#12 歪ゆえ

 あなたを分かるためには、同じ景色を見るためには。わたしはあなたと多くの時間を過ごさなければいけないのでしょうか? わたしと同じスポンジでお皿を洗うあなたは、わたしと同じように“スポンジの柔らかい方”でその汚れを落とすのでしょうか? あなたがわたしを分からなくても良い、だなんて思ってしまうのであれば、わたしがあなたを分からなくても良いと思ってしまっていいのでしょうか? あなたがわたしを分かっているから、わたしはあなたを分かりたいと思うのでしょうか? 自問自答の繰り返しは、あなたのためになるのでしょうか? わたしのための事が、同時にあなたのためになったりするのでしょうか? あなたが笑顔でいてくれたら、わたしは幸せなので、と感じてしまうのであれば、わたしが笑顔であればあなたは幸せであると感じても、それでも許されるのでしょうか? 自問自答の繰り返しに、意味はあるのでしょうか? 意味というのは、そう、あなたに愛の告白をしている“うち”に入るのでしょうか?

 昔の恋人のことを思って、愛しています、と思うことと、あなたのことを思って愛していますと思うことが同義でない理由はどこにあるのでしょう。屁理屈かもしれませんが、昔の恋人がわたしのことを思って、愛しています、と思っていないだなんて、誰も言えたことではないのではないでしょうか。あの人はわたしと同じ“スポンジの柔らかい方”でお皿を洗っていたな、と思い出す時、わたしはあなたに愛していますと言われるよりも幸せを感じているのだとしたら。目の前の愛がなんだと、そのある気がしている関係がなんだと、唾を吐きたくなるような気持ちにすら、なってしまうのです。今、あなたのことを思って、わたしと違う世界を見て生きているなと思っても、そこに愛はあるような気さえしているのです。あなたがわたしの髪を撫でて、瞳の潤いをわたしに見せつけるのであれば、そこに愛があるように感じてしまうし、同時に愛がなんだとも思うのです。

 そんなわたしの見ている景色をあなたは見なくても良いと思ってしまうのに、あなたはわたしの瞳の潤いに愛を感じてしまうことが、きっと、あるのです。あなたが、あなたの瞳で見ているものと、わたしが、わたしの瞳で見ているものが重なった時、それは人の死を表し、生を表し、人間である、同じ人間であるという愛を表すと、わたしは本気で思っています。どうか、都合の良いように捉えないでほしいと思います。わたしの愛は、正しくいびつな形で、世界をその愛の瞳に映しています。

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