第13話「血統主義」①

   第六話「血統主義」



 キーンはメレネロプトが血統主義の国と聞いて、高い壁に囲まれた排他的な様子を想像していた。

 確かに壁はあったがずっと遠くにあり、砂交じりの風の向こうにかすんでいる。そして、簡素な木の柵がキーンの行く手を阻んでいた。

 メレネロプトは国土としては非常に小さく、地図上で見比べた限りでは、ハミオンの半分程度。だが国土以上の広さを稼いでいるのが、外側に広がった木の柵。壁に比べると、いかにも素人作のぞんざいな作りで、何度も補修や交換を重ねているのか、木の太さも違えば柵の組み方もそれぞれだ。

 柵は隙間だらけなので、突破するのはたやすい。だが柵のすぐ内側には人家がある。それも、道が見えないほど密集している。どれも小さく粗雑な作りだが、この間を人目を避けて、となるとかなり難易度が高い。奇妙なのは、この家に住んでいるのは、メレネロプトの住人ではない点。

 メレネロプトは国土の周囲を別の集団が囲う場所だった。なのでキーンらが侵入のために取った手段は正攻法。堂々と門から存在を明かしながら入る方法を選んだ。

 柵の間には簡易の門がいくつかある。粗末な詰所も併設され、キーンらが到着したときには門番らしい男が一人立っていた。

「どうも。あ、これ書類ね」

 門の前で馬車を止め、御者台からジャンが荷物の明細を渡し、門番が人数を確認する。商人の主人と手伝いの小僧がひとり。ティエンは外見が他者の記憶に残りやすいため、木箱の中に入っている。その木箱の中身を改められることもなく、通っていいと言われた。

 再び馬車は舗装のない道をがたがたと揺れながら進む。

「……普通に入れるんだな」

 砂と視線を避けるため、目深にかぶったフードから外をのぞきながらキーンがこぼす。振り返っても、荷台に積み上げた木箱と日よけの幌でもう詰所は見えなかった。

「っても、ここはスラム街みてえなもんだぞ」

 外輪街、とジャンは説明してくれる。メレネロプトは外輪街と中心街に分かれている。かつては中心街だけだったが、内部に入れない者たちが外側に住みつき自治領を形成するようになった。

 一応、柵を作って門番は置いているが、メレネロプトが管理しているわけではない。あくまで勝手に住みつき、勝手に門を作り、勝手に門番を置いて侵入者を警戒しているという態だ。

「中に入れないってことは、メレネロプトはそんなに住人が多いのか?」

「いや、そうでもない。むしろ、ハミオンあたりと比べたら、すかすかってくらいに人口密度は低いようだ」

 なぜ、とキーンは疑問符を浮かべる。外輪街は中心街へと続く道だけはかろうじて馬車が通れるほどの幅があるが、それ以外はどこが家と家の切れ目かわからないほど建造物が密集している。年季の入ったレンガ造りのものもあれば、強風が吹き荒れれば木っ端みじんになりそうな掘っ立て小屋とさまざま。総じて言えるのは、どの家もあまり裕福ではなさそうなこと。

 通りを歩く人の数は、家の数に比べると少ない。商店なども見えない。ただ、小屋の群れの中にひしめく人の気配だけは感じられた。

「外輪街にいる人間は多い。けど、こいつらはここに住んでいるというより、待っているのさ」

 何を、と問う前に予想はついた。

「中に、入れるのを?」

 正解、とジャンは手綱をもてあそびながら答える。

「メレネロプトは純血を尊び、混血を忌避する。だから、過去において純血の証が取れない者は、街に入れないんだ」

 外輪街の住人は審査待ちか、審査落ちしてもあきらめきれずに居座っている者になる。

「なんで、そこまでしてこの街へ入りたいんだ」

 キーンは周囲を見渡す。メレネロプトの位置は大陸のほぼ中央。この地域は乾燥し、半ば砂漠化している。常に砂交じりの風が吹き、何もかもがざらついている。数日馬車で旅をした限り、およそ人が暮らすのに向いているとは思えない。環境の面だけ見れば、沿岸部のハミオンの方がよっぽど生活しやすいだろう。

「んー、理由は人それぞれだろうけど、住環境を求めてではないだろうな」

 ではなぜか、という疑問にジャンは想像だが、と前置きしてから告げる。

「欲しているのは救い、あるいはそれに近いものだろうな」

「……宗教、というやつか」

 キーンに馴染みはないが、知識としてはある。入植者が持ち込んだ思想で、驚異的な力を持つ人間や、制御できない自然環境などを神として崇めるものととらえている。

 同じ「神」を信仰する者が増えれば、社会集団や組織が生まれてくる。思想の多くは精神的な安定を求めるものだが、解釈の違いなどで大きな対立や小競り合いが発生することが多く、ときには戦争になる。

 ジャンは宗教の理解はその程度で十分、と言って話を進める。

「ユージン大陸全体で信仰されている宗教っていうものは特にない。それぞれが持ち込んだ神を勝手に信奉しているだけだ」

 元が開発からはじまったせいか、全体的に神頼み的な考え方は薄い。悪天候が続けばそういうもので、犯罪に巻き込まれたら運がなかったで終わる。スコルハも似たようなもので、自然に敬意を払うことはあっても、自然そのものを崇めることはしない。

「それをやっているのがメレネロプトだ。ただし、国が主導して何かを崇めようと推奨しているわけじゃねえ。勝手にそのやり方に賛同した無関係の人間が、己が楽になりたいから集まってきているだけだ」

「何に対して集まってきているんだ。その、宗教っていうなら、神がいるんだろう?」

「神様、っていうのとはちょっと違うな。メレネロプトの連中は、純色の賢者を絶対的な指標にしているんだ」

 純色の賢者。

 入植者らが移住した際、生活の基盤づくりなどに大きな役割を果たした者たちで、多くが方術などの特殊な能力を有していたという。

「山を割った、川の流れを変えた、一晩で防壁を築いた。さまざまな逸話がある。その信憑性は置いといて、メレネロプトの中枢にいる連中は現在もその力の継承と研鑽を続けているってわけだ」

「すごい能力が使えるなら、いいことじゃないか」

「いいことだ。だがそれを、外部へ向かって使うつもりがないのはいいことか?」

「使うつもりがない?」

 キーンはまだ近づく気配もない壁を見る。遠くにあってもその威容には侵入者を拒む意思が感じられた。

「中枢の黒の一族は、複数人いた純色の賢者が有していた能力のほぼすべてを引き継ぐ、あるいは記録として持っているとまでいわれている。だがあくまでそんな話がある、程度のうわさで、実際にその能力を振るっている様は誰も見たことがない」

「ハミオン軍で偉そうにしていた方術士は?」

「あいつらは、名前を受け継いでいるだけの末端の末端だ。そもそも本当の意味で一族の名を背負っているような連中は、外へ出て来ねえよ」

 そういうものなのか、とキーンは驚く。ハミオン市内にいる方術士の大半は軍属になる。だがグロリアのように自由業的に動く者も少なからずいるし、あやしげなまじない屋まで入れたらかなりの人数になるだろう。

「方術士っていう連中は、よくも悪くも自分勝手なんだ。術式の構築は世のため人のためではなく、己の欲求のため。崇高な目的ってやつだ。追い求める内容はそれぞれだが、高みを目指すとか言われても、一般民衆には鼻で笑われるのが落ちだ」

 ハミオンの方術士は、その崇高な理念を掲げる者たちからすれば、世俗にまみれ、金のために能力を切り売りする裏切者ということになるらしい。

「金になるから、っていう方が、よっぽどわかりやすくていいと思う」

「グロリアは金には執着してなかったけど、取り立てはしっかりやってたな」

 中には方術のようなうさんくさいものに金は払いたくないと、すべてが終わってからごねる客はいる。そういった連中にもグロリアはあくまで物腰は丁寧に、だがティエンという物理を放り込んで解決を図っていた。

「方術だって、パンを作るのと一緒で一種の技術職。だが、それを天賦の才だと勘違いしたやつは増長するし、知識のない連中はそれくらい簡単にやってくれって言いがちだ」

 どちらも覚えがあるので、キーンは口を引き結ぶ。

「俺もグロリアが家の井戸を復活させたときは、簡単に何でもできるって思ってた」

 暮らしていた家はハミオンの外壁の外にあった。他の家とは少しばかり距離が開いていたのは、過去の住人が市内を走る乗合馬車をやっていたからだと聞いている。住居部分も御者が複数人雑居していたのか十分に広く、裏手には厩と大型倉庫が建つ。

 そして、馬の世話に必要な井戸があった。

 キーンが来たころは枯れ井戸だったが、暮らす人数が増えると清潔な水が多く必要になる。グロリアが調べたところ、水脈自体は枯れていないとわかる。どうやら年月の間に流れが悪くなっているだけという結論になり、彼女は何か小さなものを井戸へ放り込む。

「内部のつまっている個所を掘削するって言ってたけど、見えないところをどうやってって思う間に井戸は復活した」

 グロリアは出てきた水を検分しながら、見えてないけど見えるんだよ、と笑っていた。

「そういうことをあっさりやっちまうから、あの女は嫌いなんだよ」

 その井戸の水を使ってキーンを丸洗いしたことがあるジャンはむくれる。

「俺だって青の一族の末端だが、術式として受け継がれているのは水脈を探す程度だ。他にできることは、前におまえに見せたように、すでにある扶桑の指示を書き換えるくらいだな」

「俺にはあれもよくわからなかったけど」

「文章を読むのと一緒だ。書かれている内容がわかれば、術式も効果も理解できる。だが、自分でいちから組み上げるとなると、途端に難易度がはね上がるんだよ」

 グロリアはそれを、野菜を切るよりも簡単に行ってしまうのだという。

「簡易なものなら俺にも組める術式はある。火をつけるとか、ちょっと風を起こすとか。だがそれくらい、いま世の中にある道具を使えば誰でもできる。むしろ、紙に細かく字を書いている方が時間と労力がかかるくらいだ」

 それができるだけで、字の読み書きもおぼつかないキーンにはとてもすごい技術だと思える。だがしかし、方術士の逸話は枚挙にいとまがない。岩を砕く、雨を降らせる。それらのすべてが本物だとすれば、長々とした術式を構築しなければ発動しない着火なんて、地味で大したことがないとなるのだろう。火をつけるだけなら、キーンもマッチ一本で事足りる。

 なので、他に気になったところをたずねる。

「ジャンは、青の一族なんだ」

「俺の名前、聞いただろ。賢者の末裔は、だいたい冠する色にちなんだ名前を与えられる」

 ジャンの名前は漢字で書くと張雨澤となる。雨は水、水は青で示されるのだという。

「っても、方術を伝承するっていう面倒なことを真剣にやっているのは、もう黒の一族だけだろうな」

 純色の賢者と呼ばれる者たちは、それぞれに強力で不可思議な力を持っていたとされる。だがその能力の多くは継承されず、入植初期に賢者当人が亡くなったことで途絶えたものも多い。

「黒の一族は他の賢者が持っていた力のかけらまで集め、保持しようとしている。それ自体はありがたいことだが、あいつらは貯め込むだけだ」

 ここで話題を戻す。黒の一族は力という力を集めている。何を目的としているのかは不明。だが決して外部勢力にその秘術を明かそうとはしない。

「外輪街に集まっている連中が、砂漠の環境に耐えかねて何人死のうがおかまいなしだ」

「入れてもらえる保証もないのに、何で集まるんだ? 中に入れたら、それだけすごい何かがあるのか?」

 俺にもよくわからんが、とジャンは前置きする。

「メレネロプトは、一般民衆の生活をよくするためには方術を使わない。けどな、それを偉大なことだと勘違いした連中が、いずれ神を興すであろう国へ集まっているだけのように見える」

「神を、興す……」

「俺にはメレネロプトは、国というよりひとつの器官のように思える。何か目的があって集まって作業をしているうちに、そいつらの世話をするやつや、その家族が増える。そして増えた人間をまとめる者、そいつら相手に商売をする者、そういった内部事情には無関係な人間が集まってきた結果、国のような形になっただけ。そんな気がする」

 国ではなく器官。その言葉に、キーンは近づいてくる壁自体が生き物のように思え、背筋が寒くなった。

「近年は、都市に入りたい連中にはスコルハも多いようだ」

「中心街には入れないのに?」

 混血を忌避する都市に先住民のスコルハが集まることに矛盾を感じた。だがよくよく見れば、通りにいる住人の中にはスコルハらしい外見の者が混じっている。

「そう、中心街には入れない。けど、よくわからんが……ここに来れば、何らかの恩恵があるらしい。そんなうわさがこの何年かで広まっているんだよ」

「なんでまた」

 さあ、とジャンは肩をすくめる。

「実際、門番もおまえを見ても何も言わなかっただろ」

「そういえば」

 もし自分が血統主義国の王様なら、たとえ外輪街でも先住民は入れたくないだろう。

「俺たちは建前上は商人として荷を収めるために来た。だから入れるのも中心街の手前までだ。それにしたところで、純血を侵す可能性のあるスコルハを集めてるのはおかしな話だがな」

 後半は独白に近かった。キーンがどう返そうか迷っていると、荷台で動く気配がある。振り返ると、木箱のふたが少し浮いていた。

「……おい、いつまで入っていればいいんだ」

 ティエンが隙間から不満そうにこちらをのぞいている。

「んー、拠点にしてる借家が中心街の手前にあるから、そこで下ろすまで我慢しろ」

 要は出てくるなということだ。ティエンは荷物扱いがたいそう不満な様子。キーンも中に入っていろと言われたら、もっと抵抗しただろう。

 抵抗なら、ハミオンを出る前に散々した。

 といっても、最初から敗北が見えていたのだが。

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