第15話「血統主義」③
■□■
「君は、スコルハだね」
キーンが振り返ると、路地の入口に男が立っていた。簡素な袍服を着た中肉中背の人物で、顔には人のよさそうな笑みが浮かんでいる。
路地の中ほどにある木箱に座っていた彼に声をかけた男は、そのままこちらへ近づいてくる。一応、警戒する態度で半身をそらし、下ろしていたフードに手をかけると、男はあせったような声を出す。
「すまない、おびえさせるつもりはなかったんだ。ただ、このあたりにスコルハの子供がひとりでいると聞いてね、何か困っているのではないかと思って探していたんだ」
男は勝手にしゃべる。福祉関連の仕事をしていて、メレネロプトの外輪街へ集まってくる孤児たちの面倒を看ているという。
「クアール武装蜂起は、本当にひどい戦いだったからね……。ここがスコルハに優しくない国だとわかっても、流れてくる者はとても多いよ」
男の真摯な口調に、キーンは顔を伏せたまま、実は、と口を開く。
そのクアール武装蜂起で親や同じ部族の民とはぐれてしまった。各地を流れ流れてここまで来た。
「この髪飾りと同じものを持っているスコルハを見たことはないですか?」
頭を動かし、小さな薄い円盤を示す。男は数秒見つめたあとで首を振る。
「すまない、私は見た覚えがない。だが知り合いのスコルハは多いから、彼らに確認してもらおう」
さあ、とキーンの肩を押し、半ば無理やり木箱から立たされる。
「けど、連れがいて……」
「なぁに、そう手間はかけさせない。君を紹介するだけだ」
すぐ近くだから、大丈夫、と背中を押されていたところ、路地の前を人影がふさぐ。
「おっと、そいつ、俺の連れなわけ」
どこへ連れて行くのかな、と現れたジャンが逆に男を路地の中へ押し戻し、キーンはすかさず足をかけて男を転ばせる。とどめに男の首筋に銀に輝く薄い刃が押し付けられた。
数秒で空を仰ぐ羽目になった男はまだ自分の状況がわからず、起き上がることもできずに呆然とするのみ。
その上に、ジャンの影が落ちる。
「で、そのスコルハがいっぱいいるところって、どこよ?」
口元は三日月の形になっていた。
■□■
「はぁん、なるほどねえ」
男を締め上げて吐かせた情報と手元の図面などを照らし合わせていたジャンだったが、ばさりと紙束を脇へ置く。
「中心街への正門以外の進入路はわかった。……けど、これは使えねえなあ」
「どうしてだ」
当然の質問に、ジャンは空白の目立つ図面を示す。
「その出入口は、深層部まではつながっていないはずだ」
おそらく、男の示した出入口は本当に壁を越えるだけ。キーンたちが欲しい、黒の一族の邸がある区画へたどり着くためには、もう何度か壁を越える必要があるらしい。
壁については、縛り上げられ気絶している男からも証言が得られた。特に位の高い方術士は二重三重の壁の中にいて、都市部の中心区画には男も入ったことがないという。
「なら、俺が囮になった意味もなかったか」
なくはないぞ、とジャンは腕を組む。
「そもそも、スコルハを市内へ入れる理由は何だ? 中で働かせたり奴隷にするなら、外輪街にいる純血審査待ちの連中を使った方がいい。もとから市内に入りたくて集まっている連中なんだ、無給でこき使ってくれって尻尾振って飛びつくぞ。けどそれをしない、スコルハでなければならない理由があるんだ」
「スコルハだけを入れたい理由……」
「この場合、スコルハに何をさせたいか、だ」
だが、とジャンは顔をしかめる。
「言ったように、壁の中に入って出てきたスコルハはいない。となると……まあ、ろくでもない理由なんだろうな」
ろくでもない理由はすぐに察しがつく。この百年の間、ユージン大陸でスコルハがどう扱われてきたか振り返ればいいだけ。だがジャンが言ったように、純血を尊ぶなら労働などにスコルハを使う必然がない。血統問題もあるが、共通語を解さない先住民も多いので、命令を出す側としては扱いづらいはずだ。
あまり考えたくはなかったが、ただひたすらに先住民という存在そのものを虐殺するために集めている可能性もあった。だが推論の域を出なかったため、スコルハ集めの目的探しはそこで終わる。
「なら、どうする」
そうだなあ、とジャンは気絶した男を足先で蹴るだけで、すぐに妙案は浮かばないようだ。キーンとしても、最終目的場所がわからないまま飛び込むのはさすがに無謀な行為だとわかる。
そこで、これまで黙していたティエンが声を上げた。
「……侵入経路はわからんが、グロリアのいるところならすぐに案内できるぞ」
「どういうことだ」
問いに、ティエンはわずかに身を起こす。そうすると、肩の一部が剥離した。まるで鱗のように手のひらの中に収まる程度の表面が分離する。別れたそれは金属の輝きを放ち、中空に浮かんでくるくる回った。
「グロリアには我の一部を渡している。何かあれば呼びかけろと伝えてある」
その呼び鈴が、鳴らされたという。
「……いつだ」
「今だ」
ティエンは袖に覆われた腕を上げ、ある方向を示す。
「このまま直線に進めば、その先にグロリアがいる」
「そのまっすぐが難しいから、こうして悩んでいるわけで……」
人間側の主張に、ティエンは無表情なまま、こてりと首をかしげてみせる。
「もしかすると、探さなくとも向こうから出てくるつもりかもしれない」
「向こうから出てくるって。グロリアのやつ、何か騒ぎでも起こすつもりかよ」
やりかねん、とティエンは淡々と言い放つ。
「我は暴力が好きだが、同じものをグロリアも好むからな」
■□■
時間を少しさかのぼり、キーンが囮になるため単独で行動していたころになる。
グロリアはずいぶんと読み進めた方術理論書から顔を上げる。時刻は昼過ぎで、遠くの壁の向こうに見える空はからりと晴れている。
メレネロプトは乾燥地帯の真ん中にある国なので常に空気が乾き、外へ出れば砂まみれになってしまう。けれど建物は風向きなどをかなり計算して建てられているらしく、防砂林もあるため予想よりは砂に悩まされずにすんでいた。
それでも朝一番に女中が掃除したはずの卓は、窓際ということもあって表面にはうっすらと砂が落ちている。指先で砂の上に適当な文字を書きながら、グロリアは部屋に近づく気配を探る。
「……お客さんかな」
複数の足音に耳を澄ませていると、確認もなく扉が開かれた。
現れたリキョウは嫌悪感を隠しもしない表情だったが、少なくとも人型機兵が片付けられていたことには安堵した様子だった。
側仕えの男性がグロリアに部屋から出ろと丁寧に伝えてくる。どうやら姉の夫はこちらとは口もききたくないらしい。
「あー、やっと出られるの。じゃあちょっと待って。上着を着ないと格好がつかない」
今日も豪奢な衣装だが、言ったように上着が足りない。あまりにも丈が長くて引きずるのと、袖から手が出ないので本のページがめくりづらく着用していなかったのだ。
「そんなものはどうでもいい。早く来い」
リキョウがこちらを見ずに声を荒げる。側仕えの男はどうしたものかと間で右往左往するだけ。なのでグロリアは大仰に息を吐くと立ち上がる。
「ちょっと上着を羽織って帯を締め直すだけです。本当は髪も結い直したり帯玉も選びたいところなんだから」
それでもまだわめいているのを無視し、上着が置いてある隣室へ飛び込む。そこで戸に手をかけ、顔だけのぞかせた。
「よくわかんないけど、服装とかにも格式が出るんでしょ? もし誰かに適当な格好の妻を見られたら、恥をかくのは夫では?」
思いつきで言ってみたが、格式という単語が効いたのか、リキョウは続く言葉を飲み込む。その隙に戸を閉めると、グロリアはひとつ息を吐く。
「ああもう……思ってたより早かった」
いらだちをあらわにしながらもグロリアは裾を持ち上げ庭へ出る。遠慮なくしゃがみ込んで木の根元を掘り返していく。土の中から出てきた白い珠を取り出し、指で軽く泥をぬぐうと胸の間に入れた。
続いて急いで室内へ戻り、椅子に掛けたままにしていた上着を取り、身に着ける。帯の結び方が合っているのかわからなかったが、歩いていて着崩れなければいいだろう。
最後に姿見の前に立って自分の姿を映し、斜めになっていた簪を戻すと戸を開ける。
「お待たせしました」
一応、口調と態度は低姿勢で出たのだが、リキョウはもう室内にいなかった。
■□■
グロリアが連れ出された先は、地下へと降りる階段だった。そこへたどり着くまでにも多くの棟を抜け、何度も廊下の角を曲がったのですでに帰り方などわからない。
それより、とグロリアは一言も口をきかないリキョウの背中を見て息を吐く。
(割とよくない状況な気がする)
けれど浮かんだ予感はひとまず脇へ置く。現状は、前後四人の護衛と、姉の夫である男一人に囲まれている。こちらには武器などの装備はない。せいぜい、簪の先端を振り回す程度だろうが、一瞬で制圧されるのは想像に容易い。
(私の腕力や脚力なんて、あてにはならない。それより……)
グロリアの想像通りなら、この先に突破口を開くためのものがあるはず。
(それがおそらく、メレネロプトが……黒の一族が隠しているもの)
地下へと続く階段は何度も折り返される。先の見えない道程にグロリアは音を上げそうになった。
歩くこと自体は苦ではないが、今は幾重にも重なった着物を着用して動きが鈍くなり、しかも袖も裾も引きずるほどに長い。簪だらけで重い頭もふらつくのでそろそろ休憩を申し入れたいところだったが、周囲の男たちが彼女を気遣うことはなさそうだった。
ようやく足が階段以外のものを踏んだ時には、格好も気にせず座り込みたかった。だが階段が終わった途端に床石が途切れ、むき出しの岩盤となってしまう。
洞窟、と声には出さずにこぼす。
地上から掘り進めて天然のそれと合体させたようだ。かがり火がいくつもたかれているので歩くのに支障はなかったが、閉じた地下空間特有の湿り気のあるひやりとした空気にグロリアは首筋のあたりがざわつく。
空気のせいだけではない、おそらく、ここには【あれ】がある。
ゆるくカーブを描く洞窟の先へ進んだグロリアは、そこで驚きに足を止めた。
「わ、あ」
思わず声が出る。
巨大な木があった。
首が痛くなるほど見上げても追いつかず、明かりが届かない先がどうなっているのかわからない。洞窟の行き止まりは半円のホールのような形状になっているらしく、そこを巨木が埋め尽くし、根も縦横無尽に張り巡らされている。
頭を上げたまま数歩進み、根に足を取られて転倒してしまう。
「……痛い」
ちょうど張り出した根に胸のあたりを強打してしまい、グロリアは四つん這いになったままうめく。さすがに囲んでいた男たちも心配そうに、立てますか、と手を差し出してくれた。
胸を押さえたまま、男たちに支えられ立ち上がる。その間に、リキョウはさっさと木の根元へ行ってしまっていた。
「身体を傷つけるな」
「あー。はいはい、すみませんねえ」
気遣われているのではなく、商品を扱うような物言いも特に気にはならなかった。
はあ、とグロリアは重い息を吐く。結局、この男とまともに口を利くことはなかった。少しくらい姉の話が聞けるかと思ったが、そんな機会には恵まれないまま終わりが来そうな気がする。
「それで、私に何をさせようと? もしくは、何かされるのかな?」
リキョウの顔がわずかにこわばる。わかりやすい男だ。女程度が察するなんて、とでも考えているのかもしれない。
姉と男がどのような夫婦関係だったのかは知る由もないが、ずいぶんと鬱屈した感情を抱えているようだ。
それも、今となってはどうでもいいが。
「何かさせる、はあんまり思いつかないかな。あなたも私がどれほど面倒くさくて扱いにくい女かは、もうわかっているでしょう?」
当初のグロリアの予想では、姉が亡くなったので代わりとして連れてこられ、そこで花嫁修業や淑女教育を受けさせられ、女王らしく見えるよう整えられるのだろうと踏んでいた。だがグロリアの外見が双子の姉とは似ても似つかなかったこと、性格がおよそ淑女と呼ぶには雑すぎたので、男は方針を変更せざるを得なかったのだろう。
「次に、何かされるかだけど……。まあ、これでも女なので、身の危険的なものはうっすら感じてはいる……でも、そうされる前に舌噛んで死ぬ、みたいな気概もないんで」
一歩踏み出すと、周囲の男たちが半歩近づく。だがそこにはまだ遠慮と侮りがあった。
どうせ女ひとり、何もできまいと高をくくっているのだ。
ふへ、とグロリアは装いに似合わない笑みを浮かべる。
「扱いにくいなら、扱いやすいようにしてしまえばいい」
グロリアは大樹を見上げる。
「大きな扶桑だね。ここまで育ったのは見たことない。ここまで大きいと、相当程度、複雑な術式が組めると思う。……そう、たとえば、妹である私を操り人形にして、別勢力を立ち上げるとか」
女王は世襲制ではない。なので女王の妹だからと言って、グロリアに即位する権利などない。だが逆に言えば、実力があれば誰でものし上がれるのだ。
その実力が方術の位ではなく、たとえば、後ろについている人数や動かせる金の大きさだとすれば。
「実際、あなた方は扶桑の根元に入れるくらいだから、根回しはすんでいるんだと思うよ。あとは女王候補の女の頭を壊して、それっぽい術式を入れてしまえばいい」
人を一人、言動から行動まで思うとおりに動かすのは難しい。他者は他者でしかなく、行動や感情を完璧に制御などできないからだ。
だが完全に人形としてしまえば、術者は裏で糸を手繰り、人形に代わって台詞をしゃべればいい。女王候補ともなれば、付き人なども大勢いる。誰かが術式を使い、誰かが女の言葉を肩代わりする。高貴な身分の人間ほど、他者に直接姿を見せたり言葉をかけることをしなくなるため、代理人が表に出たところで気に留める者は少ない。
あとはきれいに着飾った人形を中心に据え、発案者らは女王の座へと駆け上がるのだ。
「どうせなら、私のことは放り出して、手駒にしやすい大人しい娘さんでもさらってきたらよかったのに。いやでも、そうなると不幸な人が増えるわけだから……」
ううん、と頭を抱えていたグロリアは、あっと声を上げて周りを見る。リキョウも囲いの男たちも口をはさめず呆然と立ち尽くしていた。
「あー、ごめんね。ひとりでしゃべっちゃって。当たってる? そうでもない?」
そこでようやく我に返ったリキョウが何かを言いかけたが、手を出してその言をさえぎる。
「あのね、あなたがどんな悪だくみをしようとも……ごめんねえ、私、話を聞くのも億劫なんだ。本当はどんな計画を立てたのかは知らないけど、私はもう帰るから」
じゃあね、と言って、グロリアは胸元にするりと指を入れる。
そこには先ほど庭から掘り出した白い珠があった。これのおかげで転んだ際、肋骨が折れるかと思ったが、そこは自分の鈍さが原因なので文句も言えない。
代わりに、術式解放の始言を放つ。
珠と、そして【身体】に込めた術式が解放される。ぞろりと肌に張り巡らせていた扶桑の根がうごめき、膨れ上がる。傍目には、グロリアの身体が急に膨張したように見えただろう。
だむ、と勢いよく足元にあった巨大な扶桑の根を蹴る。衝撃に、着物の中にあった扶桑が蛇のようにはい出し、洞窟内の根にからんでいく。ホールを埋め尽くす扶桑に比べると、グロリアが放ったものは細い糸か縄程度にしか見えない。
それでも、術式を行使する分には問題なかった。
からんだ根は互いに組み合い、膨れ、弾け、変化は瞬く間に中心部へ到達する。
そこまで達してからようやく男たちが慌てふためくも、もう遅い。
「……百年物の扶桑、もらうね」
太い幹は内側から弾け、根は土石流のように広がった。
■□■
グロリアはトラヴァース家の次女だが、実子ではなく養女である。
だが出自の問題が露呈したあとも、両親や兄姉は差別も区別もなく接してくれた。むしろ末っ子ということで甘やかされた自覚もある。
貿易商で身を立てたトラヴァース家だが、元をたどれば出身はメレネロプトになる。祖父の代でハミオンへの移住を決め、黒の一族の名を捨てた。
祖父はハミオンで商売をはじめた。最初は荷運びで、そこからさまざまな事業に手を出しては失敗し、借金を抱え、住居を変え、家業が安定したのは息子の代どころか孫にあたるグロリアの兄が産まれたころ。ここにきてようやく、荷運びから発展させた貿易の仕事が成功したのだ。捨てたはずのメレネロプトの縁まで使って販路を拡張し続けた執念がようやく実った形になる。
ただその縁から、グロリアという荷物を仕入れてしまう羽目になるのだが。
安定した経済状況のおかげでグロリアは子供のころから衣食住に困ることはなく、女だからと差別も受けずに必要な教育を受けられた。
両親の誤算は、その子供に方術の才能があったこと。
その道を延ばせば、いずれ出自がからんでくるかもしれないと危惧したが、それでも芽をつぶすことなく生かすことを決める。
最初は、かつて純色の賢者に方術を教わったという老人から学び、すぐに師匠を飛び越えてしまう。少女は学んだことを吸収しては応用し、無機物であった刀を人型にして動かした。そのとき、両親は軍へ入ることを勧める。正確には、軍付属の高等学校だ。
ハミオンは優秀な学生を常に欲しているため飛び級で入れる。すでに近隣では彼女に方術を教えられる者はいなかったため、新たな知見を得たいのと、同窓の仲間を求めて軍の門戸を叩く。
少女はわずか十三歳で軍付属の学問所に入学する。
そこで学生として忙しい数年を過ごし、卒業後は希望通り機兵開発を扱う部門へ配属が決まった。これであとは研究を続けるだけ、と己の得意分野をやりたい放題に駆け抜けていたが、グロリアが二十歳になったころ、クアール武装蜂起が勃発する。
当初、武装蜂起の地鳴りは技術開発部には入ってこなかった。技術者というものは総じて世間というものに鈍感で、グロリアもその例に漏れなかった。外を見ようとするどころか、のぞき見えることにすら気づいていなかったのだ。
だが次第に予算が切られ、上層部が必要ないと判断した部署が閉鎖され、実績を出していないとされた研究員は軍人にならないかと肩を叩かれる。
グロリアはかなり粘った方だったが、物理的に研究所を閉鎖されてしまったので仕方なく今から入れる部隊はどこだと問うと、補給部隊が人手不足だと言われそちらへ回った。
そこでいろいろあって隊長と呼ばれたり、少佐といった肩書をもらったりもしたが、グロリアとしては戦争が終わればそれでよかった。
終わったら即座に軍を辞めて、これまで貯めていた給料を使ってまた自分の好きな道へ走り出すことを決める。技術開発部へ戻るつもりはなかった。もちろん機兵開発も楽しかったが、軍に入ったのも目的があったから。自身の能力を確かめるのと、純粋に機兵について学びたかったのだ。あと、まとまった金が欲しかった。そのために給料が出て、生活必需品などもある程度支給してくれる軍隊は都合がよかった。
なので開発もできず、流れ弾に当たって死ぬかもしれないとなれば逃げるしかない。
そして、戦争は終わった。
そこで、キーンに出会う。
「まー、好き勝手やってる人生だよね」
へらり、とグロリアは薄っぺらい笑みを浮かべる。
「……私はわがままで、自分勝手だよ」
ごめんね、と中身のない、誰に向けたのかもわからない謝罪を口にするも、巨大扶桑の暴走の中では本当に意味のないものだった。
■□■
爆発するようにして広がった扶桑は地下空洞をいっぱいにする。けれど完全に埋めてしまうのではなく、分岐した通路のひとつひとつを探るべく枝が延ばされていく。
その流れに乗ってグロリアは移動していた。地下空洞内の位置関係はよくわからなかったが、あの長すぎる階段以外にも必ず出口があるはず。だが手元にあるのは扶桑と鱗珠だけで、目になりそうな機兵はない。なのでまさに手探り状態だった。
うごめく根のくぼみに座り込み、グロリアは息を吐く。
「あー、気持ち悪かった」
着物の袖で胸元あたりをぬぐう。ついでにまだ残っていた扶桑のかけらをつまみ出す。
グロリアが飾りや機兵を壊して作っていたのは、他の扶桑に干渉する術式だ。材料を手に入れるため機兵の中から扶桑を抜き、簪から鱗珠を取った。鱗珠は本来なら方術士にしか用事のない代物だが、見た目は白い石のように見えるのと、希少で高価ということで宝飾品に使われることもあると聞き及んでいた。なので、実際にその他の装飾品と一緒に並べられていた時は笑いだしそうになる。
「彼らは私から方術に関するものを遠ざけたようだけど……術式って、そもそもが日常の動作をちょっと便利にしたい、が発想だから、補助道具がなくても案外何とかなったりするんだよね」
術の構造さえ理解していれば、紙と書くものがあれば術式は発動できるし、始言を放てば一瞬の目くらまし程度は使える。
それでもさすがにこの大きさの扶桑を動かすには事前準備が必要だった。なので集めた材料で術式を組み、足りない分は身体の表面に直接文字を書いた。ほとんど肌が露出しない格好をしていたのと、ここしばらくは身の回りの世話をする女中も遠ざけていたので計画に気づかれることはなかった。
ただ予想以上に地下の扶桑が大型だったため、術式展開が上手くいかずに暴発した。
今は枝や根を使って周囲の様子を探りつつ、扶桑自体の急速成長をうながしている。
「やー、さすがすごい扶桑をお持ちのことで。けど、無理やり稼働させているから大半は枯れるだろうな」
ごめんね、でもすごい、と適当に巨大扶桑をほめながら、通路内を大蛇じみた動きで広がる扶桑の上でグロリアは肩を落とす。振り返っても、先ほどまでいた空洞部分はもう見えない。距離が開いたのもあるが、強制的な成長により膨張した扶桑が通路を埋めつつあった。あの空洞も、下手をすればすべて埋まってしまっているだろう。
「これが、この木のてっぺんから太陽が登るとまで言われた伝説の巨木なんだね。どこまで成長するかわからないから、自力で逃げて。私は探し物を見つけたから、帰るけど」
その日、メレネロプトの地下から木の根と枝が噴出した。
建造物は破壊され、壁は崩れる。瓦礫を撒き散らしながら隆起する巨木を見た外輪街の人々は自然と首を垂れた。
神が興った、と。
けれどそれは神などではない。
そして、本当の意味で神が動くのはこのあとからだった。
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