ノットイコール③

「おっすおっす秋空! 今日も元気に無表情だねー!」


 始業式の日。今年のクラス分けが書かれた紙の前で、穂波の友達に話しかけられる。


 誰だっけ。

 ……確か西野とか、そういう名前だった気がする。


「おはよう、西野」

「お、正解! ちゃんと私の名前覚えてたんだねぇ」

「まあね」

「もうクラス見た?」

「まだ。今から見る」

「そっかー。今年こそ同じクラスになれるといいね!」


 心理的距離が近すぎる気がするけれど、こんなものなんだろうか。


 西野とは一年の頃は同じクラスだったけれど、そこまで仲が良かったわけではない。穂波の友達だから顔を合わせる機会は多かったが、二人きりで話すことはあまりなかった。


 それでも向こうから話しかけてくれるだけ、気まずくなくていいのかもしれない。


 私は張り出された紙に目を向けた。

 私のクラスは三組らしい。視線を下に移していって、な行を探してみるけれど、穂波の名前はなかった。


 小さくため息をつく。

 結局今年も、穂波と同じクラスにはなれなかった。


 いや、今更穂波と同じクラスになったって、辛いだけかもしれないけれど。それでもがっかりするのは確かで。


「お、私たち同じクラスじゃん! やったね!」


 西野は楽しそうに笑っている。

 知り合いが同じクラスにいることは、喜ばしいと思う。


 だけど私は、穂波の顔を毎日教室で見たかった。私以外の誰かのものになってしまっていても、やっぱり彼女の顔が見たいのだ。


「あ、穂波」


 西野が声を上げる。

 振り向くと、そこには穂波の姿があった。


 最近穂波は、以前よりさらに綺麗になった。一年の頃と比べると垢抜けてきたように見えるし、告白とかもこれからたくさんされるんだろうな、と思う。

 私は微かに穂波から目を逸らした。


「おはよ、二人とも」


 二人とも、じゃなくて。

 名前を呼んでほしいのに。


「おいっす。残念だったね穂波」

「いきなり何?」

「私たちとは違うクラスだから。ご愁傷様です」

「え、マジ?」

「大マジ。私たちは同クラ。羨ましいだろー!」

「羨ましい。いいなー。……私は四組か」


 穂波はさほど残念そうじゃなかった。

 目を向けると、彼女はなぜか真剣な表情を浮かべていた。


 クラス替えの紙に、どんな感情を向けているんだろう。

 不思議に思ったけれど、今何を思っているの、なんて聞くのはおかしい。


「好きな人、同じクラスにいた?」


 西野の声。

 私は穂波をじっと見つめた。


「ううん、いない」

「そっかー。よかったじゃん。フラれた時気まずいから、別のクラスがよかったんでしょ?」

「まあ、ね。私の気まずさってより、相手に気まずさとか感じさせたら悪いし」

「そんなもんかなー。当たって砕けて粉々! くらいでいいと思うけど」

「いや、よくないよそれ。一応まだ一年あるんだし」

「そうねー。でもこれでなんの障害もなく告白できるんだし、よかったね! 私も練習に付き合った甲斐があったよ、うんうん!」


 ……練習?

 もしかして、前に聞いた穂波の告白は、練習だったのか。


 いや、しかし。だとしても、彼女が私以外の誰かに告白しようとしているのは間違いないのだ。


 穂波が私に恋愛感情を向けているなんて思えるほど、私の頭はお花畑じゃない。


 しかし、まだ穂波は誰の恋人でもない。なら、今勇気を出して告白すれば、もしかしたら何かの間違いで付き合えるかもしれない。


 一瞬そう思ったけれど、穂波の表情を見て、付き合える可能性なんてゼロなんだと気づいた。


 穂波は恋する乙女の顔をしていた。

 何かを期待するようでいて、少し不安そうな、そんな顔だ。穂波のことを考えている時の自分の顔とよく似ているから、すぐにわかった。


 誰かに恋している人に告白したって、うまくいくわけない。

 まして、私は女だ。

 穂波も女で、きっと彼女は私となんて付き合ってくれない。


 好きという気持ちは、抑えたくない。けれど、最初から無理だとわかっているのに告白する勇気なんて、私にはなくて。


「で、いつ告白すんの?」

「んー。四月中には」

「そっかそっか。報告待ってるぞ!」

「フラれたら慰めてよ」

「いいよー。なんか奢ったげる」


 聞いていられなくなって、私は教室に向かおうとした。それに気づいたらしい西野が、私を追いかけてくる。


「ちょちょ、待ってよ秋空! もう教室行くのー?」

「うん。……じゃあね、穂波」

「ん、また」


 穂波は手を小さく振って、にこやかな笑みを浮かべる。

 あの笑顔が他の誰かに向くことを、私はずっと嫌だと思ってきた。しかしこれからは笑顔だけではなく、私に向けられたことのない表情すら、他の人に向けるようになるのかもしれない。


 フラれてしまえばいいなんて、思わないけど。

 告白が成功して付き合えたらいいね、なんて思えるほど私は大人じゃない。


 だから余計なことを言わないように、穂波から離れる。

 これからどんな顔で穂波と話せばいいのか、少しわからなくなりそうだった。


「……穂波、好きな人いたんだね」

「んー? なんか結構前から好きだった人いるみたいだねー。告白練習に付き合って! て言われた時は何事かと思ったよー!」

「そう、なんだ」


 なんで、嘘をついたんだろう。

 好きな人はいないって言っていたのに。

 もやもやする。別に、友達だからって全部話せとは言わないけれど。


「気づかなかった。穂波って、友達にも普通に好きとか愛してるとか言うから。なんか……好きな人とか、そういうのまだいないタイプだって、ちょっと勘違い、してた」

「え、私そんなの言われたことない」

「え?」


 私は首を傾げた。

 西野は歩きながら、私の顔を覗き込んでくる。


「穂波って意外とそういうの言ってこないし。秋空はよっぽど気に入られてるんだねー」

「……そうかな」

「そうじゃなきゃ好きとか言われてないって。いいなー、羨ましい。私も穂波にそういうの言われてみたいなー」


 前に、穂波は私を一番仲がいい友達と言ってくれた。その言葉に嘘はなかった。一番がいくつもあるわけじゃなくて、本当に私は彼女の一番なんだ。


 そうわかっても、気が晴れるわけではない。

 一番の友達は、やっぱり友達だ。恋人ではない。


 恋人と友達はカテゴリーが違うから、一番の友達になれたとしても、恋人にはなれない。


 ああ、でも。

 それでも嬉しいと思ってしまうから、私は単純だ。どういう形にせよ、穂波に思われていることは嬉しい。


 だけど。

 これから穂波と会う度に、彼女の恋人にはなれないことに胸が痛むようになるのだろう。


 彼女の顔を毎日見たい。

 けれど、会いたくないとも思う。

 ずっと友達で満足できるほど、私は欲のない人間じゃない。


「穂波の好きな人って、どんな人なんだろう」

「笑顔が可愛い人らしいけど。どんな男なんだろうねぇ」


 好きな人は男だっていうのが、きっと普通の発想だ。

 私は性別とかそういうの全部どうでもよくて、穂波が好きなのだ。


 穂波が好きなのは、どっちなんだろう。

 そんなこと、考えても仕方ないんだけど。


「もしかしたらうちのクラスにいたりしてねー」

「……どうだろうね」


 私はそのまま、西野と教室まで歩いた。

 さっきは穂波の名前を見つけるのに必死だったからわからなかったけれど、意外と三組には去年できた友達が多くいた。


 多分、楽しく過ごせると思う。

 私の頭の中は穂波でいっぱいすぎて、それどころではなかったけれど。





「もしもし、雪羽?」


 放課後。穂波と会う前に速攻で電車に乗り、帰路に着いた私に、電話がかかってきていた。


 穂波の名前を見て、出たくないと思った。だけど彼女の声が聞きたいという思いもあって、結局私は電話に出てしまった。


「何、穂波。いきなり電話なんて」

「ん? 雪羽の声が聞きたいと思って」


 思わせぶりなこと言わないでよ、と思う。

 しかしそれは単なる八つ当たりに過ぎなくて、穂波は何も悪くないとわかっている。


 わかっているのに、胸に爆発しそうなくらい様々な感情が渦巻いて、吐きそうになった。


「ねえ、雪羽。明日時間ある?」

「ごめん。明日は、無理」

「じゃあ明後日は?」

「ない、と思う」

「……んー。暇な日あったら教えて。話したいことがあるから」


 話したいこと。

 それは、きっと好きな人のことなんだろう。


 私に好きな人ができたら応援すると言っていたから、彼女も私に応援してもらいたいのかもしれない。


 嫌だ。

 今は穂波に会いたくない。会ってしまったら、決定的なものが何か崩れてしまうような気がする。


 恋人になれなくても、友達として一緒にいる。

 そんな未来なんて、いらないと思う。


 無理だ。穂波が他の人と恋人になってしまったら、苦しくなってもうまともに関わることなんてできない。


 好きな人の顔も名前も知りたくない。

 嫉妬してしまうから。


「……受験勉強、しないといけないから。しばらく暇、ないと思う」

「五分とか十分だけでもいいんだけど」

「ごめん。今はそっちに集中したい」

「……」


 穂波の呼吸音が聞こえる。

 私はちくちく胸が痛むのを感じた。

 心が乱れて、感情が暴走していて、自分でも止められそうにない。


「そういうわけだから、切るね」

「……わかった」


 私は通話を終わらせて、大きく息を吐いた。

 私、何してるんだろ。


 会っても会わなくても、結局穂波は別の人に告白してしまうのに。


 勝手に嫉妬して、苛立って、暴走して。これじゃ前と全く変わっていない。いつか勇気を出して、彼女に告白するって決めたのに。


 結局ここまできてもなお、私は動けずにいる。

 勇気も根性も、何もかも足りていない。


 どうしようもないなぁ、私って。

 もっと勇気がある人間なら、穂波にも愛されていたかもしれないけれど。


 今更そう思ったって、どうしようもない。

 私は見慣れた帰り道を、いつもの何倍も時間をかけて歩いた。その間ずっと穂波のことを考えながら。

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