第19話「大陸の目」④
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荷台に積んでいたカンテラはひとつだけだった。これでは足元を照らすこともおぼつかないとなる。
「中は真っ暗だったぞ」
「うーん、洞窟だからねえ」
困ったなあ、とグロリアは頬に指をあてて身体を傾ける。
「穴を掘っていた時は、扶桑の触角を拡張して周囲の様子を探ってたけど、枯れちゃったからねえ」
グロリアの足元には、白い炭のようなものが転がっている。先ほど彼女が強制的に成長をうながし、そして崩れてしまった扶桑の一部だ。
だが明かりが乏しくとも進まなければならない。うなっていたグロリアは、急に「そうだ」と顔を上げると、落ちている扶桑のかけらを拾い集める。
「いけるかな?」
手のひら程度の大きさのそれを握り、始言を唱えて放り投げる。かけらは地面に落ちた衝撃で割れた途端、青白い炎を上げた。
「すごい、燃えているのか」
「あー、正確には燃焼じゃなくて、内部物質に刺激を与えて反応させているだけだよ。扶桑をふたつの物質に分ける。で、刺激を与えて混ざると光るんだ」
なので火が出ているのではないと説明されてもキーンには理解が及ばない。首をかしげていると、ジャンが肩を叩く。
「大丈夫だ、俺にもさっぱりわからん」
二人にはグロリアが始言だけを唱えているように見えたが、実際にはその手前ですでに何十もの術式が組まれているという。だが、やはりわからない。しばらく男二人で悩んでいたが、ジャンがわかった、と立ち上がる。
「俺にもグロリアの術式は読めない。だが、光る仕組みは説明できそうだ」
自然界には自らが発光する昆虫などが生息している。かの存在は燃えているのではなく、体内の発光物質を混ぜ合わせることで光を放つのだという。グロリアは扶桑の残骸をその発光物質へ変換し、光らせているのだ。
「わかったけど、なんでこの燃え尽きた炭みたいなのを他の物質に変えられるんだ?」
「そもそも、扶桑は樹木に似た姿をしているってだけで、何でできているのかわかってないからなあ」
植物のようだが、鉱物、あるいは動物かもしれない。その扶桑を使って外側を作られたティエンだが、末端部分をのぞけばほぼ人のような外見をしている様を見れば、草や木よりも動物に近い性質を有していてもおかしくはなかった。
「なら、そんなものを分解して他の物質に変えられるグロリアは、扶桑が何かわかっているって言うのか?」
「多分……。けど、感覚で理解しているだけかもな」
うすら寒いものを感じながら、男二人は手近に落ちている扶桑の残骸を拾っては、グロリアのところへ持って行くのだった。
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仕組みのよくわからない明かりのおかげで、彼らの道行は比喩なく明るくなる。
「強く光る時間はわずかだけど、ぼんやりと見える程度なら、数時間くらいは続くはずだから帰り道はこれをたどればいいと思うよ」
しばらく進んだ先で、グロリアは振り返る。彼らの歩いて来た道に、点々とほのかに光るかたまりが落ちていた。
「こんな穴倉の中で道を見失ったら、あせるどころじゃねえからな」
死んでしまう、とジャンは肩を震わせる。その恐怖はキーンも同じだったが、幻想的な光りを放つ扶桑を見ていると、不思議と気分が高揚した。楽しんでどうする、と気を引き締めて進もうにも、気楽そうに扶桑の明かりを作っているグロリアと、軽いのか重いのかわからない言葉を放つティエン、そして、文句を言いながらも歩みを止めないジャンを見ていると、ふわりと浮いた心持ちになる。
「なあ、この先に何があるんだ」
「なんだろうね」
ふへへ、とグロリアはしまりなく笑う。わからないというより、初見でこちらを驚かしたいのだろうという意識が透けて見えた。
「もうすぐだよ」
グロリアの言ったとおり、洞窟探索はすぐに終了した。
正確には、別の通路へつながったのだ。
「こっち側が、メレネロプトが掘ったところだよ」
グロリアが示す先と、これまで通ってきた道は明らかに性質が違う掘り方をされている。
上手く行った、とグロリアは息を吐くと、ティエンを手招きする。
「ティエン……いいえ、莫耶、おいで」
「ああ、わかっているとも我が主」
人の形をした刀剣、その真名は莫耶。かの存在は雌雄一対の刀剣で、雌の莫耶と対をなす雄の刀剣の名は干将。
ティエンは己の形ができあがったあと、求めたのは干将との再会。
長年所在が不明だった干将だが、居場所はわからなくとも、何に使われたのかは判明していた。
ユージン大陸は、外部からの侵入を阻止するため、ある術式が組まれている。それは巨大な蛇を使って大陸全体を囲んでしまうというもの。術式は蛇を逃がさないための楔に、干将を使った。
そして術式のせいで、外部からは大陸自体が認識されず、内部にいる者は出ることが叶わない。
グロリアは、大陸外へ出たい。
ティエンは、干将に会いたい。
だから、干将の在り処を探るため、彼女はメレネロプトへ乗り込んだのだ。
「燭陰……大陸を囲むほど巨大な蛇って言われても、俺には想像がつかないな」
「うーん、そこは比喩なのかもしれないねえ」
だが、何かはあるのだ。
先へ踏み出そうとしたグロリアに、ジャンが一歩前に出る。
「おまえの剣って、【そういうもの】なのか?」
扶桑の光は、表情を明確に照らし出すほど強くはない。それでも声から普段の軽快さが消え、洞窟内の湿気のように重苦しいものをまとっている。
そんな声をぶつけられても、グロリアの態度は平然としたものだった。
「違うよ。干将と莫耶は、そうじゃない」
納得できないとばかりにさらに前に出たジャンに、今度はティエンが動きそうになるのを彼女は止める。
「関係ないんだよ」
言われ、ジャンはグロリアから数歩離れた。明かりから遠ざかったことで、気配はあるが姿は影のように沈んでしまう。
「……なあ、どういうことなんだ」
「キーンくん、いきなりで驚いたよね」
グロリアは隣のティエンの頭をなでる。
「私たち入植者側が元いた大陸にね、同じ名前の刀の伝説があったんだよ。けど、ティエンはその刀じゃない。伝説を模倣して作られたものなんだ」
「なんで、模倣したんだ」
「恐ろしいものを、違う伝説で上書きしようとしたんだ」
違う伝説、とキーンはグロリアが言ったことを口中で繰り返す。もとになったとされる刀剣の逸話を知っていれば彼らのやり取りもわかったかもしれないが、グロリアは先を進むのに忙しく、機嫌を損ねているジャンも今この場で説明する気はないらしい。
だが助けは意外なところからあった。
「干将と莫耶の伝説、我は知っているぞ」
「ティエンが?」
ティエンは今度はキーンの隣に立つ。刀剣が人の形を得た際、もとになった伝説をグロリアから聞かされたことがあるという。
「ただ、書によって伝わる話に大きな差があるらしくてな。共通しているのは、干将と莫耶という刀鍛冶の夫婦が同じ名前の宝剣を打った、というところだ」
刀の打ち方や、制作期間。登場人物や付随する復讐譚などに差があるという。百年どころではないくらい大昔の話なので、後世の創作が多分に混ざっているらしい。
「そして、我らを打った鍛冶師だが、単に宝剣と同じ形状の刀を作ろうとしただけ。干将には亀裂紋様、莫耶には水波紋様があるという特徴だけを映しとったのだ」
「なんでわざわざ真似たんだ。自分たちが作りたいように作ればよかっただろ」
「模倣、模写。それらも作品作りにおいては大事らしいぞ」
「芸術ってやつか」
「それはわからん。だが、我々は目的のために作られた」
目的、グロリアが動くのもそれだった。
では、刀剣という無機物に人々が与えたものはなんだったのか。
白い少女はついと視線を遠くへ飛ばし、淡々と言葉を口にする。
「我らは、守り刀になるため生み出されたのだ」
「守り刀……」
ティエンは常々自身はグロリアの守り刀だと口にしていた。そしてそれを実行してきた。キーンも何度となく助けられている。
「そう、ティエンは守護役なんだよ」
すっかり話し込んでしまい、足が遅くなったキーンらのところへグロリアが戻ってくる。彼女は周囲に扶桑のかけらをばらまいて青白い光を生み出すと、彼らの前に立つ。
「入植者が疫病から逃れるために元いた大陸を捨てたわけなんだけど。そもそも疫病がどんな病で、どうやって流行したのかはいまだによくわかっていないんだ。その中の説のひとつに、ある地方の原野に落ちた隕石にね、人類を食いつぶす別の生物がいたっていうお話がある」
一年のほとんどを雪と氷に閉ざされた原野へ隕石は落ちたが、人家もない森の中だったため、当初の被害は周囲にいた野生動物のみだった。
それから何年かして、ひどく天候が不安定になった年、氷が解けて隕石に付着していたものが漏れ出す。
「それはカビのようなもので、吸い込むと、高熱が出てやがては肺が侵され死に至るという恐ろしい病だった。原因を探った者たちは、病気を治す治療薬が見つからなかった代わりに、魔除けとなる対の刀剣を打つ」
二人は視線を上げ、青白い光の中でさらに白さを際立たせているティエンを見る。
「それが、干将と莫耶。隕石を含んだ鉄で打たれた刀だと言われている。もちろん、隕鉄で打っただけで、原因となった隕石を使ったわけじゃない。名前もさっき言ったように、大昔にあった刀剣の借り物。怖がりの人間が何かできないかとあがいた結果、生み出された器物なんだ」
「だから、ティエンは鍛冶屋の火を見るのが好きだったのか」
人の形をした刀剣は、事あるごとに鍛冶屋に行っては噴き出す炎を同じ色をした瞳で見つめていた。
「我に原材料だったころの記憶はさすがにないが、それでもな、炎を見ると、こう、この熱のない身体が発熱する気がするのだ」
「干将に会ったら、もっと熱くなるかもね」
さあ行こう、とグロリアはキーンらをうながすのだった。
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メレネロプト側が構築した穴の中を進んで行くと、突き当りで深い縦穴へ出た。穴自体も大きく、ホールのように大きく広がっている。穴の深さは周囲の暗さのためどれだけあるのかはうかがえなかったが、下からひやりと湿った空気が流れ込んでくる。
「うわ、下を見るの怖いなぁ」
「壁に沿って階段のようなものが刻まれている。あれを伝って降りられるだろう」
「……ていうか、あれは、何だ」
ジャンが穴から身を乗り出す。キーンも一緒になって下をのぞき込んだが、すぐによくわからない、となる。
縦穴は少し下った先でふさがれている。といっても、網のようなものが張り巡らされている状態らしく、隙間が開いていた。だが壁側の階段には干渉していないようで、このまま降りられるだろうとなる。
「あ、ちょっと待って、もうこの穴自体に何か術式が組み込まれているみたい」
見てみる、と言ってグロリアは壁に手を触れじりじりと移動するも、表情がくもる。
「……うええ、ずいぶんと複雑、というか、からまり合った術式にしてるなあ」
酔う、とグロリアは頭をふらつかせているので、代わりにキーンが立ち上がる。
「階段は使えそうだし、俺が先に降りてみようか」
「待て」
鋭い声に、キーンの肩が跳ねる。ジャンが険しい顔でこちらを引き止めにきた。
「行くな。キーン、おまえ、もうここから引き返せ」
肩を強い力でつかまれる。わずかな明かりの下でも、ジャンが悲壮な顔つきをしているのがわかった。いったい何にそこまで脅威を感じているのか不思議でならなかったが、帰れ、と無理やり身体を反転させられる。
「グロリア、俺はキーンと戻るぞ」
「ジャン、なんでいきなり」
「いいから、おまえは俺と来るんだ」
叫ぶようにジャンが宣言するも、キーンは戸惑う。理由がわからずうろたえていると、グロリアがへたり込んでいるのが見えた。
「グロリア、どうした」
「……ああうん、ちょっとめまいがしただけ」
ティエンは手を貸すこともできず、とがった足でくたりとしているグロリアの周囲を回るだけ。ジャンは悪態をつきながらも、一度キーンを引きずっていた手を離す。
「何を見た」
鋭い声音に、グロリアはゆるゆると顔を上げるも笑う表情がひきつっていた。
「……ジャンが理解したものの詳細版かな……といっても、術式から読み取っただけで、実物は見えてないけど」
ジャンは大きく舌打ちし、肩をいからせる。
怒りをあらわにするジャンと、座り込んでしまったグロリアの様子にキーンはどうしてよいかわからなくなってしまう。
「何があったんだ。その、穴の底に干将がいなかったのか?」
「いるぞ」
ティエンは強く断言するも、ではなぜグロリアは座り込み、ジャンはいらだっているのかは誰も説明してくれない。
「……壊せ」
ぼそりと、低く重い声に顔を向けるとジャンが奥歯をかみしめていた。
「グロリア、あれを壊せ。できるんだろ?」
「可能だと思うよ。けど、いいの? ジャンは私の目的をよく思っていなかったよね」
「大陸解放の影響が未知数すぎて怖いだけだ。けど、あれは違うだろ。あれは、存続させていいものではない」
あれとは何だ、と聞ける雰囲気ではない。だが大人二人の状態に、穴の中に何かただならぬものが存在していることだけは察することができた。
キーンが見たのは暗闇の中に張り巡らされた網だけだったが、周囲に埋め込まれている術式を見ることができる彼らは、もっと違う何かを知ったのだろう。
それも、ひどく恐ろしいものを。
「わかった、やる」
手伝って、とグロリアに言われ、ジャンはそのままついて行く。場には放り出された形になるキーンと、術式となると何もできないティエンが残る。
「何をあんなに怒ってるんだ」
「術式に、他の生命を組み込んでいるからだろう」
当たり前のことだとばかりにティエンが答えてきた。どうやら術式は見えなくとも、穴の底に何があるのかは見えていたようだ。
「生命……?」
「さっき、下をのぞいたとき、蜘蛛の糸のようなものが見えただろう」
確かにあった。太い綱のようなものが編まれ、幾重にも重なって底が見通せないようになっていた。
だがキーンが見えていたのはそれだけ。
ティエンは人の視覚ではとらえきれないものを認識し、簡潔に説明する。
「あれに包まれているのは、人間だろうな」
にんげん、人間。言葉がとっさに理解できなかった。
「人間……人だっていうのか?」
声が震えていたが、ティエンには動揺が伝わらなかったらしく、そのまま続ける。
「我は術式のことはわからないが、その術式で身体を構築されているせいか、知覚はできる。あれはな、扶桑と人間を組み合わせて動いているんだ」
それと、とティエンは無表情に告げる。
「使われている人間だが、グロリアたちよりこの大地と親和性が高い。反応として近いのは、キーンだな」
「スコルハ……」
そこで、思い至る。
メレネロプトでは純血主義を掲げながら、スコルハを集めている。そして、壁の内側へ招かれたスコルハは帰ってこない。
答えが出た。それも、一番想像したくない形で。
「こんなところに、いたんだ」
グロリアたちが何かはじめたのか、穴の中から弾けるような音やかすかな振動が伝わってくる。キーンは追いかけることもできずに手近の石の上に座り込んでしまう。もう一度穴の中をのぞく気にはなれなかった。
と、ティエンがかたわらに立つ。とがった足先でこつりと地面を突き、顔を伏せる。
「すまない。どうやら、我は言ってはならないことを口にしたようだ」
グロリアとジャンもこの事実に気がついたので、キーンを近づけないようにしたのだ。すぐに察することはできたが、それでも急な事態に理解が及ばない。地下にいるせいか、頭が重くなってきたのでかぶりを振る。
そこでティエンがキーンの様子をうかがうようにのぞき込んでいることに気がつく。
「ああ、えっと、大丈夫……じゃあないけど、知らないままでいるよりは、いい」
ティエンに対する気遣いもあったが、半分は本当だ。ジャンが止めなければ、キーンはあのまま階段を駆け下りていただろう。
下の状況はよく見えなかったが、蜘蛛の糸に似たものが人間を包んでいると言われ、まさに蜘蛛に捕食された昆虫を想像してしまった。もし、何も知らずにそんな光景を突きつけられ、そこにいる人間がスコルハだと気づいたら、平静ではいられなかっただろう。
「我はグロリアの守り刀だが、キーンのことも守るぞ」
誰が来ても、何が来ても、とティエンは華奢な体躯で強く言い切る。それは本当だろう。だがあくまで物理的な攻撃からであり、いまキーンが立ち上がれない理由のすべてを察するまでの情緒はないのだ。
それでも、グロリアたちのように、キーンが不安定になりそうなものから無理やり遠ざけてしまうより、その心無い行動の方が今はありがたくもあった。
「……ありがとな。一緒にグロリアたちを待とう」
一緒にいるぞ、とティエンはあまり変わらない表情のままキーンに寄り添うのだった。
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