紫電

 ──先に仕掛けたのはラサンテだった。


 土が抉れるような力強さで地を蹴り、一瞬で間合いを詰める。目にも留まらぬ程の素早さで剣が振りかぶられ、レセーンに打ち下ろされた。

 澄んだ高い音が響き渡る。

 まさに電光石火の早業であった。相手の頭から股まで一気に斬り下げ、骨さえ断って身体を真っ二つに両断するはずの第一撃を、しかしレセーンは撥ね上げるようにして見事に受け流す。彼の反射速度も並ではなかった。

 ラサンテは更に踏み込み、飛び退った兄に次々と斬撃を叩き込む。横薙ぎに胴を狙ったかと思えば、返す刀で下から斬り上げ、それも躱されると早くも首を突く。予測不能、変幻自在の攻撃──レセーンはそれらを的確に見切り、軽やかな足取りで躱し、ある時は弾き返す。刃を受けること十数合、未だ一つの擦り傷も負わずに、完璧にラサンテの剣を退け続けた。普段は部屋に籠もっており、弟の武勇もあって兎角軽んじられがちなレセーンであるが、彼も魔界有数の剣士なのである。知る人ぞ知る文武両道の貴公子、といったところか。

 そんなレセーンは後退を続け、遂に壁際から数歩というところまで下がった。

(そろそろ潮時か)

『早く掛かって来い』とラサンテの目が言っている。

 それに応えて、襲い来る剣に己の剣を思う様打ち合わせて弾くと、レセーンは大きく高く、飛び退いた──そして空中で身を捻り、壁を蹴った。

 その身体は軽々と宙を舞い、ラサンテの背後にしなやかな身のこなしで降り立つ。そして向き直ったラサンテにすかさず斬り掛かっていった。

 こちらも素早い突きと斬撃であった。ラサンテは敢えて避けようとはせず、積極的に兄の剣を受け止める。軽く振り払うように見える動作も、実のところ込められている膂力は相当強く、並の者ならば手が痺れて得物を取り落としかねない。しかし、この程度は序の口なのである。毎度のことながら、弟の馬鹿力には感嘆を通り越して呆れるレセーンであった。

 ラサンテの戦い方は力強く烈しい。一つ一つの斬撃の威力や攻めの勢いは遥かに兄を上回る。

 対するレセーンは極めて効率の良い戦い方をする。必要最小限の動きで攻撃を躱し、避け切れぬ剣は巧みに受け流して威力を殺ぐ。守勢に徹して持久戦に持ち込み、自身は体力を温存して相手に隙が生まれてきたところを突く。そういう剣士であった。

 さて、そんな二人がぶつかると一体どうなるのであろうか。

 兄弟は再び間合いを取って対峙していた。大して息も乱しておらず、負傷もない。儀礼のような、彼らにとっては小手調べに過ぎぬ剣戟を終え、これからが本当の戦いである。

 互いに腕をだらりと下ろして下段に構え、間合いを保ったまま円を描くようにじりじりと移動し、機を伺う。

 張り詰めた沈黙。静かに揺蕩う殺気。熾烈な眼光。

 鋭い気合の声は果たしてどちらのものだっただろうか。ほぼ同時に、二人は弾丸の如く飛び出した。


 凄まじい音と共に剣が打ち合わせられ、火花が散る。

 両者はまるで凍りついてしまったかのように、微動だにせぬ。──否、近くでよくよく見れば、小刻みに震えていた。涼しい笑みさえ浮かべるラサンテに対し、息を止め、歯を食いしばり、満身の力を込めて鍔迫り合う。かたく地を踏みしめ、筋肉を隆起させ、顔を突き合わせて睨み合いながら。

 どちらが均衡を崩したか定かでないが、二人は不意にぱっと飛び離れた。その時宜を僅か数刹那誤っただけでも勝敗は一瞬にして決しただろうが、今回はそこに寸分の違いもなかった。

 ラサンテがさっと体勢を落として突っ込み、レセーンの足を薙ぐ。剣を真っ直ぐ縦にしてそれを受け、身を捻りながら巻き上げるようにして噛み合った剣を外す。腕を上げたことによって空いた胴を掠める突きを横っ飛びに躱し、華麗な足捌きを見せて一気に踏み込み、剣を振り下ろすも、見事に受け止められて弾かれ、引き下がる。まだ暫くレセーンの剣はラサンテに届きそうになかった。

 攻撃の意思が薄れたと見るや、ラサンテは反撃の暇もないほど容赦なくレセーンに打ち込み始めた。鉄の暴風の中レセーンは、剣の軌跡だけに集中し、反射神経のみに頼って避ける。無駄のない軽妙な動きで刃を逃れる彼はさながら流麗な舞を演じているかのようだった。

 鋼の打ち合わされる鋭い音が広間に谺する。この戦いでは、体力が先に尽きた方が敗北する。ラサンテの猛攻にレセーンが屈するか、それともラサンテの動きが鈍るか?

 力強く、美しい剣舞が観衆を魅了した。広間を埋め尽くした数百の魔物達は今、声を失い、時として呼吸すらも忘れ、二人の剣士に魅入っていた。果たして何時、最初の血飛沫が上がるだろうか?

 疲れを感じさせぬ軽やかさで踊るようにひらり、ひらりと身を翻し続けるレセーンだが、内心では焦っていた。ラサンテに一度攻勢の流れを作られてしまえば、幾ら躱そうとも呆れるほど執拗に猛追してくる。その勢いが余りにも凄まじいので、ラサンテを相手に守勢から攻勢へ転じることは酷く困難なのである。

 だが、ラサンテは決してただ勢いが良いだけの体力馬鹿ではない。相手の隙を瞬時に見出す目、正確無比な狙い、それでいて自身の守りも決して疎かにせぬ。攻めと守りの基本を練り上げ一つにし、応用するだけの伎倆──他の追随を許さぬ彼の強さの所以、反撃を許さぬ攻めの姿勢は、極められた身体捌きの上に恐るべき膂力が加わってこそ成り立つものであった。単なる力任せの攻撃ではなく、構えから技に至るまで全ての精度が高く、洗練されているがために、レセーンでさえも反撃の機を掴めないのである。

(厳しいな)

 もう百合近く剣を合わせただろうか。ラサンテの攻勢は一向に衰えず、徐々にその剣先がレセーンへ届き始めた。服が裂け、薄皮が切れる。刃が肉に達するのも、時間の問題である。

 少しでも気を緩めたら命を失いかねない激闘の最中だというのに、レセーンはふっと笑ってしまった。完全に普段と同じ流れであった。間合いを取って体勢を立て直したくとも、ラサンテは離れてなどくれない。時折反撃したとしても弟の勢いを殺すには及ばず、繁吹く血は目を潰し、四肢は鉛と化し、剣を撥ね飛ばされるか手足の腱を断たれるか、或いは気付けば首筋に剣がぴたりと据えられているか、何れにせよ押されに押され、ずたずたに切り裂かれ、そして負ける。

 技術だけならば負けてはいないのだ。むしろレセーンの方が優れているかもしれぬ。しかし、日夜鍛錬に明け暮れ、ひたすらに肉体を絞り上げているラサンテとの絶対的な体力の差は、小細工では到底覆せぬのであった。

 そう、自分と弟の、剣士としての差はそこにあるとレセーンは知っていた。

 己にないもの──圧倒的な持久力、筋力──を備えている弟を、彼は尊敬こそしたが、妬みはしなかった。それが、血を吐くような努力の末にラサンテが勝ち得たものだと知っているからだ。

 ずっと隣にいたレセーンは見てきた。彼が剣を投げ出せば一人で素振りを始め、利き腕が折れれば、逆の手で剣を握るラサンテを。これ以上はお前が壊れてしまう、と必死に制そうとも、昏倒するまで聞かなかった弟を。最強の称号を得て、王になりたいと言って為されてきた鍛錬を。

 頂点に立たなければ満足できぬラサンテ。弱さ、惨めさ、醜さ、そして敗北というものを何よりも嫌うようになった彼は、誰も見ていないところで這い蹲り、己と闘い、限界に挑み続けている。彼の強さは、単純に天から与えられた才能ではなく、壮絶な努力の結晶なのだ。

 ラサンテが選んだのは剣の道、レセーンが選んだのは魔術の道。剣技でラサンテに敵うはずはないと分かり切ってはいたが、それでも、純粋に弟を追う。ラサンテが求めるのは一方的な虐殺でなく鎬を削る真剣勝負、そしてその相手たりうる技倆を持つのはレセーンをおいて他にない。ラサンテにとって一番の苦痛は、力があるにも関わらず解き放てる場がないことである。そんな彼が少しでも満足できるよう、彼の鬱屈を晴らしてやれるよう、レセーンも弟を追い、強くなろうとするのだ。

「何を惚けている、阿呆!!」

 怒号が飛ぶ。レセーンの口の端に浮かんだ微かな苦笑と、一瞬の集中力の断絶を目敏く見咎めたようだ。

 笑いを堪え、再び気を引き締める。今日はここで流れを変えるために剣を取ったのだ。

(左上だ。左上から来たら、仕掛ける)

 機を伺い待つこと数合。振り抜いた剣を撥ね上げられたラサンテは手首を閃かせて斜め上方──レセーンにとっての左上──から斬り下げる。

 レセーンはその場を動かず、仰け反るように上半身を捻り、胸を掠める斬撃を間一髪で躱し──

 目にも留まらぬ速さで、脚が空を薙いだ。


 広間にどよめきが湧き起こった。

 紙一重の差で刃を逃れたレセーンが、強かな蹴りを放ったからである。その足は剣を握るラサンテの手首を直撃した。まともに剣を打ち合わせても精々斬撃を弾く程度で、ラサンテの体勢を崩すことができぬと分かっていたが故に得物を持つ手を狙ったのだ。下に振り下ろされる手に、横から、しかも足で衝撃を加えれば多少は不意打ちになると思ったために取った戦法であった。

 如何にラサンテの怪力といえども、手と足では足が勝つ。レセーンの戦略は功を奏し、ラサンテは剣を取り落としこそしなかったが、すぐさま斬り上げるはずだった剣の軌道は大きく逸れた。

「……やりやがる」

 蹴りを喰らわせた瞬間に素早く飛び退って間合いを取り直したレセーンに、ラサンテは凄味のある笑みを向けた。その紅い瞳は、心底愉しそうに輝いていた。

 レセーンの動きは、読めぬ。敏捷で器用な彼は時折、剣術の常識など全く通用しない、軽業師のような身のこなしを見せる。思いも寄らない動きをするから面白いのである。

 二人は再び剣を交えた。今度は守勢一辺倒にはなるまいと、レセーンも積極的に斬り込んでゆく。攻めと攻めの戦いであった。

 目くるめくばかりに交差する銀の刃の煌めき、入れ替わる身体。荒れ狂う殺気、吐き出される鋭い呼気、浮き出る血管と筋肉の束、常に相手を睨み据える苛烈な目──。

(……ッ!!)

 音もなく、宙に鮮血が散った。

 レセーンの腕から、遂に最初の血飛沫が上がる。打ち込みを押し切ったラサンテの剣は尚も勢いを失わず、レセーンの右上腕を掠めたのだ。深く踏み込んでいたため避けきれなかったのである。

 血を見るや否や、ラサンテの攻勢は激しさを増した。肉を裂く感触と噴き出す血の紅が、彼をいよいよ昂らせたようだ。口許に笑みすら浮かべ、双眸を爛々と輝かせながら、狂戦士は怒濤の勢いで兄へと斬り込んだ。

(まずいな。未だこれほどの余力があったとは)

 明らかに動きが変わった。今までは何とか互角に戦えていたが、もう太刀打ちできぬだろう。

 レセーンの剣がラサンテの脇腹を掠めた。剣先が血の虹を描く。今日の戦いにおいて、記念すべき一撃である。彼の刃が初めてラサンテの身体に届いた。

(敵わんな……傷を負う割合が五対一だ)

 必死の抗戦を続けるレセーン──そうしている間にも、身体には次々と新たな傷ができてゆく。それも徐々に深手になる。対して、彼が何とか弟に負わせる手傷は何れも薄手であった。

 仰け反ったレセーンの顎を剣が掠めた。一瞬遅ければ喉を刺し貫かれていただろう。こいつは本当に俺を殺す気なのではないかと、時々疑いたくなる。

 剣戟は更に白熱し、打ち合わされた剣が立てる澄んだ硬い音の余韻も消え去らぬうちに、新たな響きが大気を震わせる。

 閃く白刃、舞う血飛沫。いよいよこの戦いも佳境である。

 少しずつ、レセーンが押されていく。数十ヶ所を斬られ、全身から血を滴らせながらも剣を振るい続ける。対する弟も、刃と己を返り血と自らの血で汚しながら、修羅と化して兄を攻め立てる。

(身体が、動かん)

 幾ら痛みというものを克服しようと、筋肉が切り裂かれれば動きが鈍るのは当然である。疲労も溜まれば息も上がる。そろそろレセーンの体力も尽きてきていた。

 ラサンテの攻勢とて、全く衰えないということはない。彼の動きも序盤、中盤と比べれば確実に鈍っている。が、目に見えて鈍重になりはせず、凄まじい気魄は、失われた多少の勢いを補って尚余りある。

(……そろそろ、限界だな)

 レセーンは戦いの終わりが近いことを悟った。もう宙返りをして攪乱する気力はない。それどころか、迫り来る剣先をごく基本的な動きで躱すことすらままならぬ。

 それにしても今日は良く戦った。普段ならばとうに勝負がついている、何より途中で持ち直したことは大きな進歩である。その上、ラサンテに負わせた傷の数も増えた。──そんなことを考えていたら、弟に『何を満足している阿呆』と叱られるに違いないが。

 それはさておき、レセーンも今は無心に、神経を研ぎ澄ましてラサンテの剣を受けている。その表情にも動作にも疲労が滲み、足取りも序盤の軽やかさを失って少々怪しい。

 果たして止めの一撃は何時、どのように来るだろうか?

 ラサンテはなかなか仕掛けてこない。

(何故だ。何故来ない)

 焦れたレセーンが、何気なく斬撃を弾く。

 ──刹那。

「返礼だ!!」

 ラサンテの勝ち誇った叫び声を聞くのと、腰に何かが激突するのを感じるのは一体どちらが先だっただろうか。

 剣に気を取られがちだが、時として四肢も、とてつもない破壊力を誇る武器となり得る。全体重を乗せたラサンテの回し蹴りは見事にレセーンの腰を直撃した。

 全身を凄まじい衝撃が駆け抜け、視界が白く瞬き、息が詰まる。

 くぐもった呻き声を上げて、レセーンは崩れ落ちた。


 一瞬の出来事だった。

 剣を握り直し、その腕を上げる暇もなかった。

 閃光が走り、レセーンの首の真横──辛うじて肌に触れるかどうか、という際どい位置──にラサンテの剣が突き立っている。横たわる兄を見下ろして、弟は笑った。

 レセーンも鉄の味を噛み締めながら苦笑した。煌めく刀身を横目で見遣り、大きく息をつき、ラサンテを見上げて言う。

「……俺の負けだ」

 勝敗は決した。


 広間はしんと静まり返っていた。余りにも鮮やかな決着だった。

 勝者は剣を引き抜き、敗者に手を差し伸べる。レセーンはその手を取って身を起こし、立ち上がった。

 両者はすっと一歩引き、胸の前に血濡れの剣を捧げ持つ。そして、先程の激闘による疲労を全く感じさせぬ優美さで一礼した。

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