事件

増田朋美

事件

その日も、穏やかに晴れていて、というよりまだ夏の熱波が残っていて、暑い日だった。こんな暑い中でももうとっくに新学期は始まっている。今日も、学校へ行く子どもたちの中には、こんな暑い中なんで学校に行かなければならないんだろうという顔をして、かったるそうな顔をして、学校に行く子どもたちが多く見られた。

そんな中。

製鉄所にジャックさんと武史くんがやってきた。もうとうの昔に新学期が始まって、学校に行っているはずではと、杉ちゃんもジョチさんも驚いたのであるが。

「本当に申し訳ないことなんですが、一日だけでいいですから、武史をここで預かって貰えないでしょうか?」

ジャックさんは、ジョチさんと杉ちゃんに頭を下げた。一方の 武史くんは、水穂さんに、モーツァルトのソナタを弾いてもらって喜んでいる。

「一体どうしたんです?本来なら、学校に行っているはずなんですけどね?」

と、ジョチさんが聞くと、

「はい。実は、先日学校でというか、学校に通っている生徒さんなんですが、武史とはクラスが違うんですけど、ほら、ニュースでも話題になっていると思うのですが、、、。」

と、ジャックさんは、急いで言った。

「ごめんねえ、テレビは、見ないもんでさ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「いえ。確かに話題になっている事件ですが、被害者二人がどこの学校に通っているのかなどは一切報道されませんでしたので、まさか武史くんの通っている学校の生徒さんだったのは、知りませんでした。本当に、あの事件だったんでしょうか?」

と、ジョチさんがそう聞いた。ジャックさんは、そうなんですと小さい声で言った。

「それで、確か殺害された生徒さんといいますのは、小学校1年生でしたね?もしかして武史くんと同級生だったのでしょうか?」

ジョチさんがそうきくと、

「いえ、同じクラスではありませんが、でも、連日学校に報道陣が押しかけてくるものですから、武史が学校に行きたくないといいまして。まあ確かに、その気持もわからないわけでは無いんですけど、今日は、どうしても行かなくてはならない会合がありまして。それで、一日だけでいいですから、武史をこちらで預かっていただきたいんです。お願いします。」

ジャックさんは申し訳なさそうに言った。

「わかりました。そういうことなら、本人が悪いわけではありませんので、お預かりできますよ。それにしても、変な事件が多いものですね。確か、被害にあったのは、小学校1年生の男の子二人で、確か学校では不審者が出るので、複数で登校するようにと生徒に申し伝えてあったとか言うことだと伺いましたが?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ、そのとおりなんです。まさかその不審者が、学校に通う保護者だったというのが、恐ろしいところでもあるんですが、もう誰を信じていいものかわからなくなりますよ。」

と、ジャックさんは言った。

「つまり、同学年生の保護者が、二人の少年を殺害したんですか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「はい。そうなんです。しかも、同級生二人の母親でした。ほんと、僕もびっくりして、驚きを隠せないです。」

と、ジャックさんは答えた。確かに、テレビなどで詳しく放送されているため、事件の概要を述べてしまうと、事件は、田子の浦みなと公園に、二人の小学校1年生の男子生徒が二人、死亡していたのが見つかったというものである。被害にあった少年は、中村竹治くんという少年と、木戸口秋春くんという風変わりな名前の少年。二人は、複数箇所を刃物で刺されていたため、殺人と断定された。しかし、その数時間後、二人を殺害したということで、夫に付き添われた、谷田美香という女性が、出頭してきたという内容であった。非常に凄惨な事件であったが、被害少年が小学校のいち年生ということもあり、事件は報道されなくなった。

本当に日本の報道機関は、無責任なものである。なんでも報道してしまうし、そうかと言って他の事件が発生すれば直ぐ手を引いてしまう。それでは、報道で傷つけられた人が、どれだけ居るのか、ということに気が付かない。

「わかりました。まあ、事件の内容があまりにも凄惨なので、ご自身がそこに居るような気持ちになれないということもわかりますが、でも、それを事実と受け止めて、一つ一つ解決していくしか無いですよね。とりあえずまずは、武史くんが学校に戻ってくれることを考えましょう。しかし、あれだけ膨大に、報道された事件でもあるんです。子供さんたちは、非常に迷惑で、傷ついている事は疑いありませんね。学校にいけなくなったとしても、それは仕方ないので、無理やり学校に行かせようとか、そういう事は、やめたほうがいいと思います。とにかく武史くんが前向きになってくれるのを待ちましょう。」

ジョチさんは、困った顔をしているジャックさんを励ますように言った。

「それでは、十時から会合なんです。夕方には戻りますので、武史をここでお願いします。」

ジャックさんは、申し訳無さそうにいって、杉ちゃんと、ジョチさんに頭を下げて、製鉄所を出ていった。武史くんが、とても楽しそうに、水穂さんのピアノを聞いているのだけを見ていれば、武史くんはとても元気そうに見えるのだが、きっと、そうではないのだろう。本当は、ものすごく傷ついているに違いない。だから、若い人が、何でも乗り越えられるのかということは、まず無いと思う。

ジョチさんと杉ちゃんは、顔を見合わせた。

「とりあえず、水穂さんの体力が持つかどうかが心配です。ずっとピアノを弾いて居ることも、できないでしょうしね。」

二人は、とりあえず、四畳半に行った。水穂さんが、モーツァルトのソナタ15番を弾いていた。武史くんはそれを真剣な顔をして聞いている。

「武史くん。おじさんが疲れてしまうから、おやつ食べない?」

と、杉ちゃんが言っても、武史くんは真剣だった。

「おやつは、第四の食事といいますからね。大事なものですから、外してはなりませんよ。」

ジョチさんがそう言っても、武史くんは真剣になってモーツァルトのソナタを聞いている。

「一体どこがいいんだろうね。モーツァルトのソナタなんて弾ける人はザラに居るぜ。」

杉ちゃんが言うと、

「いいなあ、僕も、直ぐに楽しいとか、嬉しいとか、言えたらいいのに。学校の先生は、意見のあるときは手を上げて言うとか、そういうことばっかり言って、何も言わせてくれないもん。」

と、武史くんは言った。それはなんだか非常に難しいものでもあった。確かに、日本の学校では、意見のある時は手を上げて言うのであるが、それはかえって自由な発言を妨げていることもある。

「そうか。それで和声が直ぐ変わるモーツァルトが、お好きなんですねえ。なるほど。わかりました。」

と、ジョチさんが言うと、武史くんは、うんといった。

「じゃあ、もうそこまでにしておやつにするか。」

そう言って、杉ちゃんが、おやつとして皮を剥いた梨をどっさり器に入れて持ってきた。みずみずしくて美味しそうな富士なしである。流石に小さな子どもらしく、武史くんは嬉しそうな顔をして、梨に飛びついた。水穂さんも、軽く咳をしながら、ピアノから降りて梨の前に座った。

「じゃあ、いただきましょうか。」

と、ジョチさんがそういう前に武史くんは梨にかぶりついていた。

「美味しい!」

そういう事をいう武史くんはやはり子供であった。本当に無邪気で美味しそうな顔だった。

「だろ?蘭のお客さんが、持ってきてくれてさ。なんでも、家が梨農家なんだって。富士なしって、有名なブランドでね。結構、売れてるらしいよ。インターネット通販などでも販売しているらしい。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうですね。富士なしというのは、昔から有名ではありますよね。まあ多少お金を出さないと触れられないブランドでもあるんですけどね。」

ジョチさんも言った。

「そうかあ。こんな有名な梨を食べられて幸せだなあ。あの、変わった名前の二人も、食べれたのかな?」

武史くんが、なんだか、哲学者みたいに言った。

「まあ、普通の家庭にあれば、誰でも食べられますよ。富士なしは、普通にやおやさんなどでも売っていますからね。」

ジョチさんがそう言うと、

「そうかな?普通の家庭ってあるかな?」

と、武史くんは言った。子供心にもそれは感じているらしい。

「どうしてそうお思いになるんです?」

ジョチさんが聞くと、

「だって、あの、谷田くんの家は、梨を食べるような事はなかったと思うよ。」

と、武史くんは答えた。

「つまり、それだけ貧しかったということでしょうか?家が、日頃の食事も満足に取れないほど、経済的に困窮しているとかそういうことですか?」

ジョチさんがそうきくと、武史くんは黙ってしまった。

「もう、聞き方が悪いんだ。そんな難しい言葉を使うから、答えが出ないんだよ。いいか、武史くん、その谷田という犯人の家は、ご飯を食べることもできなかったの?」

杉ちゃんがそう聞きなおすと、

「違うよ。お父さんもお母さんもちゃんといたし、ちゃんと、ご飯は食べてたよ。」

と武史くんはいった。

「じゃあ、それでは、武史くんの家と、谷田くんの家は、どう違ったのか、その違いを話してみてくれるかな?」

水穂さんが、優しい顔をしてそうきくと、

「うん。僕は、パパと二人暮らしだけど、谷田くんの家は、おじいちゃんが居たよ。」

と、武史くんは言った。

「でもね、なんか楽しそうじゃなかった。おじいちゃんが居れば、お年玉もらったりして、楽しく遊んでくれたりするんだろうけどさ、谷田くんの家はそれがなかったの。」

「そうなんですか。それなら、認知症とか、そういうものがあったんでしょうか?」

ジョチさんがそうきくと、

「物事を忘れたり、変な事を言ったり、夜中に道路を出歩くとか、そういう事をする病気だよ。」

と、水穂さんが言った。

「ううん。おじいちゃんはそんなことは、一つもなかったなあ。そういうことなら、谷田くんのお母さんがそういう事をしてた。」

武史くんは子供らしく言った。

「お母さんが?」

と、ジョチさんが言った。

「お母さんと言いますと、武史くんと同じ年齢の子供さんを持つお母さんでしたら、まだ認知症を発症する可能性は低い年齢ですね。あ、それとも晩婚だったのでしょうか?それで若年性アルツハイマーとか、そういうことだったのでしょうかね。」

ますますわけがわからない顔をしている武史くんに、

「あのね、武史くん、谷田さんのお母さんは、周りの生徒さんのお母さんよりも歳上だったのかな?」

と水穂さんが言った。

「いえそれなら、じいちゃんが生きているはずがないよ。ということは、多分、若くして、心を病んでしまったということではないかな?それでおじいちゃんが同居していて、自分でなんとかしなければ行けないとでも思って居て、それで、生活習慣とか、そういう事が違っていたんじゃないかな?」

と、杉ちゃんが口を挟んだ。

「ああそうか。そういうことになりますね。そういう特殊な家庭でしたら、有り得る話かもしれません。しかしですね、そうなるのでしたら、車の運転はできないはずなんです。精神疾患の薬は車の運転が認められていません。」

ジョチさんがそう言うと、

「いや、守っていない人はいっぱいだ。誰でも、ごまかして運転しているじゃないか。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。ジョチさんは、はあとため息を着いて、

「確かにそうかも知れません。自分は、精神疾患であることをごまかして、車を運転したり、無理して職場に通っている人もいます。」

と言った。

「しかし、それでは余計に、彼女がなぜ、同級生の男子生徒二人を殺害したのか、それがわかりませんね。そういう疾患だったら、余計に正確な情報が得られなくなると思います。確かに報道では、彼女がご主人と一緒に出頭したということになっていますが、それでも、彼女がなぜ犯行をしたのか、それは報道されていませんね。」

水穂さんが言った。確かに、病んでいた女性であったら、正確な情報を得るのは難しい。それはなぜかというと、病んでいることで、情報を無理やりなかったことにしてしまう事ができるからだ。

「まあ、いずれにしても、この事件は、犯人である、谷田という人が犯行の理由を述べなければ、ずっと解決しないで終わってしまうと思います。それでは、行けないのかもしれないけど、解決にならないというのは、やっぱり腑に落ちないと思いますよ、警察も。」

ジョチさんがそう言うと、

「まあそうだねえ。梨を食べられるのはある意味幸せなことかもしれないよね。ああ、こんなに話していて、お昼の時間になっちまった。僕、お昼の支度してこよう。」

と、杉ちゃんは、急いで台所に言った。水穂さんが小さな声で、

「確かに、梨を食べられるというだけですが、すごいことかもしれないんですね。」

と言った。

一方のところ、ジャックさんは、会合があると言っていたが、実は警察署にいっていた。警察も、容疑者である、谷田さんが、何も話してくれないので、周りの人から、話をして事件を解決しなければならないことになっているのだった。

「えーと、俺たちが知りたいのは、谷田美香がなぜ、同級生の子供さんを二人殺害しなければならなかったのか、だ。犯行の証拠である、凶器の包丁も家宅捜索で出てきてるし。それに、みなと公園に、二人の死体を遺棄したことも、目撃者が出ております。あとわからないのは、なぜ、彼女がそのような凶行に至ったのかだ。それで、学校の関係者一人ひとりに質問をしております事をご了承ください。」

華岡は、長たらしい前置きを言った。

「それではですね。田沼さんにもお伺いしますが、谷田美香が、あの二人を疎ましく思っていたとか、嫌だと思って居るとか、そういう素振りを見せたことはありませんか?」

ジャックさんは、どうしたらいいかわからない顔をしていたが、

「いえ、いつだったか、授業参観にも行きましたが、谷田さんが、木戸口さんや、中村さんを気にしている様子は、ありませんでした。僕が見たのはそのときだけでしたので、正直、彼女が、精神をどうのとか、病んでいたとか、そういう事を感じたことは一度も。」

と、正直に答えを出した。

「そうですか。谷田さんの家族について、なにか知っていることはありませんかね。なんでもいいです。なにか話してくれませんか。本当に、小さな情報があれば、それが大きな力になります。」

華岡がそう言うと、

「そうですね。確かに、学校行事等でも、家族全員で来ていらしていたので、たまに挨拶をしていた事があります。ですが、不思議なことに、あのご家族は、いつでも、家族一緒だったんですよね。それは、なぜだったのか、僕もわからなかったんですが。まあ、日本の家族というのは、そういうものなんだろうなと思って、あまり口に出したりしませんでしたが、なぜだったんだしょうか?本当に、運動会も、学芸会も、谷田さんのお宅は、家族全員で来ていました。そして、お祖父様やお父様が、一生懸命、周りの生徒さんや先生方に挨拶していました。」

ジャックさんは、自分の知っている事を述べた。自分が知っていることはそれだけだった。それ以外、何も知らない。谷田美香さんという若い女性と、直接あって親しくしていたわけでも無いし。それ以外、わかることもなかったような気がした。

「そうですか、わかりました。それはより、谷田美香さんが、家族に保護されていた事が、わかりました。貴重な情報をありがとうございます。」

と、華岡は、でかい声で言って、ジャックさんに、ご協力ありがとうございましたと言った。

「本当に、そういう小さな事しか知らなくて、こちらとしても申し訳ないですね。」

というジャックさんであるが、華岡たちは、もういいよということにして、ジャックさんを署から帰らせた。

製鉄所では、杉ちゃんは縫い物をし、ジョチさんは、事務仕事をして、水穂さんが、また武史くんの相手をしていた。武史くんは、製鉄所の中庭にある、石燈籠を写生していると本人は言っているが、やっぱり岡本太郎みたいな絵で、石燈籠をかいているというのは、本人でなければわからない絵だった。

「只今戻りました。」

玄関先からジャックさんの声がした。

「あら、随分早いお帰りだな。」

と、杉ちゃんがそう言うと、

「会合はもう終了ですか?」

とジョチさんがそう言うと、

「はい。全く、呼び出すときには、呼び出しておいて、いざとなると、何もしないんですね。」

と、思わずジャックさんはそういったため、それでは、会合という用事では無いのかなということがわかった。

「はあ、それでは、なにか別のところに行ってきたな?」

と、杉ちゃんがそう言うと、ジャックさんは、申し訳ないと思ったのか、

「はい、また違います。」

とだけ言った。

「そうなんですね。でも、武史くんには、話さないほうがいいのではないかと思いますが。」

とジョチさんが言った。

「事件の事は、もう、報道とか、そういうことできっと知ってますよ。それよりも、武史くんが、どう考え直してくれるかを、僕達は待っているべきなんじゃないでしょうか?」

「そうですね。」

ジャックさんは小さな声で言った。武史くんが描いている絵を見て、多分、武史くんは、普通の子供とぜんぜん違うんだろうなと思った。家も何も色んなものがある。事情がある家もあるだろう。だから、ジャックさんは、武史くんに事件の事は聞かない方がいいのかなと思ってしまった。杉ちゃんも、水穂さんも、何も言わなかった。それが日常と言うものであるから。日常は、なにかを抱えながら、ずっと過ぎ去っていくものでもあるのである。

いつも、この時期は暑さと涼しさが同居する。今日は、暑い日であるが、静かに風が吹いて来て、なんとなく涼しさも感じられた。涼しい風が吹いているということは、もう季節が変わろうとしているのだ。



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事件 増田朋美 @masubuchi4996

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