第20話「大陸の目」⑤
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「待たせてすまねえな。今から洞窟の出口まで戻るぞ」
戻ってきたジャンがキーンの赤い髪をかき回し、行くぞ、と軽く腕を引いてきた。少し遅れて穴の中から出てきたグロリアは慰撫するような笑みを浮かべて手を振る。
「放り出してごめんね。思ったよりも複雑な術式だったから、動かすのが大変だったんだ。外でジャンと待っててよ」
「いや、俺も行く」
立ち上がると、すい、とティエンが補佐するように横に立ち、口を開く。
「下にいたのは、スコルハだな」
ジャンの責めるような視線がティエンに飛んだが、それをさえぎってキーンは前に出る。
「俺には術式のことはよくわからない。けど、もう終わったなら行くよ」
「キーンくん……」
グロリアが逡巡するも、そこにジャンが嘆息交じりに割って入る。
「確かに穴の底にいたのはスコルハだ。けど、術式維持のために食われて、ほとんど原形をとどめていなかった」
ちょっと、とグロリアが悲鳴じみた声を上げる。
「おそらく、下から順に、足りなくなるたびに積み重ねて行ったんだろうな」
足りなくなる。まるで燃料のようだ、と思い、近くで発光を続けている扶桑のかけらを見下ろす。最初は閉じた洞窟内ではまばゆいほどの光を放っていたそれも、今はぼんやりと周囲を照らすだけ。いずれ、光が尽きれば朽ちてしまうのだろう。
それと同じことが、あの縦穴の中で行われていたのだ。
「なんで、スコルハだったんだと思う?」
キーンの問いに答えたのはジャンだ。
「術式は、蛇をこの地へ縫い留めるためのもの。それを維持するのに土地の血脈を受け継ぐ存在を使ったんだろうな。あと単純に、この術式を組んだやつはスコルハが嫌いだ」
最後は毒のこもった言い方だったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。おそらくジャンが本気で過去の入植者の所業に腹を立てているからだろう。そして術者と同じ黒の一族出身のグロリアは、沈痛な表情のまま視線を落とす。
「けど、グロリアとジャンが壊した」
「ああ、徹底的にやったから、同じものは今の方術士が束になっても組めねえよ」
ただ壊したのは術式維持の仕組みだけで、結界はまだ生きているという。
「そっか」
キーンは口の端を笑みの形に吊り上げる。
「なら、行こう」
そこで、キーンくん、とグロリアが呼んだ。
「これをやったのは私の祖先だよ。大陸を封じるという超大型の術式を組んで維持するために、他の存在を消費した」
仕方なかった、ではなく、あえてスコルハを使ったのだという。先ほどジャンが言ったように、土地に根差している存在を生贄にした方が効率が良かったのもあるのだろう。
「でもそこに、合理性以外の感情があった」
それは、キーンが普段から受けている差別的な眼差し。
先住民を自分たちとは異なる存在と考え、拒否するものだ。
だが術者は否定するだけでは飽き足らず、むしろこれで役に立つとばかりに嬉々として先住民を集めてきたのだろう。
「それだけ、スコルハが憎いのか」
「憎いというより、許せなかったのかもね。自分たちが落ち延びてきた先で、自由にありのまま生きているスコルハがうらやましかったのかもしれない。けど、これは……ひどすぎる」
人間を使わなくとも動かせる方法はあったはず。けれどこの術式を組んだ者は、先住民を単純に虐殺するだけでは納得せず、目的のためという名目を掲げ、燃料として燃やし尽くそうと考えたのだ。
それは楽をしたいから、ただあるから、便利だから使ったというより、よっぽど性質が悪い。邪魔だから排除するのではなく、無駄なものを効率よく消費してやるのだから感謝しろとばかりの、傲慢で醜悪な感情だ。
「いやだ、醜い。気持ち悪いよ」
術式は記述者の感情までは写し取れないが、それでも癖のようなものは出る。グロリアはそこに相手が込めた意図を読み取ってしまったのだ。
「後継者が構造を改める機会だってあったはず。だというのに、ここを管理していた者たちは、誰も術式を変更せずにいた」
進歩がない。停滞。自分たちで考えない。
古きものを尊ぶのではなく、昔のままに在ることだけを目的とする。
それが、百年後のメレネロプトの姿だ。
「おかしいよ、こんなの。身を守るためじゃなくて、変わらないために同じ作業を続けているだけ。自分たちがしていることの意味すら想像できていないんだ」
縦穴の管理者は、いつもの作業だからと先住民を放り込む。それが殺人行為ということには思い至らない。というより、まさに作業的な感覚なのだろう。その思考は、外輪街でキーンに声をかけてきた男のような末端にまで染みついている。
自分たちの行動がスコルハを殺していることには気がついているのかもしれない。だが、直接手をかけていないから、同じ人間だと思っていないから。思考停止した先でスコルハの死体がどれだけ積みあがろうとも何の痛痒も覚えないのだ。
「キーンくん、行こう。私はこの大陸を出たい。けど今は、こんな馬鹿げた機構を壊してしまいたいんだ」
待て、とジャンが興奮した様子のグロリアを止める。
「グロリア、感情で動くなよ。黒の一族が大陸を閉ざしたことで得たものだってある。それに、今を生きている連中は、そもそも自分たちが守られていることすら知らねえ。だというのに、その枠組みを一方的に壊すんだからな」
「そう、勝手にやろうとしてる」
一歩踏み出たグロリアは、そのまま勢いよく歩を進める。
縦穴へ向かい、穴のふちにある階段に足をかけた。
「過去の行動は生き延びるためには仕方がなかった、と言い訳したいところなんだけど、それは先祖の話。私はそのまま何も考えず、何も見ないことで自分たちの先をふさいでしまっている現状が我慢ならないだけ」
階段にかかった足が先へと進み、少しずつ長身が隠れていく。
「術式による結界があるせいで、外洋へ出た船は戻ってこない。ハミオンでは飛行機械の開発も進められているけど、ある程度高度を上げると原因不明の不調を起こして墜落してしまうそうだよ」
飛行型機兵はいくつか存在しているが、高度を上げると特に理由もなく墜落する。技術者と方術士が何年かかってもその原因は解明できない。なので、偵察用は作戦行動に必要かつ制御不能を回避できる高さを維持して飛行する。
「私たちは、このままでは永遠に大陸の外へ出られない。そりゃあ、このユージン大陸にも訪れていない場所はたくさんある。それでも、外洋の向こうにも広がりがあるというなら、私はそれを見てみたい」
グロリアの姿は穴の中へ消えてしまう。ブーツの底が石の階段を叩く音が届くも、間もなく聞こえなくなった。
はあ、とジャンは大きく息を吐くと独白めいた言葉を口にする。
「封印を解いて、大蛇の燭陰を解放すれば、そりゃあ外には出られるかもしれねえ。けど、遮断していた疫病が侵入して、今度こそ生き残った人類は滅びるかもしれないんだ」
だが疫病そのものがすでに外には存在しない可能性もある。そもそも、入植者が治療法のない感染症を恐れて大移動した、という話が虚偽の確率も高い。
「けど、グロリアは止まらないよ」
「だろうな」
ジャンは肩を落とす。
グロリアは止まらない。外界に誰も生き残っていないなら、それを確かめに行くだろう。
ただそれだけのために、何の関わりもなく生きている他人を危険にさらすのだ。
「ある意味、あいつは狂ってる」
「だが、我にしてみれば、人間すべてが狂気を持っている。結界を維持するのに、キーンと同じ赤い髪をした人間を使う。それだけでも理解が及ばない。ただ、我の見立てでは、規模に対して数が不足しているように見えたが」
待て、とジャンがティエンの言葉を止める。
「不足、足りないってことか」
その顔には、淡い明かりの中でもはっきりと驚愕と焦燥が浮かんでいる。
「ああそうだ。使われていた人間は、明らかに少なかった。本来ならもっと、十倍くらいの人数が必要になるはず」
「メレネロプトはスコルハを集めていたんだろう。それでも足りないって言うのか」
その人集めに連れて行かれそうになったキーンに言われても、とティエンは自説を曲げない。頭を抱えていたジャンが割り込む。
「集めているって言っても、うわさ程度だ。昔みたいに部族丸ごと数百人単位で引っ張り込んでいたわけじゃねえ」
キーンが声をかけられた際、多少無理やりだったが強引に誘拐する感じではなかった。連れて行くだけなら、数人で囲んで引きずって行けばいい。
「昔はそれこそスコルハは家畜程度の扱いで、部族ごと連れて来られて強制労働なんて当たり前だった。そんな世の中じゃあ、何百人ものスコルハを強制移送しても、集落の人数がいきなり減っても誰もおかしいと声を上げることはない。だが、今はそこまで大きな動きをすれば目立つ」
過去の当たり前が、この何年かで変わりつつある。
「数十年前、建前上はスコルハの保護政策がはじまった。そして、クアール武装蜂起以降、ほとんどのスコルハは指定区域に押し込められる形になったが、互いの居住領域を分けたことで衝突は少なくなったんだ」
保護区制度を採用したことで、根本的な差別などはなくならなかったが、大量虐殺は無意味で野蛮だとそしられる風潮が生まれる。
「昨今は世論とか、差別反対主義者の視線も警戒しなければならない。だから、強制的にスコルハを集めるなんて真似、そう簡単にはできなくなったんだ」
「情報屋、数が足りないとどうなるんだ」
ちら、とジャンは視線を穴の方へ向ける。グロリアは先に降りて行ったあと、そのまま静かになってしまう。
「術式停止ですめばいいが……これだけ複雑に組まれたものだ、一部が壊れたら連鎖的に崩壊して暴走する可能性が高い」
「暴走……」
キーンは術式の暴走と聞いて、先ほど扶桑が異常成長して建造物を破壊していた光景が浮かぶ。そしてここの地下には、大陸を囲むほどに巨大な蛇が封じられているという。
先ほどメレネロプトで見た、大きく広がった根が大蛇の一部に思えてキーンは身を震わせる。
「燭陰が、出てくるのか」
さてね、とジャンが肩をすくめる。
「そんなもんが本当に存在しているのかは俺にもわからねえ。けど、そう考える者もいるはずだ」
巨大な蛇が地を割ってはい出して来る。その光景はまさに大陸の破滅を予感させた。
「だからそれをさせないために、メレネロプトは手段と目的を入れ替えるだろう」
手段と目的、と繰り返すキーン。その赤い髪をジャンは指さす。
「まず、集めてくる人間の条件から、スコルハの指定が消える。次に、外輪街に集まっている、純血とは認められない者たちが呼び集められだろう。あいつらは招き入れられれば喜んで来るはず。それでも足りなくなれば、他所の集落を、国を、あるいは大陸の西側に存在するというスコルハの部族からかき集める」
ちょっと待て、とキーンは慌てふためく。
「大陸を封じるために術式があるんだろ。なのに、燭陰を出さないために術式を維持する話になってないか?」
「だから、手段と目的が入れ替わっちまってるんだ。いずれメレネロプトの連中は、自分たちの身を守るために作った術式の意味を忘れ、ただそれを維持するためだけに他のすべてを犠牲にするようになるだろう」
ジャンは視線を上に飛ばす。洞窟の上部には、大陸を封じた術式を組み、それを百年維持し続けている一族が興した国がある。
「いずれ、この大陸は空っぽになる」
穴の底へ放り込む人間がいなくなり、そうして術式を保持する方術士も倒れる。
残るのは、乾いた砂漠に隆起する巨大な蛇のみ。
「じゃあ、グロリアがやろうとしていることの方が正しいのか。いやでも、結界を破壊すれば、燭陰は出てくるんだよな」
術式を維持できずに暴走するのも、大陸解放のために破壊しても、結果としては同じなのではという可能性に気がついたキーンが青ざめる。
「そのあたりはわからん。術式から解放すれば、穏便に帰ってくれるかもな」
「情報屋。まずは燭陰とやらが本当にいるのかどうかを確かめるのが先決ではないのか」
だな、とジャンは息を吐く。ここで巨大な蛇が大陸を囲んでいる件の真偽が不明のまま次に起こるかもしれない事態に恐慌状態に陥っている方が時間の無駄だとなる。
キーンは振り返ると、ぽかりと開いた縦穴を見る。あの中に大蛇がいるのか、それとも幻想なのか。
「だったら、まずはあの穴に降りて、底に何があるのか見よう」
「……そうだな。仕方ねえ、行くか」
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