第5話「欠けた赤獣」①
第三話「欠けた赤獣」
グロリアとキーンの出会いは、二年ほど前にさかのぼる。
あれはクアール武装蜂起が終結して周辺国家間で表面上の停戦協定が結ばれ、終戦という言葉が出てから少したったころだった。
終戦の気配が漂いはじめた途端、グロリアは軍を辞めた。引き止める声は多かったが、それよりもやることがあったのだ。軍にいたのも主に知識と資金を得るため。ハミオンは他国に比べれば女性の就業率は高いが、働き口となると限られてくる。女中か女工になるかだ。字が読めて計算ができれば工場の班長や代書屋といった道もあるが、稼ぎは大したことはない。
だから、軍人になった。そして辞めるなら、大きな騒乱の終わった今しかない。いつ次の大戦が起こるかわからないからだ。
幸いにも辞めたあとの稼ぎも、軍と独学で得た方術の知識でどうにかなりそうだし、しかも新しい仕事は希望通り移動が多い。
仕事は放棄された機兵の回収。この二十年ほどで機兵は重火器類と同様に運用される兵器となった。だがまだ発展途上の部分が多いため、ありていに言えば不具合が多い。なので稼働しなくなった大型機兵が街道上に放棄されたり、稼働停止できなかったそれらがさまよったままになっている。
それらの回収や停止作業を行う、戦後ならではの仕事だ。グロリアは軍へ入る前から機兵の扱いや、それらを動かす方術に精通していた。軍の技術開発部では、それらの発展形となる技術開発を行っていた。だからこそ、戦後も自身の能力を生かせるし、現場で戦闘となれば守り刀のティエンがいる。
「小姐にはうってつけの仕事だねえ」
グロリアよりも先に軍を辞めていたジャンは、ハミオンで情報屋になっていた。なので彼との縁を使って仕事をもらいつつ、地盤固めをしていく日々。
だがジャンいわく、すぐに軌道に乗るだろう。
機兵の放棄はどこの国でも頭の痛い問題で、特に輸出大手のハミオンの機兵業者の中には、終戦後、今度は売り先から不良品を売りつけたのではないかと訴訟にまで発展しているようだ。まだ問題の火種が小さいうちに回収して隠ぺい工作を図ろうにも、グロリアのような専門家はまだまだ少ない。隙間産業として十分にやっていける見込みだ。
そうなればいいが、とグロリアは小さく息を吐く。
少しばかり意識がそれていたところに、ジャンの忠告が入る。
「けど、出歩くなら気をつけた方がいいぜ。近ごろ、軍の高官や退役軍人を狙った襲撃事件が起こっているようだ」
「あらまあ物騒」
軽く答えてしまったのは、自分も少尉だか少佐かまで位はもらったが、率いていたのは補給部隊。前線で指揮を執っていた将兵ならともかく、グロリア程度の元軍人を襲うとは考えにくかった。
どちらかといえば、終戦後にさらに混乱を引き起こそうとしている襲撃者の素性の方が気になったが、ジャンもそこまでは把握していないらしい。
「思想犯なら何らかの声明が出そうなもんだが、それもなし。今のところ死亡者はいないが、現場にいたのは襲撃された当人だけだから、犯人の目撃情報もあいまいだ」
相手が一人になったところを狙う忍耐に、当初は被害者への怨恨も考えられた。だが襲撃される人数が増えるにつれ犯人の目的が見えなくなる。襲われるのは軍人で、尉官というだけで横のつながりはほとんどなかったため、ハミオン軍としても、気をつけてね、程度の忠告しかできないのが現状だった。
「うーん、何が目的なのかなぁ?」
「おまえさんも、基本的にはひとりだろ。気をつけろよ」
「そうだねえ、そろそろ私だけで現場を回すのつらいから、ひとりくらい力仕事ができるひとが欲しいなぁ」
そうじゃねえだろ、とジャンはあきれたが、グロリアに危機感はなかったのだ。
それよりも従業員を雇い入れるなら、どんな経歴がいいか、給料はどれくらい出せるのか、とまだまだ赤字だらけの帳簿に頭を悩ませる。
グロリアは明日の現場への経路を確認しつつ寝ようとした。
そこに、彼はやってきた。
■□■
「グロリア、朝だぞ」
うぬぅ、とグロリアは毛布の中で言葉にならないうなり声をあげる。
だが声をかけたキーンも慣れたもので、ずかずかと部屋へ入ってくると床に積み上がっている物品を器用に避けて窓へ近づき、容赦なくカーテンを開ける。
途端、すでに高く昇った陽光が室内に差し込む。
「まぶしぃ……」
「起きろって」
「まだ寝ているのか。相変わらず朝が弱いやつだ」
キーンに続いてティエンも部屋に入ってきた。細い足先で室内を一周し、毛布の中で丸まったままのグロリアを見下ろす。
「社長が動かないと仕事にならないぞ」
「わかってる……えっと、キーンくん、局に行って、うち宛の電報がないか見てきてくれるかな……あと郵便物も……」
戻ってくるころには起きるから、と約束するも、キーンが出て行くと、ばったり倒れる。
「おい、さすがにそれで寝てしまった場合、我もグロリアを擁護できんぞ」
「うーん……ちょっと、昨日は眠れなくて……」
「夜更かしするなとあれほど言っただろう。キーンを見習え。この間、殴られたというのに元気そうだぞ」
「そうだね、よかった」
そう、大事にならなくて本当によかった。
ジャンの使いでやってきた男から、キーンが暴行を受け機械義肢の盗難に遭ったと聞いた時には肺腑が冷えた。四肢を奪われただけで他に大きな怪我はないと聞かされていたが、それでも狼狽してしまう。
結果として機械義肢は取り戻せたし、暴行犯らには相応の仕置きをした。翌日にはそんなことは知らないとばかりの顔で迎えに行ったのだが、その日の仕事を終えて一息つくと、いろいろと考えてしまったのだ。
機械義肢を早く直しておけばよかったことからはじまり、ついにはキーンを引き取ると決めた経緯までさかのぼっているうちに睡眠はどこかへ行ってしまう。
顔を伏せてしまったグロリアに、内心を察したのかティエンが一歩近づく。
「そんなに悩むな。キーンはグロリアが思うよりもずっと、気高く生きているぞ」
「……知ってる」
けどそれと、自分が心配性なところは別なのだ。
ティエンはキーンと一緒に出かけることにしたらしく、もう一度、寝るんじゃないぞと念押ししてから出て行った。
室内にひとりになったグロリアは、しばらくは戻ってこようとする睡魔と戦ったのちに起き上がるのだった。
■□■
暗がりから飛び込んできた影を、グロリアは獣のようだ、と思った。
汚れて、痩せて、目だけが金色に浮かび上がる。
反射的に憎しみのような負の感情を想像したが、その瞳は深く静かで、感情がうかがえない。
いや、感情がないのではなく、こちらにわかりやすい反応が見えないと評した方がいいのだろうか。
だが確定しているのは、自分は獲物で、これから狩られるということ。
怖いと思うよりも先に、当然だと受け入れてしまっている自分がいた。
「グロリア、退け」
けれど、それとこちらが生きたいという我を通すことは別問題。
小さな突風のように飛び込んできた存在は、異常を察したティエンに瞬く間に制圧される。もとより抵抗するだけの体力が残っていなかったらしく、華奢な身体に体当たりを食らっただけで動けなくなり、少女が突き出した刃物の出番はなかった。
「何だこれ、弱っちいな」
ティエンも襲撃と判断して攻撃したのはいいが、相手のあまりの無抵抗さに逆に気勢をそがれてしまい、不可思議なものを見る顔つきで倒れ伏した存在を見下ろすだけ。
「弱い、それに……この身体は、何なんだ?」
どうする、と判断に迷った美しい刀剣は振り返るも、対応を求められた彼女もまた、どうするべきかとっさに答えが出せなかった。
■□■
「手紙が三通と、電報が一件か」
「仕事の話か」
どうだろうな、とキーンは懐に手紙類を仕舞う。届いた手紙や荷物は基本的にグロリアが確認して開封することになっている。開けたところで文句は言われないが、あとになって中身が足りないと騒ぎになっても困る。
「つまらん」
言って、ティエンは前に出ると、くるくると踊るように四肢を動かしながら進む。
細くとがった足で器用に跳ね、長く垂れた袖を振り、回転の軌跡を髪が追いかける。昼間の陽光に衣装にちりばめられた透明な宝石がきらきらと星のようにまたたく。
少女の容姿は非常に珍しく、奇怪ともとられかねないが、電報局があるあたりはキーンらの住居に近いので少女の姿を見慣れている住人も多い。特に奇異な眼差しを向けられることもなく、少女は人の間をすり抜けながら、踊りとも呼べないステップを踏みんで進んで行く。
「お、新作だ」
少女が足を止めたのは、鍛冶屋兼武器屋になる。武器といっても騒乱が一段落してからは調理用のナイフが店頭を占め、今日の店主は外で鍋底の穴をふさいでいた。
かつんかつんと金属音を響かせていたが、ティエンが近づくと手を止めて顔を上げる。いらっしゃい、と汗の浮いた額をぬぐい、少しばかり不器用な笑みを見せた。
「今日は火は使わないのか?」
「刀鍛冶の仕事は、もうずいぶんとご無沙汰だな」
店主は苦笑する。ティエンが鍛冶場で散る火花を見たがるのにはもう慣れっこになってしまっていた。軽く世間話をしながら、店主は少女の足を見て顔をしかめる。
「おまえさんの足、きれいだが、もうちょっと何とかならんのか」
かかとのない先のとがった足を見て、自分が痛むような顔をする。
「我も、もっとニンゲンみたいな手足になりたいんだがな、上手くいかない」
少女の異形は足だけではない。普段は長い袖に隠れている両手もまた、人の形をしていないことをキーンは知っている。
だがほとんどの人は少女の奇妙な四肢を機械義肢の一種だと考えている。存在そのものが異形だとはさすがに想像の外のようだ。
キーンも最初に、この少女は人間ではないが、機兵のように命令通りにしか動かない器物とも異なっていると説明されても理解が及ばなかった。
いまも、正体についてはよくわかっていない。
「義肢を交換するなら、いつでも技師を紹介するぞ」
「それはまたいつかな」
キーンもどうだと言われたが、黙って首を振る。グロリアから改めて身体の成長に合わせた義肢の新調を打診されたが返事は保留にしている。
機械義肢の維持には金がかかる。特にまだ成長期のキーンの身体はすぐに義肢の方が合わなくなってしまうため、数か月単位での調整が必要になる。交換までいかなくとも整備には専門の知識が必要になり、もちろん無料というわけにはいかない。
ただ左手が使えないのは仕事にも差し支えるので、修理か中古品に交換かはしなければならないのだが。
「まあ、十年くらい前に比べると機械義肢も出回るようになったが、高い買い物だしなぁ」
店主が顔を上げた先には談笑する男性が数人いた。中の一人は機械の腕でカップを手に持ち、茶か酒かはわからないが機嫌よく飲んでいる。
機械義肢は店主が言うように、この十年ほどでかなり一般化した。それでもまだ身体が成長期にあるキーンくらいの年齢の子供が四肢のすべてを機械化している例はあまり見ない。大抵は軍人が作戦行動中の負傷で四肢を欠損し、機械義肢への換装を希望する。
「前のクアールのときはひどかったからなぁ」
ちらりとキーンの四肢を見やると、店主は重い息を吐く。
クアール武装蜂起。
国境線問題に加えて、そのはざまで長年迫害されてきた先住民も入り混じって起こった戦乱。当初は小競り合い程度で、重火器類は使用されているものの、数日で収まるだろうとされていた騒乱は各地に飛び火し続け、収束までに数年を要した。
激化した争いで国境線が一部変わり、多数の先住民が部族単位で滅びるほど被害は拡大する。
キーンの四肢は、その争いに巻き込まれて失われた。
というのが建前だ。
「いないな」
ティエンは店先に棒きれのように無造作に立てかけられている刀剣類を見て、顔を上げる。
「いないから、帰るぞ。そろそろグロリアの頭も起きたころだろう」
「……そうだな」
店主に頭を下げて通りを進む。確かに少しばかり寄り道に時間をかけすぎた。
「そういやティエン、おまえは誰を探してるんだよ」
「言ってなかったか」
「言ってないな。いや、俺が聞いたことなかったかもな」
ティエンがこうして刀剣や炎を見たがるのは出会った当初からで、出先でも刀をながめては今のように「なかった」ではなく「いなかった」と、まるで物ではなく人を探しているような言い回しをしているのは気になっていた。
といっても、出会った当初は尋ねるということすら思いつかなかったのだが。
そうだな、とティエンは視線を虚空へ向ける。
「探しているのは、我の半身だ」
ティエンは十代の少女に見えるが、四肢を刃状にして戦う。身体の一部を剥離させて鏡面のように像を映して遠くの状況を観察するといった能力を有している。
人間ではない、と叫ぶのは簡単だが、キーンはその超常的な能力に驚きはあれど忌避感は薄かった。キーン自身が先住民で、四肢を欠いた姿ということで有形無形の差別を受けてきたこともある。
それに、グロリアが異形の少女を当たり前に側に置いているので、いつしかそういうものだろうと気にも留めなくなった。
人ならざるものはゆっくりと、まるで天候の話でもするように己についての話を続ける。
「我はな、雌雄で作られた刀剣なのだ。けれどいま、雄の剣が行方不明でな。グロリアとずっと探しているのだが見つからん」
語られる内容の真偽はキーンにはわからない。なので素直に思ったままを口にする。
「その雄の剣も、おまえみたいにしゃべるのか」
「さあ、どうだろうな。この姿を作ったのはグロリアだからな」
仕組みとしては、方術の応用らしい。ティエンも術式自体は理解できていないが、本体の刀剣部分に機兵を動かす扶桑をからませて人の形を作っているのだと説明してくれる。
「最初の形はもっと、こう、そうだな、人形っぽかったぞ」
初期設定の人を模した形から、ティエン自身が得た知識を使って少しずつ変化しているのだという。
「顔は上手くできていると自負するが、手足は難しい」
特に指の動き、と長い袖の下に隠した腕を振る。先端を刃物に変えて振り回す分には今の状態でも支障はないが、先のとがった足と指のない手は、人の中ではどうしても浮いてしまう。
まだ時間がかかりそうだ、と人を模した存在はこぼす。
「なら、相手が見つかったらどうするんだ」
探すというなら何か目的があるのだろう。雌雄の剣だから、そろっていることに意味が出てくるのかもしれないし、雄の剣が無機物のままなら同じ形を作ってやりたい思いもあるだろう。
だがティエンの返答は、決めてない、とそっけないものだった。
「会いたい、という考えを持ったのも、グロリアに身体を作ってもらったあとだからな。それまでは意識のようなものはあったが、夢を見ている状態に近かった」
なんだそりゃ、とキーンは肩を落とす。だがそんなものかとも思った。
キーンもまた、孤児ということでグロリアがほうぼうに手を尽くして親族がどこかにいないか探してくれた。そのときに今と同じような問いを投げかけられたが、気がつけばひとりで生きているのが当たり前だったので、仮に両親と名乗る男女が現れてもどうすればいいのか想像が及ばず、わからない、と答えた記憶がある。
「けどな、やりたいことはある」
ティエンは足先を軸にくるりと回転すると、両腕を天へ突き出す。
「手をつないでみたい」
ひらひらとした衣装に包まれた手は、足と同様に手や指と呼べる造作はしていない。ただ腕のような形をして、手首から先はすぱんと断ち切られている。
「我はまだ人の形を上手く模倣できない。だがそのうち、手も足も、五指を作って、爪も再現してみせる」
肘と膝の間接で曲がるだけの棒のような四肢。そんな形をした刀剣は、それでも表情に笑みのようなものを浮かべる。
「人間も動物も、触り合って存在を確かめるのだろう?」
今のティエンは武器としては優秀だが、落ちた物を拾い上げることもできない。人と呼ぶには不完全で、心無い器物とするにはあまりにも人に近すぎる。
「手をつなぐ……」
そうだ、と言ってティエンは視線を周囲の露店へ向ける。
店主が客に商品を渡し、代金を受け取る。
職人が革をなめし、木を削る。
「我はな、働く人間の、その手の動きを見るのが好きだ」
だがこの四肢では、切断することはできても、誰ともつながることができない。だから、手と、指と、かかとのある地を踏める足が欲しいと、少女の形をした異形は切望する。
いきなり聞かされた告白にキーンは戸惑うばかり。
否、いきなりではない。キーンがこれまで関心を持たず、相手を理解しようとしていなかっただけ。
聞いたところで話してもらえないと、勝手に境界線を引いていたのだ。
実際には、疑問を口にしただけで答えが返ってきた。
人の形をした刀剣は、しゃべりはじめて言葉が止まらなくなったのか、今度はキーンに水を向けてくる。
「グロリアもやりたいことがあるみたいだ。キーンはどうなんだ。ほら、将来設計とかいうやつだ」
何かないのか、と下からのぞき込まれたキーンは返す言葉につまる。
「……」
先、未来。
考えたこともないというより、考えられなかった。
ほんの二年かそこら前まで、地をはいつくばり、泥を飲み、明日どころか次の瞬間には死ぬかもしれない場にいた。
かろうじて戦場からは脱出し、動ける四肢も手に入れた。それでも不意に、こうして生きていることの方が夢のように思える瞬間がある。
「将、来……」
キーンはとりあえず足を前に出し、帰路を急ぐことしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます