」

 ああああ、とわめいて頭を抱えてしまうグロリアにジャンは嘆息する。まだ早い、と彼女は言うが、半年前ならジャンも料理を教えるなんて親切心は出さなかっただろう。

 グロリアが引き取ったばかりのころは、息をしているだけの空虚な人形だった。新しい四肢を得てからも、馴染んで動けるようになるまで数か月かかった。車椅子から立ち上がれるようになり、物をつかみ、歩いて走る。

 そして自分から、何かしたい、何かできないか、と考え始めた。

 だから、教えようと思ったのだ。

「……まあ、あいつが自分で言い出すまでは、おまえも知らないふりしとけよ」

 そう長くはかからないだろう、とジャンは予想を口にする。

 キーンの腕前だが、それなりに問題はあった。

 義肢での刃物の扱いに慣れず、野菜の皮むきが上手くいかない。指先の細かい動きもそうだが、自身の四肢を傷つけてもわからない。義肢は痛みまでは伝えないからだ。

 ただジャンはグロリアほどその欠点を深刻にとらえていなかった。キーンはわずか数か月で機械義肢でも走り回れるほどの俊敏さを見せている。そもそも、以前は不具合のある義肢でも重火器類を扱えていた。なので、経験を積めば上達するだろうと考えている。

 痛みや熱さがわからないのも、見方を変えれば沸騰した湯の中に手を突っ込んでも、煮えたぎったスープの入った鍋をつかんでも平気ということだ。

「おまえも母親役をやりたいんだろうけど、ここは本人の好きにさせてやれよ。ていうか、させろ」

 食材を無駄にするな、と言われると、ぐうの音も出ないグロリアだった。

「けど、母親をやりたいっていうのとは、ちょっと違うかな」

 顔を上げ、グロリアは視線を遠くへ飛ばす。

「うちは母が家の中のことをすべて取り仕切っていて、料理も掃除も休む暇なくずっと動いてた。何でも手際よくて、パンもシチューも魔法みたいに美味しかったし、どこも清潔だったんだぁ」

「それはうらやましいが、末っ子は実家で手伝いとかしなかったのかよ」

「……母と姉から、近ごろは女が外へ出るのも奇異な目で見られなくなってきたよ、って言われた」

 グロリアも家事が嫌いではない。むしろ、母の料理や姉の刺繍にあこがれ、自分もやりたいとねだったほど。母たちも、末娘のためにいろいろ手を尽くして教えてくれたのだが、最終的にはあまりにも不器用すぎて、家事と名のつくすべてから排除されてしまうのだった。

「姉は近所の子供たちの面倒を看たりしてたし、兄は男の子たちに算術や剣術を教えたりしてた」

 父は仕事、母は家事。兄と姉も、それぞれに得意分野があった。

 だというのに、末娘には自慢できるような特技はひとつもなかったのだ。

「方術の才能があってよかったじゃねーか」

「皮肉かな」

 確かに方術のおかげで進学し、軍へ入って退役した今もそこそこの収入を得て今に至る。彼女自身もあの不器用さでは、仮に何かの縁があって結婚できたとしても、相手に迷惑をかけるだけだったであろうことは自覚があった。

 皮肉じぇねえ、とジャンは言う。

「おまえに求められているのは、資本力だよ」

「資本……」

「金だよ、カネ」

 強く断言するジャンをグロリアは呆けて見つめる。

「キーンの治療費や機械義肢に毎月いくらかかってる。軍からの補助金なんて大したことないだろ」

 紆余曲折あって、キーンはハミオン軍から毎月一定額の給付を受けられるようになった。だがそれは、彼が長年受けてきた人体実験の口止め料としてはあまりにも安い。そして機械義肢の維持には金がかかる。とてもではないが、親のいない先住民の子供が働いたところでまかなえるものではなかった。

「おまえが稼いでくれば、キーンはそれだけ美味い物も食えるし学ぶ機会も増える。だから、おまえがすべきなのは、自己満足の料理をやめて、隙間なく仕事をすることだ」

 自己満足の料理と言われたグロリアは、怒るでもなく、むしろ憑き物が落ちたようにぽかりと口と目を丸くする。

「そっか、そっかあ。私がお金を稼いでくれば、キーンくんのためになるんだね」

 自分の稼ぎがあの少年の助けになる。

 そんな簡単なことに、やっと気づいたのだとばかりに頬を赤くする。そうして勢いよく立ち上がった。

「わかった。いっぱい働くから、細かい案件でも何でもいいから回してね」

「それは願ったりだが、病人を店に置いて行くのはやめろ」

 やる気を出したグロリアは、ジャンから反撃を食らって斜めになる。

 仕事に明け暮れていたグロリアは、熱を出したキーンをジャンに押し付け連絡が途絶えたことが何度もあった。

 今度やったらキーンの親権はもらう、と宣言すると、グロリアはしょぼくれた様子で帰っていくのだった。


   □■□

 そろそろいいだろう、と師匠であるジャンのお墨付きをもらったのでキーンは計画を実行する。

 グロリアとティエンが居ない間に、夕食をひとりで作るのだ。

 もちろん、ジャンも噛んでいる。作る方ではない。グロリアをハミオン市内へ足止めし、キーンが邪魔されずに調理できる時間を稼いでくれる手はずになっている。事前に献立も決めていたので、材料調達も手伝ってくれた。

「まだ早い気もするけど」

 及び腰なのはキーンの方だった。店でもまだ野菜の皮むき係から昇格していない。調理場に立つなど夢のまた夢の状況だ。

「けど、そろそろ自分一人で作ってみたいだろ」

 にんまりとジャンに笑いかけられてしまえば、それを否定する要素はなかった。


   □■□

「……できた」

 キーンはふぅ、と大きく息を吐く。

 机上には皿がいくつも並んでいる。作ったものは、豆のスープと蒸し野菜。

 メインの肉は下味をつけて寝かせているので、グロリアが帰ってきたら焼くだけだ。スープも冷えたら温め直せる。

 疲れた、とキーンは肩を落とす。振り返った台所はさんざんなありさまだった。住居は元は集団生活していた場所らしく、厨房は広めだ。だというのに作業台の上は暴れ回ったかのように散らかり、かまどの周囲は荒れている。

 ジャンからは作りながら片付けのことも考えろ、と言われていたが、とてもそんな余裕はない。スープを作るために鍋に入れた水をひっくり返さなかっただけ僥倖だろう。これまでは彼の指示の下で動いていたが、それがなくなっただけでここまで効率が落ちるのかと愕然とした。豆のスープに入れた野菜くずはジャンのところからもらってきた際、大まかに切ってきたが、それがなかったら慌てるあまり機械義肢を包丁で削っていたかもしれない。

 のろのろと立ち上がると、キーンはスープをひとさじすくって飲む。何度も味見したせいで逆に味がわからなくなっていた。もう少し塩を入れた方がいいのでは、と思うも、ジャンからは「そういうときはもう何もするな」と言われている。

 調理器具を片付けながら、キーンは窓の外を見る。そろそろ暗くなってきた。だがグロリアが戻ってくる気配はない。そうこうしている間に手元が見えなくなってきたので、室内と、そして玄関の明かりをつける。

 キーンが住んでいる住居はハミオンの壁外にあり、しかも見える範囲にご近所さんがいない外れにある。なので、夜になっても帰ってこない者がいる場合、目印となるランタンをつける習慣になっていた。

 ぼんやりとした橙色の明かりを軒先にぶら下げてから、周囲を見回す。他に家屋の明かりは見えない。完全に日が落ちると、空と地面の境目もはっきりしないほど濃い闇が広がる。

 キーンは何となく、暮れゆく景色を眺めていた。吹く風が慣れない調理で汗をかいた肌をなで、機械義肢の接続部から金属の冷たさが伝わってきた。

 と、そこにぽかりと小さな明かりが見えた。わずかに揺れながら近づいてくるうえに、風に乗ってにぎやかな声が混ざる。

「ティエン、疲れた、もう寝る……」

「地面の上で寝るな。ほこりまみれなのがさらに汚くなるぞ」

 抱えようか、それはさすがに、とやり取りを耳で追っていると、やがて二人の人物の輪郭が見えてきた。向こうもこちらの明かりと、傍に立つキーンに気がついたらしく、会話の矛先がこちらへ飛んできた。

 ただいま、遅くなってごめん、疲れた、お腹空いた。

「キーンくんもお腹空いたでしょ。すぐに何か作るから」

 玄関ポーチまでたどり着いたグロリアが疲弊した顔のまま、服やブーツに付着した泥を払う。キーンは何と声をかけていいかわからなくて、彼女の荷物を預かり室内へ招き入れる。

「うええ、疲れた……ジャン、今日はめちゃくちゃ細かく仕事を振ってきてさあ……」

 おかげでハミオン中を歩き回ってくたくた、と言いかけたグロリアが止まる。一度自室へ戻ろうとしたところで、何かに気づいたらしい。

「この、におい」

 唇に指をあて、首をかしげながらも厨房をのぞく。ランタンの明かりに照らし出されたテーブルを見て、驚愕の声を上げた。

「え、うわ、うそ。ご飯がある」

 蒸し野菜の盛られた皿を見て、鍋をのぞき、焼く前の肉を見て目を丸くする。そこでようやく、キーンが作業用の前掛けをしているのに気がついた。

「え? これ全部キーンくんが作ったの?」

「パンは買ってきた」

 言って、キーンは棚からバスケットに入れたパンを出してくる。

「えー、わー、すごいすごい!」

 どうしたの、ジャンに教わったって? すごい、すごい、と、ひとつの単語を繰り返す彼女をキーンはすげなく振り払う。

「……今から肉を焼くから、その間に手と顔を洗ってきてよ」

「もうちょっと感激にひたらせてよ」

「グロリア、おまえがいつも食事の前には手を洗えと言っているだろうが」

 と、黙って見ていたティエンが外の井戸へ行くぞ、と彼女を連れて行ってくれた。


   □■□

 メインディッシュの肉も、どうにか焦がさず焼くことができた。スープは少し味が薄い気がしたが、香辛料を振った肉と一緒に食べると気にはならない。

 顔と手を洗ってこざっぱりしてきたグロリアは、終始笑顔で食事を口に運ぶ。

「美味しいよ」

「よかった」

 今回の料理はスープは材料を入れて塩で味付けしただけだし、肉はジャンのところからもらった香辛料を振っただけ。本当に簡単で、何の技巧も凝らしていない。

 あの食堂で出されている料理は、もっと多くの手がかかっていた。そのことを、手伝って初めて知る。自分が作ったものは、あの味には到底及ばない。習ったところで追いつけるとも思えなかった。

「毎日作って欲しいな」

 けれどそういわれると、どうにもむずがゆい。どう答えていいかわからず、パンをスープに浸して食べていると、グロリアが小さく息を吐く。

「……や、あの、キーンくんに押し付けたいとかじゃなくて……私の料理が駄目すぎて、ごめんね」

 へらりと情けなく笑う彼女に、そうじゃない、とキーンは告げる。

「俺も、できることをやってくよ」

 機械義肢での刃物の扱いに慣れず、傷を増やした。調味料の種類がわからず、味付けに失敗した。けれど、不思議と嫌な気持ちにはならない。戦場で弾詰まりした銃を直しているより、よっぽど楽しい。

 後半は言わなかったが、グロリアは笑ってくれた。

「キーン、偉いぞ。グロリア、負けたな」

「えへへ、そうだね。負けちゃったね」

 ティエンに不器用さを指摘されても、グロリアはうれしそうにしている。

 だから、これでよかったのだ、とキーンは胸中でそっと息を吐いた。




 以降、この家では基本的にキーンが食事を作ることになる。といっても、二人とも自炊は苦手なので、出来合いを並べることの方が圧倒的に多い。面倒になれば屋台で済ませるか、ジャンの店へ足を運ぶ。

 そしてたまに、今回こそ、とはりきるグロリアが進歩の見えないものを提供するのだが、また次がある、と笑い話で終わるのだった。


【美味しい食卓 終】

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