第16話「大陸の目」①

   第七話「大陸の目」



 メレネロプトの壁外にいた者たちは、地響きの音が大地を走るのを聞いた直後、突如として足元が前後左右に大きく揺れる事態に戸惑う。

 その揺れは激烈なものではなかったが、ユージン大陸には地震、地揺れといった概念がない。そこに生きる者たちにとって大地とは、落ちてこない空と同様に決して揺るがないものである。

 その大前提が崩されたうえに、不可侵領域であるメレネロプトの一角が崩壊した。

 ありえないことが同時にふたつも起こったのだ。

 けれど地揺れが起こった場所が他の国家とはほぼ交流が断絶しているメレネロプトだったことに加え、そこに集う国民、もしくは外輪街にいる入国審査待ちの者たちもまた、ありえない感性の持ち主ばかりだった。


   ■□■


「……揺れたな、ていうか揺れ続けている」

 ジャンは独白じみた言葉を漏らす。視線は遠くに据えているが、実際には足先から髪の毛まで神経を張り巡らせ周囲の様子を探っていた。彼もここまで大きな地揺れなど初体験だったが、状況から推測し本当に地面が揺れているのではなく、何らかの原因で大きな衝撃が起こり、結果的に地揺れに似た状態になっていると結論が出てからは一瞬で落ち着きを取り戻す。

 がつん、と下から突き上げてくる衝撃に、ジャンは反射的に隣にいたキーンの頭を抱えて腕の中に抱き込む。壁の漆喰がはげ、棚にあった物品がばらばらと落下するのでキーンを引きずって部屋の中央へ移動した。

「ジャン、これ、なに」

「大丈夫だ。この仮屋は見た目は古臭いが、この程度の衝撃で崩れやしねえよ」

 言っている間にも足の裏から微細な振動が伝わり、腕の中にいるキーンが身体を硬直させているのがよくわかった。壁際にいる人の形を模した器物は、まったくの無表情のままとがった足の先端で器用に直立している。こちらは大丈夫そうだな、と視線を外し、縮こまってしまったキーンの背中を叩いて落ち着かせた。

 揺れが収まってきたので、今度は背中をなでてやる。キーンは恐怖と驚愕に金色の瞳を丸く見開いたままだったが、次第に瞳に意思が戻ってきた。

「……何だったんだ」

「まあ、深呼吸でもしろよ」

 外輪街へ戻っていたキーンらは、突如起こった異変にひとまず隠れ家へこもって様子をうかがう。部外者が急に動き出すのはかえって目だって危ないという判断だ。

 ティエンはすぐにでも動きたそうにしていたが、ジャンが首根っこをつかんで止める。隆起しているのは遠目だが扶桑に違いない。そして、現在メレネロプト内で扶桑の爆発的な成長をうながすような真似をする人物には一人しか心当たりがなかった。

 犯人はグロリアだ。そして、ティエンの探査能力により、彼女が走るよりも速い速度で移動していることがわかる。なので今すぐ無理して混乱中の内部へ入る真似はせず、まずは彼女の位置を確認してから必要であれば突入することになった。

 メレネロプトの状況は、静かの一言に尽きる。内部から恐慌状態となった市民が走り出てくることもなければ、外輪街の待機住民がこれ幸いにと中へ入る真似もしない。外輪街の住民は粗末な家屋の中で息をひそめるか、狭い通りへ出て砂塵を撒き上げて膨れ上がる扶桑を言葉もなくただ見つめるだけ。

「なんだこいつら。逃げることもわめくこともしないなんて、生きているのか」

 ティエンがこぼす。その意見にはキーンも同意だった。

 この国の住人は、何を目的に存在しているのだろうか。と疑問符を浮かべる。外輪街に集う者たちも、中へ入りたいなら壁が壊れた今が機会だというのに誰も動かない。といっても、正式に住人として認められていないから動けないのかもしれないが。

 事情を抜きにしても、突然の異常事態を前に多少驚きこそすれ一時的に避難する様子も見受けられなかった。

 キーンが過ごしていたハミオンは、大陸間鉄道を最初に敷いた国とあって経済活動が活発だ。差別を受け、悪事に巻き込まれてと散々な目にも遭ったが、常に活力が満ち、朝から日が暮れるまで息をつく間もないほど目まぐるしい日々だった。

 この国は真逆で、停滞している。

 変化がないことを望む者が集まり、よどんだ沼のようになってしまっているのだろう。

 何を変えないでいるのか、そこが気になった。


   ■□■


「こっちだ」

 先行するティエンのあとを追ってキーンとジャンは走る。扶桑の隆起は続き、メレネロプトの外壁は食い破られたように穴だらけになっていた。ただやはり、穴の向こうの内側はひどく静かで、砂にまみれて忙しくしている自分たちの方が異端なのではないかという気さえしてきた。

 あそこだ、とティエンが示す先。壁が大きく崩れ落ち、内側の区画まで巻き込んで崩壊していた。だがちょうど広場になっていたらしく、一緒になってつぶれた家屋は見当たらない。石畳を敷いた一画がぽかりと空いていた。

 ティエンが足を止める。そのとき、地面が振動した。小刻みに震え、次第に音が近くなり、うなり声のように聞こえてきた途端、一瞬、足元が沈んだ気がした。続いてふわりと内臓が浮き上がる気持ちの悪い感覚と共に石畳が割れた。

 石と土を食い破って現れたのは、周辺に盛り上がっているのと同じ、木の根に酷似したもの。扶桑はのたりのたりとはうような動きを見せつつ停止し、根の一部が内側から弾ける。

 そこから突き出たのは、根に比べると小さな手だった。

「グロリア」

 瞬間、ティエンが飛び駆ける。

 先のとがった足で崩れた地面も複雑に絡み合う根も器用に避け、あるいは軽く飛び跳ね一気に距離をつめる。

 呼ばれた方はふらついていたが、顔を上げて頭を振ると、近づく存在に気づいたのか表情が晴れる。

「ティエン、よかった」

「我もよかったと思うぞ」

 グロリアの前へ到着したティエンだが、その手が変わらず棒状だったことを思い出し、掲げた腕が宙を惑う。けれどグロリアは頓着せず少女の形をした刀剣を己の腕で抱きしめた。

「来てくれてうれしいよ。ありがとう」

「遅くなった」

 そんなことない、と豪奢な衣装を身につけたグロリアは豪快にティエンをなでて褒める。しばらく再会の興奮を味わったあと、隆起した扶桑の範囲外に立ち尽くすキーンらにようやく意識が向いたらしい。目を丸くし、一瞬呆ける。

「あ、キーンくん、ジャンも」

 やっほー、と周辺の家屋よりも高い位置から手を振ってくるのをキーンは信じられないとばかりに見つめてしまう。扶桑の急速成長はグロリアが行っているとジャンが予想していたが、実際に彼女が大蛇のようにのたうつ根の中から現れたのを見て、硬直してしまうのだった。

 方術使いとして彼女はキーンの前でさまざまな術式を行使していたが、普段は身の回りのことすらこなせない不器用さに落ち込み、帳簿が赤だらけだとなげく、そんな、どこにでもいる女性だったのだ。

 正直、今でもグロリアの行ったことの規模がわからないでいる。だが少なくとも、キーンよりも数段方術について知識があるジャンが手で顔を覆ってうめいているのを見れば、規格外のことをやってのけたのだということは理解できた。

「えっとー、とりあえずそっちへ行くね」

 グロリアもこちらの反応が悪いことに気がついたのか、扶桑の上から降りようとする。だがそこでまごつく。

「あれ? 術式……あー、壊れた」

「どうしたグロリア」

「えー、あー、」

「グロリア、そこから離れろ!」

 ジャンの叫びにこもった鋭さと、周辺の異変に気づいたのはティエンが先だった。少女は手のない腕でグロリアを抱え上げると、木の根の上を跳ねながら降りてくる。急に持ち上げられて振り回されるグロリアが悲鳴じみた声を上げるも、容赦も遠慮もせずにすさまじい勢いで駆け抜けた。

 とがった足先が地面についた直後、扶桑の色が抜けはじめる。日が沈むよりも速い速度で白色化し、表面が剥離していく。

「キーン、おまえも下がれ。崩れるぞ!」

 ジャンに腕をつかまれ、半ば引きずられながら穴の開いた壁の外側へ退避する。グロリアを抱えているティエンは速度をゆるめず、重さを感じさせない動きで同じく壁の外へ飛び出した。

 白い姿が猛烈な速さでキーンの横を通り過ぎたのを確認して視線を戻すと、扶桑は崩壊をはじめていた。白くなった表面がはじけ、ひび割れは瞬く間に全体へと広がる。末端からぱらぱらと細かく砕けていくが、一部が崩れると連鎖的に他の部分へ波及する。

 巨大な根が砕けて落ちるたびに何度も地面が揺れ、粉塵が舞い上がる。ジャンが壁も崩れるかもしれないと言い出し、慌ててその場から離れるのだった。


   ■□■


「一度隠れ家へ戻るぞ。馬車が動かせそうならそれで逃げる」

 ジャンの提案に全員が走った。といっても、グロリアはティエンに抱えられていたが。

 崩壊で舞い上がった粉塵が濃霧となった影響で外輪街の人通りは絶え、彼らはほとんど人目につくことなく隠れ家へ飛び込むことができた。砂まみれになってもジャンはすかさず馬を見てくる、と裏へ出てしまう。

「あー、口の中までじゃりじゃりしてる」

 お水欲しい、とグロリアに言われ、キーンが動く。室内も隙間から入ってきた砂で散々な状態だったが、移動用に持っていた水筒は無事だったのでそれを渡す。グロリアも水が貴重とわかっているのだろう、口内を湿らせる程度に飲んで返してきた。

「キーンくん、ありがとう」

「……別に」

「反応がにぶいけど、ひょっとして、私だってわからない?」

 グロリアだよ、と言いながら美しく爪が塗られた指で自身を示す。

 キーンはグロリアの容姿の変化ではなく、単に先ほどの件でどのような反応を返せばいいのかわからず口をつぐむしかなかった。

「ちょっと顔を塗りたくってるから、印象が変わったかも」

 化粧と服装の影響で警戒されていると勘違いしたグロリアだが、小首をかしげた拍子に髪から簪が一本抜け落ちた。

「高そうな飾りだな」

 ティエンだけは変わらず近づく。そこで、グロリアの髪の中からするりと小さなかけらが飛び出した。鏡に似たそれは中空でくるくると回転すると、ティエンの腕に貼りついて一体化する。グロリアの位置情報を探るためにつけていた少女の一部だ。

「高級なんだろうけど、重いんだよ。簪も着物も、欲しいならティエンにあげるよ」

「興味はない」

 ティエンにすげなくあしらわれるも、グロリアは気にした様子もなく帯を解いて上着を脱ぐ。一枚脱いでも中はまだ何枚も重ね着している。それでも一番重そうな上着を脱いだことで楽になったのか、グロリアは伸びをすると薄手の帯を手にキーンの前に立つ。

「キーンくんもどうかな」

 言って、繊細な模様の入った透ける生地の帯を首に巻きつけてきた。

「お、似合う似合う。きれいだよ」

 これおまけ、と髪から簪を一本引き抜くと、キーンの赤い髪にさす。小さな金属片を連ねた飾りのそれは、動くとちりちりと軽やかな音がした。グロリアは上着も着るか、鏡はないのか、と狭い室内をせわしなく動く。

「いらないって。その服、俺には大きすぎる」

「そういうものなんだよ。引きずるくらいがちょうどいいんだって」

 背の高いグロリアでも手も足も見えないほど丈が長い着物では、キーンは半分くらいつめなければ生地の重みと量に動けなくなりそうだ。

「これがメレネロプトが大陸から持ち込んだ文化なのか」

 着るのは断るも、キーンは生地の滑らかな触り心地と飾りの繊細さに驚く。上着には鳥や花の刺繍がふんだんに施され、少しばかり砂に汚れていたが、ふわりと鼻孔をくすぐる香りがあった。

 これは保持したくなる文化だな、と素直に感動していると、グロリアの腕にするりと抱き込まれる。

「キーンくん、来てくれてありがとう」

 言って、グロリアは背中や髪をなでる。

「それと、置いて行ってごめんね。私の目的のために振り回したくなかったから、あとのことはジャンに頼んだんだ」

「だが、グロリアの事情を黙っておくのはよくなかったと思うぞ」

 後ろからティエンに厳しいことを言われてしまい、グロリアは肩を落とす。

「……そうなんだけど……万が一、向こうがキーンくんに関わってきたら、何か知っているってだけで嫌がらせされるかもしれなかったし……」

 キーンもグロリアの行動を納得していた。言われたところで何もできなかっただろうし、彼女が言ったように、半端に関わったことで別の問題が起こる可能性もあった。

 それでもあの日、明かりの消えた家の前で感じた空虚さは忘れられない。

 一晩、ティエンと眠っても不安でたまらなかった。だがさびしいと感じられたのは、周囲の人間がずっとキーンを気遣ってくれたから。

 二年の日々があったから、グロリアが何も言わずに出て行ったことが悲しくなり、ジャンが一緒に行くと言ってくれたことを頼もしく思えた。

 四肢を落とされ、地面をはいつくばっていたままだったら、きっとそんな感情を抱くこともなければ、起き上がることすら忘れたまま朽ちていただろう。

「いいよ。それで、よかったんだ」

 正しい答えかどうかはわからなかったが、素直にそう返せたことにキーンは安堵する。

 グロリアは少しさびしそうな顔をしたあと、笑った。

 そしてさらに強くキーンを抱きしめる。

「キーンくんがうちに来てくれてから、ずっと楽しかったんだ。本当はもっと早くに君が自立できるようにしなきゃいけなかったんだけど……甘えちゃってた」

 重ね着した着物越しでもわかる細くやわらかい女の身体にキーンは戸惑うも、グロリアは赤い髪に指を入れ、ゆっくりとくしけずる。

「ティエンから聞いたかもしれないけど、私は自分の目的のために動いてる。それはこの大陸すべてを巻き込むほどに大きなもので、けど、やりたいことは小さなことなんだ」

「外へ、出たいんだろ」

 言って、キーンは腰の後ろに下げている袋から、シーグラスのペンダントを取り出す。

「それ……」

 頭の上でグロリアの驚いた声がする。表情も同様だろう。キーンが掲げたペンダントに触れる指も震えていた。

「グロリアはずっと、俺が自分で立ち上がれるようにいろいろしてくれた。だから俺も、何かしたかったんだ」

「……キーンくん。大好きだよ」

 ぐりぐりと頭をなでまわされ、胸に顔を圧迫されて息苦しさにもがいていると、壁を叩く音がした。どうにかしてグロリアの胸に埋まっていた顔を出すと、ジャンが口を曲げて戸口に立っていた。

「へいへい、感動の再会にこっちも泣きそうだよ」

「ジャン~~~一緒に来てくれたのはありがたいけど、私はキーンくんがこっちに来ないようにするためにお世話をお願いしたんだけど」

「知るか。つか、追いかけて来るくらい好かれててよかったじゃねえか」

「そういうことじゃないって」

 言って踏み出すも、グロリアは着物の裾を踏んでよろける。

「動きづらい……」

「目立つから着替えろよ。その着物、いらねえなら俺によこせ」

「いいよ、あげるあげる」

 キーンも首に巻いた布と簪を取ろうとするが、それはジャンが止めた。

「砂除けになるし、つけてたらどうだ。似合ってるぞ」

「そういうものか?」

 大人二人から同じことを言われてしまい、キーンは仕方なく薄布を顔の周りに巻きつける。色や柄が自分に合うかはともかく、繊細な肌触りが心地よかった。頭に揺れている簪は、いつもつけている飾りの親戚だと思うことにする。

 そうこうしている間に、グロリアは狭い部屋の中で着物を脱ぎ、それをジャンが木箱へつめ、簪などの壊れ物は帯の間にはさむ。

「馬車はすぐに動かせるぞ。外もまだ静かだ」

 出るなら今だ、と言われ、ようやく手足が出るほどの薄着になったグロリアが挙手する。

「それなら、行きたいところがある」

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